8話 二章 またまた訪問、アグネシアの提案
「奥様、実は近いうちに、王都の住民のためのお祭りがあるのですわ」
午後休憩の三時ぴったり、またしてもアグネシアが「新婚プランナーですわ」と、今度は手土産だという菓子を持参してやって来た。前回の初訪問で諦めた様子はなく、自信たっぷりの笑顔が眩しい。
ティナは客間で、今度は珈琲を飲みながら彼女と向かい合っていた。扉口は相変わらず開かれており、そこには直立している執事のロバートの姿もある。
「アグネシアさん。アドバイザーとしてお願いする予定もないのに、また来たんですか……」
「ご心配には及びませんわ、奥様。新婚プランナーとは、まずは信頼関係が大事ですの。こうしてご訪問させてお話することで、どんなお仕事なのか分かって頂けるのも、大切な『お仕事』なのですわ」
テーブルには、アグネシアが持ってきた手土産の菓子が出されていた。ハーブの入ったクッキーと、レモンの皮が使われたクッキーである。そのチョイスに間違いはなく、実に美味だった。紅茶よりも合うとして、本日の午後休憩には珈琲が淹れられたのだ。
先程、菓子箱に書かれている店名を見たメアリーが「名店の一つです」と、こっそりティナに教えてくれた。祝い事にも、よく利用されている菓子店であるらしい。
つまりこれもまた、アグネシアが持っている『取引先』に関わっているお店の一つなのだろう。結婚祝いや新居の新築祝いだけでなく、結婚式のお祝い返しでも使われていそうだなと、なんとなくそんな想像が脳裏を掠めてもいた。
「それで、突然どうしてお祭りの話なんですか?」
ティナは、珈琲カップをテーブルに戻してから尋ねた。
この前の紅茶も良い味でしたけれど、珈琲もまた美味ですわね、もしかして『旦那様』は珈琲派ですの――と、お喋り止まらずといった様子で、ロバートに話し掛け続けて、『新婚夫婦の情報収集』を行って迷惑がられていたアグネシアが、思い出したように「そうでしたわ」と手を叩いた。
「今日は、初々しい新婚な――げふん。庶民派のお二人に、ぴったりなご提案があって参りましたのよ!」
「…………」
打てる相槌もなく、ティナは黙っていた。廊下から、こっそり室内の様子を覗き込んで見守っていたメイドたちが「奥様、クールな横顔ですわ」と呟く。今度はそこに、屋敷の料理長と例の若いコックまで加わっていて、同意するように頷いている。
アグネシアが語ったのは、近々開催される『アビリラ祭』というお祭りだった。王都で行われる地元イベントでは、もっとも大きなものだ。住民のためのお祭りであるので身分は関係なく、何食わぬ顔で貴族も混じるくらいに、親しまれているものであるらしい。
家族や恋人同士で楽しめる行事で、当日になると音楽団がいたるところで楽しい演奏を行い、人々はパートナーや複数人で輪になって踊ったりする。
その祭りの見所は、夜に一時間だけ街灯が一斉に落とされて、伝統的なアビリラ・ランタンという柔らかな光で夜の王都が彩られる時間である。各貴族の屋敷の庭園や公園、町の花々がライトアップされて、見学ツアーも行われる。
王都に来て初めてのイベントなので、是非参加して楽しんでみるべきだ、とアグネシアはもっともらしい言い方で力説した。任せて頂ければこちらで衣装もプロデュースさせて頂くので、是非『旦那様』にも意見を伺って欲しいのだそうだ。
「つまり夫婦初の王都イベントですわ! わたくしにとって、初々しい恋人や夫婦が見られる実にぐふふっな王都で一番美味しい――おっほん。恋人や夫婦で盛り上がれる、王都で一番の行事だと思っておりますの」
アグネシアは、最後だけプランナーらしい口調で締めた。
気のせいか、話しの端々に『観察し放題である』という本音が見えたような気がした。そもそも、恋人や夫婦がもっとも楽しめて、実際に男女が心待ちにしているイベントなのだとアピールされても、ティナにはその実感がないので、なんとも言えない。
