第195話 籠の中の鳥
心地よい疲労感と達成感、そして幸福感を胸に抱き、ベッドに寝転がった。
すぐに美羽が悠斗の胸へ顎を置く。
「えへへー」
上機嫌そうに唇をたわませる美羽からは、幸せな気持ちがこれでもかと溢れていた。
ただ、その目尻には涙の痕が残っている。
美羽をもらった事に後悔はないものの、上手く出来なかったという悔しさが、悠斗の胸を鋭く刺す。
「……痛くしてごめんな」
「初めては痛いって話だったから、悠くんが謝る必要はないよ」
「でも、もっと何か出来たと――」
「ゆーうくん」
細い指が悠斗の唇に触れ、紡ぎそうになった言葉を止めた。
柔らかく包み込むような声を発した美羽は、とろりと顔を蕩けさせている。
「最初は凄く痛かったけど最後は違ったし、これは嬉し涙なんだからね。だから、そんな顔しないで?」
「……分かった。ありがとな、美羽」
「分かればよろしい」
大人びた笑みの美羽が赦してくれたお陰で、悠斗の心が少しだけ軽くなった。
小さな体で悠斗の全てを受け入れた恋人を労わりたくて、少し乱れた髪に触れる。
ゆっくりと撫でれば、美羽が喉を鳴らして体の力を抜いた。
「ありがとう、悠くん」
「こっちこそ、ありがとうだ」
笑みを交わし、甘くむず痒い空気に浸る。
本に書いてある事など全く参考にならず、お互いに手探りだった。
それでも、一生忘れられない程に幸せな時間だったと断言出来る。
「これで、名実共に私は悠くんの物だよ」
「代わりと言っちゃあ何だけど、俺は美羽の物だぞ」
美羽が悠斗の所有物ならば、悠斗は美羽の所有物だ。
唇に弧を描かせて告げると、美羽がくすくすと軽やかに笑う。
「それは最高だねぇ。じゃあ、私は悠くんを捕まえておこうかな。絶対に、誰にも渡さないんだから」
束縛するような重い言葉とは裏腹に、悠斗の胸に滑らかな頬が擦り付けられた。
もっと甘やかせと態度でおねだりしてくる最高の恋人へ向けて、隣に立ち続ける誓いを改めて口にする。
「そうしてくれ。俺も美羽が飛んで逃げないように、ちゃんと捕まえておくからさ」
「逃げるっていうか、私は何があっても戻って来ちゃうけどね」
「鳥籠の鍵が開いててもか?」
「もちろん。というか、新しい籠の中が心地良過ぎて、私は飛び方を忘れちゃったの」
美しい羽根を持つ鳥は、悠斗の中でしか羽ばたけなくなったらしい。
それは悲しい事のはずなのに、悠斗の胸には喜びが満ちる。
「なら、ずっと俺の傍に居てくれ」
「今更だし、言われなくてもだよ」
瞳を可愛らしく細めた美羽が、悠斗へと近付いてきた。
視界が少しずつ美羽で染められ、ついに唇が触れる。
「ん……」
「ふ……」
ゆっくりと唇を離せば、吸い込まれそうな程に綺麗な瞳が、悠斗を真っ直ぐに見つめた。
恥ずかしいのに目を逸らせず、互いの吐息すら肌に触れる距離で、二人の瞳はお互いを視界に映し続ける。
「「……」」
淡い月明かりによって照らされた顔は、ゾッとする程に綺麗だ。
その綺麗さは、幼げな笑みによって可愛らしさへと一瞬で変わる。
「ねえ悠くん。今日はこのまま寝よう?」
「もちろん良いぞ。でも折角美羽が着てくれたベビードールが見れないのも、それはそれで勿体ないな」
肌と肌をくっつけ合いながら寝るのは、これまで以上に幸せな気持ちになるはずだ。
しかし、ベビードール姿の美羽も捨てがたい。
揺れる心のままに告げれば、美羽が悪戯っぽく笑んだ。
「なら今日はこのままにして、明日はあの服で過ごそうかな」
「いや、まあ。嬉しいけど、料理とかどうするんだよ」
