24話 四章 妻とプレゼントと使用人 ~奥様と旦那様と使用人s~(4)
王都には、宝石店や貴族向けのオーダーメイドの服屋、職人が経営している工房など、各通りにそれぞれ集まって建ち並んでいる特徴がある。
ティナがコックのトニーに案内されたのは、中心地から少し離れた個人経営の小さな店々が並んでいる、ハビニス通りと呼ばれている建物密集地だった。
何軒かの子供向け商品を扱う専門店をまわり、ようやく見付けたのは『ファム・エレア』という二階建てのお店だ。主に一歳未満の幼児の服や用品を販売しており、料金も手頃だった。二階の作業部屋で、個人指導付きでワッペンを作成したり、オリジナルの絵柄を付けたり、簡単に刺繍でマークを入れる事も出来るという。
その店でプレゼントを選ぶことを決めたティナは、男女兼用で使えそうな気に入った数着を購入すると、早速二階でその作業に取りかかった。
絵本でたびたび見掛けた熊と兎の形に生地を切り取って、それを目印のように服に縫い付けた。裁縫も得意だったので、女性店主にアドバイスをもらいながら、ちょっとした刺繍でそこに愛らしい顔も作って仕上げることにした。
その間、トニーは見学に徹していた。店内には女性しかいなかったのだが、彼は特に居心地の悪さなど感じていない様子で寛ぎ、「ははは、旦那様は熊や兎というより、犬の気がしますが」と個人的な感想を言ったりしていた。
少しの作業だった感じがあったものの、外に出ると柔らかくなった日差しも大きく傾いていた。午後の休憩時刻も過ぎていたから、人通りは移動する人々で多かった。
リボンでプレゼント包装された袋は、当初予定していたよりも多めに枚数を購入してしまったこともあり、大きな荷物になっていた。それを持たせるのを申し訳なく思うティナに対して、トニーは「そのための荷物持ちですよ、奥様」と愛想良く言って、片腕にそれを抱え持って歩き出した。
「それにしても、少し離れた場所に、あんな素敵なお店が沢山あるとは思わなかったわ」
「俺も実際に足を運んだのは初めてですが、嫁いだ姉から、何度か話は聞いていたので。まぁ、今回は奥様のお役に立てたようで良かったです」
彼女の右側を歩く彼は、いつ何が起こってもいいように右手を自由にさせ、たびたびさりげなく周囲の様子を見ていた。覗く手や首に薄らと残る小さな傷跡が、地方で一時、一般治安兵をやっていた頃のものであると気付かないまま、ティナはこう謝った。
「今日は付き合わせてしまって、ごめんなさい」
「ん? 突然どうされたんですか」
トニーは、隣を歩くティナを見下ろした。またしても申し訳なさそうな表情をしていると気付いて、人混みであっても彼女の声を聞き逃さないよう耳を傾ける。
「まさか、こんなに時間が経ってしまうとは思わなくて……」
「ああ、なるほどね。ははは、昼食を軽く食べている時に気付かないのを見て、奥様ってさすがだなぁって思いました。あ、大丈夫ですよ、俺は全然疲れていません。この通りピンピンしています」
正直に思ったまま口にしたトニーは、途中で気付いて、きちんとそう答えた。作業に集中している間は、そばの椅子に腰かけて足を休めていた。店員も親世代の女性たちであったので、安心して任せて見守り役に徹していたのだ。
それで、と彼は質問を投げかけるように言葉を続けると、腕に抱えているプレゼントをちょっと持ち上げてティナに見せた。
「こちらは、どうされます?」
「帰ってきたばかりだと、アランもきっと疲れているでしょうから、お夕飯の席で渡そうと思っているの。だから、それまではトニーさん達のところに、隠しておいてもらおうかしら」
「あはははは、それはいいですね」
答えたトニーが、笑顔のまま人通りへと目を戻す。
「とはいえ、俺としては午前中に会ったエディー様の件がありますし、今の屋敷がどうなっているのか、物凄く気になるところです」
そんな独り言が聞こえて、ティナは彼の横顔を不思議そうに見た。
※※※
「あら、もう帰っていたの?」
帰宅したティナは、玄関扉を開けて目を丸くした。まだ夕刻には全然早い時間だというのに、そこには騎士服姿のアランがいたのだ。
しかも何故か、彼は執事ロバートを含めた全使用人に押さえ込まれている状態だった。玄関までもう少しという距離の床の上で、彼らを背中に乗せてその下敷きになっている。
一体、彼は何をしているのだろうか。
物珍しい光景を、ティナはまじまじと眺めてしまった。子供みたいにじゃれて遊んでいた、というには、全員が大人なので想像も難しい。けれど一階フロアには、はしゃぎ回ったあとみたいに、こん棒と複数の掃除道具も転がっている状況だった。
アランのすぐ上にいるのは、坐った目で彼を締め上げている執事ロバート、その上に重なるようにして料理長エドワードがいる。二人は衣装だけでなく、セットした髪型まで乱れてしまっていて、その上からメアリー達が乗りあげ、一番上には華奢なメイドのミシェルが、ちょこんと腰を下ろしていた。
こちらを見たアランが、我に返ったような表情をした。憑き物でも落ちたようにエメラルド色の目を丸くすると、ゆっくりと視線を移動させる。
「隣にいるのは、トニー……?」
「はい、コックのトニーですよ、旦那様。ほら、見覚えのある俺の自前のコートでしょう? なので、ひとまずは落ち着いてください」
