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23話 四章 妻とプレゼントと使用人 ~執事と旦那様~(3)

 午前中の時間にティナとトニーを見送り、今は正午もかなり過ぎた時刻。


 執事ロバートの姿は、クライヴ家の屋敷の二階書斎室にあった。この屋敷の主人であるアラン・クライヴと、両手を取っ組み合った状態で、こめかみと手に青筋を立ててギリギリと互いの力を押し比べていた。


 平日のこの明るい時刻に、アランが書斎室で仕事にあたっているのも珍しい。彼はまだ近衛騎士の仕事着に身を包んだままであり、書斎机の上には、途中までしか仕上げられていない書類等が残されている状態だった。


「旦那様、こらえて下さいませ」

「嫌に決まっているだろう」


 半切れ状態といった低い声でロバートが言うと、アランもまた、切れかかった怒りを孕んだ低い声で答える。


 つか、なんで今日に限って超短時間勤務なんだよ。


 ロバートは心の中で、荒々しい本音を吐き捨てた。屋敷の主人であるアランが戻って来たのは、なんと午前中である。先日まで遅く帰ってくることが何度かあり、急きょ本日に、まとめてその残業分の時間を差し引きして帰宅することになったらしい。


 つい先程までは良かった。このまま大人しく静かにしていてくれそうだと思いながら、さりげなく監視しつつそばで手伝っていた。しかし、一人きりの軽い昼食の後、ここに戻って机仕事を再開して少しもしないうちに、コレである。


 このクソガキ――いや違った。


 旦那様には、ここで大人しく手紙の仕分けと返送、書類仕事にあたっていて欲しい。

 ロバートは今、書斎室に主人を押し留めるべく頑張っていた。


 ここを奴に突破されてしまったら、せっかく奥様であるティナが、自ら考えて行動しているところの障害になってしまうだろう。何せこのクソガk――間違えた、この旦那様は屋敷を飛び出して、彼女を捜し出すつもりなのだ。


 日頃からくっついているアランが、この状態で突撃したらどうなるか。サプライズの計画を台無しにされてしまったら、ティナだってさすがに鬱陶しいと気付いてしまうかもしれない。それで本当に家出でもされたら、大変である。


 旦那様であるアランも、主人としては大切なお方ではあるが、ロバートとしてはティナの方に優先順位を置いていた。このサプライズは彼のためでもあるし、優秀な執事としては、絶対にここは通さない覚悟だ。


「奥様にもご予定がございます。散歩くらいで寂しがったら、鬱陶しがられますよ、だからマジでお仕事にお戻りください」


 アランが若き馬鹿力で押してくるので、ロバートも三十代の底力でギリギリと押し返した。

 あれから、どのくらいこの状態が続いているかは分からないが、これまでの経験から、長くは持たないだろうと知っている。


 執事となってから、元々の筋力が更に発達した気がする。もっと力の要らない仕事だと思っていたんだけどな、という独白が、またしても脳裏を掠めていった。


 しかし、それにしても、とロバートは元々の元凶を思い浮かべた。



 畜生エディー様の野郎。前々から思っていたが、邪魔したいのか味方なのかホントによく分からないお人だなッ

 


 ロバートは、思わず主人から視線をそらすと「ちぃッ」と舌打ちした。


 何せ、旦那様のそわそわがブチ切れたのは、奴のせいだった。しかも唐突に来訪してきたエディーは、問題だけ放り込んでいくと、「んじゃ」と素早く別れの言葉を告げて、自分は流れるように上手く帰っていったのである。そこもまた忌々しい。


 チクショーあのクソガキめ、とロバートは持ち前の口の悪さで呻いた。


             ※※※


 アランは必死だった。どうにか書斎室を出るべく、普段屋敷を任せている執事ロバートと、両手を組み合わせて力比べの押し合いをしているところである。


 こんな時に限って、元地方軍人らしい馬鹿力を発揮するこの優秀な執事が忌々しい。自分は今、こんな事をしている暇なんてないのである。


 結婚した矢先、自称『信頼されている一番の部下』の副隊長、エディー・ニコルが、ティナに会わせてくださいとしつこかった。じゃあ勝手に突撃しますと言われて「駄目に決まってんだろ!」と答えたものの、奴ならやりかねないとも知っていたので、仕方なく屋敷に連れてきた。


 あまりにも自由な男なので、はじめはぶっ飛ばそうとも思っていた。しかし、初の顔合わせとなったティナが「面白い人ね」と言い、仕事時の様子が聞けて嬉しかった、隊長として頼られて立派にお仕事しているのね……とも口にしていて、それはそれで悪くないと思った。結果的に、エディーに紹介したのは満足している。


 アランとしては、むしろ早く職場に連れて行って、自分の妻であると自慢したくてたまらないし、休憩時間でさえ彼女と過ごしたいのだ。まだ慣れていない状況では緊張させるだけですよ、と執事ロバートに助言されて、確かにそうだと我慢している。


 数日前の休日は、夫婦らしいゆっくりとした時間を過ごして、それからちょっとデートにでも誘おうかなと考えていた。


 だから、あのクソ部下が元教官のレオンを連れてきた時は、本気で殺そうかなと思った。


 その後ティナにキスをもらえたし、帰りがてら彼女が自分から誘ってくれて、近くを散策出来たから幸せだった。しかも、帰宅して「もう一度、額に欲しいな」とおねだりしてみたら、なんと眠る前にまたそこにキスをしてくれたのだ。


 衝動的に押し倒してしまいそうになるのを、我慢するのでせいいっぱいだった。なんて愛らしいんだろう、と彼女をぎゅっと抱き締めて眠った。ティナは初めの頃と違って、こちらに身を完全に預けてくれていて、幸せすぎて朝も気持ちがふわふわとしていた。

