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Undying Prayer  作者: Solne
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1話:不運な出会い-3

 熊の怪物の死骸から二本のナイフを抜き取り、ひらりと飛び降りた。こびりついた血や肉片をしっかりと拭い去れば、再び刀身は鈍色に光を反射させた。元通り胸の鞘に収め、鎚とマチェットを腰に戻し一つ息をついた。

 倒れ伏す巨体を見上げ、静かに呟いた。


「……歪みは、滅ぼさなければならない」


 張りのある声であり、若々しい力を感じさせた。それでいて、鋼のような堅い意志があるのを感じさせた。

 目を閉じ胸に手を当て祈る。そうして、彼女は死骸に背を向け歩き出した。向かう先にあるのは岩場に転がる死体だ。憐れにも不幸な死に出くわして、あたら若い命を落としてしまったのだ。

 彼女は少年の死体の傍に立って見下ろした。拾い物であろう衣服はみすぼらしく、異常な角度に腕が曲がっていた。もはや像を結ぶことのない瞳はぼんやりと虚空を見つめていて、彼女の背筋に悪寒を走らせた。

 女は帽子を取って胸元に当てる。覆面を下ろせば、日の光を厭うように隠されていた顔が露になる。長い銀の髪は後ろで結ばれてあり、湖から吹く風に揺らされた。十人いれば全員が確実に振り向くであろう美貌は、勿体無いことに黒い布の眼帯で左の大部分が覆われていた。布は後ろ頭の留め金で纏められてある。

 露になった右目は碧色で、日の光に明るく煌めいた。表情は優しさよりも気高さや頑固さの方が勝っていて、銀の髪と合わさって氷の城に住む若き女帝だと言われても不思議ではない。

 跪き、死体の開かれた瞳を手の平で閉じてやる。そして祈るように数秒目を閉じた。


「……救いあれ」


 忘れられた旧時代の祈りの締めくくりの言葉を言い、深く息を吐き出す。

 立ち上がり覆面を上げて顔を隠し、さらに帽子を深く被り直して死体を後にしようと背を向けた。

 だがしかし。


「やぁ、お姉さん、調子はどお?」


 突如背後から声が掛けられた。

 素早い動作で振り向き、勢いそのままに逆手に山刀を引き抜いて、尋常ではない反射神経で、声の主に喉元に突きつける。そして、彼女は遅れて脳に届いた情報に驚き、目をほんの少しだけ大きくさせた。


「わわ! 落ち着いてよ、美人のお姉さん!」


 日の光を受けて反射し輝く刀身を前に、おどけて手を広げる少年がいたのである。さっき見た通り、腕は今も異常な角度ではあった。だが、確かに動き、生きている。彼女の直近の記憶は、彼を死体であったと主張していた。

 そして、彼女は一つの考えを思い付いた。欺瞞の生。造られた永遠の命。或いは、奇跡の失敗作。

 憎しみでも敵意でも無い光を目に宿し、女は長い足を持ち上げて少年の体を踏みつけ押し倒し、喉に刃を食い込ませた。


「……お前、不死人ね」

「おっとっと……! 危ないなぁ……! うん、そうだよ。それで、ちょっとこの危ないのを引っ込めてくれないかな? あぁいや、別に無理強いはしないし、もしもこのまま僕の細い喉を切り裂こうというならそうしても良いんだけど……」


 少年はへらへらと笑って、ふざけているように見える。と、視線を横にずらして、少し離れた湖岸にある小高い丘のような怪獣の死骸を見る。

 どこからか、毛のない裸の黒鳥が飛んできて啄み始めていた。


「ね、あれ、お姉さんがやったんでしょ、ありがとう! いやいや、あのままだったらまた食べられちゃって大変になるところだったよ。死ぬのも生きるのもホントに一苦労だねぇ!」


