第154話 両親の帰宅
家でのんびりしたり、丈一郎の元へご相伴に預かりに行ったり等、春休みはゆっくりと過ぎていく。
そして休みが残り数日となったある日。両親が悠斗の顔を見る為に帰ってきた。
今はリビングで美羽も含め、四人で久しぶりの挨拶をしている。
「お元気そうで何よりです。正臣さん、結子さん」
「東雲さんも元気そうで何よりだよ」
「そうねぇ。それに、悠斗の世話をしてくれてありがとう、美羽ちゃん」
「……まあ、世話される側だけどさぁ」
三ヶ月ぶりの会話は弾み、悠斗以外の三人は笑顔だ。
しかし悠斗は結子の発言を何も否定出来ず、渋面を作っている。
そんな悠斗をよそに、三人は春休みの話をしだした。
「普段家を使わせていただいているのもそうですが、この春休みは泊まりに来ているんです。許可も取らず、すみません」
客間を見れば美羽の荷物があるので、泊まりに来ているのがバレてしまう。
泊まる事を両親に報告していなかった事もあり、美羽が頭を下げた。
事前に悠斗の口から報告しておけば良かったかもしれないが、その必要はないと思ったのだ。
悠斗の予想通り、正臣と結子の顔が華やぐ。
「あら、いいのよ。どんどん泊まってちょうだいね」
「そうだね。知らない仲でもないのだし、遠慮しないで欲しいな」
「ありがとうございます!」
両親に快く受け入れられ、美羽がホッと肩の力を抜いた。
落ち着いた美羽を見て、結子が意地の悪い顔になる。
「ただ、いくら仲が良くても、春休みの間中ずっと泊まりに来るのはおかしくないかしら?」
冬休みに両親が帰ってきた際、悠斗と美羽は付き合っていなかった。
しかし、結子は先程の美羽の発言で何かを感じ取ったのだろう。
よくよく考えれば、悠斗の家に毎日泊まりに来ているなど、何かあったと言っているようなものだ。
からかいの声で指摘され、美羽が頬を染めつつびくりと体を震わせる。
「あ、そ、それは……」
「その件だけど、父さん、母さん。俺は美羽と――」
「だめ、悠くん。それは私が言うの」
隠す事でもないので報告しようと思ったのだが、強い意志を感じさせる声に遮られた。
彼氏と彼女、どちらが交際の報告するかなど決まっていない。
しかし、普通は彼氏がすべきだと思う。
「こういうのは俺の役目じゃないのか?」
「おじいちゃんには悠くんが言ってくれたでしょ? なら、ここは私からだよ」
「分かった。それじゃあ、頼む」
美羽の口から両親へ報告したいという気持ちに、胸が暖かくなる。
言葉で背中を押すと、美羽が表情を微笑から真剣なものへと改めた。
「正臣さん、結子さん。私は、芦原悠斗くんとお付き合いさせていただいてます!」
いくら仲が良いとしても緊張はするようで、美羽の顔が強張っている。
そんな美羽とは対照的に、正臣と結子の顔が綻んだ。
「あらあら。良かったわぁ」
「分かってはいたけど、報告されるのは悪くないね」
「あ、あの? それだけですか?」
あまりにもあっさりと受け入れられ、美羽の顔に困惑が浮かぶ。
悠斗が丈一郎へ向けたものと同じ問いに、正臣が大きく頷いた。
「息子の恋愛事情に首を突っ込む気はないよ。それに東雲さん――いや、美羽さんかな――なら安心だ。これからも悠斗をよろしくね」
「美羽ちゃんが娘になったんだから、私としては大満足よぉ」
結子が目を輝かせ、美羽へと近付く。
何となく危機感を覚えたのか、幼げな顔が引き攣った。
「む、娘ですか?」
「そう。悠斗の彼女なら私の娘も同然よ。さあ美羽ちゃん、覚悟なさい!」
「ひ、ひゃぁぁぁ!?」
逃げようとする美羽を結子が捕まえ、思いきり抱き締める。
突然の抱擁を受け、美羽が素っ頓狂な声を上げた。
どこかで見たような光景に、ひっそりと溜息を落とす。
「ずっとこうしたかったのよねぇ。思った通り、最高の抱き心地よ!」
「あ、あの、その……」
「こんなに良い娘が出来るなんて、今日はいい日だわぁ」
美羽の困惑をよそに、結子が美羽を撫で回し続ける。
本来であればそろそろ正臣が止めそうなものだが、様子を窺うと傍観に徹していた。
「今日は止めないんだな、父さん」
「私も娘が出来たのは嬉しいからね。美羽さんも嫌がってはいないようだし、暫くは放っておくよ」
受け入れてもらえると確信していたが、悠斗達は付き合ったばかりなのだ。
いきなり娘のように扱うのは、いくらなんでもやり過ぎだと思う。
「母さんもそうだけど、美羽を娘扱いするのはどうなんだ?」
「何も間違ってはいないだろう? 今の悠斗が放すとは思えないからね」
「……まあ、そうだけどさ」
もう美羽以外と付き合うつもりはないし、持てる力の全てを使って美羽に好かれ続ける努力をするつもりだ。
それでも、娘が欲しいのなら別の方法があったのではないか。
