第210話 誘惑と暴走
「マジで実現するとはなぁ……」
悠斗のふとした思い付きで、美羽と一緒に風呂に入る事になった。
とはいえ最初から最後までは恥ずかしいらしく、美羽が体を洗った後に悠斗が入る事になっている。
脱衣所でぽつりと呟き、期待に胸を弾ませつつ風呂場を眺めた。
曇りガラスの向こうからの物音が妙に艶めかしく、少しも落ち着かない。
「……入っていいか?」
深呼吸を何度も行って心を静め、平静を装って声を掛けた。
同意の上とはいえ、美羽は相当恥ずかしいはずだ。
ならば、発案者として悠斗が暴走してはならない。
ジッと待っていると、「いいよ」と羞恥の混じった声が聞こえた。
「それじゃあ、お邪魔します」
下半身をタオルで隠しつつ、風呂場の扉を開く。
熱気が悠斗の頬を撫で、湯気が視界を遮る。
そして、いよいよ美羽の姿が見えた。
美羽の体を知ってはいても、明かりに照らされた肢体があまりに魅力的で、言葉すら出せずに見惚れてしまう。
(……綺麗だな)
ちょうど体を洗い終えたようだが、美羽は椅子に座りつつ、体の前面が悠斗に見えないように背を向けていた。
中学生だとしても小さいと思える体ではあるが、腰にはしっかりとくびれがある。
そのシミ一つない背中には、大人と子供の中間の不思議な色気があった。
「……は、入らないの?」
美羽がちらりとこちらに視線を向けたが、すぐに逸らす。
既に耳すら真っ赤になっており、相当恥ずかしいようだ。
「あ、ああ。すまん」
指摘を受けて、すぐに扉を閉める。
ただ、それ以上は頭が真っ白で何をすればいいか分からず、美羽と二人して完全に固まった。
「「……」」
どくどくと心臓がうるさい。すぐ傍に美羽の肢体があるという事実が、悠斗の理性をぐらつかせる。
このままでは美羽を襲ってしまいそうで、頭を振って思考を回転させた。
「か、体は洗い終わったんだよな?」
「……うん。体は、ね」
変な言い回しをした美羽が、ようやく悠斗へきちんと顔を向ける。
悠斗は大事な所を隠しているのだが、それでも美羽は真っ赤な頬を両手で抑えた。
「はぅ……」
「……気持ちは分かるけど、もう何度も見た事があるだろうが」
美羽に見られるだけでなく、襲われた事すらあるのだ。
今更ながらに初心な反応をする美羽に苦笑を零せば、美羽が大きく首を振る。
「今までは電気を消してたから、大丈夫だったの。それに、気持ちの方が大きかったから……」
「……さいですか」
あまり美羽の心を抉るのは良くないと、深くは踏み込まずに頷いた。
気持ちを切り替え、縮こまっている恋人へ声を掛ける。
「じゃあ次は俺の番だな。美羽、交代だ」
「その前に、髪を洗って欲しいの」
「髪か?」
淡い栗色の髪は濡れて美羽の肌に張り付いているが、どうやらまだ洗っていないらしい。
洗う順番にいちいち口出しするつもりはないものの、普通は一番最初にするのではないか。
疑問のままに首を傾げれば、美羽が唇を尖らせて小さく首を縦に振る。
「そう。こんなに恥ずかしい思いをしてるんだもん。悠くんには、お風呂に入る際に一番大変な事をやってもらいます」
「俺から言い出した事だもんな。了解だ」
美羽としては、ちょっとした仕返しのつもりなのだろう。
しかし美羽の髪を洗えるのだから、悠斗にはご褒美でしかない。
いそいそと美羽の後ろに立てば、美羽がぴくりと肩を揺らす。
「いやぁ、楽しみだ」
弾む心のままに、ぽつりと呟いた。
美羽が言い出したにも関わらず、悠斗の方へ振り向いて目をぱちくりとさせる。
「ほ、ほんとに良いの?」
「もちろん。ただ、適当には出来ないからやり方を教えてくれ」
「うん、分かった。じゃあ――」
美羽に教えを乞いつつ、栗色の髪をしっかりと洗っていく。
悠斗の髪よりも何倍も手間が掛かるが、それが楽しい。
美羽も緊張が解けてきたのか、肩の力を抜いて大きな溜息をついた。
「気持ち良いよぉ……」
「誰かに髪を洗ってもらうのって、良いよな。散髪の一番良い所だ」
悠斗は一年前よりも髪を短くしているので、散髪に行く事が多くなっている。
その際に髪を洗ってもらうが、とても気持ち良い。
おそらく、今の美羽も同じ気分なのだろう。
美羽をリラックスさせる事が出来た嬉しさに、顔を綻ばせる。
しかし、ちらりと悠斗へ視線を向けた美羽は、不満そうにしていた。
「……気持ち良かったんだ」
「散髪に行ったら誰だってそうなるだろ。……まあ、美羽は髪の量的に難しいかもしれないけどな」
美羽が散髪に行く事は多くないし、行ったとしても髪の量を調整しているくらいだと聞いている。
なので、店員に洗われる事など殆どないに違いない。
こんな事ですら嫉妬してくれる美羽が愛しく、少し乱暴に髪を洗う。
「だから、偶にはこういうのもいいんじゃないか?」
「んー! 最高だよぉ!」
どうやら、雑にした方が気持ち良いようだ。
