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第207話 八月二十日

 突然の東雲家へのお泊りは終わり、芦原家に帰ってきた。

 別れの際、丈一郎は僅かではあるが頬を朱に染めており、悠斗への絡み酒が恥ずかしかったようだ。

 最後にはいつでも来いと笑顔で言ってくれたので、仁美の件は吹っ切れたらしい。

 それから数日が経ち、悠斗の誕生日である八月二十日となった。


「……ん?」


 ゆっくりと目を開けて周囲を確認するが、腕の中に愛しい恋人はいない。

 時刻はというと、いつもならまだ寝ている時間だ。

 疑問を覚えつつも、ベッドから降りて一階に向かう。

 音のするリビングへ顔を出すと、キッチンで美羽が忙しなく調理していた。


「おはよう、美羽」

「おはよう、悠くん」


 悠斗の寝起きを美羽がリビングで待つのは、何だか久しぶりに思える。

 眼を擦りながらキッチンに向かうと、美羽が焦った顔で通せんぼした。


「入っちゃ駄目だよ」

「……まあ、そう言うならのんびりしようかな」


 少し前に両親に祝われなかったら、美羽の行動に疑問を覚えただろう。

 しかし今は何が目的なのか、予想が付いている。

 嬉しさに顔を綻ばせつつ、リビングのソファに向かう。


(俺の誕生日を覚えていてくれたんだな……)


 伝えたのは随分前だったのだが、美羽が覚えていてくれた事に胸が弾んだ。

 ならば悠斗に出来る事は、何も気付かないフリをしつつ、一日を過ごす事だろう。

 そう決意しつつ、普段通りの昼食を終えれば、美羽が柔らかな笑みを浮かべて口を開く。


「悠くんはこれから暇かな?」

「暇だな。どこかに出掛けるのか?」


 美羽がどう動くか分からなかったので予定を入れなかったのだが、言葉にする必要はない。

 緩む頬を抑えつつ問い掛けると、美羽が花が咲くような笑顔で頷いた。


「うん。デートして欲しいの」

「分かった。そうと決まれば、早速準備するか」


 どこに行くかはあえて聞かない。おそらく、美羽が悩んで決めてくれただろうから。

 詳しくは聞かずに立ち上がり、二階へ向かう。


「期待しててね」


 少し弾んだ声が、背中に届いたのだった。





「とうちゃーく!」


 美羽がくるりと振り返り、僅かに胸を逸らす。

 到着したのはショッピングモールでもなく、遊園地でもない。猫の看板が可愛らしい喫茶店だ。


「猫カフェか。何でまたここなんだ?」


 猫は好きなので望む所だが、美羽に伝えた事はないはずだ。

 普通のデートとは違う場所を選んだ理由を問うと、美羽がぱちりとウインクした。

 悠斗の胸を打ち抜く可愛らしい仕草に、どくりと心臓が跳ねる。


「悠くん、猫好きでしょ?」

「……何で知ってるんだ?」

「私にくれたぬいぐるみが猫だったから――で分かったら良かったんだけどね。実は綾香さん伝いで元宮くんに聞いたの」


 悠斗があげたぬいぐるみだけでは、猫好きだと判断するのは難しい。

 となれば、悠斗を良く知る人物に尋ねた方が、悠斗の趣向は分かる。

 普段はゲームと読書しかしないので、こういう事を探るのは大変だったに違いない。

 別段怒るつもりはないのだが、探りを入れた事を美羽は申し訳ないと思っているようだ。

 ばつが悪そうに眉を下げている。

 

