第194話 体を重ねて
誰も逸れたり、トラブルに見舞われる事なく花火大会を終えた。
そして綾香に東雲家へと送ってもらい、悠斗は夏の星が光る空の下、玄関で美羽を待っている。
もう美羽の浴衣を見る事が出来ないのは残念だが、浴衣のまま悠斗の家に行く訳にもいかない。
それだけでなく、花火大会を終えてから悠斗の家に泊まりに来るとの事だったので、美羽の着替えと準備待ちだ。
落ち着かない心を何とか静めつつ待っていると、東雲家の玄関が開く。
「……お待たせ」
闇の中でも分かる程に頬を染めつつ、美羽が羞恥の混じった声を漏らした。
キャリーバッグを持っていない手が、居心地悪そうに揺れている。
淡い青のワンピースが夜風に靡き、あまりの可愛らしさに見惚れてしまう。
しかし、いつまでもこうしてはいられないので、おずおずと手を差し出した。
「……おう。じゃあ、行くか」
「うん」
美羽の手を引き、ゆっくりと家へ帰る。
お互いにこの後の事を意識しているのが丸分かりで、会話が全く続かない。
普段なら無言でも何も気にしないが、今だけはどうにも気まずい。
ちらちらと美羽が悠斗の顔を恥ずかしそうに見上げるのも、この雰囲気を作り出している要因なのだろう。
それでいて、悠斗が美羽へ視線を向けると顔を逸らされる。
「俺、何か変か?」
「ううん、変じゃないよ。かっこいい」
「……何だそりゃ」
訳の分からない会話を偶にしつつ、芦原家に着いた。
美羽を招き入れて客間に荷物を置くと、美羽がほんのりと上目遣いで悠斗を見つめる。
「それじゃあ、お風呂の準備してくるね」
「俺は浴衣を着替えてくるよ」
「うん」
流石に悠斗のお世話するつもりはないようで、美羽がはにかみながらも逃げるように風呂場へ向かっていった。
二階へと上がり、浴衣を適当に脱ぐ。
畳み方はよく分からないが、取り敢えず綺麗に整えて脇に置いた。
部屋着へと着替えたタイミングで、扉が遠慮がちにノックされる。
「入っていい?」
「もちろん。どうぞ」
「お、お邪魔します」
美羽がおっかなびっくりという風に部屋に入ってきて、ちょこんとクッションの上に座った。
悠斗の部屋に居た中で一番の緊張っぷりに、くすりと笑みを零す。
とはいえ、何を話せばいいかなど思いつかず、二人して無言になるのだが。
「「……」」
向かい合いながらお互いの顔色を窺い、ちらちらと視線を向ける。
まるでお見合いのようなむず痒い空気だが、風呂が沸くまでこうしていると気疲れしそうだ。
こういう時は普段通りに過ごすべきだと、ゆっくりと立ち上がる。
「っ!」
それだけでも、美羽はびくりと体を震わせた。
怖がらせるつもりはないのだと、小さな頭に手を乗せる。
突然撫でられた事で、美羽が目をぱちくりとさせた。
「風呂が沸くまで本を読むけど、美羽はどうする?」
「……私も、読もうかな」
「了解。これだよな?」
毎日悠斗の部屋に居るのだから、今何を読んでいるのかは分かっている。
本を差し出せば、美羽の顔から緊張が僅かに抜けた。
「うん。ありがとぉ」
美羽に笑みを返し、ベッドの脇に背を付ける。
そのまま本を読もうとすると、美羽がクッションを持って近付いてきた。
「隣で読んでいい?」
「それくらい聞かなくてもいいぞ。遠慮なく来てくれ」
散々悠斗の膝の上やベッドに乗っているのだ。
今更なお願いに目を細めて隣を叩くと、美羽が顔を綻ばせて寄ってきた。
「えへへ。隣で本を読むのは久しぶりだね」
「だな。でも、悪くない」
「うん。そうだね」
肩を寄せ合い、寄り添いながら本を読むのも悪くない。
風呂が沸くまで、少しだけ柔らかくなった空気の中で読書に耽るのだった。
風呂が沸くと、先に悠斗が入る事になった。
美羽の方が準備が大変なので遠慮なく入らせてもらい、丹念に体を洗って上がると、次に髪を乾かされる。
「今日くらいは、しなくていいんだぞ?」
「ううん。これは私の楽しみだもん。やらせて欲しいな」
「それじゃあ、お願いするよ」
週末と平日の余裕がある場合、美羽は悠斗の髪を乾かそうとする。
今日も嬉しそうな笑顔で懇願されたので、遠慮なく委ねた。
すぐに髪が乾き、普段なら美羽が悠斗の髪を触って遊ぶのだが、すぐに立ち上がる。
「私もお風呂に入ってくるね」
「ああ。ゆっくり温まってきてくれ」
「……それと、私が帰って来るまで、部屋から出ないでね」
ほんのりと頬を赤らめて、悩ましそうな顔で懇願された。
おそらく、前に言っていた「お楽しみ」という物だろう。
美羽の風呂を覗くつもりはないし、楽しみを減らすつもりもない。
「分かった。待ってるよ」
大きく頷けば、美羽が嬉しそうにはにかんで部屋を出て行った。
