第209話 ご馳走とアクセサリー
「どうぞ、召し上がれ!」
家に帰って来ると悠斗は二階に連れて行かれ、一階に降りる事すら出来なかった。
そして晩飯時となり、目の前には鶏肉の照り焼きにデミグラスハンバーグ、その他にも様々な料理が並んでいる。
二人で食べるには多すぎるおかずに、悠斗の頬が引き攣った。
「作ってくれたのは嬉しいけど、こんなに食べきれないぞ?」
「だよねぇ。ちょっと気分が乗り過ぎちゃった……。残ったのは明日食べよう?」
「分かった。なら早速食べるか」
照れ臭そうに微笑む美羽に苦笑を落とし、テーブルに着く。
作ってくれた美羽と食材に感謝しつつ、手を合わせる。
「「いただきます」」
どれもこれも美味しそうで目移りしてしまうが、まずはハンバーグからだ。
絶妙な焼き加減の肉を口に含めば、口の中で肉汁とデミグラスソースが混ざり合う。
早く白米を食べさせろと本能が訴えるままに、ご飯を掻き込んだ。
「ふふ。そんなにがっつかなくても、いっぱいあるよ」
「勝手に箸が進むんだよ。本当に美味いなぁ……」
大人びた笑みを向けられて、少しだけ羞恥が沸き上がる。
それも目の前のご馳走には勝てず、咀嚼し終えてからほうと溜息をついた。
美味すぎる料理の味を噛み締めていると、美羽がくすくすと軽やかに笑う。
「悠くんは毎日美味しいって言ってくれるね」
「そりゃあ美味しいからな。美羽のせいで、この半年間カップ麺を食べてないんだぞ?」
もちろん、カップ麺でも美味いものはあるはずだ。
それでも、美羽の料理には敵わない。
わざとらしくおどけると、はしばみ色の瞳が悪戯っぽく細まった。
「それでいいんだよ。カップ麺が悪だとは言わないけど、私の料理を食べてくれる方が嬉しいな」
「なら、これからも餌付けしてください」
既に悠斗の胃袋は美羽に握られているのだ。
この料理が食べられなくなると、悠斗は毎日を物足りなく過ごすだろう。
家事すらも任せている身で勝手だとは思うが、深く頭を下げて懇願した。
必死のお願いに、美羽が瞳を可愛らしく細める。
「任せて。私の料理無しだと満足出来ないようにしてあげる」
「とっくになってるよ」
「なら、もっと料理が上手くなって、悠くんが絶対に離れないようにするね」
「……期待してる」
料理があってもなくても、とっく悠斗は美羽から離れられなくなっている。
しかし、余裕のある笑みを向けられて、苦笑を返すしかなくなった。
その後は様々な料理に舌鼓を打ち、晩飯を終える。
「あぁ……。腹いっぱいだ……」
食べ過ぎたせいで動く気が起きず、リビングのテーブルに突っ伏した。
美羽はというと、今日は一人で後片けをしたいとの事でキッチンに居る。
腹を膨らませた悠斗を気遣ったのもあるだろうが、こういう日くらいは悠斗にゆっくりして欲しいようだ。
美羽に甘えて体を休めていると、片付けを終えたのか美羽が戻ってきた。
「調子はどう?」
「今は何も腹に入らないな。食べ過ぎた」
「作った側としては嬉しいけど、食後のデザートが食べられないのは問題だねぇ。……なら、先にこっちをしようかな」
呆れと嬉しさを混ぜ込んだ笑みを浮かべ、美羽がポケットから綺麗にラッピングされた袋を取り出す。
その中身は日中に選んだものであり、美羽のやりたい事もすぐに把握出来た。
「はい、悠くん。順序がおかしいけど、どうぞ」
「確かにな。でも、ちゃんともらうよ。本当に、ありがとう」
まだ決定的な言葉を言われていないにも関わらず、プレゼントはしっかりと受け取る。
この状況はちぐはぐ過ぎて、美羽と共に笑い合った。
そして袋の包装を慎重に解き、淡い桃色のリングネックレスを手に持つ。
「美羽、こっちに来てくれ」
「はぁい」
嬉しそうにはにかんだ美羽が悠斗に背を向け、淡い栗色の髪を抑えて真っ白なうなじを露出させた。
悠斗を魅了するうなじにごくりと喉が鳴るが、理性を抑えつけてネックレスをつける。
「どうかな?」
美羽がくるりとこちらに振り返り、可愛らしく小首を傾げた。
美羽の柔らかな雰囲気に、淡い桃色のネックレスが良く映えている。
「うん、似合ってる。可愛いな」
「ありがとぉ。じゃあ、次は悠くんだよ」
「はいよ」
もう一つのネックレスを入れている袋を渡して、椅子に座ったまま美羽に背を向けた。
ジッと待っていると、金属が擦れる音と共に悠斗の首にネックレスが掛かる。
美羽の「もういいよ」の声で振り向き、ネックレスを美羽に見せた。
「どうだ?」
「かっこいいよ、悠くん!」
