第152話 理想の体型
丈一郎は不機嫌そうにしていたが、それでも最後は笑顔で送り出されて家に帰り着いた。
一週間という短い間ではあるものの、これからは起きてから寝るまで美羽と共に過ごす。
だからなのか、美羽の頬が蕩けたように緩んでいる。
「えへへー。これから暫く悠くんと一緒だねぇ」
「父さんと母さんが何日か帰ってくるけどな。今更だけど、それでもいいか?」
美羽とずっと二人きりは心が躍るものの、残念ながらそうはいかない。
あれよあれよと話が進んだせいで伝えられなかったが、正臣と結子が様子を見に来るのだ。
悪態をつきたくはあるものの、曲がりなりにも家を任せられている身としては拒否出来なかった。
とはいえ正臣達に悠斗達の状況を報告したかったので、二人きりになれない悔しさはそこまで大きくないのだが。
念の為に顔を覗き込みつつ尋ねれば、幼げな顔が歓喜に彩られる。
「全然いいよ! むしろ会いたかった!」
嫌がる素振りなど欠片もなく、美羽は正臣と結子が帰って来るのを純粋に喜んでくれた。
元からそうだが、両親と仲良くしてくれるのは息子として嬉しい限りだ。
「なら良かった。また焼肉に行こうな」
前回はタイミングが悪く店が開いてなかったものの、今回は前に行った焼き肉店に行くだろう。当然ながら、美羽の分は正臣達が全て出すはずだ。
あの時の縮こまっていた美羽を思い出し、微笑を浮かべて告げると、美羽の笑顔が凍り付く。
「……忘れてた。うん、頑張る」
「そういう所は変わらないんだな。今更遠慮する仲でもないだろ」
ぎこちない笑みからは、正臣と結子に奢られる申し訳なさが伝わってきた。
何度も会っているのだから素直に甘えればいいと思いつつも、変わらない美羽らしさに苦笑する。
気にするなという気持ちを込めて頭を一撫ですると、美羽の顔が気まずそうなものに変わった。
「それはそうだけど、悠くんだって冬休みの旅行の時は料理に気後れしてたでしょ? 一緒だよ」
「あれは値段が段違いに高かったから例外だっての。それに、見知った仲とはいえ同級生に奢られるのと、彼氏の両親に奢られるのだと、どっちがいい?」
「……正臣さん達かな」
蓮や綾香は間違いなく上流階級ではあるが、どこまで行っても同じ高校生なのだ。
そんな二人に全額奢ってもらうなど、友人としてあまりに情けない。
あの場は金銭と状況的にそうするしかなかったので、蓮と綾香に甘えただけだ。未だにあの二人への恩は忘れていない。
それに、同年代の友人よりか彼氏の親に奢ってもらった方が、まだ気が楽だと思う。
美羽も同じ考えのようで、渋々ながら正臣達の名前を挙げた。
「そういう事だ。もちろん父さんと母さんへの感謝を忘れたりはしないけど、楽しむ時は楽しんでくれ」
正臣や結子、そして悠斗もだが、怯えながら食事して欲しくて外食する訳ではないのだ。
そう考えると、蓮や綾香の際は怯えきってしまったので申し訳なくはある。
しかし、あの二人は悠斗と美羽の挙動不審な態度を面白がっていたので、やはり例外だろう。
ゆっくりと諭すように告げると、端正な顔からようやく気負いが抜けた。
「……うん、そうだね!」
「さてと、それじゃあ夕方までゆっくりするか」
「はーい。あ、客間を借りるね。キャリーバッグを持ってくれてありがと」
どうやら美羽は荷物を客間に置きに行くらしい。
東雲家から悠斗が転がしていたキャリーバッグを受け取る為に、小さな手が伸ばされる。
だが、これは渡せない。ここまで運んだのなら最後までやり遂げるのが男の務めだ。
