第196話 美羽の水着
花火大会の次の日は寝起きこそ穏やかだったが、意識が覚醒した美羽が悠斗の体を見て悲鳴を上げたり、自身の状態に気付いて風呂に逃げ込んだりした。
悠斗も悠斗で部屋の掃除をしたり、部屋に戻って来つつも顔を真っ赤にした美羽を宥めたり等、忙しくも充実していた。
そして美羽の体を気遣いつつ約一週間が過ぎ、一年生の時に蓮に連れて来られたプールへと来ている。
「いや、ホント、凄いなぁ……」
着替えを終えてプールに出ると、哲也が呆けたように目の前の光景を眺めた。
「俺らが居るのが場違いに思えるよな」
「そうそう。空気が違う」
流れがあるプールに、子供用の浅いプール。ウォータースライダーがあるのは、まだ普通と言っていいだろう。
ただ、ウォータースライダーだけでも数種類あるし、こういう場に競泳用のエリアがあるのは、どう考えても普通ではない。
また、前回と同じく今回も利用しないがスパもある。
それらの設備が、広くはあれどドーム状の空間に詰まっているのは、流石にやり過ぎではないだろうか。
もちろん探せば他の場所にもあるのかもしれないが、周囲の客がどこか上品な佇まいをしているからか、どこか高級感が漂っている。
哲也と頷き合い、庶民同士の絆を確かめ合うと、蓮に呆れた風な目をされた。
「特別な物なんて何も無いだろうが。緊張すんなって」
「特別かどうかは置いておいて、蓮の言う通り、緊張してると楽しめないな」
「確かに。それは一理あるね」
ここには遊ぶ為に来たのだ。ガチガチに固まりっぱなしなのは、誘ってくれた蓮に悪い。
気持ちを切り替え、哲也と共に蓮へ頭を下げた。
「ありがとう、蓮。楽しませてもらうよ」
「こんな良い場所に連れて来てくれて、本当にありがとう」
「畏まってお礼なんて言うなって。ホラ、行くぞ」
面と向かって真剣にお礼を言うと、蓮がへらりと笑って悠斗達に背を向け、そそくさと歩き出す。
逃げるような蓮の態度に哲也と笑いつつ、蓮に追いついて肩を並べた。
すぐに目的地に着くが、男は近付けないので、少し離れた場所に待機する。
それでも、近くの女性の視線が痛い気がした。
「女子更衣室の前で待ち合わせってのは、ちょっと気まずいな」
「出口のすぐ傍で待ってる訳でもないんだし、気にし過ぎだっての。それに、綾香達は目立つからな。大丈夫だとは思うけど、こうするのが一番良いだろ」
「まあ、確かにな。美羽がナンパされる所なんて見たくないし」
美羽や綾香は文句なしの美少女で、紬も非常に可愛らしい。
そんな三人の水着姿など、間違いなく人目を引く。
いくらこのプールの入場料がそれなりに高く、上品な客が多いとはいえ、万が一があっては駄目だ。
彼女持ちとして蓮の意見に同意すると、哲也が何かに気付いたようで、気まずそうな顔になる。
「今更だけど、悠斗と蓮は東雲さんと綾香さんに、水着の感想を言うんだよね?」
「そりゃあな。彼女が折角水着に着替えてくれたんだ。感想を言うのは彼氏として当たり前だろ」
「こういうのって、きちんと言葉にするのが大事だと思うし、俺も蓮と同じだな」
彼氏としての義務と権利を疎かにするつもりはない。
蓮と共に大きく頷けば、哲也がゆっくりと、言い辛そうに口を開く。
「……じゃあ、俺は? それと、椎葉は?」
「「……」」
この場で一番辛い立場の人からの絞り出すような声に、蓮と二人して沈黙した。
悠斗や蓮が恋人の水着姿を褒めるのは当然だが、紬は褒められない。
もちろん、哲也とて恋人でもない紬を簡単には褒められないのだろう。
しかし、助け舟を出せないのも確かだ。
例え友人に対しての単なる感想であっても、愛しい恋人は間違いなく不機嫌になるのだから。
(でも、誰も椎葉の水着を褒めないってのもなぁ……)
紬とて、綾香や美羽と一緒に水着を買いに行ったのだ。
にも関わらず、誰にも何も言われないのは、あまりにも辛過ぎる。
そして、紬を褒められるのは、目の前で頬を引き攣らせている男だけだ。
蓮と共に、優しく肩を叩く。
「……本当に申し訳ないけど、頑張れ」
「……すまん。俺と悠じゃ加勢出来ねぇ」
「だよねぇ……」
これからの事を想像し、哲也が重い溜息を吐き出した。
とはいえ、花火大会の様子からすると、哲也の褒め言葉に紬は喜ぶ気がする。
しかし、悠斗には茶化す事など出来ないので、苦笑のみに留めた。
頑張って欲しいという願いを込めてもう一度肩を叩くと、視界の端で女子更衣室から三人の女性が出てくる。
流石の美少女っぷりに、周囲からどよめきが上がった。
「来たか。おーい、こっちだ!」
蓮が声を張り上げ、三人を呼ぶ。
それなりに多くの人から嫉妬の念が飛ばされたが、それを無視して三人の到着を待った。
あえて一人から視線を外すと、まずは背中に少女を引っ付けている綾香が、蓮へ微笑む。
「お待たせしました」
「いいや、気にすんな。綺麗だぞ、綾香」
「ふふ、ありがとうございます」
淡く頬を染め、綾香が嬉しそうに顔を綻ばせた。
黒のビキニが清楚な雰囲気の綾香の色気を引き立たせ、大人っぽく見せている。
