第101話 手を繋ぐ理由
「わあ……!」
駅から出た美羽が感嘆の声を上げる。
新幹線から乗り継いだ電車の中からも見えていたが、一面の銀世界は確かに壮観だ。
温泉客で賑わう別世界のような雰囲気と合わせて、旅行に来たのだと改めて実感する。
「さて、車も来てくれているみたいですし、まずは旅館に行きましょうか」
美しい景色に目を輝かせる美羽に綾香が小さく笑みつつ、駅の端に止めてある車へと悠斗達を誘導した。
旅行鞄を持ちながらの徒歩での移動はなかなかに辛いので、迎えが来てくれるのは非常に有り難い。
遠慮なく甘えさせてもらって約十五分車に乗ると、目の前に古風ではあるが豪華な旅館が現れた。
「……なあ蓮。この旅館って滅茶苦茶高いんじゃないのか?」
「お、値段を聞くか? 止めといた方がいいと思うぞー?」
「分かった、聞かないでおく。素直に喜べなさそうだ」
にやついた笑顔から、悠斗が聞いてしまえば目が飛び出そうな値段だと察した。
世の中には知らなくてもいい事があるのだと割り切り、けれども深く頭を下げる。
「ありがとう。俺には一生かかっても来れない場所だよ」
「俺達から言い出したんだ。気にせず楽しもうぜ」
感謝の言葉に蓮がへらりと笑い、肩を叩いてきた。
蓮の言う通り、折角来たのだから楽しまなければ損をしてしまう。
もちろん蓮と綾香への感謝は忘れないが、ずっと畏まっていても心配を掛けるだけだ。
ある程度肩の力を抜き、蓮へと笑みを返す。
「そうだな。隅々まで楽しむ事にするよ」
「美羽さんも、遠慮しないでくださいね。ほら、リラックスリラックス」
「あ、は、はぃ……」
場違い感を覚えたのか、顔を強張らせている美羽の肩を綾香が揉んで緊張を解した。
それでも美羽の浮かべた笑顔は固いので、少しでも助けになればと小さい手を握る。
「郷に入ってはなんとやらって言うだろ? ここまで来たんだから、庶民同士楽しむぞ」
「えへへ、そうだね」
悠斗の手を握って落ち着いたのか、美羽がへにゃりと笑って手を握り返してくれた。
そんな悠斗達を生暖かい視線が見つめる。
「お二人はすぐいちゃつきますねぇ」
「あ、いや……」
「これがいつも通りって事だろ? 折角だし、俺らも繋ぐか」
「はい。よろしくお願いしますね」
綾香の指摘が恥ずかしく、否定の言葉がすぐに出せなかった。
おろおろする悠斗を蓮が呆れ気味に見つめ、綾香と手を繋いで旅館へと入っていく。
あまりにも自然なカップルの後ろ姿に、悠斗達もあんな感じだったのかと思って頬が熱くなった。
「……行くか」
「うん」
改めて手を繋ぎ、嬉しそうに微笑する美羽と二人で旅館に入る。
すぐに部屋へと案内され、説明を受けた。
「取り敢えず俺は悠と、綾香は東雲とだな」
「だな。にしても各部屋に温泉があるとか豪華過ぎだろ。大浴場も何個かあるんだろ?」
「おう。それに足湯もあるぞ。まあ流石に混浴はないから、部屋でやれって事だ」
「そりゃあそうだろ」
やりすぎとも思えるくらいの充実ぶりに苦笑する。
男女で部屋を分けたので混浴は論外としても、飽きる事はなさそうだ。
「晩飯は予約してあるけど、昼は自由だから外で食べるか。折角の旅行なのに、ずっと旅館の中に居るのはもったいないしな」
「なら三十分後くらいに出るか。何だかんだで疲れた」
いくら新幹線や電車の中がそれなりに快適だったとはいえ、長時間座りっぱなしで疲れが溜まっている。
それに、女性の準備は時間が掛かるものだと結子から教わった。
気負わせないようにと誤魔化して告げれば、美羽と綾香が柔らかく笑む。
「そうさせてもらおうかな。ありがとう、悠くん」
「ふふ、気が利きますね。それでは後で」
ご機嫌な様子で二人が部屋に入っていった。
悠斗の思惑が完全に見透かされていたと分かり、がっくりと肩を落とす。
「バレバレだったとか情けねぇ……」
「二人共喜んでたし、いいじゃねえか。さ、俺らも入ろうぜ」
「……そうだな」
蓮の慰めが心に染みる。普段であれば強がったが、今はそんな気も起きない。
荷物を下ろし、部屋の中を確認する。
「へえ、浴衣とかあるんだな」
「自由に着ていいぞ。そのまま外にも出られるけど、この季節だと凍えるから、着れるのは旅館の中くらいだな」
「それでも有難いくらいだけどな。にしても浴衣か……」
