第104話 深夜のお出掛け
カードゲームも終わり、夜が更けて解散となった。
すぐに寝るかと思ったのだが、蓮が浴衣の上に厚着をしだす。
「外に出るのか?」
「ああ、ちょっと散歩してくる。しばらく帰って来ないと思うからゆっくりしててくれ」
「分かった」
どこに、誰と、とは聞かない。折角なのだから、恋人とゆっくり過ごしたいのだろう。
ひらひらと手を振ると、蓮も同じく手を振って部屋を後にした。
「さて、どうするかな……」
一人で部屋に居るのも手持ち無沙汰だ。とはいえ、この時間に美羽を誘ってもいいのかとも思う。
先程あれだけはしゃいだのだから、もしかするとすぐに寝るかもしれない。
ああでもないこうでもないと頭を悩ませていると、コンコンと軽い音が耳に届いた。
「……情けないなぁ」
誰が来たかなど分かっている。しかし、それは悠斗からすべきだったのではないか。
行動出来なかった事に呆れつつ扉を開けると、柔らかな笑顔を浮かべた美羽が居た。
「夜遅くにごめんね。悠くんはもう寝る?」
「いや、旅行でテンション上がって眠れないんだ。まだ起きてるよ」
眠気が来ないのは確かだが、言い訳がましく答えると美羽が顔を綻ばせる。
「なら、ちょっとだけお出掛けしない? 行きたい所があるの」
「分かった」
念の為にパーカーを手に持ち、美羽に連れられてゆっくりと廊下を歩く。
美羽は上着を着てはいるものの、そこまで厚着ではない。
出掛けるとは言ったが、旅館の外には出ないようだ。
手に持っているタオルが気になるものの、あえて聞かずに黙々と小さな背中を追いかけていると、美羽がようやく止まった。
目の前には温泉があり、ベンチのような座る場所が囲っている。
「足湯に入ってみたかったの。こういう時じゃないと入らないからね」
「確かに。温泉とかは分かるけど、わざわざ足湯だけを利用するってのはないからな」
「じゃあ一緒に入ろう?」
「ああ。もちろんだ」
「ふふ、ありがと。……よいしょ」
「……っ」
一緒に風呂に入る訳でもないのだし、これくらい何も問題はない。
そう思って許可したのだが、美羽が浴衣の裾を捲り、雪のように真っ白な足を太ももまで曝け出した事で失敗を悟った。
小柄かつ運動が得意ではない美羽の足は、少し力を込めれば折れそうな程に細い。
しかし、女性らしい柔らかさがあるのは見るだけで分かる。
悠斗を魅了する足に視線が釘付けになっていると、美羽が頬を紅潮させて悠斗を見た。
「そんなにジッと見られるのは恥ずかしいな……」
「わ、悪い」
以前美羽の足を見る事があったが、あれは美羽からだったし、許可されてもいた。
今回は無断で見続けたので、マナー違反だと思って謝罪する。
どうやら気分を害してはいないようで、美羽が甘さを滲ませた笑顔になった。
「別に、嫌じゃないけどね」
「……反応に困るから止めてくれ。ほら、入るぞ」
「はぁい」
悠斗に気を許しているからというのは分かっていても、「じゃあ見させてくれ」とは言えない。
視線を逸らして悠斗も裾を捲り、美羽と一緒に足湯へと浸かった。
「足だけが温泉に浸かるのって新鮮だね」
「そうだな。不思議と体も温まる気がする」
膝近くまで浸かっているからか、温泉の熱がじんわりと上半身に登ってきている。
外に出ているので多少は寒いのだが、意外と何とかなりそうだ。
しかしそれは悠斗が感じているだけで、美羽が同じとは限らない。
「でも一応着とけ。風邪引くぞ」
「……えへへ、ありがとぉ」
美羽を送り届ける際に貸しているパーカーを羽織らせると、美羽が幸せそうに目を細めた。
会話が途切れ、何をするでもなくゆらゆらと温泉に浸かった足を動かす。
家に居る時と同じ、穏やかな時間がただ過ぎていくこの空気が悠斗は好きだ。
「……旅行なんて、行った事なかったよ」
