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28話 最終章 つまりは、そういうことでして

 夜会があった週末の休日明け、ティナは休憩時間であると教えられていたその時刻に合わせて、手配された馬車に乗り込んで王宮へと向かった。夫の職場である、王宮の一角にある彼の近衛騎士隊の仕事部屋に、初めて訪問するためである。


 二度目となった王宮では、入口で登城のチェックを受けて中へと進んだ。まだ休憩には少し早い時間だったため、別の色の軍服に身を包んだ騎士が案内してくれた。


 貴族たちの出入りのない場所を奥へと進み、軍人たちの広々とした共同のサロンを過ぎると、アランが率いる近衛騎士隊の休憩室兼仕事部屋があった。部隊の全員が入れる室内は、隊長、副隊長の書斎席がそれぞれあって、休憩所のように広々とした空間に数組みのテーブルセットと遊技台、ソファの応接席が設けられていた。


 前もって訪問予定を知らされていたのか、そこにはゆっくり過ごす近衛騎士たちの姿があった。入室しようとした時、休憩時刻に入ったアランが到着して、顔見知りであるらしい騎士に案内の礼を告げて、ティナを妻であると部下たちに紹介した。


「なるほど~。お話に聞いていた通り、確かに可愛らしい方ですね」

「俺、隊長が暴走した時に村まで行ったメンバーだから、お久しぶりになります」

「俺はエディー副隊長の付き添いで出払っていたんで、顔を知りませんでした」


 彼らがそう感想する声も聞き届けず、アランは待ちきれない様子で室内を案内した。いつも自分が過ごしている場所や、仕事の時に座っている書斎机、ちょっとした休憩で触ることがあるビリヤード台を、足を進めながら語っていく。


 室内を案内されていたティナは、ふと、『副隊長』と記された仕事席に目が留まった。何故かその机の上には、種類豊富な大量のお菓子の袋があった。


「…………副隊長って、確かエディーさんよね……?」


 まだ室内に姿の見えない副隊長エディー・ニコルを思い出しながら、思わずそう呟いた。けれど、アランはそこを完全に見なかったことにして、続いて窓の外について説明し始める。


 ティナは、これでは仕事にならないのでは、と問うように彼の部下の男たちに目を向けてみた。そうしたら、彼らが揃って顔の前で手を振りながら「もう皆諦めてます」、「一応、仕事はしてます」と答えてきた。


 その時、数人のメイドが入室してきた。客人に対応するようにクッキーが盛られた皿と、二組分の紅茶を応接席のテーブルに置いて、丁寧に一礼してから出ていく。


「これ、アランが言っていた『業務休憩の差し入れ』?」

「うん。基本的に隊長や副隊長クラスの業務休憩には、菓子と紅茶が運ばれるようになっていて、来訪予定を知らせても対応に出てくれるようになってる。申請があれば、サロンにもティーセットが出るんだ」


 ティナは、そう説明するアランにエスコートされて、そのまま並んでソファに腰かけた。

 テーブルに用意されたクッキーは、数種類がきちんと並べられていて、ジャムが使われていたりと色取り取りだった。紅茶の優雅な匂いに負けず、焼き立ての香ばしい甘い匂いが漂っている。


 まずは紅茶で喉を潤しつつ、ティナはクッキーを眺めた。なんとなく、孤児院でクッキーを頬張っていたエディーの様子が思い出された。甘い物がとても好きな男性なのかしら、と今更のように考えてしまう。


 すると、部下たちがテーブル席に座ったり、すっかり遊びの手も止まった遊技台に腰を寄りかからせて見守る中、アランがこちらを覗き込んできた。


 癖の入ったハニーブラウンの髪がさらりと揺れて、形のいいエメラルドの瞳にかかるのが見えた。少しだけ潤んだそこには熱がこもっていて、今にも肩が触れそうな距離でじっくりと見られて、ティナは落ち着かなくなった。


「どうして、じっと見てくるの?」

「俺の職場に、こうしてティナが座っているのが嬉しくて」


 ティーカップを置いて、思わず少しだけ横にずれてから尋ねると、彼がどこかうっとりとした様子で再びピッタリ隣に寄ってくる。


「ティナとここで、こうして座るのをずっと想像していたんだ」

「変なの。家でも隣に座っているじゃない」

「うん。でも最近いい反応をするから、もっと近い距離で分からせてはダメかなぁって」

「は……? 何を?」


 そういえば、夜会の時もそんなことを言われた気がする。


 そう思い返して見つめてみると、アランがにっこりと笑ってきた。こちらを見つめたまま、肩にかかっている黒髪をすくい取って撫でる。つられて笑い返したティナは、続く言葉を待っていた。


