96.異世界が地球と同じ発展をするとは限らない。
夏の大市の露店は最終日まで盛況のまま終わり、全ての片付けをしてから村へ帰還したその夜。打ち上げと称してヘスティアが、私の家へ晩酌をしにやってきた。
ヘスティアは、たまにこうして私のところへ飲みにやってくることがある。だが、私は知っている。彼女の目的が、私の神器にあることを。
神の酒が湧き出る神器……の方ではない。おつまみが無限に出現する神器の皿目当てだ。
「ううむ、美味いのう。ちんじゃおろーすと言ったか。この味つけは貝によるものであろうか……?」
そう言いながら、神器の皿から小皿に取った料理を味わって食べているヘスティア。
この神器は地球の料理が食べられるので、ヘスティアと会う前は料理神がこの神器を欲しがるとばかり思っていた。だが、実際本人と会ってみると、そういったことを言い出すことはなかったんだよね。どうしてだろう。
私は気になって、ヘスティアにそこのところを尋ねてみた。その返答はというと……。
「皿だけあっても意味がないからだの。天上界の料理を知らなければ、皿から出せないのじゃ」
「あー、そういえばそっか」
「どんな料理を出せるかのリスト付きじゃったら、どんな手段をもってしても手に入れようとしたであろうなぁ……」
力に訴えてもヘスティアが私に敵うはずもないので、他の神器と交換していたのだろうか。さすがに盗むとは言わないはずだけど。……言わないよね?
私はヘスティアの表情をうかがうが、彼女は平然とした顔でチンジャオロースを食している。
「うむ、ピーマンが美味いのう。しかし、ピーマンか……」
ヘスティアが、何やら思案し始めた。今度はなんだろう。
「夏野菜か……」
まあ、ピーマンの旬は夏だね。ちょうど今の季節だ。
「のう、なぎっちゃよ。美味しい夏野菜が食べたいとは思わんか」
「ん? まあ、そうだね。旬の野菜は旬のうちに食べないとね」
「そうじゃろう、そうじゃろう。なので、頼んだ」
「何をさ」
「豊穣神のところに、夏野菜を貰いに行ってくるのじゃ!」
ええっ……。豊穣神って、マルドゥークのところに行けってこと?
確かに、去年はマルドゥークから神器の酒と交換で夏野菜を大量に貰って、村で販売したけどさ。それ、今年もやれってこと?
「というか、ヘスティアが行って貰ってくればいいよね。転移魔法で送ってあげるよ」
「駄目じゃ! 私が里に行くと、神殿に押し込められて料理のレシピを伝えろとか言われるのじゃ!」
「やればいいじゃん」
「いやじゃー! あんな自由のない環境はいやじゃー!」
「この神様は……」
「なぎっちゃも、自分の神殿を持てば分かる!」
「私はエルフに拝まれても、窮屈には感じないけど」
「くっ、こやつもか! 私の気持ちを解ってくれる神はおらんのか!」
うーん、身近な神を考えてみても、バックスは王都の神殿にずっといるし、ベヒモスはこの村にいるものの本来は国の主神。マルドゥークは里でずっと農業をしている。ヴィシュワカルマ神は工房に詰めて仕事をしている。ヘルは異界で引きこもり。
自由を愛して旅をしている神なんて、ヘスティアしか知らないぞ。なお、アププはよく分からない。
「とにかく、私は里へは行かぬ! なぎっちゃが夏野菜を貰ってくるのじゃ!」
「……まあ、いいけどさ」