普段は下ろしているだけの髪を珍しく緩い三つ編みにしているのも、その雰囲気を強める一つなのだろう。
出ている所は出ているというスタイルも合わさって、凄まじく綺麗だ。
「う、うぅ……」
「ほら、私に隠れていても駄目ですよ。紬さん」
「は、はいぃぃ……」
綾香に促され、紬がびくびくしながら水着を露わにする。
セパレートの水着はほどよく紬の体を隠しつつも、非常に可愛らしい。
意外にもそれなりにある胸と合わせて、これぞ女子高生という雰囲気だ。
ただ、先程哲也に言ったように、悠斗と蓮は褒められない。
紬も分かっているようで、期待と不安が混ざった目を一人だけに向けた。
紬の視線を受けた男子が、気恥ずかしそうに頬を掻きつつも、おずおずと口を開く。
「……俺が言うのも何だけど、似合ってるよ」
「ほ、ホント? 変じゃない?」
「もちろん。凄く可愛いよ」
一度言葉にして吹っ切れたのか、哲也が柔らかな笑みを浮かべて、紬を真っ直ぐに褒めた。
羞恥に限界が来たようで、紬が綾香の背に隠れる。
「あ、あぅ……」
「よく頑張りましたね、紬さん」
綾香は紬を咎めず、体を紬へと向けて頭を撫でた。
年上のお姉さん然とした態度に、全員が小さく笑みを零す。
「それじゃあ、最後は私だね。……どうかな?」
出来るだけ見ないようにしていた恋人が、悠斗の前に来た。
ゆっくりと視線を戻し、水着姿を視界に収める。
「……可愛い」
綾香や紬は美少女だし、水着もとても似合っていた。
しかし、悠斗の中では目の前で瞳を潤ませ、上目遣いで悠斗を見上げる恋人が、文句なしの一番だ。
空色のワンピースはフリルをふんだんに使っており、美羽の可愛らしさを何倍にも引き上げている。
淡い栗色の髪がお団子にされているのも相まって、今すぐに抱き締めて愛でたい。
呆けたように見惚れていると、美羽が白磁の頬を薔薇色に染めて、口元に緩やかな弧を描かせた。
「えへへ。嬉しいな……」
「……え!? あ、声が出てたのか! すまん! もう一度、やり直させてくれ!」
あまりの可愛らしさについ気持ちが漏れてしまったようだが、それが感想になるのは困る。
悠斗の言葉では表現出来ない程に、美羽は可愛らしいのだ。
もちろん語彙が貧相なのは変わらないものの、それでも呟きで終わりにはしたくない。
手を合わせて懇願するが、美羽は悪戯っぽい表情で片目をぱちりと閉じた。
「やーだよ。つい声に出しちゃったって事は、それだけ悠くんを虜に出来たっていう証明だからね」
「そ、そうだけどさぁ……」
水着も合わせて、美羽の全てが悠斗の心を擽る。
頬が真っ赤になっているのを自覚しつつ、顔を顰めてお願いしても、美羽はどこ吹く風だ。
「ありがとね、悠くん。もちろん、悠くんもかっこいいよ」
「……反則だろ」
悠斗を掌の上で転がす恋人に、大きな溜息を落とす。
すると、周囲からも同じような溜息が聞こえてきた。
顔を向ければ、蓮に哲也に紬と、三人が呆れた目をしている。
「感想を言い合うだけで、これだけいちゃつけるんだもんなぁ……」
「悠斗も東雲さんも、最初から飛ばしてるねぇ」
「相変わらず熱いなぁ……」
「……何だよ、お前らだって似たようなもんだろ」
今回ばかりは全員いちゃついていたと、他の人達へ反撃した。哲也と紬に関しては怪しいところだが、からかってきた以上は容赦しない。
しかし蓮達は納得がいかないようで、やれやれという風に肩を落とした。
「お前ら二人だけレベルが違うんだよ」
「「そうそう」」
「やったね、悠くん!」
「いや、喜ぶ所じゃないからな?」
思いきり呆れられたにも関わらず喜ぶ美羽に突っ込みつつ、顔を俯けている綾香へ視線を移す。
すると、先程まで静かだった人物は、ゆっくりと美羽へ近付いてきた。
美しい黒髪の隙間から見える瞳には、熱過ぎる欲望が込められているように見える。
「もういいですよね……? ね?」
「あ、そうだった。綾香さんは私に触っちゃ駄目ですよ」
何をされるか完璧に把握していた美羽が、ふいっとそっぽを向いて素っ気なく告げた。
事前に行動を潰された事で、綾香が表情を悲しみに染める。
「そんな! ちょっとだけ、ちょっとだけですから!」
「やです」
おずおずと伸ばされた手を、美羽が無情にも払う。
あまりにも雑な対応だが、ここで許可すると綾香が暴走するので、これでいいのかもしれない。
ある意味仲良しでないと出来ないやりとりに苦笑を零すと、綾香が標的を変えた。
「でしたら――」
「ひっ!」
びくりと体を震わせ、紬が哲也の背後に隠れる。
急に頼られて嬉しいやら気まずいやらで、哲也は百面相をしていた。
女性二人からこれでもかと拒否された事で、綾香がついに沈み込んだ。
「わ、私はただ、お二人を可愛がろうとしただけなのに……」
「それじゃあ絶対に済まないだろうが」
はあ、と溜息をついて、蓮が綾香を引き上げる。
そのまま綾香は、蓮の胸に顔を埋めた。
「うぅ、れんー」
「いや、自業自得だからな?」
年上の貫禄などないかの如く甘える綾香に、他の全員が苦い笑みを零すのだった。