部屋着にするのは大歓迎なものの、ベビードールを普段着として扱うのは難しいのではないか。
苦笑しつつ尋ねると、美羽が楽しそうに目を細める。
「大丈夫。明日は動けなくなると思って、簡単なものを用意してるの」
「……準備万端って事か」
美羽の用意周到さに、感心と呆れを混ぜ込んだ笑みを浮かべた。
とはいえ、本当に動けなくなるかはまだ分からないようだ。
どうなるにせよ、明日はほぼベッドの上に居てもいいかもしれない。
悠斗の呟きを受けて、美羽が満面の笑みになる。
「そうなの。だから、動けなくなった私をいっぱい甘やかしてね?」
「そんな頼み方をされたら断れないな。でもな――」
殆ど動けないベビードール姿の美羽を散々甘やかすのは、考えるだけで心が躍る。
ただ、あんまりにも無防備になられると困るのだ。
少し警告する為に、美羽を抱き寄せて小さな耳に唇を近付ける。
「あんまり可愛いと、また手を出すぞ?」
「っ!?」
びくりと美羽が震えるが、悠斗から離れはしない。
月明かりだけでも、ここまで近付けば耳が真っ赤になっているのが分かる。
流石に脅し過ぎたかと小さく笑んでいると、今度は美羽が悠斗の耳元に唇を寄せた。
「いいよ。悠くんがしたいなら、いっぱいしてね」
「~~~っ!」
期待のこもった熱っぽい声に、今度は悠斗の頬が炙られる。
今すぐにでも押し倒したくなったが、流石に美羽が辛いだろう。
欲望に従いそうになる両手を必死に制御し、美羽の頭を悠斗の腕に乗せた。
「……痛みがなくなったらな」
「ふふ、約束だよ?」
はしばみ色の瞳が恐ろしく真剣な色をしているので、間違いなく本気だ。
次も美羽を求めて良いという事実に、勝手に頬が緩む。
「ホント、覚悟しろよ?」
「うん。覚悟してるね」
お互いに喧嘩を売るような発言をしつつも、身を寄せ合う。
エアコンを切ってブランケットを掛ければ、夏場なので風邪を引く事はないはずだ。
あまりにも滑らかな肌の感触を楽しみつつ、美羽の温もりを感じながら目を閉じるのだった。
「……ん」
蝉の音と生温い風で目を覚ます。
とっくに日は昇っており、時刻を確認すると昼前だった。
悠斗の胸に顔を埋めている、愛しい恋人の肩を揺さぶる。
「美羽、起きてくれ」
「……んぅ」
重い瞼をゆっくりと開け、美羽が悠斗を見つめた。
ぼんやりとした瞳は何も映しておらず、すぐに瞼のカーテンが降りる。
「ん」
「寝るのはいいけど、体は大丈夫か?」
「ぅー?」
悠斗の声に再び美羽が瞼を開け、唸り声を上げた。
機嫌を悪くさせたかと思ったが、美羽が無垢な顔で体をゆったりと動かす。
時折僅かに眉を顰めているので、痛みがあるらしい。
十分に体の調子を確かめた美羽が、くったりと体の力を抜いた。
「いたい。うごきたくない……」
「それじゃあ、暫く寝てようか」
昨日の痛みについては、もう謝罪しないと決めている。
舌足らずな声を出して目を閉じた美羽の頭を、ゆっくりと撫でた。
「おやすみ、美羽」
「……ぅん」
美羽が気持ち良さそうな声を漏らし、悠斗の胸に顔を埋める。
暫く撫で続けていると、規則的な寝息が聞こえ始めた。
悠斗はというと、二度寝する気も起きずに溜息をつく。
「……綺麗なのはいいけど、目に毒過ぎだろ」
完全に日が昇っているせいで、美羽のシミ一つない背中が露わになっていた。
思い知らされた女性らしい腰のくびれ等、身長とは裏腹の体つきに、心臓の鼓動が落ち着かない。
美羽が覚醒した時の事を想像しつつ、昨日の行為で少し汗ばんだ淡い栗色の髪に顔を埋めるのだった。