「はぁ。まぁ、アランには伝えておきます」
そう答えたティナの低テンションな反応を見て、アグネシアがピンときた様子で、名探偵のように顎に触れた。ここ一番の凛々しい表情を浮かべると「これはもしや」と、キラリと目を輝かせて口にする。
それを見たロバートが、真顔で「嫌な予感がするな」と呟いた。廊下にいた使用人一同が、同感ですと言わんばかりに頷く。
すると、アグネシアがその目を使命感に燃えさせ、突然立ち上がってこう言った。
「ご安心くださいませ。このアグネシア、何百人という新婚ご夫婦の悩みを解決してまいりましたッ。夫婦としての熱が落ち着き始めて、そういった悩みも出てくる時期なのはよく分かっております……ふっふっふ、実はそういうこともあろうかと、奥様の好みを考えて、ちゃっかりご用意して持ってきたのですわ!!」
よく分からないことを早口で言った彼女が、笑顔で「どうぞご覧あれ!」と、鞄から取り出した物を広げて見せてきた。
それは、先日に見た物とは別の夜着だった。今度は白色で、裾部分がレース状になっていて、上品な刺繍が入ったものである。丈は若干長くなっている気はするものの、やはり尻が隠れる程度しかなくて、胸元部分が大きく開いている。
途端に執事ロバートが「ぐぅ」と目頭を押さえて、ちくしょうこの女、と口の中に呻きをこぼした。彼とは同年代の料理長が、同情の目を向けて「落ち着けよロバート」と親しげに声を掛ける。
過激な女性着を見た未婚のコックが「おぅ……」と、なんとも言えない様子で唾を呑んだ。メアリー達だけが、「素敵ね」「着せたいわ」と真剣な目を向けていた。
どう見ても下着であるような気がする。ティナは、それをじっと見つめながら、機能性がなさそうな夜着について考えていた。一人で眠るわけでもない状況で、はたしてこれを履いている女性はいるのだろうか?
すると、沈黙してしまったティナを見て、アグネシアが素早くそばに寄ったかと思うと、その手を取って夜着に触れさせた。
「ほら、手触りなんて素敵でしょう? 着心地も最高だと評判ですわ。シルク加工ですので、光が当たるとまた見た目の感じも違って見えるのが、お分かり頂けるかと思います。この上品な質感が、また夫婦の寝室にぴったりなのですわ!」
「ぴったりって、何が? というか、やっぱり若干透けているような気がするんですけど……」
「あまり透ける素材ではございませんわ。試着してみたら、よく分かると思います」
そう口にしたアグネシアが、自分で言っておきながら「名案ですわね、そうしましょ」と相槌を打つと、流れるような慣れた動きでティナを立たせた。
「まずは一度試してみて、着心地などを確かめてみてくださいませ。気に入るようでしたら、『夫』様にカタログを見て頂いて、ご希望の商品をご注文頂けたら幸いですわ」
「あの、そもそもアランは注文しないと思うけれど…………」
一人で寝ているわけではないのだ。下着みたいな服では寝られないだろう。それにアランが着るわけでもないのに、どうして彼が希望するという風に彼女が言ってきたのかも、不思議でならなかった。
ティナは、夜着も数が足りていることを伝えた。衣装タンスには、ここへ来た時から既に、実用的で一般的な夜着が何着も入っていたのである。そうしたら、何故かますますアグネシアの鼻息が荒くなって、まずは試着してみてと強く推してきた。
「あの、着てみたい気が全くしないのですが……」
「うふふふ、今日ご試着頂けないのでしたら、次は明日にでも、別の新しい物を二着持って参りますわ」
なかなか営業の押しが強い女性である。コレを着なかったら、次は二倍の量の夜着の試着を勧めてくると宣言されたティナは、なんだか新しい手口の脅しみたいな台詞だと思った。
