4話 一章 夫は騎士としては優秀らしいです
メイドに呼ばれて玄関に向かったティナは、執事ロバートが対応している日中の訪問者を見て目を丸くした。
そこにいたのは、つい数時間前に仕事に行ってくると出掛けていったはずのアランだった。その隣には、同じ近衛騎士隊の軍服に身を包んだ青年がいた。背丈は彼より少し低いくらいで、年頃は二十歳前半くらいだろうか。所々はねている焦げ茶色の短髪と、悪戯好きそうな活気ある目が印象的だった。
連れてきた青年について、アランは「副隊長のエディーだ」とだけ紹介した。渋々といった口調は、本当は連れて来たくなかったんだと言わんばかりだった。
すると、隣にいた青年――エディーが元気良く挙手した。
「初めまして! 一番信頼されている部下の、エディー・ニコルです」
自分の口から『一番信頼されている』と堂々主張されると、あ、これは本来違うかもしれないな、という感じがぬぐえない気がする。そうティナが考えていると、彼はついでとばかりに「俺は二十一歳です」と続けて言ってきた。
「はぁ、そうなのですか。初めましてエディーさん。アランの妻、ティナと申します。本日はお仕事の途中ですか?」
「そうそう、ちょっと時間に空きが出来たんで、隊長に頼んで立ち寄らせて頂きました。いや~、それにしても、想像していたよりも平凡ですねぇ。あ、今、ちょっと笑いました? なんだ、笑うとなかなか可愛いじゃないですか――」
その時、お喋りを続けていたエディーの頭に、アランの拳骨が落ちた。思いきりガツンとやられた彼が、「いてっ」と声を上げて言葉を切った。それから頭をさすりつつ、あまりダメージを受けていないような目を上司へと向ける。
「痛いですよ、何するんですか隊長?」
「それはこっちの台詞だッ」
アランが言いながら胸倉に掴みかかり、「お前は自分で来たいと言っておきながらッ」と部下を叱りつけ始めた。その台詞は泣き虫だった頃とは違っていて、部下を持った上司なのだという様子もあって、ティナの目にはなんだか新鮮に映った。
とはいえ、その瞳は若干涙目になっている。「お前はティナになんてことを」とエディーを揺らしている様子は、やっぱり当時の彼の面影が残されているようにも感じた。
ティナは思わず、少し笑ってしまった。戻ってきたロバートが、準備が出来ましたと伝えて来たので、ひとまずは「どうぞこちらへ」と言って入室を促した。
※※※
「隊長はすごい人なんですよ。王宮じゃ、三本の指に入る剣の使い手でして――魔物の大群に怯むことなく突っ込んでいって、全部ぶっ飛ばして称賛されました」
途中で説明に飽きたみたいな様子で、エディーがテンション低めに後半部分をそう言い切った。
先程から、上司の株を上げてやろうという姿勢で話したかと思うと、ちょいちょい面倒臭そうに説明を放り投げている。もしや彼は、ただ茶化したいだけのところもあるのではないだろうかとも感じて、ティナは「はぁ、なるほど」と相槌を打った。
ティナは、上質な三人掛けソファに、アランと並んで腰かけていた。テーブルを挟んだ向かい側のソファには、かなりリラックスした様子でエディーが座っている。
彼は全く緊張を覚えていないようで、話しながらも、テーブルに出されたクッキー菓子をパクパクと順調に口へ放り込んでいた。向かい側でティナが熱い紅茶をチビチビと飲む間に、たった一人で皿を半分空にしてしまっている。
「仕事も恐ろしいくらいに早いんです。賊が出た時なんて、風のように走っていって、バッサバッサ斬っていきますよ」
「それはすごいですね」
ティナはその光景が想像出来なくて、容赦なく斬っていくというイメージもない幼馴染をチラリと見た。ティーカップを持ったアランが、聞いていませんという済ました表情で、さりげなく顔をそらしていった。
紅茶を飲む横顔は落ち着いていて、ただ少し目を伏せただけでも絵になってしまう。長い足を組んで座る様子はどこか品が漂い、生粋の貴族といわれても違和感がないくらい美麗な男である。
幼馴染でなかったとしたら、多分、自分は隣にいなかっただろう。そう考えるとなんだか不思議で、王都に多いという美しい女性たちの存在が脳裏を過ぎった。
「王宮の近衛騎士隊というと、アランはとてもモテるのではありませんか?」
「ごほっ」
どうなのだろうと思ってエディーに尋ねてみると、何故か隣にいたアランが思い切り咽た。
クッキーを食べていた彼が、不思議そうにコテリと首を傾げて言う。
「あれ? 奥さんは、そういった話はあまり聞いていない感じですか?」
「こちらでの暮らし振りは、あまり聞かないですね」
「ふうん? まぁこの美貌ですからね、パーティーに出れば寄ってくる女性は数知れずというやつっすよ」
なんとなく、そうかなと想像していた回答内容だった。やはりこの幼馴染はモテるらしいと思っていると、口許をハンカチで拭ったアランが口を開いた。
「――エディー、誇張しすぎだ」
「そうっすか?」
エディーが反省もなく答え、それから視線をティナへと戻して、こう続けた。
「奥さんの方は、どうなんです? たとえば極端な話、結婚前、隊長の不在時に誰かに迫られたこととかありますか?」
「ぶほっ」
またしてもアランが咳込み、ティナは心配になって「大丈夫?」と声を掛けた。
同じように彼を見たエディーが、不思議そうな目で「大丈夫っすか?」と、ちっとも心配していない声で言った。
「隊長、今日は調子でも悪いんすか? あ、奥さんの前だから緊張しているんですかね」
「…………」