でも、マルドゥークは顔を合わせると、ヘスティアを連れてきてくれって言ってくるんだよね。あの人、ヘスティアのこと大好きだから。
「ピザソースにするので、トマトは多めにお願いするのじゃ!」
はてさて、今年も村の人に美味しい夏野菜を届けるために、明日にでも豊穣神の里へ向かいますかねっと。
◆◇◆◇◆
「ヘスちゃんは連れてきていらっしゃらないのでしょうか」
ほら、言われたー。
ここは豊穣神の里。偉大な農業の神様が住んでいるとは思えない、相変わらずの普通の家屋に通された私。そして、マルドゥークが顔を合わせて開口一番そう言ってきたのだ。
「私に夏野菜を貰ってこいって言った後は、絶対にここへは来ないの一点張りだったよ」
「相変わらずのようですね、あの子は」
ヘスティアを子供扱いできるマルドゥークも、相変わらずだね。
まあこの人、四千年前から生きている古代神だから、たいていの人は子供扱いできるんだけど。まだ二桁年齢の私とか、完全におこちゃまな新米神様だよ。
「で、今年も夏野菜、いくつか見つくろってくれるかな? お代は去年と同じ神の酒で」
私がそう言うと、マルドゥークは笑顔で「大歓迎でございます」と応じてくれた。
そして彼女は、信徒に命じて野菜の選定をさせ、私は用意された樽に神器の酒杯で清酒を注ぐ作業に入った。
すると、その作業の最中にマルドゥークが話しかけてくる。
「ところでなぎっちゃ様。ヘスちゃんの神殿の者達が、何やら天上界の画期的な料理を学んだと騒いでいましたが」
ん? あれかな? 寿司のレシピを巡礼神官さんが持ち帰ったのかな。
「魚を用いた料理らしいですね」
やっぱり寿司か。
「ところで、野菜を用いた画期的な料理はないのでしょうか?」
「えっ?」
「天上界の野菜料理、ないのでしょうか?」
「えーと、いや、どうかな……」
「なんでも、なぎっちゃ様は神の権能としてレシピ帳を持っているとか」
「あー、料理スキルのことかなぁ……確かに巡礼神官さんにはそんなこと言ったねぇ」
「美味しい野菜料理、知りたいものですね」
こ、この豊穣神、どうあっても要求を通す姿勢だな!?
「分かったよ、適当に見つくろってみるよ」
「ありがとうございます。もちろんただでとは言いません。野菜を増量させていただきます」
そうして樽に清酒を入れ終わった私は、里の中にある立派な建物に移動した。
なんでも、ここはヘスティア神殿らしい。マルドゥークの家より立派な他神の神殿が建っているとか、本当にここは豊穣神の里なのだろうか。
そのまま私たちは広い厨房へと通された。厨房の入口からヘスティア神殿の神官さん達が顔を覗かせている。よほど興味深いのだろう。
そして、その中に前に村に来た巡礼神官さんが居たので、私は彼を手招きして呼んだ。すると、神官さんはしずしずと近づいてきて言う。
「御用でございましょうか」
「天上界の料理を作るから、これから作りたい料理がこの世界にあるか教えてね」
「ほう! それはそれは……」
今回考えた料理は、揚げ物だ。天ぷら、フライ、から揚げ。色々あるけれど……。
「んー、神官さん、この世界の揚げ物ってどんな物がある?」
「揚げ物ですか? そうですね、素揚げや、小麦粉をまぶした衣をつけて揚げますね」
「パン粉は衣にする?」
「パン粉ですか……。揚げ物の衣にする料理は皆目知りませんね」
