46.夏のカレーはすぐ悪くなるのが怖い。
私は、首飾りのみ命名してもらう旨をマルドゥークに伝えた。
すると、マルドゥークは、腰にぶら下げていた緑色の神器の板を構え、右手の指先で操作をし始めた。
「……見事な首飾りですが、本質はクローゼットですか。残念ながら力ある天上界の言葉で、その神器の複雑な効果に合う名は存在しないようですね」
「あれ、そうなの。ブリーシンガメンとか無理かな」
「すでにその名の神器は存在します」
それは残念。
さらに、マルドゥークは言葉を続けた。
「天上の神々の権能と結びつけ、何々神の首飾りや、誰それの服、といった呼ばれ方をする品にこじつけることは可能です。しかし、神器を自分ではない神の名と紐付けるのは、あまりよろしくありません」
ふむ? どういうことだろう。
「たとえば、バッちゃん……バックス神が持つ神器の酒杯は、『バックスの酒杯』と名が付いていますが、あなた様の酒杯にもこの名をつけると、バックス神の手にその酒杯が渡りやすくなってしまいます」
「なるほど。なぎっちゃの首飾り、なんて名付けても意味はないだろうしね」
地球にはなぎっちゃなどという神や英雄は存在しないから、そんな名前を付けても力を得られないだろうね。
私の言葉に、マルドゥークは「ふふっ」と笑い、さらに言葉をつむぐ。
「そこで提案です。あなた様のその神器は、形はクローゼットですが本質は服飾の神器。ですから、天上界の服を意味する『天女の羽衣』と名付けませんか? 防御効果や、変幻自在に見た目が変わる効果の補強には、ならないのですが……」
おや? 日本語の名前が来たぞ。
天女の羽衣か。昔話で聞いた覚えがあるね。
昔々、天から降りてきた天女が、地上で水浴びをしていた。
それを見つけた男が、天女の衣服である羽衣を盗み出すと、天女は天に帰れなくなった。
困り果てる天女を男がマッチポンプで手を差し伸べ、妻とする。
やがて、子もできて幸せ絶頂の中にいた男だが、ある日、天女に羽衣の隠し場所がばれてしまう。
天女は羽衣を取り戻すと、男と子供を置いて天に帰ってしまう。めでたしめでたし。
「『天女の羽衣』とは、神々の世界に住む女性が着る衣服を指す言葉です。この世界で神々の世界に住む女性に一番相応しい存在は、天上界出身のあなた様です。したがって、この名を付けることで、他者に神器を奪われにくくなります」
おお、そりゃあいい。アイテム欄や倉庫があるから置き引きにはあわないだろうが、奪われる可能性が少しでも減るのはありがたいよ。でも、これって服が奪われる逸話だよね?
「水浴びの最中に奪われるとか、起きないよね?」
盗人なんかと結婚はしたくないなぁ。
「その説話を利用して、もし誰かに奪われても、最終的にあなた様のもとへと戻ってくる特性を付与します。地上の男に奪われるという特性は、念入りにふさいでおきます」
「そんなことできるんだ。了解。それで頼むよ」
「はい、少々お待ちください」
マルドゥークは神器の板をササッと操作し、私の前に画面を見せてきた。神器の名付けを行なうことを確認する画面だ。私は、その画面の『はい』をタップした。
すると、次の瞬間、神器の板から光が飛び出し、私の方へとぶつかってきた。
そして光は私が身につけている首飾りに吸収され、やがて何事もなかったように収まった。
「おー、これで命名は成功かな」
「はい、神器の力が増したはずです」
私は、あらためてマルドゥークにお礼を言い、そこから世間話に移行した。話題の中心は、最近のヘスティアについて。マルドゥーク、ヘスティアのこと好き過ぎない?
