第21話 謝罪の言葉
「今日もお邪魔しました。明日を乗り切ったらご褒美だから、最後までお互いに頑張ろうね」
明日はいよいよ中間考査の最終日だ。
これまでと同じく悠斗の家で料理を作り、玄関で別れの挨拶をする。
普段と同じように穏やかな笑みを向けられると思ったのだが、悠斗はほんのりと呆れを滲ませた苦笑を浮かべた。
「まだ結果は出てないぞ。順位が上がるとは限らないだろ」
「ううん。あれだけ勉強したんだもん、上がるよ」
土曜日に勉強を見た限り、悠斗は頭が良い。単純に勉強をしていないだけだ。
今回は平均点以上を取れるだけの理解はしていると思うので、順位が上がると確信している。
明日はお菓子の準備をしておくべきだろう。
はっきりと告げれば悠斗の瞳が一瞬だけ驚きに見開かれ、その後柔らかく目を細めた。
「なら期待に応えられるように、最後の追い込みをしないとだな」
「根を詰めすぎるのは駄目だよ?」
「残念ながらそこまで真面目じゃない。東雲も程々にしろよ?」
「うん、ありがとう。じゃあまた明日」
「ああ。また明日」
明日も同じ日々が続く事に胸を弾ませ、別れを告げて家に足を向ける。
十月も中旬を過ぎ、夏の熱さは殆ど無くなった。
代わりに少し肌寒い空気が美羽の頬を撫でる。
胸の奥が急激に冷えて、小さな溜息を落とした。
「……さっきまであんなに楽しかったのに」
美羽を女性として扱いつつも恋愛対象として見ない悠斗は、一緒に居て非常に過ごしやすい人だ。
そのせいで勉強中に無防備な事をしてしまったのは反省しかない。
あんな状況、普通の人であればずっと覗き見をしてもおかしくはないのに、悠斗は怒られるのを覚悟で伝えてくれた。
「誠実というか、優しい人」
勿論優しいだけでなく、からかってくる時もある。
当然怒りはするが、悠斗と打ち解けられたような気がして、正直なところ嬉しい気持ちの方が大きい。
それに悠斗の穏やかな空気に当てられて、つい美羽も感情を素直に出してしまう。
ただ、悠斗と関わりだしてから半月程だが、悠斗が薄い膜を張っているのが分かった。
「多分、似てるんだろうなぁ」
誰にも本心を打ち明けず、一歩引いた位置に居ようとする。
それは美羽が同じことをしているからこそ、そして以前よりも親しくなったからこそ、余計に分かってしまうのだ。
「お互いに事情はあるけど、そう簡単に踏み込めないよね」
隣の家にいる人に対しての「知り合い」という言葉や、あの時の痛みを押し殺した笑顔。それに妙な自信の無さ。
美羽の事情もそう簡単に話せはしないが、悠斗も簡単に話さないだろう。
他人の家で時間潰しをする代わりに料理を作る関係。家の鍵をもらいつつも、あくまで友人という不思議な距離感。
それが心地いい。
この半月の事を思い返しながらゆっくりと歩くと、すぐに家に着いた。
「……ふぅ」
溜息をつき、覚悟を決めて扉を開ける。
逃げ続け、目を逸らし続けているが、これだけは避けては通れない。
「ただいま帰りました」
制服のままリビングに顔を出すと、一人の老人が美羽を見た。
視線を受けて体が勝手に強ばる。
「そうか、すぐに飯だ。荷物を置いてこい」
「はい」
かなりの高齢であり、顔には深い皺が刻まれている。顔に比例するように髪が白くなってはいるが、衰えを感じさせないピンと伸びた背筋。
感情を見せない鋭い眼光に、笑みの浮かばない顔。そして温かさのない冷え切った声。
東雲丈一郎のそんな態度が、美羽は昔から苦手だ。
全く表情が変わらず言葉があまりに少ない為、何を考えているのか分からないのだ。
それでも怒らせては駄目なのは分かるので、すぐに鞄を自室に置いてリビングに向かう。
美羽が到着すると、温かなご飯が準備されていた。