 あははと冗談げに笑うが、女はクスリともしない。鋭い目付きで少年を睨み付け、油断なくマチェットを首筋に押し当てている。どろりとした赤黒い血液が流れ落ちる。


「それで、どうする? 僕を殺す? そのまま少し引くだけで簡単に僕は死ぬよ。本当に簡単だ。ね、お姉さん、どうする?」

「私を挑発してるの?」

「いやいや! そんなつもりはないよ。ああでも、もしかしたらそうなのかな? ほら、僕を殺すにしても見逃すにしても、これ程無駄な時間は無いもんだ。挑発というよりは、お姉さん、気を使ってるというべきかな」


 それでどうする、と言いたげな顔を少年がする。女は硬い光を目に宿し、武器の柄を握り直す。

 そして、刃を少年の首に素早く深く走らせた。

 どす黒い血が噴水のように噴き出し、石だらけの湖岸に体がどさりと倒れた。


「歪みは滅ぼす。お前は死ね。そうあるべきだ」


 女は僅かに顔を歪めた。不快さからでもあるが、痛みを堪えたのである。それこそは彼女の未熟さに由来するものだった。

 少年の死体から、僅かな黒い粒子が立ち上った。それは風景を歪ませ、光を吸い込むようである。


「さらば。もう目覚めることのないように」


 冷たい一瞥を死体にくれ、また自らの探索の道に戻るため背を向けた。

 彼らに埋葬も弔いも不要だ。作られた肉は朽ち果て消え、磨り減った魂は空中をさ迷っていつか消えるのだから。

 ただ、この場に限ってそれは間違いであった。


 背後の不自然な物音に、振り返った彼女が見たのは、さっき殺したはずの少年だ。半ばまで千切れかけている首からはどす黒い血が今なお流れているが、その痛々しく鮮やかな傷が、まるでチャックでも閉めているかのように治っていくのである。


「お前は、一体……?」

『アァッ……ゲホッ! うぅ、死ぬかと思った! いやいや、実際、死んじゃったのだけど、ね!』

「なんで……どうして死なないの?」

「さぁ? 僕にはわからないなぁ。ね、お姉さん、"狼"でしょ。違うかな? きっとそうだと思うよ」


 彼が言うところの狼とは、分類学上の生物の種別でなく、とある特殊な存在のことを言う。それは、今や一つの人の在り方の極地となっていた。人の在り方すら歪めてまでも、人は生きるのである。

 化物殺し。

 一言でいうならば、"狼"とはそれである。人の業により作られた、或いは溢れんばかりの歪みに身を浸してしまったものを、刈り取り滅ぼす存在である。永遠という歪んだ命を、更にあるべき形へと歪ませ、そこに死という終結を与える戦士だ。

 彼女は黙って足元にある小石を拾い上げ、軽く握る。するとぎちりと音を立てて、小石は柔らかい粘土のように形を変えた。


「"狼"なら、刻印があるでしょ? ねぇ、僕、見たいなぁ~、いいでしょぉ!」

「黙れ」


 女は静かに言い放ち、今度は大刃のナイフを二つ引き抜き素早く投げつける。それらは少年の額に、胸に、骨を食い破って深く突き刺さる。更に飛ぶように間合いを詰め、刃を振り抜く。空気を斬ると共に、少年の柔らかな喉を引き裂く。

 どさりと体が倒れる。

 女は、今度は目を離すことはしなかった。そして、目の前の光景にやはり信じられないといったように、しかし同時に納得した様子で頷くのだった。造物の証拠となる、真紅の瞳の色をしていないことにもそれを裏付けるのである。


