第193話 夜空に咲く花
高級車に乗り込むと、既に哲也と紬が居た。
哲也は灰色の浴衣を、紬は朱色の浴衣を着ており、どちらも非常に似合っている。
ただ、顔が強張っているので、おそらく蓮と綾香が先程のように二人の両親へ挨拶したのだろう。
「こんばんは。哲也、椎葉」
「こんばんは。二人共」
「こんばんは。悠斗、東雲さん」
「こ、こんばんは」
「その様子だと、蓮と綾香さんに変な態度を取られたみたいだな」
悠斗の推測は合っていたらしく、二人の体がぴくりと震えた。
既に蓮と綾香が良家なのを知ってはいても、あんな態度を取られれば、誰だって困惑するはずだ。
ましてや二人は蓮達と知り合って日が浅いので、驚きも大きいのだろう。
「……うん」
「……その通りだよ」
「変な態度なんて人聞きの悪い事を言うなよなー。まあ、哲也と椎葉が思いっきり固まってたのは面白かったけど」
「もう。蓮、からかっては駄目ですよ。……とはいえ、蓮は私よりも切り替わりが激しいので、仕方ないとは思いますがね」
けらけらと笑う蓮を、呆れた目をした綾香が窘めた。
先程とは打って変わって軽い様子の蓮に、哲也が溜息を零す。
「別人が来たのかと思ったよ」
「私も。お母さん達もびっくりしてたし」
蓮の豹変ぶりを思い出したのか、哲也と紬の頬が引き攣った。
丈一郎ですら珍しく驚きを露わにしていたのだから、他の人ならば飛び上がるかもしれない。
相変わらず妙な所で律儀な蓮と綾香に、悠斗も大きく息を吐き出す。
「蓮も綾香さんも、花火大会に行くだけなのに気合を入れ過ぎなんですよ」
「そうそう。あんな事しなくてもいいのに」
以前の旅行ならまだしも、今回は近場なのだ。あれほど畏まって挨拶をする必要などない。
悠斗と美羽が苦笑で告げたが、蓮と綾香は大きく首を振る。
「いいや、これは俺達なりのケジメだ。どうでもいい人ならまだしも、お前らに適当な真似は出来ねえよ」
「そうですよ。ポリシー、というやつです」
「……まあ、それならいいんですが」
二人が譲れないというなら、わざわざ止める必要はない。
からかってくる時こそあれど、悠斗達を大切に思っているという事なのだから。
何はともあれ、これで全員集合だ。
殆ど振動のない車の中を、改めて見渡す。
(にしても、美男美女の集まりだな)
高級車に浴衣姿の学生が六人も居るこの状況は、普通に考えるとおかしいのだろう。
ただ、ほぼ全員が見目麗しいからか、不思議と場違い感はない。
(……まあ、俺以外は、だけど)
前を向くと決めた時から出来る限り思わないようにしていたが、珍しく卑屈な気持ちが出て来る。
しかし、口に出して空気を悪くするつもりはないし、口に出したとしても、美羽は怒ってくれるはずだ。
そう考えるだけで、悠斗の心が軽くなる。
「どうしたの、悠くん?」
「いいや、何でもない。楽しもうな」
気持ちを切り変えて笑顔を浮かべれば、美羽の顔がとろりと蕩けた。
「うん!」
「……まーたいちゃついてるよ」
蓮の呆れた声に、悠斗と美羽以外が生暖かい笑みを浮かべる。
気心の知れた友人達とのやりとりをしていると、卑屈な考えはいつの間にか消えていた。
大勢の人が集まる河川敷には車を停められず、少し離れた位置から会場に向かう事になった。
目的地に向かうにつれて人が多くなり、美羽が呆れた声を漏らす。
「うわぁ……。人が多いねぇ……」
「これだけ多いと、一度逸れたら大変だろうな。美羽、気を付けろよ」
「じゃあ、こうしてるね」
悪戯っぽい笑みを浮かべた美羽が、悠斗の腕に抱き着いてきた。
相変わらずこういう時は積極的な恋人に、くすりと笑みを落とす。
「おう。しっかり掴まってろよ」
美羽は小柄なので、逸れてしまうと合流が難しいだろう。
もちろん万が一逸れた際の合流場所は決めているが、逸れないに越した事はない。
抱き着かれつつも、しっかりと美羽と手を繋いで周囲を見れば、蓮は綾香と腕を絡ませ、紬は哲也の浴衣の裾をしっかりと掴んでいた。
(指摘するのは野暮だろうな)
こういう時に蓮や悠斗は恋人を優先するので、必然的に哲也と紬がペアになってしまう。