トニーがそう言う声を聞きながら、ロバートがアランから腕を離した。思わずといった様子で、「くッ」と片手で顔を押さえて呻く。
「途中から完全に目的を見失っていた気がする。俺としたことが、奥様をこんな姿でお出迎えすることになろうとはッ……!」
「おい、ロバート。口調が『俺』に戻ってんぞ~」
「エド、寛ぐな。さっさとどけ」
一番先に冷静さを取り戻した料理長エドワードが、やれやれと頬杖をついて指摘する。すぐに執事ロバードが、八つ当たりのように静かに青筋を浮かべて、愚痴る口調でそう反論した。
メアリー達が、ぞろぞろと男性陣からどいた。みなりをざっくり整えると、きちんと姿勢を取ってから「奥様、お帰りなさいませ」と声を揃えて笑顔でそう言った。
ティナはそれに応えたものの、やはりこう尋ねずにはいられなかった。
「一体何があったの?」
「奥様、お見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ございません。……詳細は訊かないでいただけると助かります」
立ち上がったロバートが、表情を取り繕いつつ、崩れた髪型を両手で後ろへと撫でつけながら悔しそうに言った。それを見たトニーが「ぶはっ」と遅れて笑いをこぼし、自由にしていた片手で自分の口を押さえた。
その時、料理長エドワードとミシェル達に助け起こされたアランが、トニーが片腕に抱えている大きな袋に気付いた。
目立つリボンの包装を見て、疑問を覚えたように秀麗な眉を小さく寄せる。それからアランは、「何か祝いでもあっただろうか……?」と顎に触れて、ゆっくりと首を傾げた。
まさか帰ったら本人がすぐ目の前にいるとは想定外だ。そのせいで隠す暇もなかったと思い出して、ティナは困ったように小さく笑った。
「夕飯の席で渡そうと思っていたのに、ちょっと予定変更になっちゃったわね」
「ティナ? それは一体どういう――」
「実はね、サプライズでプレゼントをしようと思っていたのよ。アランはいつもお仕事を頑張ってくれているから、私も何かしてあげたくて」
それでお買い物に付き合ってもらったの、と言いながら、ティナはトニーに手を向けた。彼が察した様子で「なるほど、確かに予定変更ですね」と呟くと、プレゼント包装された荷物を、両手で彼女にそっと手渡した。
「……サプライズの、プレゼント…………、ティナが俺に……?」
アランが口の中で呟いて、肩越しに使用人たちを見やった。澄ました横顔で蝶ネクタイを直しているロバートと、ちょっと苦笑を浮かべて小さく手を振る料理長エドワードの後ろで、掃除道具を集め始めていたメアリー達が笑顔で頷き返す。
受け取ったプレゼントを胸に抱えたティナは、アランの前に立つと、乱れたままの彼のハニーブラウン色の癖毛の髪に手を伸ばして軽く整えた。本当に何があったのかしら、とは思ったものの、怪我はないようだし喧嘩をしたわけでもなさそうだ。
半ば茫然とこちらを見下ろす彼に、「手を出して」と声を掛けた。素直に両手を差し出してきたそこに、プレゼントを置いてから、ティナはにっこりと笑いかけた。
「アラン、いつもお仕事お疲れ様。それから、いつもありがとう」
「……ティナ、これ、開けてみてもいい……?」
「ええ、いいわよ」
少し遅れて、アランがプレゼントを見下ろした。ゆっくりリボンを解いて手を動かし始めたものの、まだどこかぼんやりとしていて、本当のことなんだろうかと信じられない様子で少したどたどしい。
喜んでくれるだろうかと、ティナは今更のように少しだけ落ち着かなくなった。緊張を解すように、スカートの前で手をそわそわとして話し出す。
「まだ先の未来だと思うけど、アランがいつも私服で着ているシャツの色の組み合わせで探してみたの――」
そう話す声が聞こえ始めた時、袋を開けたアランが衣類に気付いて目を見開いた。それが赤ちゃん用であると察した途端、彼はぶわりと瞳を潤ませて口許に手をあた。
「これ、……ッ嬉し過ぎる」
アランは、抑えきれない言葉を手の内側にもらし、感激した様子でぷるぷると震える。
先程までのテンションが一転して、まるで薔薇色だと言わんばかりに彼の表情と、まとう空気が明るく変わった。それを見たティナは、喜んでくれたみたいだと分かって嬉しくなった。袋から小さな服を取り出して見せると、つい、自分で付けたワンポイントの熊と兎柄が、お揃いであるところを説明してしまう。
アランが言葉も出ない様子で、ティナの話に首だけを大きく上下に動かせる様子を、ロバートは使用人仲間たちと共に見守っていた。しかし、ふと、警戒を覚えたようにハッとする。
「…………まさか、この勢いでイケると判断して飛びかかるんじゃないだろうな」
そう口にしたロバートは、アランの後ろにじりじりと歩み寄って、手を前に出した姿勢で構えてその動向を窺う。
「ははっ、猛獣使いみたいになってんなぁロバート」
付き合いの長い料理長のエドワードは、そう言って面白そうに笑った。
「大丈夫だって。旦那様は、誰よりも奥様のことを考えてんだから」
「料理長。でも俺としては、ロバートさんに同意するというか。だって今の旦那様、理性と煩悩の狭間でよからぬ妄想を展開しつつ、苦戦を強いられているように見えるんですけど。ほら、奥様を見る目がめっちゃいやらし――もがっ」
遠慮を知らない正直者のトニーの口を、エドワードは素早く手で塞ぐと、「ピュアなハートで考えようぜ」と言って引っ張っていった。