「あぁ、そういう事か。まあ隠してた訳でもないし、気にすんな」

「……ん。ありがと」


 美羽が気持ち良さそうに目を細め、しかし首を振って悠斗の手を離した。


「じゃあ、早速入ろう!」


 ぐいぐいと悠斗の手を引き、美羽が猫カフェに入っていく。

 今回だけは、悠斗に撫でられる役を猫に譲るつもりのようだ。

 嫉妬深い恋人の優しい行動に、小さな笑みが零れた。


「そうだな」


 美羽と共に猫カフェに入り、注意事項等の説明を受ける。

 その後飲み物の注文を済ませ、いよいよ猫とご対面となった。

 昼過ぎではあるが客は多くなく、おそらく人数制限をしているのだろう。

 悠斗達が予約せずに入れたのは、幸運と言って良い。

 そして、広々とした室内を自由気ままに歩き、寝ている猫達に美羽が目を輝かせる。


「わあ! 初めて来たけど、凄いねぇ!」


 野良猫は警戒心が高く、基本的に触れない。

 そして、知り合いに猫を飼っている人は居なかった。

 悠斗の理想郷が目の前に広がっている事に、感嘆の声を漏らす。


「おぉ……!」

「…………悠くんが今までで一番楽しそうなんだけど」

「そ、そうか? そんな事、ないぞ?」


 恋人からのじとりとした視線を受けて、はっと我に返った。

 慌てて訂正すれば、美羽が盛大に溜息をつく。


「彼女としては凄くもやもやするけど、ここだけは我慢してあげる」

「……助かるよ」


 大喜びしたつもりはないのだが、悠斗の態度が美羽の嫉妬心に火を点けてしまったらしい。

 頬を引き攣らせつつ僅かに頭を下げると、美羽がきょとんと首を傾げた。


「というか、そこまで好きなら飼わないの?」

「家を任されてるだけでも大変なのに、猫なんて飼えないっての」


 高校生の一人暮らしに、猫を飼う余裕などあるはずがない。

 ましてや悠斗は両親に家を任されているのだ。

 何かあった場合、両親に顔向け出来ない。

 納得が出来たようで、美羽が小さく頷いた。


「確かに。なら、いっぱい楽しもうね!」

「もちろんだ」


 まずは、テーブルの上で気ままに寝ている黒猫の傍に座る。

 人が来た事で黒猫が目を開け、「どうしたの?」という風に悠斗を見上げた。

 金色のくりくりとした瞳に見つめられ、勝手に唇が弧を描く。

 その反面、隣の恋人が一段と不機嫌になった。


「このまま見てると我慢出来なくなりそうだから、違う猫の所に行くね」

「……マジですまん」

「ふんっ」


 どうやら、このまま一緒に居ると精神が持たないと思ったらしい。

 低く暗い声に深く謝罪すると、美羽が鼻を鳴らして悠斗から離れていった。

 微妙に丈一郎に似た態度の美羽に苦笑を落としているうちに、テーブルの上の黒猫が悠斗に近付いてくる。


「……ま、折角だし、楽しむか」


 後の事は後で考えればいいと、問題を棚上げした。きっと、店を出た後の悠斗が上手くやるだろう。

 気持ちを切り替えて、黒猫の前に手を持ってくる。


「よろしくな」


 曲がりなりにも猫好きとして、触れ合い方は分かっているつもりだ

 出来るだけ緊張させないようにジッと待っていると、黒猫が悠斗の匂いを嗅ぎ終えた。

 すぐに悠斗の手に体を擦り付けてくる。


「……最高だ」


 猫と心おきなく触れ合えるこの時間は、悠斗の中で五本の指に入る程に最高だ。

 あまり持ち上げると、恋人からの圧が凄い事になりそうだが。

 何となく恥ずかしくて、猫カフェに入らなかったこれまでの悠斗を恨みたい。


「こっちか? それとも、こっちがいいのか?」


 顎や頭を撫でると、黒猫が喉を鳴らして気持ち良さそうに目を細める。

 あまりにも愛らしい姿に、勝手に笑みが零れた。

 だが、幸せな時間はそう長くは続かない。

 気分が乗らなくなったのか、黒猫が急に立ち上がって悠斗から離れた。


「まぁ、そういうもんだよな」


 くよくよしていても仕方ない。まだ猫は沢山いるのだから。

 とはいえ、先程離れていった恋人が気になり、部屋を見渡す。

 すると、他の客の生温い視線を受けている美羽が居た。

 

「ちょ、ちょっと! あ! 髪で遊ばないでー!」

「……凄いな。猫に遊ばれてる」


 どうやったらそうなるのか知りたいくらいに、美羽が大勢の猫に擦り寄られている。

 そのうちの何匹かは、淡い栗色の髪で遊んでいるようだ。

 悲鳴を上げる美羽に近付くと、潤んだはしばみ色の瞳が悠斗を見上げた。


「ゆ、悠くん! 何でか知らないけど、猫ちゃん達が寄ってくるの!」

「猫に好かれる体質とか、本当にあるんだなぁ……」


 この様子だと、おそらく美羽は何もしていない。

 にも関わらず、猫に気に入られたようだ。

 猫好きにとっては喉から手が出る程に欲しい体質に、羨望を込めた呟きを落とす。

 ただ、猫に襲われている当事者としては何とかして欲しいようで、必死に悠斗の服の裾を引っ張ってきた。


「助けて! へるぷー!」

「んー? んー」


 助けを求める姿は庇護欲をそそるし、今すぐにでも助けてあげたい。

 しかし、美少女が大勢の猫と戯れている姿は、非常に絵になる。

 周囲に視線を巡らせると、この光景に胸を打ち抜かれたのか、ほぼ全ての客が首を振った。


(……まあ、そりゃあそうだよなぁ)


 周囲が何を求めているかは、十分に分かっている。

 そして、美羽の願いを聞き届けなかった場合、後で悠斗が大変な思いをする事も。

 それでも一人の猫好きとして、この光景を壊す事など出来ない。

 猫が乗っていない肩に手を当て、出来るだけ柔らかい笑みを浮かべる。

 美羽が取られると思ったのか、猫達が唸り声を上げて悠斗を威嚇した。


「ごめんな。俺は美羽が猫と戯れてるこの光景が見たいんだ」

「う、嘘でしょ!?」

「いや、ホントごめん。でも、滅茶苦茶可愛いぞ」

「それフォローになってないよぉ!」


 どうやら、なけなしのフォローは失敗したようだ。

 泣きそうになる美羽へ、我先にと猫が擦り寄っていく。

 そして美羽は優しさゆえに強引に引き剥がせず、何だかんだで一匹一匹大切に撫でている。

 距離を取り、胸に沸き上がる万感の思いのままに腕を組んで頷いていると、店員が近付いてきた。


「素晴らしい光景をありがとうございます」

「いえいえ。俺の方こそ」

「……ところで、写真を撮っても?」

「一応彼女に確認をさせますが、それでいいなら」


 悪い笑みを店員と交わし、目の前の素晴らしい光景を見つめる。

 その後、猫達が満足したのはたっぷり三十分が過ぎた頃だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 丈一郎の頬染め、一体どこの層に需要があるんだろう。やはりヒロインなのか。そんなこんなで悠斗の誕生日、『半年以上も先の約束』が果たされる日がついに。 悠斗をキッチンへと踏み入れさせない美羽…
[良い点] 猫と美少女は癒し。反論は認める [一言] そりゃ猫好きが集まってるから満場一致ですわなぁ。 さぁこの後の拗ね美羽ちゃんを癒せるか、がんばれ悠斗!
[一言] これは怒られること覚悟で撮影会一択!スマホの待ち受けに決まりだね!彼女と猫、この組み合わせは最強でしょ。 最近野良猫餌付けしてうちの猫にしようとしてるからタイムリー。(勿論無差別に餌やりは…
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