第199話 プール終わり
休憩後は再び皆で夕方まで遊び、お開きとなった。
哲也と紬は既に綾香の車で送られており、車内の蓮と綾香に別れの挨拶を告げる。
「今日はありがとな、蓮。綾香さんも、送ってくれてありがとうございます」
「ありがとね、元宮くん、綾香さん。また今度!」
「おう! 夏休み明けなー!」
「はい。それではまた」
高級車が音もなく去っていき、美羽と二人きりになった。
すぐに家には入らず、買い物を済ませてからリビングでくつろぐ。
散々遊んだからか、美羽もお疲れらしい。
悠斗がソファに腰を下ろすと、小さな頭が膝に乗った。
「はー。楽しかったー」
「だな。あんなに遊んだのは久しぶりだ」
悠斗は体力がそれなりにあるだけで、美羽は運動全般が駄目。
となれば、外に出て疲れる程に遊ぶ事などそうそうない。
充実した一日だったと悠斗も溜息をつけば、美羽が笑顔を引っ込めて眉を寄せる。
「でも、今度は二人きりでもいいかもね。どうしても気を遣わせちゃうから……」
美羽を水に慣れさせた時もそうだが、全員が悠斗達を――というよりは、六人の中で泳ぎも含めて運動が一番得意ではない美羽をだが――気に掛けてくれていた。
そのせいで、行けていないアトラクションもある。
とはいえ、彼等がそれを不満に思っていないのは、美羽も分かっているだろう。
しかし気に病んでしまうのが、気を遣われている側というものだ。
淡い栗色の髪を梳くように撫で、笑みを落とす。
「それじゃあ、次は二人で行くか」
「うん。そうしよう!」
美羽が花が咲くような笑顔を浮かべ、悠斗の膝へ頬ずりした。
無邪気な仕草に心が温かくなるものの、ふと心配事が頭に浮かぶ。
「でも二人で行くなら市民プールだし、今回以上にジロジロ見られるかもな」
今回はそれなりに値が張る場所だったので、必然的に客も結構マナーが良かった。
悠斗がずっと美羽と一緒に居たからというのもあるだろうが、全くトラブルが無かったのだから。
しかし、次に行くとなると普通の市民プールになるだろう。
そうなれば、美羽に向けられる不躾な視線が、間違いなく多くなる。
顔を曇らせる悠斗とは反対に、美羽は悠斗の不安を包み込むような柔らかな笑顔を浮かべた。
「そんなの気にしないよ。私が見られるのを意識するのは、悠くんだけだもん」
「それは分かってるんだけどな。こう、何というか……」
「もしかして、私の水着姿を他の男の人に見られたくないの?」
「っ!」
醜く口にし辛い感情を正確に当てられ、びくり体を震わせる。
それだけでも返事としては十分のようで、美羽がにへらと溶けるように眉尻を下げ、幸せそうに笑んだ。
「えへへー。そんなに独占したかったの?」
「……そりゃあそうだろ。凄く可愛かったんだからな」
マナーが良い客が多かったとはいえ、美羽の可愛らしさは男の視線を集めていた。
もちろん一緒に居た綾香や紬への視線もあるだろうが、それでも美羽に向けられていたものも多い。
しかし、次は今回以上の視線を――それも良い気分にならないものを――恋人が受けるのだから、黒い感情が沸き上がるのも仕方ないだろう。
美羽を誘いはしたものの、出来る事なら誰にも見られないようにしたいくらいだ。
唇を尖らせると、美羽が悠斗の手を滑らかな頬へと持って行く。
「大丈夫だよ。私は悠くんのものなんだから」
「……知ってる。ごめんな」
「ううん。嫉妬してくれるのは嬉しいから、気にしないで」
美羽が悠斗の手に頬を擦り付け、とろりと表情を蕩けさせた。