そんな会話もやがて途切れたので、私はこの場を辞去することにした。
別れの挨拶を述べようとすると、マルドゥークは私を引き留め、ある提案をしてきた。
「先ほど料金はいただかないと言いましたが、それとは別に、作物と交換で神の酒をいただけませんか? なんでも、バッちゃんの神器と違い、米のお酒も出せるとか」
「あ、うん。いいよいいよ。マルドゥークは清酒が好きなのかな?」
「いえ、料理酒と酢の原料としていただきます。もちろん、そのまま飲む分にも少しいただきますが」
「了解了解。今だと夏野菜と交換かな?」
「はい、今日は特に、トマトが多く採れていますよ。多めに渡しますので、ヘスちゃんにも持っていってあげてください」
そうして私は倉庫機能を使ってたんまりと夏野菜を確保し、神の酒を樽で渡してから、豊穣神の里を去った。
村に戻ってヘスティアに夏野菜を渡すと、そのまま神殿の晩餐会に招かれることになった。
元々この神殿は大人数での滞在を想定しているのか、食堂は広い。私がお邪魔しても、迷惑にはならないだろう。むしろ一人、私よりも神殿の迷惑になっていそうな者がいた。
「ほう、緑の神めの野菜に、料理神が手を加えるか。偉大な我が国でも味わえない贅沢だぞ。とても辺境の村とは思えぬ」
「ヤモリくん、懲罰中なのに贅沢しているねぇ……。毎日ヘスティアの料理を食べているわけ?」
「うむ、あやつの料理は百数十年ぶりに食すが、以前よりも腕を上げておるようだな」
ベヒモスがいたので、チクリと皮肉っぽいことを言ってみたものの、通じていない。
罪人は料理を食べるな、なんて無茶を言うつもりはないので、私は彼と同席して美味しく夕食をいただいた。
夏野菜はまだ倉庫にいっぱい残っている。消費するためのメニューを考えていかないといけないね。とりあえずは、定番の夏野菜カレーかな。
「かれー。なにやら美味しそうな予感がするのじゃ!」
おおっと、ヘスティアが食いついてしまった。
「香辛料をたっぷり使った最高に美味しい煮込み料理だよ。辛くて食べると汗をかくけど、それを夏に食べるのが最高なんだ」
「早く作るのじゃ!」
「ええー、今、夕食食べたばかりでしょ……」
神殿の食堂で、今は食後のティータイムをしていたところだ。ティーって言っても、冷たい麦茶だけどね。
「かれー! かれー!」
「明日、明日ね」
「やったー!」
「本当にこの子、千歳超えているのかなぁ……」
私がそんな風に呆れていると、私達のやりとりを眺めていたベヒモスがクツクツと笑い出した。
「ほら、ヘスティア笑われているよ」
「かれーが食べられるなら、笑われてもよいのじゃ」
「くはは、これ以上笑わせるではない!」
そして、そのままベヒモスは引きつったように笑い続けた。笑いの沸点低いなぁ、こいつ。
「しかし、カレー程度じゃ、この大量のトマトは消費しきれそうにないなぁ……ピザでも作ろうか」
「ぴざ! 今度はなんじゃ?」
「平たいパン生地の上にチーズとトマトソースといろんな具材を載せて、窯で焼く料理」
「おお、似たような料理なら作れるのじゃ。どれ、今度、かれーの返礼にごちそうしようではないか」
「いいね。ジョゼットやソフィアちゃん達でも呼んで、ピザパーティーなんていいかもね」
私とヘスティアがそんな会話で盛り上がっていると、ようやく笑うのを止めたベヒモスが、「ふむ」と腕を組んだ。
「その日は、十分に腹をすかせてくるとしようか」
こ、こいつ、女子会に平気で混ざってくるつもりか……!
「どうするよ」とヘスティアに話を振ると、「シャロンとダミアンがいるのに今更じゃろ」と返ってきた。
ああうん、神官さんと見習いくんの神殿メンバーも当然呼びますよね……。
そんなこんなで、後日開催されたカレーパーティーとピザパーティー。ヘスティアとソフィアちゃんのはしゃぎっぷりがものすごく、ベヒモスが上手くそれをなだめすかす光景が見られた。
意外なことにベヒモスは、世話焼きだった。これは……目下には面倒見が良い、ガキ大将ムーブ……!




