第208話 彼氏の甲斐性
「酷いよ、悠くん……」
猫から解放された美羽は疲れきっており、時間が来ていた事もあって店を後にした。
そして今は頬を膨らませ、露骨に不機嫌アピールをしている。
「いや、あれは止められないって。美羽だって滅茶苦茶楽しんでたし、あの写真もよく撮れてただろ?」
「それは、そうだけど……」
店員からもらった写真には、大勢の猫に翻弄されつつも、何だかんだで笑顔になっている美羽が写っていた。
しかも猫に遊ばれているだけではなく、最後の方は猫の扱いに手慣れていたほどだ。
そのせいで否定し辛いのか、美羽がぐっと喉に言葉を詰まらせる。
「まあ、俺としては最高の光景を見れたから満足だ」
悠斗が猫と戯れていたのは僅かな時間だったが、それでも良い。
美羽が猫カフェを楽しむ光景を見る事が出来たのだから。
悠斗としては大満足の結果なのだが、美羽が不満そうに唇を尖らせた。
「私は悠くんに楽しんで欲しかったのに……」
どうやら、美羽にばかり猫が向かっていったのが嫌だったようだ。
よくよく考えると、猫カフェに向かった美羽の想いに、悠斗の行動は反してしまったのかもしれない。
もちろんそんな事はないのだが、この場でこれ以上慰めてもいい方向に行くとは思えない。
小さな手を引き寄せて顔を上げさせ、満面の笑みを向ける。
「十分楽しんだっての。でも、そうだな。今度はもっと猫に触るようにするよ」
「そうしてくれると嬉しいな」
どうやら機嫌はある程度良くなったようで、美羽が普段の平静な表情になった。
そして美羽に連れられて、次の場所に向かう。
今回も何も言わずに手を引かれていると、ショッピングモールへ辿り着いた。
(今更ショッピングモールなのか)
デートコースとしてよく利用しているが、美羽も悠斗もショッピングモールで買い物はあまりしない。
とはいえ、わざわざ日が傾く前に来たという事は、何か買いたい物があるのだろう。
疑問を覚えつつも口には出さずにいると、これまで利用しなかったアクセサリーショップに着いた。
高級そうな雰囲気に頬を引き攣らせれば、美羽が申し訳なさそうにしゅんと肩を落とす。
「本当は悠くんがプレゼントしてくれたように、きちんと私だけで考えたかったんだけどね。でも、こっちの方がいいかなって」
「そういう言い方をするって事は、欲しい物を俺が選ぶんだな?」
こういう店は非常に値段が高く、おいそれと買えない気がする。
なので美羽には申し訳ないが、出来る限り安物を選びたい。
念の為に確認を取ると、美羽が眉を寄せながら小さく頷いた。
「うん。そうなんだけど、選ぶのはこっちのエリアの物にして欲しいの」
どうやら、ある程度は買う物が絞られるようだ。
悠斗としても、指定してくれるのは非常に有難い。おそらく、高い物はないはずだ。
ホッと胸を撫で下ろしつつ、美羽に引っ張られて目的の場所に到着する。
そこには、悠斗でも手が出せる値段のネックレス――それもペア――が置いてあった。
先程までの美羽の言動の辻褄が合い、納得の声を漏らす。
「なるほど。だからか」
「うん。私も悠くんもアクセサリーって買わないけど、こういうのならいいかなって。……駄目、かな?」
おそらく、一緒に選ぶ事への負い目を感じているのだろう。美羽が不安そうに瞳を潤ませた。
誕生日プレゼントに、恋人がペアネックレスを提案したのだ。
もしかすると喜ばない人も居るだろうが、悠斗の胸には歓喜が沸き上がる。
美羽の不安を吹き飛ばすように、柔らかな笑みを美羽へ向けた。
「良いに決まってるだろ。さあ、選ぼうぜ」
「……っ、うん! ありがとう!」
花が咲くような笑顔の美羽と共に、ああでもない、こうでもないと言い合いながらネックレスを選ぶ。
そして決めたのは、女性用が淡い桃色、男性用がシルバーのシンプルなリングネックレスだ。
一緒にレジへ持って行き、財布を開く。
すると、美羽がむっと頬を膨らませて悠斗の財布の口を摘まんだ。
「だめ。悠くんへのプレゼントなのに、悠くんが払ってどうするの?」
「それもあるけど、美羽の分もだろうが。なら俺が払ってもいいだろ?」
「ううん。今日は私が払うの」
「いやいや、そうは言ってもな――」
どちらも一歩も引かない会話を繰り広げていると、レジの女性店員が吹き出した。
何事かと視線を送れば、店員が微笑ましそうな視線を悠斗達へ向ける。
「その様子ですと、本来は彼氏さんへプレゼントをするはずなんですよね?」
「そうなんです! でも悠くんはペアだからって私に払わせてくれなくて!」
味方を見つけたと言わんばかりに、美羽が必死に説明した。
美羽の様子に店員が笑みを深め、悠斗へと視線を移す。
「ここは払ってもらうのが彼氏の甲斐性ですよ」
「それ、甲斐性って言うんですか?」
甲斐性というものは、お金を出す彼氏に使う言葉な気がする。
間違っても、奢られる人に対しては使わないはずだ。
顔を顰めて反論すれば、店員が茶目っ気のあるウインクをした。
「でしたら、こう言いましょうか。ここで譲るのが、女心の分かる彼氏というものですよ」
「…………分かりました。美羽、いいんだな?」
女心など悠斗には一生分からないが、ここまで言われると悠斗が悪い気がする。
最後の確認を取ると、美羽が輝かんばかりの笑顔になった。
「もちろん!」
「じゃあ頼むよ。本当に、ありがとな」
「ふふっ、どういたしまして!」
ご機嫌な美羽に任せて、会計を終える。
ネックレスは綺麗にラッピングされ、美羽へと手渡された。
これ以上買う物はないので、レジを後にしようとすると、店員が口を開く。
「お幸せに」
「はい!」
「……ありがとうございます」
頬を羞恥に染めて俯く悠斗とは対照的に、美羽がはにかんだ笑顔で応えた。
悠斗も一応お礼を言いつつ、店を出る。
もうショッピングモールには用事がないらしく、すぐに帰路に就いた。
夕方にもなっていない、夏場の太陽に照らされた横顔が僅かに曇る。
「あんまりデートっぽいデートじゃなくてごめんね」
「十分デートだろうが。本当にありがとう、最高のたん――」
猫カフェに、ペアネックレスの買い物。やった事は多くないが、これは紛れもないデートだ。
美羽を励まそうとすると、小さな指先が悠斗の唇に触れた。
悠斗を見上げる端正な顔が、悪戯っぽく笑んでいる。
「その先の言葉は、私から言いたいな」
「分かった。にしても、美羽に言ったのは随分前なのに、よく覚えてたな」
「覚えるに決まってるよ。あの時ですら悠くんは大切な友人だったんだもん。それが恋人なら尚更だよ」
「……そっか」
絶対の自信を持って告げられた言葉に胸が暖かくなり、勝手に笑みが零れた。
柔らかく目を細めた美羽が、悠斗を覗き込む。
「晩ご飯、期待してね?」
「それじゃあ、今日くらいは手間暇掛けてもらおうかな」
悠斗にしては珍しく、思いきり上から目線の言葉だった。
美羽の気を悪くしていないかと少しだけ不安だったが、美羽は可愛らしさを詰め込んだ笑顔で頷く。
「うん! とびっきりのご馳走を作るね!」
どうやら、まだまだ悠斗の幸せな誕生日は続くらしい。




