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9話 二章 アビリラ祭(1)

 どうやら、アランは例の花弁の香料を買ったようだ。アグネシアの訪問があった数日後から、湯にはそれが浮かべられるようになった。これからは毎日ご用意させて頂きますね、とメアリー達に言われて、ティナは不思議に思った。


 多分、彼も使いたかったのかもしれない。そう推測していると、その後日にも別で荷物が届いた。同じくアグネシア経由と思われたものの、それを受け取ったロバートは中身を教えてくれず「ひとまずはまだ早いので」と、よく分からないことを言って、どこかへ持っていっていた。


 アランは買い物をしただけでなく、アグネシアから提案されていた『アビリラ祭』にも、二人で話した際に参加を決めていたらしい。


 更にその数日後、レースが多い外出用のドレスが届いて、ティナはびっくりした。黄緑色が綺麗で、ネックレスと髪飾り、少し踵の高いヒールもセットになっていた。

 驚かせたくて黙っていたのだと、彼ははにかんでそう言った。まさか仲介でオーダーメイドをここまで早く完璧に仕上げるとは……とも呟いていたけれど、尋ねたら少し慌てたように「なんでもないッ」とはぐらかされてしまった。



 その週末、公休日の前日に『アビリラ祭』が開催された。


 王都は、日中からとても賑やかだった。大通りの一部を除いて、交通機関がほとんど止まってしまっていた。そこには多くの出店が並んでいて、普段は馬車が行き交う大きな通りの真ん中を、大勢の人々が堂々と歩く様子は圧巻だった。



 アランが仕事に行っている日中、ティナは使用人たちと、昼食がてら屋台で食べ物を買って庭先で食べた。そこから見える通りの大道芸と、音楽団の行進を眺めたりした。子供たちが楽しげに走り回る様子が多く目について、それがとても微笑ましかった。

 お祭りは、夜のライトアップがメイン・イベントである。ティナはアランの帰宅後、夕食を終えて汗を流してから、彼とは別室でゆっくり身支度を整えた。


 いつもは背中に下ろしっぱなしの黒い髪を、キレイに結い上げて髪飾りをした。そのうえドレスを着せてもらうのも慣れなかったものの、メアリー達がどこか嬉しそうに世話をしていたので、好きなように全て任せることにした。


 ドレスのスカート部分は、たっぷりの生地が使われてふわふわとしているのに、意外にも重さをあまり感じなかった。少し高めのヒールも、しばらく歩けば慣れそうだ。そのおかげで背筋がしゃんと伸びてくれて、コルセットのきつさがなくなった。


「奥様は元々細身ですので、そこまで締めなくとも大丈夫でしょう」


 メアリーがそう言ったのを聞きながら、ティナは普通のご婦人が、どこまでコルセットを締めるのかちょっと気になってしまった。


 まだ慣れていないヒールで転んでしまってはいけないからと、階段の手摺りと、メイドの手を借りて一階に降りた。すると、玄関のある一階部分のフロアに、既に身支度を終えたアランが、執事のロバートと立っていた。


 アランは、まるで夜会に出席する貴族紳士のように、ブラックを基調とした衣服で着飾っていた。その美貌もあって、生粋の貴族の青年にしか見えなかった。すらりとした身体で自然と着こなしている様子も、着慣れている感じがある。


 すると、気付いたアランが、こちらを見てきた。


 目が合った途端、彼の表情がぱぁっと明るくなった。そのエメラルド色の目が大きく見開かれる様子は、少しだけ幼い印象が漂って、先程まで感じていた『知らない貴族の青年みたいだ』という見慣れなさが半減した。


 そんな彼の隣で、ロバートが「嫌な予感がするな」と横目に主人を見やった。その直後、アランが階段に向けて急発進し、一直線に走り出していた。


「あっ、チクショ――じゃなかった、旦那様お待ちください!」


 ロバートがそう言い直して、慌てて追い駆け始めた。冷静さが剥がれ落ちた表情には、なんで落ち着いていられないんだこいつはッ、という言葉が浮かんでいた。


 次の瞬間ティナは、あっという間に距離が縮まったアランに正面から、床からヒールの底が離れるくらい強く抱き上げられていた。輝くエメラルド色の瞳が、目に焼きつけるように見つめてくるのを、呆気に取られて眺めてしまう。


「すごく綺麗だよ、ティナ!」


 そう言った彼が、興奮冷めない様子で、肩口に頭をぐりぐりと擦りつけてきた。

 普段は着ないような襟元が広いドレスだったので、整髪剤をつけられて少し固くなった彼の髪が、直に肌に触れてくすぐったく感じた。


「えぇと、ありがとう……? あの、ぐりぐりされると髪型が崩れちゃうから…………」


 彼もせっかく髪型をキレイに整えているのだから、まずは止めるのが先だろうか。そう思ったティナは、ひとまず幼馴染を落ち着かせようと思って、アランの頭を抱き寄せてぽんぽんと肩を叩いた。


 こちらを抱き上げている彼の身体が、一瞬だけピタリと止まった。しかし、次の瞬間、感極まったような笑顔で更にぎゅっとされて「ぐぇっ」と乙女あるまじき声がもれた。

 続けてアランが、吐息をこぼしながら、縋るように頭を押し付けてくる。


「ティナにぎゅっとされたい」

「どうしたの? いつもやっているじゃないの」

「今、ものすごく頭を撫でられたい」

「髪型が崩れちゃうわよ?」


 ぎゅぅっと抱き締めながら、アランがすぅっと匂いを嗅いで吐息まじりにそう言う。抱き寄せる腕に押し付けられて、その身体の温もりを強く感じたティナは、なんだか普段にないくらいくすぐったい気持ちになった。


