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25話 五章 クライヴ夫妻の夜会(1)

 とうとう、夜会が開催される週末がきた。


 アランも普段より早い時刻に帰宅し、屋敷の中はにわかに騒がしくなった。夕刻の早い時間から支度が進められ、軽い食事をとってすぐ、使用人たちが『旦那様』と『奥様』の身支度に取り掛かった。


 ティナは自分で湯浴みを済ませた後、髪やドレスの着付けをメイドのメアリー達に任せた。新婚プランナーのアグネシア経由で注文されたオーダーメイドのドレスは、ウエストの部分がきゅっとくびれていて、優しい赤味寄りの色をした物だった。


 スカート部分は、ヴェールのような薄いレース生地がたっぷり重なっていて、まるで片方を手で少し持ち上げたかのように、右側に盛られ寄せられた生地が花をイメージして形作られている。

 ドレスの基調となっているメイン生地は、ひんやりとしたシルクに似た素材の物だ。透けているわけではないのに、スカート側はレース生地の配置とデザインのせいか、大きく動いたら右下部分の足の形が見えてしまいそうな気がした。


 そんな大人っぽさを引き立てるデザインも落ち着かなくて、ティナは着せられたドレスをまじまじと見てしまう。


「これ、胸元が大きく開きすぎていないかしら……?」


 ついでに言うと、肩が全部出るタイプのドレスの仕様のせいか、背中の方もかなり肌が見えてしまっている気もした。


 その様子を前にしたメイド達は、仕上がりにかなり満足そうだった。細身のため、上半身の身体の線を活かすドレスを、すんなり着こなしている『若い奥様』をじっくりと眺めている。


 うっとりして動くのも忘れてしまった彼女たちの中で、一番年上のメアリーが進み出た。最後にセットしたティナの首元の飾りの位置を整え直しながら、こう言った。


「髪を降ろされていますから、問題ございませんわ。それに、そのための大きめのネックレスです」


 大きく開いた胸元には、アランの瞳と同じ色のネックレスがあった。エメラルドの大きな宝石が中央についていて、キラキラとした小さな白い宝石に彩られている。形のいい小さな耳元で揺れる滴型のイヤリングも、淡い緑色だった。


 ティナは促されるまま、鏡に映る自分の姿を今一度見つめた。黒い髪が背中に流れているので、一部肩を隠して前にも少し降りている。とはいえ、そのせいで形よく盛られているドレスの胸元が、かえって強調されているような、いないような……。


「髪を降ろされた方が奥様らしい、という旦那様のご希望で、今回はそのままにしてあります。そのままだと寂しいので、ちょっとした髪飾りで、横の髪を少し留めさせて頂きました」

「結い上げなくとも、これだけ見事な黒髪というのも珍しいですから、会場でもよく映えると思いますわ」


 美しい髪をした女性だと、降ろしたまま参加するのも、よくあることなのだと彼女たちは言った。そういった場に参加したことがないティナは、自分の髪はただの真っ黒というだけなのだけれど、と首を傾げていた。


 しっかりとした作りのドレスだったので、裾を踏んでしまわないようメアリーに手を取られて、二人のメイドにサポートされながら二階の部屋から一階へと降りた。


 アランは、既に身支度を整えられて、屋敷の玄関があるメイン・フロアにいた。黒を基調としたタキシードに身を包んでおり、すらりとした細身の長身が引き立てられている。

 自分で袖口を留める何気ない仕草も、さまになっていて貴族の紳士にしか見えなかった。つい、ティナは見知らぬ美しい男性に見える彼を、じっと見つめてしまった。


 すると、階段を降りて立ち止まったこちらに気付いたのか、執事のロバートと何事か言葉を交わしていた彼が、ふっと振り返ってきた。


 目が合った瞬間、先程まで落ち着いた横顔をしていたはずの彼が、少し幼い印象のある喜び一色の表情を浮かべた。すっかり大人になった彼のエメラルドの瞳が、見開かれてキラキラと輝く。


 なんだか、いつも突撃してくる時に見ている目のような……。


 支度前に別れたばかりなのに、もしや、とティナが思った時、唐突にアランがこちら目掛けて一直線に走り出した。ロバートが、捕まえ損ねた手に拳を作ると「あっ、チクショ――旦那様お待ちを!」と言って、後ろから追い始める。


 それを見たメアリーが、「えぇッ」と目を剥いた。他のメイドたちと一緒になって、焦った様子で「駄目ですよ!?」とティナを庇うようにして叫ぶ。


「さすがに、このドレスで抱き上げるのはまずいですッ。髪留めだって強くはないので、出発のお時間もないんですから堪えてください!」


 その時、一つの大きな影がメイン・フロアに飛び込んできた。


 砲弾のように勢いよく突入してきたのは、屋敷の中で唯一の四十代である料理長のエドワードだった。先程まで厨房の片付けを進めていたのか、彼のコック服の袖は上げられている。


「おっとー、手が滑ったー」


 二人の間に滑り込んだエドワードが、そう言いながら俊敏に屈んだ。太い足を床に伸ばしたかと思うと、横に滑らせてアランの足を思い切り払う。驚きつつも彼が騎士らしく着地する後ろで、ロバートが「エドッ、よくやった!」と称賛の声を上げた。


 なんだか楽しそうな気もするけれど、彼らは一体、何をやっているのか。


 ティナは、なんと声を掛けていいのか分からなくなった。仲の良い主人と男性使用人の組み合わせを見ていると、遅れて見送りに登場したコックのトニーが、少し離れた位置にいたメイドのミシェルの隣で足を止めて「うわー」と呟いた。