「ほらね。こうやっても君は安心したままだ、俺はそれもとても嬉しい」

「髪のこと? アラン、いつも触ってるじゃないの。――あ、コラ。甘い匂いがするからって、味はしないってこの前も教えたでしょっ」


 ティナは、自分の髪を口許に持っていくアランを見て、「髪は食べ物じゃないわよ」と昔から幼馴染の面倒を見ていた癖でそう嗜めた。アグネシアから、いい香りがする例の商品を使い始めたばかりだった頃の夜を思い出していた。


 その後ろで、部下の近衛騎士の男たちが、声も上げずに喉を押さえたり、突っ込みたくてたまらないと言わんばかりに足を踏む仕草をして震えていた。調味料のビンを各自で回して、クソ甘い、という悲鳴を押し殺して塩舐める。床に伏せていたり、両手を遊戯台につく者の姿もあった。


 ティナは、その様子に気付いて、アランの向こうに見える光景に目を留めた。職場にお邪魔するのは、やっぱり悪かったのではないだろうか。でも自分の職場を見せたいとアランに提案された時、とても嬉しくて、この日が楽しみだったも本当だった。


 ようやく紅茶を口にしてくれたアランに勧められて、オススメだという種類のクッキーを手に取って食べてみた。砂糖菓子が苦手な人でも食べられるよう、甘いハーブが使われていて、サクッとした触感と共に良い香りが鼻腔まで広がる。


 サクサクとしているのに、すぐに舌の上で溶けてしまうみたいな上品なクッキーだった。とても美味しくて、皿に盛られている分の一通りの種類を堪能したところで、彼がテーブルにティーカップを置くのが見えた。


「ティナ、とても美味しそうに食べてるね」

「ふふっ、とっても美味しいわよ。フルーツジャムのクッキーも、すごく甘いのだけれど紅茶とぴったり合うの」

「そのクッキー、食べさせて欲しいな」

「アランって、あまりお菓子は食べないでしょう?」


 ティナは好みを知っているから、不思議そうに尋ね返した。


 後ろで近衛騎士たちが、「ごほっ」と大きく咽た。アランはその背景の音も全く耳に入らないと言わんばかりに、穏やかな微笑を浮かべたままこちらを見つめ続けている。


 ふと、今朝、頬にキスが欲しいとねだられた一件が蘇った。仕事に行きたくない、ずっとぎゅっとしていたいと言われて、あまりにも悲しそうな顔をするから、執事ロバート達がいる中でやってあげたのだ。


 今朝に引き続き、寂しがりで甘えているのだろう。ティナはクッキーを一枚手に取って、彼の口に運んであげた。てっきり何口かで食べると思っていたら、アランがパクリと口を開けて、平気で丸一個を一口で食べてしまう。


 びっくりして目を丸くすると、クッキーを運んだまま持ち上げていた手を取られた。強い力で引き留めた彼が、咀嚼しながら近い距離でじっと見つめ返す。


 食べ終わったアランが、ふっと美麗に笑って、唇に残ったクッキーの甘さを舐め取った。


「――やっぱり、こっちが欲しいな」


 そう言われた直後、ティナは首の後ろに回ってきた大きな手に引き寄せられて、残った手で顎を持ち上げられ、あっという間に唇を奪われていた。


 流れるようなキスの運びに呆気に取られてしまい、人に見られているという恥ずかしさを覚える暇もなかった。唇に触れている熱と一緒に、直前に食べたクッキーの甘さを感じた。


 目撃者となった男たちが、それを見て即「甘い……っ!」と心の悲鳴を声に出して頭を抱えた。


「チクショークソ甘くて鳥肌がッ」

「おええぇぇぇ」

「誰かジョニーに塩!」

「あああああダメだ隊長が別人にしか見えんッ」

「誰だあの真っ白サラサラみたいな善人は!? 真っ黒さはどこに行ったよッ」

「今すぐここから逃げ出したいおえええぇぇ」


 堪え切れず部下たちが小声で騒ぐ中、しばらくしてアランがようやく唇を離した。


「やっぱり、ティナの唇が一番甘くて美味しい」


 そう言って、ふんわりと嬉しそうな笑みを浮かべてくる。呆気にとられていたティナは、それだとお菓子休憩が関係なくなってしまうのでは……と素直な疑問を覚えた。 


 呆れて物を言えないでいたのは、冷静にそう考えられていた僅かの間だけだった。唇に意識が向いてしまっていたせいで、アランの向こうで崩れ落ちて震えている男たちの小さな騒ぎように遅れて気付いた。


