第108話 それぞれの思い
どのくらい経ったのかは分からないが、布団の中で頬の熱を抑えていると、いつの間にか寝てしまっていた。
静かな寝息が微かに聞こえるので、どうやら悠斗は眠っているらしい。
布団から顔を出して時刻を確認すると、備え付けの時計は五時を示している。
まだ時間はたっぷりとあるので、起こさないようにおそるおそる悠斗の側へと向かった。
「ふふっ」
起きている時とは違った幼い寝顔を眺めつつ、笑い声を漏らす。
おそらく、今の美羽はだらしない笑顔になっているだろう。
「あんな言葉をもらったら、嬉しくなるに決まってるよ」
悠斗は外でも一緒に居たいというだけでなく、隣に立ちたいと言ってくれた。
その言葉の裏に潜んでいる覚悟に、気付かない訳がない。
とっくに悠斗の気持ちには気付いていたものの、あんな事を言ってくれるとは思っていなかった。
「……正直な事を言うなら、覚悟なんて要らないんだけどね」
自信なんてなくていい。誇れるものなんてなくていいのだ。
本人に自信がなくとも、悠斗が優しい人だという事を、とても思いやりのある人だという事を美羽は知っている。
それだけで、隣に居るには十分なのだから。
「この頑張り屋さんめー」
つんと整った鼻をつつけば、「ん」と鼻に詰まったような声が返ってきた。
くすりと笑みを零し、安らかな寝顔を見つめる。
悠斗が頑張ると決めたのなら、それを応援するのが美羽のやりたい事だ。
もちろんそれは紛れもない本心ではあるが、醜い思いもある。
「本当にデートしてくれるし、学校でも一緒に居てくれるんだから、それをしたいって思ってる私に止める権利はないよね」
悠斗の家で過ごすのが不満なのではない。毎日デートして、あれこれと買って欲しい訳でもない。
それでも、何の変哲もないデートに憧れるのが女の子というものだ。
学校でもそれは同じで、一緒にお昼ご飯を食べたり登下校をしたいという気持ちは確かにある。
悠斗の覚悟と美羽の気持ち。この二つがあるからこそ、悠斗の背中を押す事しか出来なかった。
いつも悠斗が隣に居るようになるのだから、恋人になるのが遅れる程度、どうという事はない。
「その代わりに、悠くんは私が癒すよ。苦しくても、辛くても、全部私にぶつけてね」
きっと、これまでのようにはいかないだろう。
自信はそう簡単に付くものではないし、例え自信が付いて恋人になっても、全てが解決はしない。
悠斗の顔が駄目だとは少しも思わないが、釣り合わないと言う人は必ず出て来るのだから。
だからこそ、傷付いた悠斗を癒したい。励まし、甘やかし、どんどん溺れさせたい。
「心が折れても、約束を破っても、大丈夫だよ」
全く自信のない悠斗が前に進むのだから、心が折れる時だってあるはずだ。
悠斗の性格上有り得ないとは思うが、もう無理だと諦めてしまうかもしれない。
どうなるにせよ、美羽が離れる事だけは絶対にないと断言出来る。
悠斗が頑張ってくれたという事実が重要なのだから。
「……でも、さっきはやり過ぎたなぁ」
悠斗の背中を押す為とはいえ、頬にキスは過剰だったかもしれない。
後悔はしていないが、思い出すだけで美羽の頬が熱を持つ。
いつかあれ以上の事をする未来が来るのだと想像するだけで、美羽の唇が弧を描いた。
「待ってるね、悠くん」
お互いに言葉として伝えずとも想いを知っているこの関係は奇妙だが、決して悪くない。
取り敢えずはこの時間を堪能しようと、柔らかな黒髪に手を伸ばすのだった。
「……ん」
髪を細いものが撫でる感覚で、悠斗の意識が浮上する。
昨日いつ寝たのか分からないが、結構遅かったはずだ。
重い瞼を上げれば、美しい少女が悠斗の顔を覗き込んでいた。
起きて一番にこの顔を見られた事が嬉しく、悠斗の顔に笑みが浮かぶ。
「おはよう、美羽」
「おはよう、悠くん」
美羽が頬を僅かに染め、僅かに視線を逸らす。
どうしてそんな態度を取られたのかと首を捻ると、昨日の事を思い出した。
(まあ、そりゃあ恥ずかしいよな)
あれほど大胆な行動を取ったのだから、悠斗の前から逃げ出してもおかしくはない。
それでも、美羽はこうして悠斗の傍に居てくれている。
ならば悠斗が美羽から逃げては駄目だと、羞恥を押し込めた。
「もう朝飯の時間だっけ?」
「あと一時間くらいかな」
「なら、まだゆっくり出来るな」
男の準備など十分もあれば終わる。
起きようと腕に力を入れたが、すぐに抜いて布団に包まった。
だらしない態度を取った悠斗に、美羽が微笑ましそうな笑みを零す。
「チェックアウトは朝ご飯の後だし、焦らなくていいもんね」
「そういう事だ。後少しくらいはゆっくりするさ」
たっぷり観光したので、あと一時間の為に外に出るつもりはない。
美羽を見つめ続けるのも悪いと思い、反対を向いてスマホを弄る。
すると起きる直前まで得ていた感覚が、再び悠斗の頭を襲ってきた。
「何で撫でてるんだよ」
頭を撫でられた事は何回かあったので、怒るつもりはない。
しかし悠斗が起きていて、しかも特に目的もないのに頭を撫でられたのは初めてだ。
顔を見ずに素っ気なく告げると、くすりと小さな笑みが耳に届いた。
「だめ?」
「……美羽の手は気持ち良いから、やりたければどうぞ」
「えへへ。じゃあもっとするね!」
以前よりも少しだけ素直に感情を出すと、美羽が弾んだ声を発して悠斗の髪を撫で回す。
結局朝食の時間ギリギリまで美羽に撫でられたせいで、髪がボサボサになってしまった。
何とか身だしなみを整えて、美羽と一緒に部屋を出る。
「ほら、美羽」
前に進むと決めたのだ。知り合いなど蓮と綾香しかいないのだし、手を繋ぐのを躊躇ってはいられない。
躊躇せずに手を差し出すと、美羽の顔が歓喜に彩られた。
「うん!」
小さな手を握れば、美羽も同じように握り返してくれる。
まずはここからだと意気込み、二人で朝食を食べに行くのだった。
「ふふ、二人共気持ちよさそうに寝てますね。美羽さんの顔を見つめたら駄目ですよ?」
「そんな事しないって。……にしても、悠も幸せそうに寝てんな」
新幹線の中、蓮は親友の姿を見て笑みを零す。
昨日何があったのかは分からないが、試みは成功だったようだ。
向かいには、お互いに寄り掛かりながらすうすうと寝息を立てている、恋人のような二人が居るのだから。