「ありがとな」
満面の笑みで告げられた言葉を素直に受け取り、悠斗も笑みを返す。
同じ形ではあるが、違う色合いのアクセサリーがお互いの胸元にある事に、どうしようもなく頬が緩んでしまう。
美羽も顔を蕩けさせており、同じ気持ちのようだ。
「アクセサリーに興味は無かったけど、こういうのはいいな」
「だねぇ。恋人って感じがする」
ペアネックレスとはいえ、そこまで凝ったものではなく、高くもない。
それでも、どんな高価なアクセサリーよりも、このネックレスは貴重なものだ。
リングを手に持ってしみじみと眺めていると、美羽が頬を緩ませながら呟く。
「これから、デートする時は一緒に着けようね。もちろん、悠くんのは私が着けるよ」
「なら、美羽のは俺が着けるからな」
「うん、よろしくね」
これまではデートに決まり事など無かったが、こういう決まり事なら喜んでだ。
ネックレスの件も一段落し、腹も落ち着いてきた。
なので、最後のイベントを提案する。
「もう腹も大丈夫だし、食後のデザートが食べたいな」
「分かった! 準備するね!」
美羽が小走りでキッチンに向かっていき、冷蔵庫から何かを取り出す。
テーブルに置かれたのは、売り物と見紛う程に綺麗な苺のホールケーキだ。
手間暇掛けているだろうケーキに、歓喜と申し訳なさが沸き上がる。
「嬉しいけど、ここまでする必要はなかったんじゃないのか?」
「あるよ! 今日はそういう日なの! 本当は蝋燭も準備したかったけど、ごめんね」
「これでも俺には十分過ぎるくらいだっての。……本当に、ありがとう」
悠斗の言葉に美羽が淡く微笑みつつ、小皿等の準備を終えた。
美羽が大きく息を吸い込み、満面の笑みで口を開く。
「お誕生日おめでとう! 悠斗くん!」
ありったけの歓喜が込められた祝いの言葉に、久しぶりに呼ばれた気がする名前呼びに、目の奥が熱くなった。
溢れ出そうになる感情を堪えて、何度目かも分からない感謝を伝える。
「今日はお礼を言ってばかりだな……。本当に、本当にありがとう。最高の誕生日だ」
「いいんだよ。ほら、食べよう!」
「ああ。味わわせてもらうよ」
美羽がホールケーキを切り分け、二分割する。
流石に一日で全部を食べる気はないようで、半分は明日のようだ。
残り半分を更に分け、しっかりと味わって食べる。
「ん、美味い!」
「ふふ、いっぱい食べてね」
「おう!」
穏やかで温かな空気の中、二人でケーキを味わう。
二人の首に掛かっているネックレスが、部屋の明かりを反射して輝いた気がした。
「ふー。満足したぁ……」
様々なご馳走にケーキ、ネックレスと、悠斗の心も体も満たされた。
ほうと溜息をつくと、キッチンで最後の片付けをしている美羽が声を上げる。
「今日はランニングしなかったけど、お風呂は出来てるよ。すぐに入る?」
あまりに夕食が楽しみ過ぎて身が入らないと思い、今日はランニングを止めておいた。
そして、普段なら美羽が晩飯の準備をしている最中に、悠斗が風呂に入る。
しかし、今日は悠斗がリビングに立ち入れなかった事と、準備に手間が掛かった事もあり、晩飯後に尋ねてきた。
「うーん……」
風呂を後回しにする理由はないし、美羽を先に入らせようとしても絶対に譲らない。
ならば普段通りに悠斗がさっさと入ればいいのだが、ふと一つの案が頭に浮かんだ。
美羽が承諾するとは思えないが、誕生日なので提案くらいはいいかもしれない。
もし美羽が少しでも嫌がるなら、取り消せばいいだけだ。
「折角だし、一緒に入らないか?」
「えぇ!?」
美羽が素っ頓狂な声を上げ、キッチンから顔を出す。
端正な顔は既に真っ赤だ。
やはりというか、恥ずかしがりな美羽は遠慮したいのだろう。
余計な事を言ってしまったと、頭を振る。
「いや、変な事を言って悪い。やっぱり今の無しで頼む」
「………………いいよ」
「そうだよな。一緒に風呂とか恥ずかし過ぎるよな。――は?」
まさかの返答が返ってきて、目を見開きつつ美羽の顔色を窺った。
キッチンの柱に隠れるようにしている恋人は、今にも火が出そうな程の顔を悠斗へ向けている。
半分だけ隠れたはしばみ色の瞳は、期待にか、それとも不安にか潤んでいた。
「……だから、いいよ。一緒に入ろう?」
「………………おう」
冗談ではなかったものの、本当に通るとは思わなかった願いが叶い、悠斗の思考が真っ白になる。
悠斗の出来心で決まった風呂に、心臓だけが勝手に鼓動を早めていたのだった。




