第110話 休み明けの学校
「おはよう」
「芦原、おはよう! 明けましておめでとうだな」
「明けましておめでとう。今年もよろしくな」
「おう、よろしく!」
久しぶりの教室へ声を響かせ、クラスメイトと年明けの挨拶を行う。
普段悠斗と話してくれる人達との会話を終え、席に座って溜息をついた。
(結局、何も思いつかなかったな……)
冬休みが明けても何も変えられない自分自身に呆れる。
美羽にこれまでと同じようにして欲しいと懇願された日から、何をすればいいか考えていた。
けれどいい案は思いつかず、こうしてずるずると引っ張ってしまっている。
「はぁ……」
どうしたものかと思いながら再び溜息をつくと、ポンと誰かに肩を叩かれた。
視線を向ければ、端正な顔立ちには約一週間前に見た時と変わらず、からりと爽やかな笑みが浮かんでいる。
「おはよう、悠。年明けからそんな顔すんなって」
「おはよう、蓮。そうは言うがな、何も進展してないんだから溜息もつきたくなるさ」
「おぉ、ついに告白か!?」
「馬鹿、大声を出すな」
蓮が目を見開き、嬉しそうな声を漏らした。
興奮からか声が少し大きくなったので、注意をしつつ視線を巡らせる。
幸いな事に周囲は冬休み中の話題で盛り上がっており、蓮の声に耳を傾ける人はいなかった。
「あのなぁ、面倒くさい事になったらどうすんだよ」
「悪い悪い、嬉しくてな。それで、告白するのか?」
じとりとした視線を向けると、パンと手を合わせて蓮が謝ってくる。
表情と声には喜びが混じっており、かなり気にしてくれていたようだ。
すぐに告白出来たら苦労はしないのだが、残念ながら悠斗はそのステージにすら立っていない。
「いや、その前段階だな。まずは自信を付けようと思ってる」
「うんうん。……うん?」
「だけど、その方法が思いつかないんだよ……」
「はぁ……。いや、何で?」
悠斗の発言を聞いていけばいくほど、蓮の表情が呆れた風に変わっていった。
ついに疑問が口から出たが、そこまでおかしな事だろうかと首を捻る。
「何でも何も、運動はいまいち、勉強は一応平均くらい、最近は多少マシになったけど、クラスの窓際に居るんだぞ? あいつと並ぶために、何か誇れるものが欲しいんだ」
「誇れるものって……。まあ、篠崎の事があったから分かるけど、微妙にズレてんなぁ」
やれやれと言わんばかりに蓮が肩を竦めた。
蓮がどんな時でも味方になってくれるとは思うのは傲慢だが、そんな態度を取られるのは意外だ。
もしかすると、悠斗の説明が不足していたかもしれない。
「家でも世話になりっぱなしだし、あいつは一年生でも有名人だろうが。その隣に立つに相応しい人になりたいんだよ」
「意気込みは理解した。それで、何かしようとは考えたけど、何も思いつかなかったと」
包み隠さずに本心を告げると、蓮が再び顔に笑みを宿す。
とはいえその表情は微笑ましいものを見るような、仕方ないなあと言わんばかりのものだが。
「ああ。今からバレーをするつもりはないし、他の運動も同じだ。勉強はまあ、頑張ろうと思うけど、勉強だけで自信が付くなら誰も苦労はしない」
運動は一朝一夕で上達するものではない。
今ですら美羽を待たせているのだ。運動の成果が出るまで美羽を待たせ続けるのは申し訳なさすぎる。
また、勉強に関しては努力しようとは思うが、学年一位を取れば良いという話ではないはずだ。
そもそも悠斗の力ではどんなに頑張っても一位を取れないので、届きもしない理想論を掲げるつもりはない。
「顔はどうしようもないから置いておいて、取り敢えず身の回りの事をしようと思ったらあいつに怒られたんだよ」
顔は勉強や運動以上に変えられないのだから、別のもので補うしかないのだ。
とはいえ、悠斗の頭では解決策など思いつかない。
がっくりと肩を落とすと、先程から腕を組みながら聞き手に徹していた蓮がゆっくりと口を開く。
「ふむ……。まあ、いろいろ言いたい事はあるが、大事な事は一つだけだ」
「というと?」
「気持ちだ。能力とか容姿とかに文句を言うやつもいるだろう。でも、そこで『絶対お前になんか負けない!』って思えるようにならないと駄目だ」
「根性論かよ。それが出来たらこんなに悩んでないって」
具体的な案ではなく精神的なものを告げられて、思わず眉をひそめた。