「筋肉馬鹿って感じがすごいですねぇ。あの旦那様を相手に出来る人間が限られるとはいえ、上官組の元軍人同士だと、あんな感じになるんですかね~」

「それはどうかしら――あら? トニー、その頭どうしたの?」

「ゴミを出しに行ったら、いつもちょっかいを出していた鳥に仕返しされました」

「あらま」


 ミシェルは、どうしても年上として敬えない、使用人としては後輩にあたるトニーの横顔を見上げて「一体何羽の襲撃に遭ったのかしら」と、そのぼさぼさ頭に絡まる羽毛を観察した。彼は表情そのままに、年下の小さなメイドを見下ろす。


 その間も、屋敷の主人であるアランが、執事ロバートと料理長エドワードと向かい合って、男同士言い合っていた。


「お前たちは、なんで俺を止めたんだ!? というかッ、危ないだろう!」

「ですから旦那様、私は『お待ちください』と申し上げました」

「しれっと何言ってんだよロバート。旦那様、あれです、俺は手が滑りました」

「お前のは、完全な足払いだった」


 そこだけは譲らんぞ、とアランが主人らしい態度と言葉でしっかり指摘する。それでも強く叱りつける様子はなくて、ティナは「仲がいいのねぇ」と、つい声を掛ける事もなく眺めてしまっていた。


 すると、隣にいたメアリーが「ふふっ」と小さく笑うのが聞こえた。目を向けてみると、彼女が微笑ましそうにこちらを見つめ返してから、こう言った。


「旦那様は、それだけ奥様のことが大好きなのですよ。私が勤めた頃からも、いつもずっと奥様のことばかりお話しておりましたもの」


 ティナは、昔から後ろを付いてきて、くっついて離れなかったアランへと目を戻した。

 幼かった頃と比べてみると、その姿には全く面影が残されていなかった。幼さの垢も完全に抜けて、どこから見ても素敵な男性だ。自分はそんな人に『可愛い』と言われて、好きだという気持ちを向けられていて、望まれて妻としてここにいるのだ。


 ねぇ。アランは私のこと、いつから好きだったの?


 ふと、そう思って、くすぐったい気持ちが込み上げた。騎士学校に通って忙しくしていたのに、時間を見付けて会いに来て抱き締め続けていたのも、いつか一緒に暮らしたいと想像して、望んでくれていたくらいに好きだったのかもしれない。


 あの頃に告白されていたとしても、きっと私は、彼を受け入れただろう。

 当時からずっと、時間が許す限りそばにいて一緒に過ごした。家族みたいに近くて、一番大切な幼馴染だった。自分の中で、それがかけがえのない一人の少年になったのは、いつの頃からだったろうか。


「アラン、とても素敵よ」

「へ――」


 ティナは気持ちに突き動かされるまま、三人の男性陣の中に踏み込んだ。そして、ロバートとエドワードを叱って気付かないアランの腕を取って引き寄せると、背伸びをして、不意打ちのようにその頬にそっとキスを贈っていた。


 この前の孤児院の一件から、額へのキスも不思議と自然に出来るようになっていた。だから、彼の頬に唇を寄せるのもまるで抵抗がなかった。甘やかすように、そうしてしまいたくなる瞬間が、たびたびあるのだ。


 アランが一瞬だけ、呆気にとられたように静かになった。彼は遅れてティナに視線を向けると、触れられた頬の感触を思い出すように手で触れた直後、まるで初心な少年のように美麗な顔を一気に赤面させた。


 それを見たロバートが、「まったく」と言って小さく眉を顰めた。


「普段からそれ以上のことを自分でしていて、妄想までしている癖に、なんでここでそんな反応をするんだろうな、ウチの旦那様は」

「奥様が魅力的な格好をしているせいも、少しはあるんじゃね?」


 エドワードは「ははは」と笑い、適当な調子でそう相槌を打った。


 二人の使用人のやりとりも耳に入らない様子で、アランはティナを熱く見下ろしていた。ややあってから、ようやく「とても綺麗だよ」と噛み締めるように口にすると、先に伺わなければならないのに、つい彼女の黒い髪に指を滑らせてしまう。


「ティナ、本当に綺麗だ。――抱き締めてもいい?」

「お互いの服と髪型が崩れない程度なら、いいわよ。だってアランも、とても素敵なんですもの」


 そう答えて手を伸ばしたら、彼がそっと抱き締めてきた。

 普段よりも力を込めていないのに、どうしてかいつもより大事に抱擁されている感じが、服越しに滑らせてくる腕と体温から伝わってきた。なんだか大きな手もいつも以上に優しい気がして、そのしっかりとした彼の胸の温もりに寄り添いながら、ティナは少し頬を赤くしてしまった。


 アランは、いい匂いのする華奢な彼女の肩に顔を埋めた。その拍子にイヤリングが揺れて、滴形のエメラルドの一種の宝石がキラリと反射する中、ティナの後頭部に手を回して更に腕の中に閉じ込める。


「俺はティナが好きだよ、世界中の誰よりも愛してる。君が好き過ぎて、おかしくなりそうなくらいに夢中なんだ」


 本当は抱き上げてこのまま運んでしまいたい、と耳元で囁かれた。

 その声は、低いのに少し掠れていて色っぽかった。それは大人の男性のもので、ティナは不意打ちのように、何故かたまらないほどドキドキしてしまった。


 先程、自分から頬にキス出来たのが不思議なくらい恥ずかしくなって、ティナはもう何も言えなくなってしまった。思考が沸騰して、ぶわりと赤面し、きっとこの人には敵わないと思った。

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