第158話 椎葉紬
「二年生で東雲さんと一緒のクラスになれて良かったー! これからよろしくね!」
「うん。よろしくね」
「今年は芦原も一緒だから、一年生最後のイチャつきをこれからも見れるよね!」
「あ、それ見たかったんだよ! 凄かったんでしょ!?」
「あれは見なかった事にしてくれると助かるなぁ……」
次から次へと話し掛けてくる同級生は、もはやいつもの流れだ。
ただ、折角悠斗と一緒のクラスになれたというのに、教室に入ってから一言も話せていないのがもどかしい。
彼女達に文句の一つも言いたくなるが、悪気がないのは分かっている。
強く言う事が出来ず、彼女達と普段通りの会話をしつつ心の中で溜息をついた。
(悠くんは大丈夫かな)
周囲と会話しながらも、美羽は時折悠斗へと視線を向けている。
だから、先程哲也が悠斗へ挨拶しに行くのも見ていた。
険悪な仲ではないのが先日の件で分かってはいるものの、どうしても心配になる。
再び悠斗へ視線を送ると、二人は穏やかな笑顔で握手を交わしていた。
(あぁ、良かったな……)
美羽は哲也を振った側なので、今更仲良く出来ないのは理解している。
しかし、悠斗と哲也は友人になれたらしい。
安堵の溜息をつきつつ、蓮も含めて三人で盛り上がる男子達に微笑を落とす。
しかし教室へ入ってきた女子生徒へ悠斗が顔を向けた瞬間に、美羽の好きな顔が固まった。
(あの人、知り合いなのかな……)
五十音順で席が決まっているせいで悠斗が扉に近く、二人が露骨に意識しているのが分かる。
女子生徒も顔を引き攣らせており、険悪とまではいかないが、どこか顔を合わせ辛い雰囲気に美羽の何かが引っ掛かった。
(……何だっけ? 私、あの人を知ってる?)
美羽とて悠斗に話し掛ける女子全てに妬くつもりはない、つもりだ。
だからこそ、美羽の胸に湧き上がってきている感情が嫉妬ではないのは断言出来る。
それでも、あの女子の事が気になってしまった。
周囲に気付かれないように悠斗達を眺めていると、彼女は悠斗にぎこちない笑みを向ける。
その後、すぐに悠斗から視線を外し、教室を見渡してこちらに向かってきた。
どうやら、席が美羽の近くのようだ。
「あ、あの。その席――」
「春休みだから課題も無かったし、この一週間楽だったなー」
「夏とか冬は大量に課題が出るからねぇ」
「あ、あぅ……」
運が良いのか悪いのか。彼女の席は美羽の前らしく、大勢の人が周囲に居るので座れなくなっている。
か細い声を出して肩を落とす姿は、これまで美羽が幾度となく見てきた人達と重なった。
望んでもいないのに周囲に迷惑を掛けてしまうこの立場が疎ましいと思いながら、目の前の人だかりに笑顔を向ける。
「そこ、迷惑になってるよ」
「あ、ごめんね!」
「う、ううん! ありがとう!」
幸いな事に前の席に座った女子生徒に悪態をつく人はおらず、再び美羽の周囲で会話の花が咲く。
その後は周りの女子達と話し、もう少しでホームルームだからと開きになった。
ようやく話せると意気込みつつ、人の事を言えない小柄な背中に「ねえ」と声を掛ける。
「ひうっ!? な、何かな!?」
「さっきはごめん。今度から気を付けるね」
「東雲さんのせいじゃないよ! 大丈夫だから!」
「……色んな人に知られるのも複雑だなぁ」
元々の美羽の立場に加えて、三月中旬には悠斗と話題になったのだ。
彼女に非はないが、顔や名前を知らない人から一方的に知られているのはあまり良い気分ではない。
苦笑を落とすと、彼女が焦ったように首を振る。
「ごごごめんなさい! 東雲さん、凄く有名だから……」
「気にしないで。否定は出来ないけど、それでも自己紹介したいな。東雲美羽だよ、よろしくね」
机に名前が貼ってあるので先に確認しておけば良かったが、もう遅い。
後悔を胸に押し込めて名前を告げると、小動物のような可愛らしい顔が縦に大きく揺れた。
「う、うん! 椎葉紬だよ。よろしくね!」
「椎葉さん、か……」
大勢の人と関わってきたので忘れている可能性はあったが、椎葉紬という名前は間違いなく聞いた事がない。
紬の名前を反芻しつつ、先程の違和感は気のせいだったかと首を傾げる。
怖がらせるような態度ではなかったのだが、紬が深く頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「……うん? えっと、私に何かしたの?」
初対面の人に謝られると、どう反応していいか分からなくなる。
苦笑を浮かべつつ尋ねれば、紬が申し訳なさそうに顔を曇らせた。
「この前のホワイトデーの時に、あれを覗いてたの」
「あぁ、あんなの謝らなくていいよ。色んな人に覗かれてたからね」
あの一件は美羽の知り合いからすれば一種のお祭り騒ぎだったらしく、謝られもせずに悠斗の事を尋ねてきた。
美羽としては物申したかったが、怒ったところでどうしようもないと諦めたのだ。
とはいえ、真摯に謝られるとそれはそれで気まずい。
律儀で好感が持てる人だと笑みを零しつつ、さらりと流すと紬の瞳が眩しい者を見るように細くなる。
「……敵わないなぁ」
「敵わない?」
「何でもないよ! あぁ、先生が来ちゃった!」
こんな時だけタイミングが良く、先生が教室の扉を開ける音で紬が前を向いた。
先程ぽつりと呟かれた言葉の何かが再び胸に引っ掛かり、先生の言葉を流しつつ記憶を漁る。
すると、可能性ではあるが一つ思い当たった。
先程の悠斗との気まずい空気に「敵わない」という言葉。
これなら全ての辻褄が合う。
(そっか、貴女が悠くんに……)
素晴らしい男性を同時に想う事が出来た嬉しさ。
知らず知らずのうちに蹴落としてしまった申し訳なさ。
複雑な感情が美羽の心に渦巻き、苦い笑みが浮かぶ。
(でも謝らないし、威張りもしないよ)
謝罪されて紬が喜ぶ訳がない。それは傷口を抉る行為だ。
美羽とて勝者として掛けてはならない言葉は分かっている。
ただ、先程の謝罪で好印象を抱いた事もあり、紬ともっと話してみたいと思った。
この立場と状況なので難しいだろうが、話が合いそうな気がする。
(凄いクラスになったなぁ……)
美羽が振った哲也と、悠斗が振った紬。
数少ない本当の友人と言える蓮に、愛しい恋人の悠斗。
様々な関係を持つ人が一つのクラスに集められた事に、美羽自身ですら分からない呆れとも喜びともつかない笑みを落とすのだった。