初詣の美羽の着物姿はとても綺麗だった。浴衣は着物と全く違うので断言は出来ないが、美羽にはこういう服も似合うと思う。
夜には着てくれるだろうかと期待を膨らませていると、蓮にじっとりとした目を向けられた。
「鼻の下を伸ばし過ぎだ。楽しみは後にとっておけよ」
「……すまん。気を付ける」
何もしていないのに想像だけでだらしなく笑むのは、どう考えても気持ち悪い。
気を引き締めつつ他愛のない話をしていると、部屋がノックされた。
美羽達の準備が終わったようなので、外出の用意をして部屋から出る。
「お待たせしてすみません」
「いやいや、気にすんな。じゃあ行くか」
「はい」
当然のように腕を組んで蓮と綾香が歩き出した。
流石は恋人同士だと呆れと感心が混じった笑みを浮かべていると、美羽が形の良い眉を寄せながら近付いてくる。
「悠くん。マフラーをちゃんと着けないと寒いよ? ほら、しゃがんで?」
「それくらい別に――」
「しゃがみなさい」
「ハイ」
大して乱れてもいないし、マフラーを直すくらい一人でも出来る。しかし有無を言わせない強い口調に、つい頷いてしまった。
美羽の前で屈むと、小さな手が悠斗のマフラーを直していく。
「まだ旅館の中だからあったかいけど、外は雪なんだからね?」
「そんな事分かってるっての。子供か俺は」
小さい子へと言い聞かせるような声色に、ムスッと唇を尖らせてそっぽを向いた。
悠斗のつんとした態度を気にせず、くすくすと軽やかに美羽が笑う。
「ごめんね。悠くんのお世話が出来ると思ったら嬉しくて、ついやっちゃった。……はい、出来たよ」
マフラーを整え、美羽が僅かに距離を取った。
ミルクのような甘い匂いが遠ざかり、無性に寂しく感じてしまう。
少しでも近くに居たくて、冷たい態度を取っても世話を焼いてくれた事が嬉しくて、感情のままに手を差し出した。
「ありがとな。じゃあ行くか」
「……えへへ。うん」
満面の笑みを浮かべた美羽がきゅっと悠斗の手を掴む。
繋いだ手は素肌なので手袋を着けている方よりも寒いはずなのに、不思議と暖かい。
頬を緩めつつ正面を向くと、生温い笑顔をしたカップルが居た。
「急にいちゃつきだしたから待ってれば、見せつけてくるなぁ」
「……悪い」
やはりマフラーくらいは自分で直すべきだったかもしれない。
それに先程と同じく、蓮と綾香の前でつい手を繋いでしまった。
羞恥が沸き上がってきて繋いだ手の力を緩めるが、美羽の手はくっついたままだ。
どうして離さないのかと訝しむと、悪戯っぽい瞳が悠斗を見上げる。
「元宮くんと綾香さんしか知り合いはいないんだし、別にいいでしょ?」
既に手を繋いでいる所を見られたからか、それとも開き直ったのかは分からないが、美羽が茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
散々からかわれているので、もう手を繋いだままでもいいのかもしれない。
そう思っても、恥ずかしさは次から次へと沸き上がって来る。
「いや、でもな――」
「いいじゃありませんか。人の多い所に行きますし、逸れてしまっては大変ですよ」
「綾香さんの言う通りだよ。行こう、悠くん!」
「……分かったよ」
初詣の時も同じ理由で手を繋いだので、今回は繋がないというのも変な話だ。
綾香の発言を免罪符にして再び小さく柔らかな手を握ると、美羽が愛らしい瞳を輝かせて幸せそうに目を細めた。
「ふふ、また悠くんと一緒にお出掛けだぁ……」
小さな呟きには、悠斗を責めるつもりなど全くなかったはずだ。
だからこそ、悠斗の胸がちくりと痛む。
(やっぱり、美羽はこうして一緒に外に出たがってるんだな)
今回もそうだが、初詣やクリスマスのお出掛けの際も美羽は喜んでくれた。
もちろん同じ高校の人にバレないのが前提なので、それ以外のお出掛けに誘った事はない。
けれど今の喜びに満ち溢れた姿から察するに、本当はもっと外で遊びたいのだろう。
(なら、せめてこういう時くらいは楽しんでもらわなきゃな)
楽しみに来ているのに悠斗がうじうじと悩んでいては、皆が気を遣ってしまう。
せめて今だけは精一杯強がり、美羽の隣に居ようと決意した。
「おう。楽しもうな」
今度は悠斗が美羽を引っ張り、けれど転ばないように歩調を合わせる。
「うん!」
花が咲くような明るい笑顔に元気付けられ、足を踏み出すのだった。