第113話 服選び
「……にしたって人が多いなぁ」
昼飯を終え、人の多いショッピングモールを美羽と歩く。
呆れ気味にぽつりと零せば、美羽が心配そうに覗き込んできた。
「大丈夫? 辛くない?」
「頑張るって決めたんだ。これくらいでへこたれてたまるか」
悠斗達の間には、繋いだ手が揺れている。
だからなのか、悠斗達をちらちら見てくる人が多い。
また、その中に負の感情が混じる事もある。
しかし知り合いでもない人のそんな視線には負けないと、美羽に笑いかけた。
「まあ、全員から変な目で見られていないのは救いだけどな」
ホッと胸を撫で下ろし、周囲を視線だけで確認する。
正直なところ、もっと多くの人から非難の目で見られるかと思っていた。
けれど予想に反して、実際は微笑ましそうに悠斗達を見る視線の方がずっと多い。
肩透かしとすら言えるくらいなので、悠斗が変に考え過ぎていただけかと思ったほどだ。
「そりゃあそうだよ。知り合いでもない人の事情なんて、殆どの人はいちいち気にしないからね。……まあ、気にする人もいるんだけど」
「それに負けない為の特訓だからな。この手もその証明だ。楽しもうぜ」
眉を下げて呆れ気味に呟いた美羽へ、意識して明るい声を掛けた。
デートをしているのは特訓だからというのはもちろんだが、何よりも美羽と一緒に楽しみたい。
特訓が全てになってしまうのは、一番やってはいけない事だと思う。
繋いだ手を軽く振ると、美羽が柔らかく破顔して頷いた。
「もちろんだよ! 行こう!」
ぐいぐいと美羽が悠斗を引っ張っていく。
リードしようと思った矢先にこうなるのだから、どうにも締まらない。
「やっぱりこうなるんだな。……まあいいか」
諦めを込めて小さく呟きつつ、苦笑を落とす。
最近の美羽は、テンションが上がって悠斗をリードする事が多い。
とはいえ美羽が笑ってくれる事が一番大切だ。きっと、悠斗達はこれが正解なのだろう。
小さな手に連れられて、悠斗は歩き出した。
「……なあ、変な目で見られてないか? 大丈夫か?」
先程までの心意気が急速に萎んでいき、美羽へと震える声で問い掛ける。
情けないとは思うが、今の状況ではこうなるのは当たり前だ。
周囲には色鮮やかな女性の服しか置いていないのだから。
「私と一緒だから大丈夫だよ。一人で居たら何か言われてたかもしれないけどね」
やはりというか、女性フロアに男性が一人でいるのは問題のようだ。
微笑ましそうに目を細めつつ、美羽が励ましてくれた。
小さな姿が頼りになる事は多いが、今は一段と頼もしく思える。
「美羽が居なきゃ入らなかったっての」
「……もう少し言い方を変えれば百点だったんだけどなぁ」
「言い方?」
美羽に呆れた風な呟きと、じとりとした視線をいただいた。
おそらく、先程の悠斗の発言が不服なのだろう。
何が駄目だったのかと問いかければ、美羽がほんのりと頬を朱に染めて悠斗を見上げる。
「悠くんは一緒に居るならどんな女性とでも入ってたの? 綾香さんとも入ったのかな?」
「……ああ、そういう事か」
美羽の心境を考えると、悠斗の発言は確かに満点ではなかった。
デートにも関わらず、指摘されなければ把握出来なかったのは本当に申し訳ない。
それでも美羽の不機嫌そうな態度が可愛らしく思え、悠斗の唇が弧を描いた。
「こういう店は、美羽としか入らないよ」
「えへへ、ありがと。言わせてごめんね」
頬を思いきり緩ませて、美羽が蕩けた笑みを浮かべる。
美羽に言わされたようになってしまったものの、嫌々言った訳ではない。
「本心からだっての。気にすんな」
慰める為に頭を撫でたかったが、ここでは無理だ。
代わりに繋いだ手の力を僅かに強めれば、美羽がくすぐったそうにはにかむ。
そのままゆっくり店内を物色すると、美羽が上着のエリアで立ち止まった。
「さて悠くん。私に着て欲しい服を選んで?」
「やっぱりそうだったか。別にいいけど、期待するなよ?」
やはり悠斗の予想は合っていたらしい。美羽が満面の笑みを浮かべて催促してきた。