先程まで心が落ち着いたのだが、一人になると再び緊張が襲ってくる。
美羽が風呂から上がったら準備が整うのだから、当たり前なのだが。
「はぁ……」
溜息をつきつつ、手持ち無沙汰に天井を仰ぐ。
既に心臓の鼓動は早く、手はじっとりと汗を掻いてきた。
何かをして時間を潰していたいが、何も手に付かない。
仕方なくスマホで全く内容の入って来ない動画を眺めていると、部屋の扉がノックされた。
「入るね」
美羽が悠斗の許可なく部屋に入ってくる。
顔を上げると、あまりにも可愛らしい恋人がいた。
「……ちょっと、頑張り過ぎちゃったかな?」
おそらく、美羽も相当恥ずかしいのだろう。髪の隙間から見える耳すらも赤くなっている。
とはいえ、その服装では無理もない。
美羽が着ているのは、透けたレースの付いている、薄桃色の下着のようなものなのだから。
「……凄く可愛いけど、それを買ったのか?」
思わず抱きしめたくなる――ともすれば襲いたくなる――程に魅力的だが、破壊力があり過ぎる。
一瞬で悠斗の思考は沸騰し、けれども必死に本能を抑えつけた。
呻きそうになりつつも尋ねれば、美羽が長い睫毛を震わせて頷く。
「うん。ベビードールって言うんだって。子供っぽいかなって思ったんだけど――」
「そんな事ない! 凄く美羽に合ってて、滅茶苦茶可愛いぞ!」
羞恥に炙られて居心地悪そうにする美羽があまりにも愛らしくて、声を荒げてしまった。
被せるように言ったからか、美羽が目を瞬かせて表情を困惑へと変える。
「ゆ、悠くん?」
「……悪い。あんまりにも可愛くて、つい」
暴走した事を謝罪すると、美羽が無垢な顔で小首を傾げた。
「それはいいんだけど、そんなに気に入ってくれたの?」
「ああ。正直、今すぐにでも美羽に触れたいくらいだよ」
美羽を視界に入れてから、男の身勝手な欲望が凄まじい勢いで膨らんできている。
少しだけ言葉に乗せれば、美羽が甘さを帯びた笑顔になった。
「それは嬉しいけど、まずは髪を乾かして欲しいな」
「了解。全力を尽くすよ」
もう一度理性を縛り付け、無防備に悠斗へ背中を向ける美羽へと近付く。
レースは体を隠す意味を持たず、美羽の白磁の肌を艶めかしく見せているのが、近付くと嫌でも分かった。
どくどくと早鐘のように鼓動を刻む心臓を自覚しつつ、美羽の髪を乾かす。
「んー」
男を狂わせる見た目とは裏腹に、美羽が気持ち良さそうに喉を鳴らした。
普段と変わらない態度に緊張が解れ、慣れた手つきで髪を整えていく。
会話は無いが、それでも悠斗達の間には穏やかな空気が満ちていた。
「はい。終わりだ」
「ありがとぉ、悠くん」
へにゃりと目を細め、髪の感触を確かめる美羽に、抑えていた本能が限界を迎える。
もう僅かな時間ですら待っていられず、美羽の膝裏に腕を入れて持ち上げた。
「ひゃっ。……いよいよ、なんだよね」
「すまん。美羽が可愛すぎて、限界だ」
「…………いいよ」
悠斗の胸に顔を押し付けながらも許可をしてくれた美羽に、もっと触れたい。
逸る気持ちを抑え、美羽をベッドへと乗せる。
部屋の電気を消して、ジッと悠斗を待っている恋人の頬に手を添えた。
「美羽」
「……ん」
名前を呼んだだけで、悠斗が何をしたいか分かったらしい。
美羽が目を閉じ、悠斗が来るのを待つ。
柔らかな唇と悠斗のものを触れさせ、その感触に溺れた。
ただ、今日はこれだけでは終わらない。
美羽の腰を抱きつつ、キスをしながら、ゆっくりとベッドへ押し倒した。
「はぁ……」
「ふぅ……」
一度唇を離し、呼吸を整える。
美羽はというと、同じように呼吸を整えつつも、力を抜いてベッドに身を委ねていた。
窓から差し込む月明かりの中、淡く頬を染め、美しく栗色の髪をベッドへ広がらせる恋人に、今日何度目かも分からない程に見惚れる。
「ホント、綺麗だな……」
つい感想を漏らすと、真下の恋人は小さく笑みを零した。
「いっぱい見てね。私は、悠くんのものなんだから」
「……ここまで来たら、止められないぞ?」
「いいよ。私が痛がっても、続けてね。私の初めてを悠くんにあげる」
淡い微笑みの中には、僅かに恐怖が混じっているように見える。
どれだけ悠斗を信用していても、やはり怖いのだろう。
緊張で心臓がうるさくても、指が震えても、ここから先で情けない姿を見せては駄目だと気合を入れなおした。
熱を持った頬に触れると、美羽がくすぐったそうに目を細める。
「一生忘れない。絶対、大切にするよ」
「……うん。私も、忘れない」
恐怖がありつつも、それでも甘く蕩けた笑みを浮かべた美羽に顔を近付けた。
それだけでなく、華奢な体にゆっくりと触れる。
ぴくりと震えた美羽に愛しさを深めつつ、ゆっくりと、味わうように美羽を求めるのだった。