独り善がりな独占欲を受け入れてくれた恋人を労おうと、柔らかな頬を撫で続ける。
喉を鳴らして受け入れていた美羽が、いきなり不機嫌そうに眉を寄せた。
「でも、悠くんだって私のものなんだよ? 他の人に見惚れちゃ駄目なんだからね?」
「見惚れる訳ないだろ。俺が見惚れるのは美羽だけだ」
こんなにも愛らしい恋人が傍に居るのだ。他のどんな女性であっても見惚れる事はない。
相変わらずの、そして悠斗と同じく嫉妬深い恋人に笑みを零す。
悠斗の態度にある程度満足したようで、美羽が表情を緩めた。
「ならよし。……もし私以外の人に見惚れたら、覚悟してね?」
「分かってるよ。ちゃんと気を付ける」
底冷えのする声と怖いくらいに澄んだ瞳に見上げられ、少しだけ恐怖を覚える。
勘違いすら見逃してくれないだろう愛の重い恋人に、苦笑するのだった。
「ゆーくん。髪をお願いー」
「はいはい。おいで」
「わぁい」
晩飯を済ませ、先に悠斗が風呂を終えた。
そして美羽が風呂から上がり、悠斗の前で背を向ける。
ドライヤーを手に取り、すぐに髪を乾かし始めた。
「きもちいいー」
間延びした声を漏らす美羽にくすりと笑みを落とし、手を動かし続ける。
もう乾かすのに慣れきっており、美羽もアドバイスする事はなく、されるがままだ。
すぐに乾かし終え、髪の手入れに移る。
こちらも普段と変わらないのだが、暫く続けていると美羽の体が左右に揺れだした。
「美羽。左右に揺れるとやりにくいから」
「んー、ゆれて、ないよぉ……」
ドライヤーの時とは違い、美羽の声が明らかに舌足らずだ。
しかも本人からすると、ジッと待っているつもりらしい。
明らかに睡魔に襲われている恋人にはあえて何も言わず、手入れを続ける。
「んぅ……」
ちょうど手入れを終えた所で限界が来たのか、美羽が悠斗へと凭れ掛かってきた。
予想通りの姿に、慌てる事なく美羽を優しく抱き留める。
顔を覗き込むと、長い睫毛ははしばみ色の瞳を隠し、血色の良い唇は気持ちよさそうに緩んでいた。
「……ま、そりゃそうだよな」
普段あまり体を動かさない美羽が、あれだけはしゃいだのだ。
風呂上がりで体温が上がった所に髪を手入れされ、眠気に逆らえなくなったのだろう。
華奢な腰と膝裏に腕を回し、お姫様抱っこの体勢で美羽を布団へと運ぶ。
「……ぅ」
「よいしょっと」
出来るだけ起こさないように、慎重に運んだからか、美羽は多少呻くだけで目を覚まさなかった。
寝かしつける為にやんわりと頭を撫でれば、嬉しそうに表情を緩める。
何度見ても飽きない、無垢な子供のような姿に、悠斗の唇が弧を描いた。
「また今度な、美羽」
約束していたものの、気持ち良さそうに寝ている恋人に手を出すつもりはない。
それに、時間は一杯あるのだ。ここで焦る必要もない。
電気を消し、美羽を起こさないように布団へと滑り込む。
「ゆ、くん……」
寝ていても悠斗が分かるのか、美羽が胸に顔を埋めてきた。
それほどまでに悠斗を求めているのが分かり、胸が暖かくなる。
僅かに抱き締めれば、シャボンとミルクの合わさった極上の匂いが悠斗を満たした。
「……俺も眠くなってきたな」
風呂上がりの美羽は体温が高いものの、ブランケットのみなので暑苦しくはない。
むしろ、ちょうどいい温もりが悠斗を眠りへと誘う。
真夏であっても離れないと、もう少しだけ腕の力を強めた。
「おやすみ、美羽」
夏休みの間はずっと一緒に寝ており、悠斗の胸は幸福感に満たされ続けている。
これから先も飽きる事などないと確信しつつ、悠斗も睡魔に身を委ねるのだった。