 彼らの様子を目にした途端、ティナは見られた実感が込み上げてぶわりと赤面した。まだ唇には温もりが灯っていて、一気に猛烈な羞恥に襲われた。


 こちらを見つめているアランの瞳が、より熱を込めてうっとりと細められた。身を寄せてきたかと思ったら、逃げる道を塞ぐかのように手を握って間近から見下ろしてくる。


「ああああのアラン? なんか、ちょっと変よ……? あの、なんで腰に腕を回すの」

「ああ、なんて可愛いんだろう。愛しい俺だけのティナ、もっと恥ずかしがらせたくなる」


 一体、彼が何を言っているのか分からない。まるで熱に浮かされたみたいに会話が噛み合っていなくて、その間にも、腰を引き寄せる大きくてしっかりとした手の温もりを覚えた。人目があるせいか、なんだかそこも非常に落ち着かなくなる。


 なんだか、夫がぐいぐいくる。


 ほぼアランに腕一本で支えられている状況で、ティナは倒れそうになる身体を起こしながら、恥ずかしさと混乱で赤面したまま、ぐるぐると考えて彼を見つめ返していた。気のせいか、こちらだけを映しているエメラルドの瞳が、なんだかやけに恍惚としてギラギラしているような……?


 その時、一人の騎士が台に手を掛けて、どうにか立ち上がった。今にも死にそうな顔で、塩を口に放り込んでからこう言った。


「お付き合いを始めたばかりのバカップルですか?」

「…………」


 いいえ、夫です。


 正論のような気もするけれど、と思いながら、ティナは心の中でそう答えた。先日の夜会から、彼が時々強気な空気で迫ってくることを思い返そうとしたところで、力任せに扉が押し開かれてバタンっと大きな音が上がった。


 そこから「楽し過ぎるだろッ」と言いながら、輝かんばかりの笑顔を浮かべた副隊長のエディーが飛び込んできた。


「隊長っ、なんで俺の外出予定が入っているタイミングで、こんな楽しい予定を入れちゃってるんですか! というか聞きましたよ、この前は夫婦揃っての初の夜会だったんですよね!? ははははは、隊長もとうとう奥さんと念願のイチャラブを――」


 ティナは唐突に解放されて、離れていった温もりの代わりにそよ風を感じた。気付くと、目の前から夫の姿が消えていて、べらべらと喋り続けていたエディーの言葉が不意に途切れた。


 その直後、一つの衝撃音が聞こえた。ゆっくり目を向けてみると、そこにはいつの間に移動して抜刀したのか、降参するように胸の前で両手を上げたエディーの顔の横の壁に、剣を突き刺しているアランがいた。


 その物騒な光景を見た部下たちが、一斉に動きを止めて沈黙した。副隊長のエディーが、降参のポーズのまま途端に白けた様子で、「なんだ、そっちは全然まだなんすね」とつまらなそうに言う。


「隊長。奥さんの前で、物理的に物騒な殺人予告をするのは、やめた方がいいかと思います。というか、襲いたくてたまらない癖に、いっちょ前に紳士ぶるとか超ウケる――」

「エディー、今度こそ死にたいらしいな」

「すみません。正直すぎる口が、つい。俺っておちゃめなんです」


 エディーが真顔で答え、聞き届けたアランの殺気量が増した。


 ティナは殺人予告、もしくは脅迫する夫から、紅茶と菓子が置かれているテーブルへと目を戻した。上がった体温を下げようと思って深呼吸したものの、幼い頃は考えられなかったアランの強い眼差しを思い返して、なかなかドキドキが収まらない。


 夜会の日から、強気で迫ってくるアランを見るたび、思考が沸騰してしまいそうになった。犬みたいに懐いてくる寂しがり屋で甘えん坊な幼馴染だったのに、大人にしか見えない仕草の全てが、世界中の誰よりも格好良くて非常に困る。


 それでいて、彼は相変わらず褒めたら心から嬉しそうに笑う。甘やかしたら、幸せだとストレートに表情と態度で示してくる。そのギャップが、ここ数日は頭の中の大半を占めていて、自分から構ってそばにいてしまってもいた。


 結局のところ、つまりは私も、彼が可愛くて仕方ないのだ。


 二人でゆっくりずつ、夫婦になりたいと思う。

 ああしてエディーとじゃれているアランの、ちょっとばかり過激なところだったり、社交の場での落ち着いた様子だったり、使用人と打ち解けて仲が良いところだったり、そんな全てを受け止めて余す事無く好きになりたい。


 不意に、彼をぎゅっと抱き締めたくなった。セットされたアランの髪を撫でて、めいいっぱい甘やかしてしまいたい。


 とうとうエディーまで抜刀して背後で騒動が起こる中、ティナは早く彼が隣に戻ってこないかしら、とそわそわした。そんな気持ちを落ち着けるために、まずは紅茶カップを手に取ったのだった。

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