「これは俺が客間まで運ぶんだ。残念だけど渡せないな」
「……もう。優しいんだから」
少々おどけつつ提案を拒否すれば、美羽は一度大きく瞬きをしたものの、眼差しを柔らかくする。
甘さを滲ませる笑みに照れくさくなり、視線を逸らして客間に荷物を持って行った。
務めを果たしてほうと息を吐き出すと、美羽が悪戯っぽい目で悠斗を見つめる。
「折角悠くんが持ってきてくれたんだし、何が入ってるか確認する?」
「……勘弁してくれ。見られたら困るものだって入ってるんだろ?」
茶目っ気たっぷりな笑みと心臓に悪い発言に、悠斗の頬が熱を持ち始めた。
鼓動を早めていく心臓を静めながら眉を顰めると、美羽が恥ずかしそうに頬を染め、とろりと蕩けた笑みを浮かべる。
「見られて困るものなんて入ってないよ。……悠くんが見たいなら見ていいからね」
可愛らしい顔に幼さを残しつつも、女を香らせる美しい笑みが悠斗の理性を殴ってきた。
美羽とて悠斗を異性として意識しているのだから、簡単に言ってはいないはずだ。
ぐらぐらと頭が揺れ、思考が茹ってくる。
そんな悠斗の状況を知ってか知らずか、美羽が悠斗との距離を縮めた。
「……遠慮、しないでね?」
ふわりと香った美羽特有の匂いに、全てを受け入れるかのような慈愛の笑みに、理性が限界を訴える。
この場に居ては危険だと、回れ右をした。
「遠慮するに決まってるだろうがー!」
全速力で客間から離脱しつつ、捨て台詞を吐く。
まだ付き合って一週間と少しなのだ、ここで手を出して節操無しだとは思われたくない。
元々可愛かったが、魔性の女になってしまったとリビングで大きく肩を落とすのだった。
家に帰ってきてからごたごたしていたものの、それ以降はのんびりとした時間を過ごせた。
そして寝る時間となり、今日も美羽が悠斗の部屋に来ている。
「ねー、悠くん。今日はこの前と逆の事をしたいな」
「逆?」
「そう。私が悠くんを抱き締めながら寝るの」
最高のアイデアだと言わんばかりに、美羽が弾んだ表情で提案してきた。
何度か美羽に抱き締められた事はあるし、そもそも恋人なのだから美羽が抱き締める側でも問題はない。
甘やかされてどろどろに溶かされそうな気はするが、寝る時くらいはいいだろう。
「分かった。でも、いろいろ触れるから気を付けろよ」
「大丈夫だよ。悠くんが触れて駄目な所なんて無いからね」
「……またそういう事を言う」
春休みでテンションが上がりっぱなしだからか、今日は美羽がよく誘惑してくる。
ここまで許可されたのなら、余程不埒な行い以外は許されるに違いない。
溜息をつきつつも僅かに胸を弾ませ、美羽と共にベッドへと入る。
「ほら。おいで」
「じゃあ失礼して」
「はい。ぎゅー」
美羽の腕の中に身を滑らせると、思いきり抱き締められた。
僅かながらも柔らかな膨らみの感触が分かり、甘いミルクのような匂いが濃くなる。
匂いに感触と、美羽の全てが悠斗を虐め、心臓が拍動のペースを早めた。
「よーしよし。いい子だねー」
先日美羽に慣らされたからか、それとも悠斗がとっくに溺れているからかは分からない。
本来であれば緊張で全く落ち着かないはずなのに、あやすように頭を撫でられ、早鐘のように鳴っていた心臓の鼓動があっさりと落ち着く。
それだけでなく、あまりの幸福感に理性が溶けていく気がした。
ただ、悠斗が触れている美羽の胸元からは、先程までの悠斗に負けないくらいの速さの鼓動が聞こえてきている。
「美羽だって緊張してるじゃないか」
「悠くんと一緒に寝るんだから、当然だよ。でもこうしてると幸せで、すぐに落ち着くの。悠くんは、どう?」