「ははは、無言で殺気を飛ばさないでくださいよ~」
そう笑って口にしたエディーが、俯いているアランから何かを察知したかのように「すみません、迫られたという言い方は良くなかったっすね。色々と解釈の幅が広いですし」と軽く詫びてから、ティナに目を戻した。
「んじゃ、奥さんは村にいる頃、誰かに交際を申し込まれたことはあります?」
これなら問題ないでしょ、と言わんばかりの明るい表情でエディーが質問し直す。
自身を落ち着けるように紅茶に口を付けたところだったアランが、今度は「げほっごほ!」と苦しそうに咽た。ティーカップをテーブルに戻しながら、ハンカチを口にあてて咳込む。
エディーが、「隊長煩いっすよ」と迷惑そうな顔をした。一番信頼されていると自分で言いきった部下にしては、当の上司への扱いが少々雑なようにも感じたけれど、ティナは心当たりがない質問の方を答える事にした。
「ないですね。エディーさんがおっしゃった通り、私はこれといって目立つところもなく平凡ですし。それに比べると、アランは村にいた頃からモテていましたけれど」
華奢で女の子みたいな顔をしていた幼少期も、天使みたいな美少年だと近所のママさん達にも大人気だった。少し成長して少年らしい凛々しい面影が出始めると、美麗な容姿に磨きがかかって、より少女たちの目を引いていた。
昔から少女たちの注目を集めていて、村のどの男の子よりも気に掛けられていた。けれど、彼女たちの誰とも交友関係にすら発展しなかった。アランは女の子たちに声を掛けられるたび、ティナの元に駆け込んで「一斉に話しかけられても全部に答えられないよッ」と、いつも泣きついてきたからだ。
あどけない愛らしい天使のような顔だったせいか、少女たちはアランに泣かれると、まるで自分たちが苛めたような罪悪感に襲われてショックを受けるようだった。
そのたび、彼女たちは逃げ出したアランを追って、友人でもあるティナの元へ来た。その背に隠れている彼に「ごめんね」と切り出したかと思うと、ショックの大きさから言葉続かない様子で泣きだしてしまい、結局ティナはアランだけでなく、彼女たちの話も聞いて慰めたものである。今でも大切な友人たちだった。
「村の同世代の子って、少ないんです。せっかくだから友達になって欲しかったんですけど、そのままアランは騎士学校に行ってしまって、だから余計に、村の女の子たちと接する機会がなくなってしまって」
年頃になってから、彼女たちが一方的に恥ずかしがって、幼い頃のようにアランに積極的に声を掛けなくなったのも原因だった。あまりにも綺麗すぎる少年なので、面と向かって顔を合わせると緊張してしまう、というようなことを何度か聞いた。
そう語りながら、ティナは当時を思い出して「ふふっ」と微笑んだ。素敵な男性の前だと意識してしまう、という経験はなかったものの、彼女たちからよく恋や憧れやロマン小説の話を聞かされていたから、つい可愛いなと思ってもいた部分だったのだ。
エディーが「やっぱり笑った顔、可愛いっすねぇ」とへらりと微笑んだ。クッキー菓子を口に放り込んでから、もぐもぐとしている間に思案すると、しみじみと頷いてこう続ける。
「村の女の子たちの反応も、こっちではないくらいに大人しいというか、可愛らしくて良心的でびっくりします」
「都会は違うんですか?」
「貴族の令嬢だと、結構行動派が多いかもしれませんね。ウチの隊長、パーティー会場で『私と踊って』ってすげぇ数の令嬢たちに競って追い駆け回されて、上官に助けを求めたこともありましたよ。公衆の面前で押し倒されたのを見た時は、俺ら全員で大爆笑しました!」
堅苦しいパーティーだったらしい。暇過ぎて『クソつまらなく思っていた』ところだったから、集まっていた貴族連中のいつにない騒ぎっぷりが大変面白くて最高だった、とエディーが言いながらゲラゲラ笑った。
話しを聞いたティナは、思わず感心して「都会ってすごいわねぇ」と呟いてしまった。異性を押し倒すような女性がいるなんて、村では見聞きしたことがなかったからだ。つまり幼馴染の彼は、大きくなって大変モテ度に磨きがかかったようだとも理解した。
その中に、気になった女性はいなかったのだろうか?
村ではないようなその騒動についても、もう少し知りたくなったティナは、それならまとめて本人に訊いてみようと思った。しかし「ねぅアラン――」と視線を向けたところで、ふと、隣にいたはずの彼の姿がいなくなっていることに気付いた。
一体どこへいったのだろうか。
そう不思議に思って辺りを見渡してみたら、恥ずかしさのメーターが振り切れて、部下を脅迫している真っ最中の夫がいた。アランはエディーの胸倉を掴んでいて、剣の切っ先をつきつけている。
「エディー、今すぐ死にたいか」
「落ち着いてください、隊長。奥さんがびっくりするような殺人予告は、ココではやめた方がいいかと思います」
美貌が殺意に研ぎ澄まされて大変威圧感増し増しになってます、とエディーが言う。けれど真面目な口調ながらも、その顔は危機感もない様子で猫みたいにニマニマと笑っていて、普段からからかい慣れている感じが伝わってきた。
副隊長だというのだから、それなりに実力や実績も持っていて、アランとは長い付き合いがあるのだろう。つまり、多分、分かっていてやっているんだろうなぁ……。
そう推測したティナは、日頃から職場でエディーを筆頭に、多くの部下をまとめているアランを思って「隊長というお仕事も、大変なのねぇ……」と呟きながら、ティーカップを両手で持った。