そういう気持ちを持てるように頑張るはずなのに、これでは順番が逆になってしまう。
まさか最後は気合だとでも言うのではないかと思い、蓮をほんのりと睨む。
しかし蓮は大人びた、痛いくらいに真っ直ぐな瞳で悠斗を見つめた。
「じゃあ悠以上の能力と容姿の人があの人を好きになったら、隣を譲るのか?」
「それは……」
美羽の為を思えば、譲るのが正解のはずだ。
そう頭を働かせても、口から言葉が出て来ない。
もやもやとした気持ちが重しのように胸に圧し掛かり、気持ちが沈んでいく。
ぐっと言葉を詰まらせた悠斗に、蓮が優しい目を向けた。
「その気持ちを大事にして、あの人ともっと一緒に過ごせ。当然、あの人を気遣う事は忘れずにな」
「気遣いを忘れたりなんかしないけど、それだけでいいのか?」
このドロドロとした気持ちが良くないものだというのは分かる。
しかし、蓮は失くすなと言ってきた。
本当にこのままでいいのかと確認を取れば、蓮が柔らかく目を細める。
「おう。そもそも、気持ちの問題に理由を付けてどうすんだ。……まあ、これはいつか分かる時が来るさ」
「……すまん、よく分からない」
好きだという気持ちだけで物事が進むならどんなにいいだろうか。それが出来ないからこそ何か自信になるようなものが欲しいのだが、違うのだろうか。
蓮の言葉の意味が分からずに謝罪すると、からりと蓮が笑った。
「今はそれでいいさ。とはいえ、先人として何か具体的な案がないのは問題だな。……そういえば、お前らってデートした事あるのか?」
蓮が顎に手を当てつつ尋ねてくる。
悠斗と美羽は出掛けた事こそ少ないが、全く出掛けていない訳ではない。
ただ、自慢も出来ないので僅かに視線を逸らす。
「あるぞ。クリスマスの夜とか、初詣とか」
「何かのイベントがあるからって出掛けただけじゃねえか。もちろんそういう所を気遣えるのは良い事だけど、それじゃあイベントが何もない時は?」
呆れたように眉を下げて、蓮が褒めつつも駄目出ししてきた。
クリスマス等の行動は間違っていなかったようだが、それ以外となるとほぼない。
「毎日家に送ってる」
「素晴らしいけど、そうじゃねえ。ハイ次」
「偶にスーパーに買い物に行ってる」
「一緒に献立を考えたり、荷物を持つのは喜ばれるからな。でも、デートっていうかどうかは怪しいな。次」
「……アリマセン」
「はぁ……」
蓮が盛大に溜息をつき、頭を抑えた。
言葉に出した事で悠斗ですら美羽への申し訳なさが沸き上がって来ているのだから、恋人がいる蓮は呆れきっているのだろう。
言い返せはしないので、ジッと蓮の言葉を待つ。
「別に外でデートするのが全てじゃないし、家でゆっくりしたいってカップルもいる。それにあの人の性格からすると、毎日ショッピングには行かないだろうな。俺にだってそれくらい分かるさ」
「そう言ってくれて助かる」
蓮は頭ごなしではなく、悠斗と美羽の性格をしっかり理解してくれている。
その上でアドバイスをしてくれる事が嬉しくて頭を下げれば、蓮が不満そうに顔を顰めた。
「でもな、一度くらいはデートしてやれ。単にショッピングモールをぶらつくだけでいい。何かプレゼントしなきゃとか、そんな使命感なんて持たなくていい。それに学校から離れてるんだ。この高校のやつらに見られやしないだろ」
「……そりゃあそうだけど、容姿の違いはどうすんだよ」
買い物は別として、美羽は悠斗とのお出掛けを本当に喜んでくれていた。
おそらく、ただぶらつくだけでも美羽は楽しんでくれるに違いない。
それでも容姿の違いだけはどうしようもならないと、なけなしの反論をぶつけた。
言い訳がましい悠斗の発言に呆れるかと思ったのだが、蓮がニヤリと意地悪な笑みになる。
「そこの練習でもあるんだよ。周りの視線を気にしないように特訓だ。昔の中学のやつらが絡んでくるかもしれないけど、そんなもの一蹴してやれ!」
蓮がバシっと強く肩を叩き、立ち上がった。
ふと時間を確認すれば、長話していたせいでホームルームが迫ってきている。
こんなギリギリまで相談に乗ってくれた蓮に、感謝を込めた笑みを向けた。
「ありがとう。頑張ってみるよ」
「その意気だ。応援してるぜ」
からりと晴れ渡るような笑みと叩かれた肩の激励の痛みに、悠斗の心に火が灯る。
ひらひらと手を振って席に戻る蓮を見つつ、美羽をどう誘おうか考えるのだった。