単に逸れないようにする為の措置なのか、それとも別の意味があるのかは分からないが、ここで口に出す程愚かではない。
蓮や綾香も穏やかな目をして哲也達を見ているので、気付きつつも口にするつもりはないようだ。
そのまま人混みに流され、河川敷のちょうど良い場所へ座る。
「さてと。場所も取ったし、暫く自由行動にしようぜ。ああでも、移動する時は二人一組で、一組はここに残るようにな」
蓮の提案に全員が頷き、束の間の自由時間となった。
まずは蓮と綾香が場所取りをしてくれるらしく、哲也は紬と、悠斗は美羽と一緒に散策を始める。
「今日の夜飯は無いし、ここで食べておかないとな」
「だね。屋台って楽しみなんだー!」
こういう日に帰ってから晩飯を作るのは手間ではないかと、事前に美羽に相談していた。
その結果、悠斗達の今日の晩飯は周囲に出ている屋台だ。
瞳を輝かせてきょろきょろと周囲を見渡す美羽は可愛いものの、その姿に男性の目が引き付けられている。
美羽への不躾な視線に胸の中に黒い物が沸き上がり、美羽の腕を引いて悠斗へと体を預けさせた。
「うん? どうしたの?」
「……いや、まあ。美羽を視線に晒したくなくてな」
可愛らしく小首を傾げた美羽に、更に視線が集まる。
そんな美羽を独占したくて、気恥ずかしさに頬を掻きながら告げた。
すると、美羽が頬に薄紅で化粧を施し、嬉しそうに笑む。
「いっぱい独占してね」
「……ありがとな」
醜い独占欲を喜んで受け入れてくれた美羽が愛しくて、頭を撫でたくなった。
しかし、綺麗な髪を崩したくないと、断腸の思いで手を抑える。
悠斗がやりたい事を我慢したからか、美羽がくすりと小さく笑った。
「触れるのは後で、ね。……それと、他の女の子を見たら駄目だからね」
「分かってるよ」
嫉妬深い恋人を怒らせるつもりはないし、そもそも美羽以外の女性など意識すらしていない。
目を細めて断言しつつ、屋台を巡って晩飯を探す。
ただ、美羽としてはその値段に物申したいようで、綺麗な眉を顰めた。
「凄く高いね……」
「屋台の値段を気にしたら負けだぞ。ほら、何がいい?」
「……じゃあ、取り敢えず目についたものから買おうかな」
「了解だ」
フランクフルトに焼きそばと、定番の物を買って蓮達の所へと戻る。
どうやら哲也達は帰って来ていないようで、美羽と一緒に留守番だ。
今のうちに食べておこうと思って、焼きそばの箱を持とうとしたのだが、美羽に奪われた。
「美羽?」
「食べさせてあげる。はい、あーん」
「そういう事か。あーん」
周囲に人は多いが、単なるカップルのやりとりと受け取られるはずだ。
それに、今だけは茶化してくる友人もいない。
美羽に食べさせてもらった後は、当然ながら悠斗も美羽に食べさせる。
「ほら、美羽も。あーん」
「あーん。……ん、値段に目を瞑れば美味しいね」
「な。意外と美味しいよな」
どうやら味はお気に召したらしい。
特別な物は使っていないはずだが、花火大会という空気が美味しくさせたのだろう。
その後、食べさせ終わった頃に哲也達や蓮達が帰ってきて、花火が上がるのを待つだけとなった。
周囲のざわめきの中、ジッと待っていると、ついに夜空に光の花が咲く。
「わぁ……!」
体に響く振動すら気にせず、美羽が感嘆の声を上げた。
澄んだはしばみ色の瞳に鮮やかな花が映り込み、美羽の横顔をより美しく彩る。
(……綺麗だな)
もちろん、花火が綺麗なのは間違いない。
しかし悠斗の視線は、美羽のあまりの綺麗さに釘付けとなってしまった。
打ち上がり続ける花火を澄んだ瞳を通して見ていると、美羽が急に悠斗へと視線を移す。
「ねえ悠くん」
「な、何だよ」
ジッと見つめていた事を咎められるかと思ったが、そうではないらしい。
美羽が楽しそうに屈託のない笑顔を浮かべ、悠斗を見つめた。
「この先も、こうして花火を見ようね」
「……ああ、もちろんだ」
この先、何年経っても美羽と花火を見続けていたい。
悠斗の言葉に、美羽が喜びに満ちた甘い笑顔になり、花火へと視線を戻す。
これから先も美羽と一緒に見られるのならと、今は空に咲く大輪の花を眺めるのだった。