どうしたらよいか、と意見を求めてロバート達の方を見てみると、何故かロバートは額を押さえて俯いていた。料理長とコックがぎこちなく手を上げて応えるそばで、メイドのメアリー達が「お着替えはお任せ下さい」と親指を立ててくる。
なんだが、女性陣はとてもワクワクとした、期待感に満ちた表情をしていた。これまで風呂の世話やら身支度やらのいくつかの内容を断わった際、悲しげな表情をされていたのを思い出したティナは、下着みたいなその夜着へと目を戻した。
「……あの、着たら満足して帰って頂けます?」
「勿論ですわ」
アグネシアが、満面の笑顔で頷いた。仕方なく付き合うことにして、ティナが「分かりました」と答えた途端、早速といった様子でメアリー達が室内に入ってきた。
ロバートが、「奥様、私は少し外の空気を吸って頭を冷やしてまいります」と言った。彼は部屋を出る際、廊下にいた料理長とコックの襟首を掴むと「覗き見たら殺しますよ」とドスのきいた声で言い、ピリピリとした空気を放ったまま彼らを引きずって、器用にも足で扉を閉めた。
遠ざかっていく彼らの足音を確認してから、メイドの一人がカーテンを引っ張った。今、室内にいるのは女性だけだ。裸になるわけでもないからと自分に言い聞かせて、ティナは彼女たちに協力してもらって夜着に着替えた。
靴も全て取って試着してみた。やはり、足元が頼りないくらいにすぅすぅする。どうやら透ける素材ではないらしいとは分かったものの、胸元も広いし肩紐も細い。
「なんて素敵に着こなしてしまえるスタイルなんでしょう!」
「着こなせてはいないと思いますけど……。お尻も胸も小さいですし」
「大きければ良いというものではありませんわ。バランスが大事なのです。奥様は、足もキレイですわねぇ。これだけ腰も細いと、あらゆる服をつけさせてみたくなりますわ」
そんなことはないので、着せ替えは勘弁してください。
ティナは、警戒したように一歩後退した。その後ろで、メアリー達が感激が最高潮に達した様子で「ウチの奥様超絶似合う」と静かに悶えていた。ドレスを着せて髪型もいじってみたくてたまらない、と彼女たちは口の中に呟きを落としてしまう。
ほぅっと吐息をこぼしたアグネシアが、「わたくしの好みド真ん中ですわ」とうっとりしたように言った。それから、警戒されているのを遅れて見て取ると、にっこりと営業スマイルに戻して「奥様」と呼んだ。
「実際の着心地はいかがでしょうか? とても肌触りが良いことが分かるかと」
「着心地? そういえば、とてもすべすべしていますね」
「うふふふふ。こちらは数量限定の新シリーズでして――」
その時、一組の足音が近づいてくることに気付いて、アグネシアが言葉を途切らせた。
一同の視線がそこへ向いた直後、確認もなしに扉が開け放たれた。何故か、夕方にしか帰ってこないはずの騎士服に身を包んだアランが顔を覗かせて、「珈琲の匂いがするけど、ティナいる?」と言った。
「今日は早めに帰れたんだけど、もし昨日の新婚プランナーが来たら、少し訊きたいことがあるから――」
そう口にした彼が、こちらを見て見事にピキリと固まった。
女性陣一同が視線を向ける中、メアリーが遅れて「あ、旦那様」と口にした。ティナもきょとんとして、ひとまず早い帰りになったのねと思いながら「おかえりなさい」と声を掛けた。
アランの顔が、見る見るうちに耳まで真っ赤になった。大慌てで「ごめんッ」と言ったかと思ったら、部屋を飛び出していって扉を閉めてしまった。
しばしそちらを見ていたアグネシアが、感極まった様子で口に手をあてた。
「なんって初心で、わたくし好みの反応をする旦那様なのでしょう!」
「…………」
やっぱりこれ、誰が見ても下着に見えるんじゃ……?