あっさりと機嫌を良くした美羽の髪を、更に手入れしていく。
その感覚も気持ち良いようで、美羽が間延びした声を漏らす。
「こんなに気持ち良いなら、毎回やってもらおうかなぁ……」
「俺としては大歓迎だけど、一緒に風呂に入る事になるんだぞ?」
「う……」
これが当たり前になるという発言に、美羽がびくりと体を跳ねさせた。
やはり明かりの下で裸を見られるというのは恥ずかしいようで、小さな頭が悩ましそうに揺れる。
「……偶になら、いいよ」
「マジか。なら期待しておこうかな」
偶ではあるが、一緒に風呂に入っても良いと思えるくらいに、髪を洗ってもらうのが気に入ったらしい。
新しい楽しみが増えた事に笑みつつ、美羽の髪の手入れを終えた。
「しっかし、やってみると分かるけど、大変なんだなぁ……」
「そうなんだよ。でも、今度から偶に悠くんもするんだからね?」
「分かってるよ。誠心誠意やらせていただきます」
余計な提案はしない。美羽が髪を伸ばす理由は、十分に分かっているのだから。
おどけて言うと美羽がくすりと小さく笑み、椅子から立ち上がる。
僅かな膨らみや下半身がしっかりと見えてしまったので、すぐに視線を逸らした。
ただ、そんな悠斗を美羽が悪戯っぽい目で見上げる。
「あれぇ? さっき恥ずかしがった私に呆れたのに、今度は悠くんが恥ずかしがるの?」
「……そういう美羽は、この短時間で慣れ過ぎじゃないか?」
「そりゃあ恥ずかしいけど、今すぐに逃げ出したいけど、これで悠くんが誘惑出来るなら、それもいいかなって」
「……っ」
とろりと蕩けた笑顔が悠斗の欲望を擽り、下半身が熱を持ってしまった。
タオル一枚で隠せるはずもなく、美羽にバレてしまう。
先程まで余裕たっぷりだったはずの美羽が、急に慌てだす。
「あ、こ、これ……」
「……美羽の誘惑に負けたんだよ、畜生」
今更取り繕う事など出来ず、どうにでもなれと正直に告げた。
挙動不審に手や体を動かしていた美羽が、潤んだ瞳で悠斗を見上げる。
そこには、確かな期待が秘められている気がした。
「…………する、の?」
「……ここだとのぼせそうだからしない。でも、後で覚悟しておけよ?」
風呂に誘ったのは悠斗だが、誘惑してその気にさせたのは美羽だ。
耳元で小さく告げれば、美羽が嬉しさを滲ませた微笑を浮かべた。
「うん、分かった。じゃあ、まずは悠くんの体を洗わないとね。ほら、私が洗うから座って座って?」
「あいよ。それじゃあ頼む」
後の行為すら受け入れ、美羽が悠斗を促す。
終わった後でもう一度風呂に入るべきかと思いつつ、椅子に座った。
髪から洗うかと思ったのだが、美羽が後ろから抱き着いてくる。
「えいっ」
柔らかな膨らみや瑞々しい肌の感触が、悠斗の理性を思いきり殴ってきた。
この場で襲えと告げる心の声に待ったを掛けつつ、首を動かして様子を窺う。
「……美羽?」
「こうしたら、もっと元気になるかなって」
「元気過ぎて困るくらいだっての。男を甘く見過ぎだ」
「甘くなんて見てないよ。……私の体でこんなになってくれて、嬉しいの」
熱っぽい声が耳を掠め、細い指先が悠斗の肌を撫でた。
ぞくりと背筋が震え、勝手に動きそうになる手を必死に抑える。
もう理性の限界が近いが、体を洗わずに美羽へ触れたくはない。
「……なあ、美羽。急かすようで悪いんだけどさ。なるべく早く洗ってくれると、助かる」
「はぁい。ちゃんと洗うから、じっとしててね?」
美羽が髪や体を洗っていくのが変にゆっくりに思えて、非常にもどかしい。
焦らされているような気分になり、興奮に心臓の鼓動が激しくなる。
美羽にも聞こえてしまいそうな鼓動を必死に静めていると、美羽がお湯を頭から掛けた。
「終わったよ。じゃあ、しっかり温まって――」
「ごめん、美羽。本当に、ごめん」
しっかり湯船で温まった方が良いのも、それが一緒に風呂に入る醍醐味なのも分かっている。
しかし、もう欲望が我慢出来ない。
欠片ほどまで擦り切れた理性で何とか謝罪をしつつ、美羽の膝裏を抱え込んで抱き上げた。
「ひゃあっ!?」
「こんなの、我慢出来るかよ。行くぞ」
「あ、あの、ベッドが濡れるよ?」
「……確かに。じゃあタオルで簡単に拭いてくれ」
美羽の妙に冷静な指摘を受け、脱衣所で美羽を下ろす。
本当なら体を拭く暇すら惜しく、立ち止まってなど居られない。
とはいえ、床やベッドが水浸しになるのは困るので、適当に体を拭いて再び美羽を持ち上げた。
「残念だけど時間切れだ」
「……もしかして、やり過ぎちゃったかな?」
「おう。男が狼だって事を証明してやるよ」
「えへへ。お手柔らかにね?」
脅しのような悠斗の言葉に、美羽が顔を蕩けさせた。
悠斗の理性をあっさりと消し飛ばす悪い恋人を抱き抱え、自室のベッドに乗せる。
その後、美羽がへろへろになるまで味わうのだった。