 その時、駆け付けたロバートが、アランの襟首を容赦なくガシリと掴まえた。


「旦那様、すぐに飛びつかないと言ったばかりではございませんかッ。ほら、まずは挨拶からです!」


 嗜めるように言いながら、ロバートが彼を引き離そうとぐいぐい引っ張る。そのこめかみには若干青筋が立っていて、「くそッ、なんて馬鹿力なんだ……!」と愚痴を吐きつつも、「今すぐ奥様を解放なさいッ」と真っ向から叱りつけて奮闘する。


「なんだか、ロバートさんがアランを育てているみたいにも見えるわね……」


 その様子は、まるで犬を躾けているみたいにも見えた。ティナが思わず呟いてしまうと、後ろにいたメアリー達が「まさにその通りかと」とこっそり囁いた。


 ようやく注意する声が聞こえたのか、アランが大人しくなって、渋々といった様子で彼女を床に降ろした。ロバートが引き続き厳しい目を向けて『待て』を伝える中、メアリー達が双方の衣装の乱れがないかを確認して、整え直しにかかる。


 出発を見送ろうと、厨房の方から唯一のコックを引き連れて出てきた料理長が、その様子を見て「やっぱりやっちまいましたか」と苦笑を浮かべた。


 身なりを確認してもらったティナは、メアリー達に礼を告げてから、改めてアランを見上げた。パチリと目が合った彼が、どうしてかほんのりと赤面した。「ごめん」と言いながら、視線をそらして片手で顔を押さえてしまう。


 いつもより柔らかくて驚いた……と彼が独り言のように言った。ドレスを着る時の仕様をすっかり忘れていたのだと、よく分からないことをごにょごにょと口にしている。普段から突撃されて抱き上げられているティナは、不思議そうに小首を傾げた。

 言葉を聞いたロバートが、こめかみにピキリと青筋を浮かべて「旦那様……」と低い声を発した。それを遠くから眺めていたコックが、隣の料理長に問う。


「つか、旦那様って、いつも狙ってぐりぐりしている感じじゃないっすか? あれって、絶対頭とかほっぺたで好き放題触ってる感じですよね?」

「ピュアな心で考えようぜ。ロバートが切れるから、ちょっと静かにしていような」


 料理長は、自由過ぎるコックの口を素早く手で塞ぐと、奥へと引きずって行った。


 どうしてアランは、恥ずかしそうにしているのだろう。しばらく不思議そうに見つめた後、ティナは幼馴染として普段からやっていることもあって、彼の少し乱れた髪に自然と手を伸ばしていた。慣れたように整えてあげながら「皺が入るようなドレスじゃないから、大丈夫よ」と、推測して安心させる言葉を掛ける。


 ついでに襟元を整えてあげると、アランがこちらを見下ろしてきた。目がそっと細められて、少し潤んだ瞳が本物のエメラルドの宝石のように見えた。


「ありがとう、ティナ。……えぇと、その、びっくりするくらい綺麗で驚いた」

「アランも、すごくハンサムよ。――あら? そのブローチ、私の瞳の色と同じなのね」


 ブラウン色の宝石というのも、数が少ないので珍しい気がした。

 思わずしげしげと見つめてしまうと、アランが少し恥ずかしそうに視線をそらした。それから、「実は」と言って、ごにょごにょと答える。


「君の瞳の色に合わせたんだ。服は君の髪の色をイメージして……ティナの髪飾りとネックレスのエメラルドは、俺の瞳の色と同じにしてある」


 言われてみればそうだった。黄緑色のドレスも、彼の瞳寄りの色である。どうしてだろうと思って首を捻ると、ロバートが一歩進み出て、こう説明してきた。


「パートナーとしてご出席される場合、多くは互いの髪や瞳の色の物を身に付けます。全体的に色を揃えるのは、『その人の色に染まります』という意味もあります」


 その人の色に染まる、と聞いた時、暖かいモノが胸に込み上げるような感覚がした。けれど、意識を向けた途端に霧散して正体が掴めなくなってしまい、ティナは不思議に思って自分の胸に手をあてた。


 分かっていることは、胸元で輝く小さなエメラルドのネックレスが、何故だか先程より特別に見えることだった。身を包んでいるドレスだって、そうだ。そのエメラルド色が、より優しげで暖かく感じてしまうのは、どうしてだろう?


 その時、アランが胸に手をあてて、右手を差し出しながら腰を屈めてきた。


「今夜は、どうか俺とお祭りに行ってください」


 まるで紳士みたいな誘い方だった。幼い頃から現在に至るまでの、そして普段の彼を知っているだけに、大人びた様子で違和感なくきちんとさまになっているのが新鮮だった。まるで、知らない男性がいるようにも見えてしまう。


 それでも、その穏やかで優しい目元は、ティナの知っているアランのままだ。だから緊張も覚えなくて、つい小さく笑ってしまった。もしかしたら、先程ロバートが口にしていた『挨拶』とやらは、このことだったのかもしれないと想像されたからだ。

 きっと、合流するまでに練習したんだろうなと思った。そんな幼馴染の頑張りが可愛く思えて、「喜んで」と答えて、差し出された掌に自分の手を添えた。


 アランは笑う彼女を目に留めたまま、ふんわりと微笑んで、包み込むように左手を重ねた。それから、エスコートするようにそっと引き寄せた。

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