第102話 食後のデザート
「何食べようかなぁ」
美羽が目を輝かせながら人の賑わう繁華街を見渡す。
旅館の周囲は静かで過ごしやすかったが、そこから十分足らずでここへと辿り着いた。
どこを見ても美味しそうな料理ばかりで、美羽が目移りしてしまうのも分かる。
「晩飯は予約してるって言ってたよな。何が出て来るんだ?」
先に知ってしまえば、夜の楽しみがなくなってしまうかもしれない。
しかし折角旅行に来たのだから、晩飯と被らないようにもしたいのだ。
気になって先を歩く蓮に声を掛けると、首だけを動かして振り向き、へらりと軽い笑みを見せた。
「海鮮のコースだぞ。肉も多少あるけどな」
「なら昼は肉料理にしてもいいかもな。美羽はどうしたい?」
悠斗は肉料理でもいいのだが、美羽の食べたい物に合わせたい。
意見を求めると、柔和な微笑みが返ってきた。
「私もお肉食べたいな」
「ならあそこにしましょうか」
普段柔らかな笑顔をしている綾香にしては楽しそうな――というよりは悪戯っぽい笑みをしながら、パンと手を叩く。
その笑顔に何となく嫌な予感がして蓮の様子を窺うと、蓮にしては珍しく顔が引き攣っていた。
「最初から飛ばすなぁ……。いや、悠と東雲を楽しませるのにはちょうどいいと思うけどな」
「待て待て、それって無茶苦茶高いんじゃないのか?」
蓮の反応からすると、相当値段が高い場所に連れて行かれるはずだ。
この旅行中は高価なものに気後れしては駄目だと思っていたが、流石に限度がある。
そもそも、まだ一日目の昼なのだ。ここで財布に大ダメージを負いたくはない。
美羽も事態を重く見たのか、切羽詰まった表情で勢いよく首を振っている。
しかし、綾香がご機嫌な笑みを浮かべて足を速めた。
「大丈夫ですよ。私が言い出したんですから、悠斗さんと美羽さんに払わせるような事はしません」
「それって、私達じゃ払えないって言ってるようなものじゃないですか!」
「まあまあ、お気になさらず」
美羽の抗議も虚しく、綾香に先導されて街を歩く。
ようやく着いた店は観光客で賑わう繫華街から少し外れており、人が全く並んでいなかった。
高い店だとは思っていたが、それにしてもおかしいと疑問を覚え、店先の看板をちらりと見ると――
(そりゃあ寄り付かない訳だよ。こんなの一食で俺の今回のお金の大半が飛ぶっての)
とんでもない店に来てしまったと重い溜息をつく。
美羽が看板に書いてある金額を見ようとしたので、強引に引っ張って視界から外させた。
「こうなりゃ何も気にせず食べようぜ」
「え、でも、流石に申し訳ないから確認したいんだけど」
「マジで止めとけ。お金が気になって食べられないから」
「……そんなに高いんだ」
かつてない程の真剣な声で忠告すると、美羽が美しい顔を引き攣らせる。
悠斗一人であれば入る気すら起きないが、道連れが居て良かったと心から思った。
「行くぞ、美羽。これから先の世界は一生に一度だけだろうから、覚えておこうぜ」
「分かった。もう気にしたら負けだよね」
美羽も覚悟を決めたようで、唇を引き結び、握り拳を作っている。
庶民二人が意気込みを新たにし、店の中に入って手招きする上流階級二人の後を追うのだった。
「はー。相変わらずあそこの肉は美味いなぁ」
「あれほどのものは中々食べられませんからね。いい昼食でした」
店を後にし、蓮と綾香が満足そうに会話を弾ませた。
しかし、悠斗と美羽は先程の食事を思い出して震えている。
「肉が、舌の上で溶けた……」
「あんなに分厚かったのに、柔らかかったよぉ……」
美羽の料理も美味しいし、文句などない。それでも、今回は絶品過ぎた。
それこそ、今まで食べてきた肉は何だったのかと思えるくらいに。
食べている最中にも同じ事をしたが、改めて蓮達へと頭を下げる。
「ありがとう。多分、あの肉以上の物は食べられないと思う」
「ありがとうございました! 本当に美味しかったです!」
二人して感謝を告げると、蓮と綾香が微笑ましそうに悠斗達を見つめた。
「そう言ってくれるだけでいいぜ。美味い飯は美味い。それでいいんだよ」
「まだまだ美味しい料理は一杯あるんですから、楽しみましょうね」
「「本当に、ありがとうございます」」
嬉しさと申し訳なさが絡み合い、美羽と再び頭を下げる。
「いいっていいって。折角だし買い食いしようぜ。美味しいのは良いが、あの店は量が足りねえ」