念の為に確認を取れば、美羽が大きく頷く。
「それでもいいよ。悠くんに選んで欲しいの」
「分かった。じゃあどうするかな……」
美羽は元々の素材がいいので、いろんな服が似合ってしまう。
流石にジャケットは合わないと思うが、ある程度男っぽいものも合いそうだ。
ああでもないこうでもないと探していると、ふと一つの服が目に入った。
「こういうのはどうだ?」
「ポンチョコートにボウタイワンピース? うん、いいかも」
「え? あ、お、おう。それだ」
悠斗の選んだ服がそういう名前らしい。唐突に聞き慣れない言葉が出てきて戸惑ってしまう。
しどろもどろになった悠斗に美羽がくすりと笑い、服を手に取った。
「なら試着するから、悠くんは前で待っててね」
「前で待っていいのか?」
カーテンを隔てるとはいえ、目の前に男が居ると不安になるのではないだろうか。
心配になって尋ねると、美羽が悪戯っぽい目で悠斗を見つめた。
「悠くんが望むなら、一人で店内を回っててもいいけど?」
「……遠慮しときます」
着替えに時間は掛かるのは間違いないが、だからといって店内を一人で回る度胸などない。
針の筵になる光景を想像してげんなりとすれば、美羽がくすくすと軽やかに笑った。
「そういう事。それに悠くんが選んだんだから、悠くんに感想を言って欲しいな」
「分かった。じゃあ待たせてもらうよ」
美羽の言う通り、選んだ悠斗が何も言わないのは不誠実だ。
気恥ずかしいが、ここまでやった以上引けはしない。
美羽に連れられて試着室へと行き、カーテンの前にある壁に寄り掛かった。
「まあ、そりゃあ見られるよな」
美羽以外にも試着している人はおり、ちらちらと興味の目を向けられている。
有難い事に嫌悪の目は向けられていないし、そもそも悠斗は悪い事などしていない。
変に挙動不審な方が警戒されると思い、憮然とした態度で美羽を待つ。
「……この先に、美羽が居るのか」
目の前の薄いカーテンの先に、美羽が居る。それも、タイミング次第では服を脱いだ状態で。
悠斗とて男子高校生なのだから、この状況に何も感じない訳がない。
着替えをする際の衣擦れの音が妙に大きく聞こえ、どくどくと心臓が鼓動を早める。
なぜか悪い事をしている気がしてジッと息をひそめて待っていると、カーテンが開かれた。
「どう? 似合ってるかな?」
「……」
はにかみながら悠斗へ服を見せつける少女は、いつにも増して可愛らしい。
ベージュのポンチョコートに黒のワンピースが、より美羽の可愛らしさを引き立たせる。
もちろん可愛いだけでなく美羽の落ち着いた雰囲気とも合っており、可愛らしさと清楚さが絶妙なバランスで嚙み合っていた。
魅力的すぎる姿に言葉を失っていると、美羽がぷくっと不満そうに頬を膨らませる。
「もう。感想を言って欲しいんだけど?」
「あ、ああ、悪い。似合ってるぞ。似合い過ぎて見惚れてたんだ。ごめん」
「そ、そんなに?」
不機嫌な顔はすぐに崩れ、おずおずと美羽が見上げてきた。
ほんのりと潤んだ瞳での上目遣いは迫力が凄まじく、どくりと心臓が強く鼓動する。
胸に沸き上がる甘いむず痒さのままに、悠斗の口が言葉を紡ぐ。
「ああ、綺麗さと可愛さがより際立つというか、混ざって凄いというか。……とにかく、似合ってる」
「……そ、そう。ならこれにしようかな」
具体的な事など何一つない褒め言葉なのに、美羽が耳まで真っ赤にした。
すぐに勢いよくカーテンを引いて、悠斗の視界を遮る。
「~~~っ!」
声にならない声が聞こえてきたので、かなり恥ずかしかったのだろう。
冷静になると悠斗も恥ずかしくなり、頬が熱くなってきた。
美羽が着替えている間に冷まそうと思い、再び壁に凭れる。
大きく息を吐き出してふと周囲を見渡すと、生暖かい視線が向けられていた。
「……聞かれてたのか。まあ、そうだよな」
試着室が騒がしい場所ではないからか、悠斗達の会話が丸聞こえだったらしい。
非難の目を向けられないのは嬉しいが、これはこれでいたたまれなくなる。
早く出てきてくれと願いながら、身を縮めて美羽を待つのだった。