息子としては複雑なので顔を顰めれば、正臣が柔らかな笑みを浮かべる。
「念の為に言うけど、私も結子も悠斗が嫌だった訳じゃないよ」
「分かってるよ。大切にされてるのは伝わってる」
「ならいいんだ。……悠斗がどうしても妹が欲しいと言うなら、今から結子と頑張ろうかな」
「……それを息子の前で言うのはどうかと思うぞ」
親に堂々と宣言されると、息子としてどう反応すればいいか分からない。
結果として出来るのなら大賛成だが、悠斗の為に今からというのはあまりに大変だ。
冗談とも思えない正臣の発言に苦言を呈せば、正臣の悪戯っぽい目が優しく細まった。
「嘘は言ってないよ。でも、折角娘が出来たんだ。今はこっちを優先しようかな」
「そうしてくれ」
正臣と結子の中で美羽の立場が一気に変わったが、ここまで快く受け入れてくれたのは嬉しい。
未だにもみくちゃにされている美羽を眺めつつ、笑みを零すのだった。
「あの。今回も本当にありがとうございました」
晩飯を終え、家に帰ってくると美羽が頭を下げた。
悠斗の予想通り今日は外食だったので、そのお礼だ。
いくら娘扱いをされていても、こういう所は相変わらずしっかりするらしい。
美羽の畏まった態度に、正臣が顔を綻ばせる。
「いいんだ。美羽さんが前よりもちゃんと食べてくれたからね。焼く側としてこれ以上に嬉しい事はないよ」
「……むしろ食べ過ぎましたよ」
以前は唐突に案内され、美羽の心が前を向いていなかったからか、かなり消極的だった。
しかし悠斗の目からしても、今回は殆ど気負わずに食べていたと思う。
指摘されて恥ずかしいのか、美羽が頬を朱に染めて俯いた。
羞恥にむずがる美羽へ正臣が微笑を落とし、パンと手を叩く。
「さて、美羽さんは今日も泊まりだったね。昼は私達に付き合ってもらったし、後はカップルの時間を楽しんでくれ」
「そうねぇ。家事は任せてちょうだい」
「え、ですが――」
この家で家事をするのは美羽にとって当たり前だからか、申し訳なさそうに顔を曇らせた。
やらせて欲しいと言う為に口を開く美羽を、結子が不服そうな表情で咎める。
「駄目よ、美羽ちゃん。折角帰ってきたんだし、私にやらせて欲しいわ」
「……分かりました」
美羽が結子から家の中の物を自由に使用する許可をもらっている以上、こうして四人が家に居る際の最高権力者は結子だ。
反論の余地が見つからないようで、美羽がしゅんと肩を落としつつ頷く。
どんな時でも家事をしようとする美羽の頭を、結子が優しく撫でた。
「気にしないでいいのよ。……でも折角だし、お風呂の準備をお願いしていいかしら?」
先程の言葉をあっさりと訂正したからか、美羽がきょとんと首を傾げる。
「お風呂ですか? ……いいですけど」
「それで、準備してくれたお礼として、美羽ちゃんの背中を流してあげるわ!」
「えぇ!? い、いや、その……」
にやりと悪い笑みを浮かべつつ結子が放った言葉に、美羽が慌て始めた。
普通に考えれば、いくら知り合いであっても、彼氏の母親と一緒に風呂に入るのは気まず過ぎる。
おそらくだが、仮ではあるものの美羽が娘となったのが余程嬉しいのだろう。だからなのか、今日の結子はずっと上機嫌だった。
しかし、これは明らかに過剰なスキンシップだ。
助けて欲しいと正臣を見ても、諦めたような顔で横に首を振られた。
「じゃあ楽しみにしてるわね!」
「あの、ちょっと!?」
美羽の意見も聞かず、結子がリビングへ向かって行った。
高校生にもなって、他人の親と一緒に風呂に入る事になるとは誰だって思わない。
呆然としている美羽の肩を、ポンと優しく叩く。
「本当に嫌なら俺から言うけど、どうする?」
「嫌って訳じゃないんだけど、本当にいいのかなぁ……」
「あんなに結子がはしゃぐのは久しぶりなんだ。私から言うのも何だけど、結子の我儘を聞いてあげて欲しいな」
「……分かりました。今日だけですよ」
単に戸惑っていただけのようで、正臣の後押しに美羽が苦笑を浮かべながら頷いた。とはいえ、いくら優しい美羽でも今日限定らしい。
逆の立場になると、丈一郎と悠斗が一緒に風呂に入るはずだ。その光景を想像するだけで緊張する。
もしかすると本当に逆の立場になるかもしれないので、覚悟しておこうと思った。
「無理するなよ」
「うん。一緒にお風呂に入るだけだもんね。きっと大丈夫だよ」
「……だといいんだけどね」
正臣の微妙に怖い発言は美羽に届いていなかったようで、意気込みを新たにしている。
その後、風呂から上がった美羽は悠斗の部屋に逃げ込んできた。
「うぅ……。もみくちゃにされたよぉ……。ゆーくぅん……」
「……お疲れ様だ」
風呂であちこち触られた美羽を慰めつつ、淡い栗色の髪の手入れを始める。
髪が乾き終わると、美羽が抱き着いてきてぐったりと体の力を抜くのだった。