「控えめに言って最高だ」
甘やかされ、美羽に包まれながら寝られるというのは、間違いなく幸福だ。
ぐずぐずになった理性が美羽を求め、細い腰に手を回して体を寄せる。
美羽の胸元に頭を擦りつけると、くすりと小さな笑みが聞こえた。
「いっぱい甘えてね。私だってちゃんとあるでしょ?」
「………………ノーコメントで」
女性の体型など、男がどう答えても地雷を踏んでしまう。
ましてや美羽が尋ねて来たのは胸なのだ。
凄まじく答えづらい質問にお茶を濁すと、首に細い腕が巻き付いてきた。
それだけでなく、普段の美羽からは考えられない程の強い力で、思いきり締め付けられる。
「ふんしょ!」
「い゛!? く、首が!」
美羽の感触を感じる余裕が無い程に、胸元へ顔を押し付けられた。
ある意味では極楽なのかもしれないが、ここまで来ると流石に息苦しい。
このままでは本当に昇天しそうで、小さな背中を必死にタップする。
「ギブ! ギブアップだって! 俺が悪かった!」
「……」
無言で拘束が解かれ、新鮮な空気を吸い込もうと美羽から距離を取った。
久しぶりに見た美羽の顔は、これでもかという程の不満に彩られている。
「私だって、ちゃんとあるもん」
「……まあ、あるな」
別に美羽は絶壁という訳ではない。そのあまりにも小柄な体つきからすると、少し大きいくらいだろう。
もう一度誤魔化すと後がなさそうだったので正直に答えれば、白い頬がぷくっと膨らむ。
「もしかして、大きいのが好みなの?」
「そんな事はない。その人に似合うのなら全然大丈夫だ」
「……それって答えになってない気がするんだけど」
じとりとした視線に射抜かれ、悠斗の背中に冷や汗が流れた。
嘘を言ってはいないのだが、美羽としては悠斗の本心を聞きたかったらしい。
地雷原でダンスする覚悟を決めつつ、一歩踏み出す。
「ぶっちゃけ、さっきのは事実だ。でも、まあ、それなりにあった方がいいかな」
「…………むぅ」
本心を言えと脅した手前、怒りたくとも怒れないという風に美羽が唸り声を上げた。
後はこの地雷が爆発しないように足を離せばいい。
「でも、悲観する事じゃないだろ? 美羽が俺の容姿だけで好きか嫌いかを決めなかったように、俺も美羽のそこだけを見て決めない。それだけだ」
「………………何か誤魔化された気がするけど、今回は許してあげる」
「どうも」
どうやら地雷は不発弾となったようで、ホッと安堵の息を吐き出す。
先程の甘い雰囲気が消え失せ、眠気も吹き飛んだ。
どうせ春休みなのだから夜更かししても構わない。
読書等で時間を潰す為に体を起こそうとするが、美羽の腕が悠斗を引き寄せた。
再び僅かなふくらみに顔を押し付けつつ、目を白黒させて恋人を見上げる。
「な、何だよ、美羽」
「許してあげるとは言ったけど、変えなきゃいけないものが見つかったから、その為にね」
「……変えなきゃいけないものって何でしょうか」
散々一緒に過ごしてきた悠斗にはわかるが、今の美羽は怒っていない。
ただ、妙に嫌な予感がして敬語で尋ねた。
悠斗を見下ろす愛しい少女は、いっそ清々しい程の眩しい笑みを浮かべる。
「悠くんの考えを、だよ。二度とそれなりにあった方がいいなんて言わせないんだから」
「え、ちょ! むー!」
荒々しく、けれど悠斗の首が痛まないようにと最低限気を遣いながら、美羽が胸元へ悠斗の頭を埋めた。
抗議の声は美羽のパジャマに消され、ひたすらに頭を撫でられる。
最終的に理性を溶かされ、美羽に甘えながら寝るのだった。