「じゃあ、作ろう。マルドゥーク、野菜って芋でもいいかな?」
今度はマルドゥークに話題を振ると、エプロンを身につけた彼女が、笑顔で応じる。
「はい、芋でも可でございます!」
そう言って、マルドゥークは胸の前で両手を握った。うーん、エプロンの上からでも判る豊穣神らしい乳のでかさよ。
「じゃあ、作ろう。献立は、コロッケだよ」
それから私は材料を指示して、神官さんに用意させる。
「こちら、パン粉になります」
「んん? 私の知ってるパン粉と違う?」
本当に微細な粉が出てきたよ。でも、私の知っているパン粉は、もっとこう粒が粗くて……。
すると、即座に神官さんが反応する。
「パン粉とは、パンをすりおろした粉ではないのですか?」
「そのパンって、どんなパン?」
「古くなって固くなったパンやビスケットですが……」
「あー……前提から違いそう。今回使いたいパン粉は、柔らかいままの食パンとかを粗くおろした物で……」
「柔らかいうちからおろすのですか……そのような発想が……」
ないのかぁ。私が普段から口にしていたパン粉。
「そういえば、食パンってあるんだね。天上界だと割と新しいパンだったはずだけど」
私がそう言うと、神官さんは急に誇らしげな顔になって言う。
「我が神が考案しました。食パンを薄く切り、二つのパンの間に具材を挟んだ料理は『ヘスティア・ラ・ルマー』と呼ばれ大変親しまれております」
「サンドイッチって、こっちじゃそんな名前なんだ。ラ・ルマーって?」
「ルマーは我が神がその料理を開発した地名ですな。今ではルマーと言えば、この『ヘスティア・ラ・ルマー』のことを指すまでに名が広まりました」
「そっかぁ。じゃあ、そのルマーに使うような食パンはある? まだ固くなっていないやつ」
「ございます。持ってまいります」
神官さんが厨房の入口に立つ他の神官達に指示を出し、食パンを一斤持ってこさせた。
ついでに、神官さんはおろし金を用意する。
「これをおろすのですね」
そう言って、パン粉を作ろうとするが……。
「ちょっと待って。使いたいのは、柔らかいパンをおろした後に乾燥させたものなんだ。だから、私が権能を使って乾燥させたパン粉を作るよ」
「ほう! 料理の権能ですか! とうとうこの目で見られるのですね!」
私の言葉を聞いて、神官さん大喜びである。その様子をマルドゥークは慈愛に満ちた表情で見守っていた。マルドゥークにとっては、ヘスティア神殿の者達も自分が庇護するべき里の仲間なのかな。
さて、私はゲーム時代に使用していた上級料理セットをアイテム欄から取り出し、厨房の台の上に置く。
その状態で、私は料理スキルを発動した。すると、目の前に料理実行画面が開く。
「それは……?」
アイテム欄とは違う空間投影された画面を見て、神官さんとマルドゥークが興味深そうに眺める。
私はその視線をスルーして、綺麗に洗った手で食パンをつかみ、その画面に投入した。すると、食パンが音もなく画面に吸い込まれる。なお、二人には過去にアイテム欄を見せたことがあるので、この程度で驚く様子はない。
それから私は画面の『料理する』ボタンを押すと、すぐさま『料理成功!』という表示がされた。
「あら、読めない文字ですね。天上界の文字なのでしょうけれど……」
マルドゥークが料理スキルの画面を眺めるが……そんな難しいことは書かれていないよ!