「……お前は」

『ぐぶっ……いっ、た……』


 少年はむくりと起き上がり、額に深々と刺さったナイフを引き抜こうとして、首がずるりとずれそうになるのを慌てて抑えた。


「どうやら、私ではお前は殺せないようだ。やはり、探し出さなければ……」

『うー、けほっ……さ、ざがしだすって、何を?』

「お前には関係が……いや、そんなことはない、か。私は、不死を殺す術を探している。お前のような、本物の怪物を。それと……」


 そこで言葉を止めた。

 話す必要はない。彼女の悲願は、彼女のみに果たされるべきことだからだ。それこそが彼女の誓いである。


『げほっ! けほっ、あぁ、ん、なんか言いかけた?』

「……いや」

「ふーん、げほっ、うぅ。それにしても全く、乱暴だなぁ……ね、それってどんなものなの? 何かわかってることは?」


 少年の言葉に、苛立たしげに眉を潜めた。


「何故、そんなに知りたがる?」

「だって、そりゃあ、さ……」


 少年の表情が一瞬だけ曇る。というよりは、仮面が外れかけたかのような。


「……僕は、死にたいんだ。消えたい、のかもしれない。とにかく、この生を、意識を終わらせたいんだ……贅沢って笑うかな? あはは」

「…………」


 女は黙ったまま、少年の胸に突き刺さったナイフを力任せに引き抜いた。どばっと血が溢れるが、傷はみるみる内に塞がってしまう。まるで、在るべき形が定まっていて自動的に復元されてしまうように。


「ね、お姉さん。名前、何て言うの? 僕たち、もっときっと仲良くなれると思うんだけど!」

「は? 何を言っているの。馬鹿ね。私は、お前を殺そうとしているのよ。お前は歪みだ。滅ぼさなくてはいけない」

「うんうん、わかってるよ! それってとっても良いことじゃないか! 僕は死にたくて、お姉さんは殺したい。うぃんうぃんの関係だね!」

「……人を殺人鬼のように言わないで」

「あっははは! 別になんでもいいんだけどさ! ね、自己紹介しよう。僕は、えぇっと、アルケー。そう、アルケーだよ。お姉さんの名前は?」


 まっすぐに見つめる、アルケーの嫌になるほど純粋な視線に、女はついに根負けした。大きくため息をつき、帽子を更に深く被り、覆面をする。そうしてしまうと表情が全く読み取れなくなってしまう。


「…………シエル。イーデルベルンのシエル、よ。それで?」

「もぅ! シエルは頭が固いなぁ。ねぇ、シエルの旅についていっていい? いいでしょ! ね、僕、結構役に立つと思うなぁ! それに旅は道連れって言うでしょ?」


 アルケーが周りをぴょんぴょんと駆け回ると、いらいらしたようにシエルは頭に手をやった。彼女は本当に嫌そうな顔をしたのだが、彼女は真面目な性格であった。

 即ち、歪みというモノを滅ぼすことが、彼女の使命である。その一片までも残すわけにはいかない。今、この少年を殺すことができないのならば、ではシエルはどうするのか。

 彼女は、時が来るまで傍に置き続けることに決めた。


「……私の邪魔をしないと約束できる?」

「それは勿論! きっと、シエルなら僕を殺してくれるだろうから。邪魔なんて絶対しないよ。だから、いいでしょ?」

「なら、わかった。私は不死を殺す方法を探し出し、ついでにお前を殺す。お前は私に協力し、私に殺される……はぁ、これでいい?」

「もちろんさっ! いやぁ、今日はなんていい日なんだろう!」


 シエルは碧の右目だけで少年を見た。冷たい、殺意とも違う危うい光を宿しながら、しかし過ぎるほどにまっすぐで純粋な眼差しだ。

 ふと、彼女は腰の荷物入れに手を触れた。


「聞いておくべきことがあった。"銀狼隊"を知ってる? 私は彼らの遺産を探している。きっとそこに、何か手掛かりが、不死を殺す手掛かりがあるはずだから」

「ふむふむ、不死を殺す方法かぁ」


 アルケーはピョンと飛び上がり、シエルの前に回り込んだ。


「うん、全然知らないや!」

「なに? 早速役立たずじゃない」

「まぁまぁ、まだまだ先は長いよぉ!」

「……余計なものを拾ってしまった? いや、もう遅い、か」


 満面の笑みを見せる少年をよそに、女の目は不機嫌に歪められた。そして、アルケーの襟首を掴み上げ、進行方向へと向ける。そして背中をばしりと叩いた。


「まずはここを抜ける。足を引っ張ることはしないで」

「よし、わかった、僕を信じて! さぁ、出発だ!」


 意気揚々と歩き出す少年の背中に、シエルは深く重くため息をついた。

 そうして相容れぬ二人は、また深い森に分け入って行ったのである。

ブラッドボーンが好きです。

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