「まあ、そうだろうな」
ぽつりと呟かれた言葉に同意を返す。
美羽の今までの生活からすると、温泉に行く暇などなかったはずだ。
「美味しい物を食べて、綺麗な景色を見て……。本当に楽しいよ。悠くんは、どう?」
「俺も楽しいよ。大人数で行く旅行がこんなに楽しいとは思わなかった」
中学校の修学旅行は思い出したくないし、家族での旅行も楽しくはあったが、気心が知れる同年代の人との旅行は本当に楽しい。
その一番の理由は、外でも隣に居る少女と一緒に居られるからだろう。
真っ直ぐに気持ちを伝えると、美羽が柔らかく唇をたわませた。
「ふふ、一緒だね」
「まあ、今日だけで俺らが経験出来そうにない高級料理を一杯食べたけどな」
「あれは美味しかったけど、どう考えても私達の身の丈に合ってなかったよね」
「違いない」
「……」
「どうした?」
美羽が唐突に言葉を止めたので様子を窺えば、はしばみ色の瞳が悠斗をおずおずと見上げた。
大きく、澄んだ瞳の奥には、期待や不安が渦巻いているように思える。
「ね、悠くん。もう少しだけ、そっち行ってもいい?」
ちらちらと見えてしまう美羽の太股が眩し過ぎて、悠斗は美羽から人ひとり分の距離を取って座っていた。
その隙間をなくしてもいいかという提案に、悠斗の心臓が僅かに跳ねる。
駄目だと言おうかと思ったが、今日はほぼ美羽と手を繋いでいたのだ。多少近くなる程度、今更だと思いなおした。
「……ああ、いいぞ」
「じゃあ、行くね」
美羽が体を動かし、少しづつ悠斗へと近づいてくる。
互いの肩が触れ合うかどうかの距離で止まるかと思ったのだが、華奢な肩が悠斗へと寄り掛かってきた。
そのまま、美羽は頭すらも悠斗の肩へと触れさせる。
「「……」」
何かを言おうとしても、なぜか言葉が出ない。
近過ぎる美羽の髪から香るミルクのような甘い匂いだけでなく、周囲にある雪にも負けない白さの足が、偶に悠斗の足に触れる感触。
悠斗の心臓を虐める要素が多すぎて、美羽に聞こえそうな程に心臓が鼓動を刻んでいる。
「ありがと、ゆうくん」
「……俺の方こそ、ありがとうだ」
このご褒美とも、地獄とも言える状況に対してではない。
こうして、臆病な悠斗の傍に居てくれる事が嬉しい。
むず痒く、けれど心地いい静寂の中、美羽と寄り添い合いながら過ごす。
足湯からの熱があるからか、それとも悠斗の中から生まれた熱のせいか、ジッとしていても寒さを全く感じない。
このままずっと、二人で一緒に居られたらいいとすら思う。
「……満足した! 帰ろう、悠くん!」
どれくらい経ったのか分からないが、美羽が悠斗から離れて立ち上がった。
ただ美羽の重さがなくなっただけなのに、大切なものを失ったかのような寂しさが沸き上がる。
そんな事はないのだと、必死に表情を取り繕って悠斗も立ち上がった。
「おう。ちゃんと拭いておけよ。すぐ足が冷たくなるぞ」
「悠くんもね。はい」
「用意してくれてたんだな。ありがとう」
束ねていて分からなかったが、悠斗の分も用意してくれていたらしい。
美羽がタオルを差し出してきたので、素直に受け取って水を拭く。
きちんと拭き終わると、美羽が「預かるね」と言いながら手を伸ばしてきた。
これくらい持てるとは思いつつも、厚意に甘えて美羽へとタオルを渡す。
美羽がタオルを受け取った瞬間、悪戯っぽく目が細まった。
「えいっ」
外の空気で冷えている小さな手が、悠斗の手を掴む。それだけでなく、するりと身を寄せてきた。
腕に抱き着かれてしまい、美羽が悠斗の肩に頭を触れさせてくる。
「部屋に帰るまでだから、ね?」
「……それくらいならいいか」
今日は最後の最後まで美羽に心を乱されているなと肩を落とす。
けれど嫌な気分ではなく、ゆっくりと、惜しむように部屋へと戻るのだった。