ティナは、初めてアグネシアが訪れた際に取り出した夜着を見て、ロバートが有り得ないとばかりに顔を押さえていた光景を思い返した。隠れるところは隠れているけれど、それでアランもびっくりしてしまったのかもしれない。
そんなことを考えていたら、アグネシアがまたしても何やらピンときた表情を浮かべた。「なるほど、既に奥様のサイズを把握しきって、『前もって服をご用意出来た『旦那様』』ですわね」と呟くと、笑顔を作り直してこちらを見た。
「奥様、旦那様とお話する許可を頂けますでしょうか?」
どうして訊いてくるのだろう、と不思議になって見つめ返した。すると、まだ何も質問していないのに、彼女がニヤニヤとして「当然ですわ」と答えてきた。
「旦那様と二人きりで話して、新婚の奥様をもやもやさせてしまったら大変ですもの」
「? 特にもやもやもしませんけれど」
「うふふふ、純情で可愛らしいぼんやりっぷりも大好物ですわ、このままお待ち帰りしてしまいた――げふん。大丈夫ですわよ、自己紹介と『アビリラ祭』のご提案をさせて頂くだけですから」
祭りの件に関しては、先程一気に聞かされたばかりで、自分の口から上手く伝えられる自信もなかった。彼女たちが話している間に、こちらは元の私服に着替えていた方がいいのかもしれない。
「そうですね。では私は、その間に着替えています」
ティナがそう答えると、メアリー達が「お着替えはわたくし達の方でやっておきますから」「お任せ下さい」と頼もしい様子でアグネシアに告げた。
アグネシアは「女の子たちって素敵よねぇ」とティナたちを順に見てから、「少しの間席を離れますわ」と言って、例の大きな鞄を持って一旦部屋を出ていった。
※※※
それら数分後。
当の『旦那様』と少し話したアグネシアの手には、注文票があった。部屋の外の廊下で立つ彼女の顔には、満面の笑みが浮かんでいる。
そんな彼女の向かいには、一般的な男性よりも背丈が高く、すらりとした細身ながら騎士としてしっかり鍛えられたアランが立っていた。仕事が出来る騎士然とした容姿ながら、今は麗しい顔を少年のように赤くして、片手で押さえてしまっている。
「花弁の香料は、初回サービスも込めて十二袋、納品させて頂きますわね」
アグネシアは、取り付けた注文内容を上機嫌に確認した。その香料が買える店について考えていた矢先だったアランは、話を持ち掛けられてすぐ、購入伝票にサインをしてしまったのだ。
いつまでも嗅いでいたいような優しい甘い香りも良かったが、やはり湯に浮かべるタイプであるという所も魅力的だった。いつかは二人で……という思いもこの女性には見抜かれていると、数会話だけで分からされて、もう色々と恥ずかしくて死にそうだ。
そうい状況の中、アグネシアは仕事の手を抜かなかった。続いて別の商品についてもアピールすべく、一冊のカタログを彼の方に向かって広げて見せた。
「今ならあの夜着だけでなく、こちらのオススメの五種類についても在庫がございます。肌触りも色合いも、ご婦人たちに大変人気の商品となっておりますわよ。――いかがされます?」
そんな風に尋ねられたら、先程の光景もあって、好奇心から見てしまわない夫はいない。
アランは、カタログへチラリと目を向けた。一体どんなことを想像したのかと見ている者に思わせるようなほど、耳までぶわりと赤くなる。更に赤面して言葉も出ない美麗な彼の様子を見て、アグネシアはニヤニヤしながら「数量限定ですわ」と推した。
ほんの数秒、迷い葛藤するような沈黙が続いた後、
「くッ、…………さっき彼女が着ていたやつと、それを一通りください」
視線をそらしたアランが、小さな声でそう答えていた。聞き届けたアグネシアが、すかさず「お買い上げありがとうございます!」と満足げな満面の笑顔で言った。
廊下の隅から、その様子をこっそり窺っていた執事ロバートと、料理長とコックが上から順に、呆れと哀れみと同情から「旦那様……」と呟いた。