「ですね。それに、口直しに何か甘い物が食べたいです」
蓮が何て事のない風に手をひらひらとさせ、綾香と繫華街へ入っていった。
この恩は忘れないと誓いつつ、二人の後を追って物色する。
「へえ、アイスとか売ってるんだな」
「寒い日にアイスっていうのもアリなんじゃないか? 折角だし食べるか?」
「はい。蓮の分も買って分けっこしましょう」
「じゃあ私達も食べよう、悠くん」
「ああ」
全員がアイスを購入し、見事に味がばらばらになった。
とはいえ、蓮と綾香は食べさせ合いの為にワザと違う味にしている。
こういうところもカップルらしいなと小さく笑みつつ、アイスを口に入れた。
「ん、美味しいな」
「ねー」
市販のアイスと何が違うとは上手く言えないが、美味しい事には変わりない。
美羽も眉をへにゃりと下げて、幸せそうに食べている。
しかし、唐突に何かを考えだした。澄んだ瞳は食べさせ合う蓮と綾香に向けられている。
「どうした?」
「……悠くんのも食べたいなぁ」
気になって尋ねれば、可愛過ぎるおねだりをされた。
味が違うので、食べ比べをしたいのだろう。
断る理由もなく、持っているアイスのカップを差し出す。
「いいぞ、ほら」
「えー、悠くんに食べさせて欲しいなぁ」
「……いや、何言ってんだ?」
悪戯っぽく目を細めながら告げられた言葉に、呆れ交じりの返答をした。
今まで美羽と一緒に飯を食べていても、そんな事など一度もしたことがない。
じっとりとした視線を送ると、美羽が不機嫌そうに唇を尖らせた。
「こういう時くらいいいでしょ? ほら、あーん」
「いや、だから――」
「あーん!」
このままではどうやっても間接キスになるのだが、餌を待つ雛鳥のように、美羽が無防備に口を開け続ける。
小さな口の中の真っ赤な舌が妙に艶めかしく思え、心臓がどくりと跳ねた。
早くなる鼓動を抑えつけ、絶対に引かないという態度を見せる美羽に溜息をつきつつ、アイスを掬って差し出す。
「分かった分かった。ほら、あーん」
「あーん。んー、おいひぃ!」
「……そりゃあ良かった」
さんざん止めようとしていたが、頬を緩めてご満悦の表情をしている美羽を見て、悠斗の胸に歓喜が沸き上がった。
現金なものだと思いつつも小さく笑むと、目の前にスプーンが差し出される。
「はい。悠くんも、あーん」
「あーん。ん、美味いな」
美羽に食べさせたのだから今更文句を言っても仕方ないと、恥ずかしさを押し殺してアイスをいただいた。
悠斗のアイスとは違う柑橘系の爽やかな味に、頬を緩めて正直な感想を漏らす。
その後手に持っているアイスを平らげようとしたのだが、スプーンを見て手が止まってしまった。
(これ、口を付けていいんだろうか)
既に間接キスをしたので今更ではあるが、だからといって先程美羽が口を付けたスプーンを平常心で使えはしない。
先程抑えた羞恥が湧き上がってきて、悠斗の頬を容赦なく炙る。
ちらりと美羽の様子を窺えば、持っているスプーンを見て固まっていた。
真っ白な頬だけでなく、髪の隙間から見える耳まで真っ赤に染まっているのが見える。
(今になって気付いたのか……)
綾香達の真似をしたかったのか、それとも旅行でテンションが上がって気付かなかったのか、本当のところは分からない。
けれど食べさせ合いをした結果、どうなるかまで考えが及ばなかったのは確かだ。
二人してアイスに手を付けず、頬を染めながらぎこちない笑みを零す。
「……恥ずかしいね」
「だから止めようとしたんだけどな。……口を付けても怒るなよ?」
「大丈夫。それじゃあ一緒に食べよう?」
一人だと勇気が出ないのか、美羽がはにかみながら提案してきた。
もう美羽を強く意識しているせいで、何か切っ掛けがないとアイスを食べられない気がする。
「そうしようか。行くぞ?」
「うん。せーの」
「せーの」
アイスを掬い、同時に口に運ぶ。甘いはずのアイスの味は、胸のむず痒さでよく分からなかった。
美羽も耳まで赤くなっているので、同じ気持ちなのだろう。
「えへへ、美味しいね、悠くん」
「……そうだな」
とろりと蕩けた幸せそうな笑顔に、胸が甘く締め付けられた。
これ以上美羽を見ていては食べられなくなると、アイスに集中する。
「あいつら、俺達よりいちゃついてないか?」
「いいじゃありませんか。ほら、あーん」
「あーん」
蓮と綾香が傍にいるにも関わらず、美羽と照れながらアイスを平らげるのだった。