「いただきます」
「いただきます」
カチャカチャと食器が奏でる音だけがリビングを支配する。
日曜日に悠斗と食べた際も同じような無言になったが、こちらの方が圧倒的に空気が重い。
静寂に包まれた食事は箸の動きを加速させ、すぐにご飯を食べ終わる。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
普段であればすぐに丈一郎が食器を片付けるのだが、いつもと違って全く動かない。
何か粗相をしただろうかと丈一郎の様子を窺えば、感情の読めない瞳が美羽を射抜いた。
「最近、何か変わったか?」
悠斗と関わった事は変化だが、そんな事など一切口にしていないし、態度にも出していないはずだ。
だが、まさか指摘されるとは思わなかった。
動揺で体が震えたが、多少なら正直に答えても問題ないだろう。
「新しく友達が出来ました」
「おかしな事はしてないだろうな?」
「はい」
悠斗との関係は変ではあるが、異常ではない。悪い事もしてないと断言出来る。
大きく頷くと、丈一郎の眼光がより鋭くなった。
「もしや、男か?」
「それ、は……」
おそらく恋人なのかという問いかけだろうが、悠斗は決して恋人などではない。
しかし男性の所に行っているという点で見れば、丈一郎の言葉を否定出来ないのも確かだ。
外で遊ぶならまだ普通の友人という事に出来るが、家の鍵までもらっているのだから、ある意味では余計に質が悪いのかもしれない。
言うべきか、黙っておくべきかと迷っていると、じろりと睨まれた。
「どんな男だ?」
「……芦原悠斗という同級生の男の子です」
重く響いた声に、黙っておくという選択肢はあっさりと消え失せた。
丈一郎の事は苦手だが、間違いなく美羽の恩人だ。住まわせてもらっている人に黙っておくのは不誠実だと考え直したからでもある。
しかし、これまで丈一郎が美羽の人間関係を聞いてくる事などなかった。だからこそ丈一郎の考えが読めず、美羽の胸に不安が満ちる。
身を縮こまらせていると、「ふぅ」と重い溜息が聞こえた。
「それだけだと分からん。詳しく話せ」
「……はい」
丈一郎の視線に耐え切れず、悠斗の事を全て話してしまった。
怒られるのか、それとも放置されるのか。どうなるかなど全く予想がつかない。
丈一郎が黙り込み、感情の読めない無表情をずっと見ていると、ようやく口が動いた。
「明日、その男を連れて来い」
「……え?」
その言葉はあまりに予想外で、美羽の口から呆けた声が出てしまった。
おそらく、数ある中でも最悪に近い言葉だろう。
苦労をするのが美羽だけではない事が確定したのだから。
「で、ですが……」
「二度は言わん。それとも、連れて来れない理由があるのか?」
「……ありません。分かりました」
有無を言わせない凄みを帯びた声に力なく頷く。
話は終わりとばかりに丈一郎が席を立つので、おそらく何を言っても無駄だろう。
諦観に満たされた体を機械的に動かし、食器を纏めようとつい手を伸ばしてしまった。
「止めろ」
「……すみません」
「部屋に戻れ」
「はい。失礼します」
遠雷のような声に何一つ言い返せず、とぼとぼと自室に帰る。
そのまま制服に皺が出来る事も構わずベッドに寝転んだ。
「どうしよう……」
今更悩んだ所で結果は変わらない。丈一郎に従うのが美羽の役目だ。
その結果、美羽が怒られるのは良い。そんな事はとっくに慣れている。
だが、悠斗に迷惑を掛けてしまうという事実が美羽の胸を痛め付けた。
「ごめん、ごめんね。芦原くん……」
謝る相手はここに居ないのに、何度も何度も謝罪の言葉が口から出る。
もはや勉強する気など起きず、美羽はベッドで謝罪をし続けるのだった。
 