さて、料理スキルの実行に成功したので私はアイテム欄を開いて、完成した料理を取りだした。
ボウルにこんもり入った、乾燥パン粉である。私が日本にいた頃に店で売っていた物と、遜色がない見た目だ。
「はい、完成!」
「お、おお……?」
神官さんが瞬時に完成したパン粉に困惑している! この反応も久しぶりだ。
マルドゥークは落ち着いたものだね。神々がしでかす無茶には慣れているのかな。
「これが、私の言っていたパン粉だよ」
「おっと、そうでしたな。うーむ、なるほど、確かに粗い。これは料理にまぶすことで食感が楽しめそうですなぁ……」
「そうだね。これから作るコロッケは、まさにサクサクだね。というわけで、材料を料理スキルの画面にIN!」
私は、用意されていた材料を新しく開いた料理スキルのウィンドウに突っ込んでいく。
ジャガイモ。
タマネギ。
鶏卵。
塩。
オリーブオイル。
小麦粉。
そしてパン粉。
それから私は上級料理セットの鍋を手に取り、かまどへと移動する。
そして、かまどの上に鍋をセットしてから、画面の『料理する』ボタンを押した。
「はい、完成ー」
「え、ええっ……かまどに火すらかけていませんが」
神官さんが困惑してそんな突っ込みを入れてくる。いやー、鍋やフライパンを使う料理は、ゲームシステム上、コンロやかまどの前でないと実行できないんだよね。
だが、そんなゲームの事情を二人に話してもしょうがないので、私は鍋をもとの位置に戻してから、アイテム欄を開いて完成した料理を出した。
「これが今回の目標、『ポテトコロッケ』だよ!」
皿に載ったできたてのコロッケが三つ、台の上で存在を主張している。
「これが天上界の揚げ物……」
「うふふ、どんな味がするのでしょうか」
二人はコロッケに興味を抱いたのか、台の前にへばりついてマジマジと見つめている。
うん、でも見ていては始まらないので、食べてもらおう。
「さあ、実際に食べてみて、これと同じ物が作れるまで頑張ろう!」
私がそう言うと、二人は「えっ」という顔をした。
そんな二人に、私はさらに言う。
「私はコロッケを一から作ったことなんてないからね! 材料と完成品から、レシピをどうにか導きだそう!」
そんな私の言葉に、二人はなんとも言えない表情を返してきた。
◆◇◆◇◆
豊穣神の里から村に帰ると、ヘスティアが雑貨屋の前で日傘を差して待っていた。
よっぽど夏野菜が欲しかったのだろうか。
「どうじゃ? 夏野菜は仕入れられたかの?」
と、予想通りの言葉をかけてきた。私は、苦笑しながらヘスティアに応じる。
「うん、芋を使った天上界の料理を教えたから、そのお礼で大量に貰ってきたよ」
「天上界の芋料理じゃと!? いったいなんじゃ!?」
「コロッケ」
「知らない料理じゃ……なぜ私を連れていかないのじゃ!」
「ヘスティア、里に行きたがっていなかったじゃないのさ」
「ぐぬっ、しかしじゃな。天上界の料理は私も知る権利があると思うのじゃが」
いつ発生したんだ、その権利は。
まあ、ヘスティアがこう言い出すのは予想していた。私ではなくマルドゥークが。
「ヘスティア神殿で書いてきたレシピがあるから、それを見てよ」
私はアイテム欄から一枚の紙を取り出し、ヘスティアに渡す。
すると、ヘスティアは日傘を取り落としてその場でそれを読み始めた。
ヘスティアから解放された私は、雑貨屋の鍵を開け、ドアベルを鳴らしながら店内へと入っていく。さあ、夏野菜を並べないとね。
「ぬおお! 新しい手法のパン粉じゃと! なぎっちゃ、なぎっちゃあああ! どこじゃあああ!」
しばらくヘスティアは店の前で大騒ぎして、それからドアを開けて店内に入ってきた。
「コロッケの材料を売るのじゃ!」
「はいはい、中身は芋でいいのかな?」
「芋で、じゃと? もしや、ここに書かれていない、芋以外の中身もありなのか!?」
「そうだねー。肉のミンチを混ぜたり、芋の代わりにカボチャにしたり、他にもホワイトソースを入れるクリームコロッケとか最高だよね」
「なんじゃと!? むうう、なぎっちゃ、これから料理に付き合うのじゃ!」
「えー、私、豊穣神の里でいっぱい芋のコロッケ作ってきたし……もういいかなって」
「いいから付き合うのじゃ! 夏野菜など並べておる場合か! あ、そのトマト美味しそうだの」
この一五〇〇歳児は、落ち着きがないなぁ。まあ、一緒に居ると楽しいからいいんだけど。
私ははしゃぎ回るヘスティアを相手しながら、晩ご飯は揚げ物三昧かなと考える。うん、今日のところは揚げ物と冷やしたビールで、暑い夜を乗り切ろうかな。