 そのおかげで、出勤した際に「よくも休日に突撃訪問してくれたな」と、エディーをぶっ飛ばすのを忘れていた。

 


 今日は、ほとんど仕事もなく、すぐに帰宅することが出来た。少し驚いた後に笑う彼女の顔が見られるかもしれない、と期待して帰ったものの、肝心のティナがいなかった。

 少し散歩がてら出掛けたのだという。夜会の初参加に向けて、自主的にもダンスを習いに通ってもいたから、こういう気晴らしも必要でしょうとロバート達に言われて、それもそうだと思った。



 日中の屋敷に彼女がいないのが、なんだかとても落ち着かなかった。書斎室で届いた手紙の仕分けや書類をまとめていたものの、なかなか帰ってくる気配がなくて、一人の散策にしては遅すぎないだろうかとロバートに尋ねるたび、はぐらかすように「心配ございません」とだけ答えられてしまう。


 そわそわしていたら、何故かエディーが訪問してきた。彼も午前中の短い時間の勤務だけだったから、「帰りがけにエミリオ兄貴のとこに突撃して、羨ましがらせてくるわ!」と、よく分からない事を楽しげに言って、道の途中で別れたきりだった。


 友人と予定を立てているというエディーは、私服姿だった。そこに向かう途中の出先だというのに、わざわざ手土産だと言って「奥さんが、こういうの好きそうだと思って」と、香りの甘い紅茶を持ってきてくれていた。


 なんだか、ロバートがひどく警戒していた。そうしたらエディーが帰り際、今思い出しましたというような顔をして、こう言ったのだ。


「そういえば、外で奥さんを見掛けましたよ。さっき隊長、一人で散歩だって言っていたくらいだし、まぁ途中で知り合いか親切な人と合流したんですかね? 背丈が同じくらいだったんで、後ろ姿見た時は、一瞬、隊長と歩いているのかと思いましたけど、別の人だったので声は掛けませんでした」


 それを聞いて、アランは一瞬ピキリと思考が止まった。

 唐突な目撃情報だったのだが、咄嗟に脳裏に浮かんだのは、警戒心もない優しくて可愛いティナに声を掛ける、のんびりとした王都気質の独身男の存在だった。


 何せあれだけ愛らしいのだ。一人で出歩いていて、ナンパされないわけがない。


 声を掛ける男の存在を考えた瞬間、アランはプツリと切れていた。こうしている間にも、結婚している彼女に言い寄っている男がいたらどうするのだ。だから退けと言っているのに、ロバートは理解してくれず邪魔をしてくる。


 王都の男は、よくお茶に持ち込む口実で「××の場所が分からなくて、途中まで案内して頂けませんか?」と口にするのも知っている。


 ティナは優しいから、きっとにっこりと笑って、すぐそこまでならと案内するだろう。暇ならお茶休憩をしませんかと誘われて、もし同席してしまったら――しかも相手の男は下心ありだ。


 結婚前は、誰かに盗られるのではないかと、心配で心配過ぎて夜も眠れないことも多々あった。結婚後のアビリラ祭で、ティナも自分のことが好きであると知れて幸せの絶頂だった。

 だから、まさかここに来て、不安がぶり返すとは思ってもいなかった。


『既婚者であってもアタックする男女は、王都には沢山いるから気を付けな』


 そう上官にも言われていた。アランだって、実際にパーティーなどに参加するようになってから、その現実は何度も見てきた。


 ようやくティナと結婚出来たのだ。だというのに、なかなか関係をもう一歩前に進められていないように感じるのは、気のせいだろうか。


 そんな中で、自分とティナの邪魔をする輩が現われるなど、冗談じゃない。


 夫婦としてはまだ清い仲なのだ、横やりを入れられてたまるか。


「旦那様、いいですか、少し落ち着いてくださいませ。奥様も子供ではございませんから、知らない人にほいほいついていくことはないかと思われます」

「担ぎ上げられたらどうするんだ。そのまま『妻にしたい』とか言って、屋敷に連れ帰るような奴が出てきたらどうする!?」

「ソレそのまま貴方様じゃないですか」


 ロバートは、そこはしっかり冷静に指摘した。けれど、アランはどんどん膨れ上がる焦燥感に半ばパニック状態で、聞いていなかった。


 とにかく、こうしている場合じゃないのだ。一人でこんな長時間も散歩して帰って来ないのに、どうしてロバートは心配しないのだろうか。


 今まさに夫の助けを必要としているかもしれないティナを想って、アランは、またしてもプツリと切れた。


             ※※※


 騒ぎを聞きつけて、料理長のエドワードを筆頭に、メイドのメアリー達も揃って二階の書斎室の扉前に集まっていた。


「奥様を応援すべく、俺らも加勢に入るぜ、ロバート」


 よし、いつでもこい、とコック服の袖をまくった彼の手には、主人に向ける物とは思えない調理道具のこん棒が握られていた。身体がやたらと頑丈なアランが暴走しそうになった時は、いつもこれを使って止めている。


 メイド頭のメアリーも、仕事道具である箒を手に持っていた。彼女は自分と同じように、それぞれ掃除道具を武器として構えたミシェル達の様子を確認すると、エドワードに一つ頷き返した。


 扉を少しだけ開けて、一同は揃って室内を覗き込んだ。


 主人と執事が、両手を組み合わせて、ギリギリと押し問答する姿が目に留まった。アランとロバートから放たれる気迫からは、今まさに力比べもピークを迎えようとしているらしいことが分かって、思わず全員ゴクリと息を呑んでしまう。


 一番最年少のミシェルが、「相変わらず凄まじいですわね……」と言った。メアリーが「確かに」と相槌を打ってから、こう続ける。


「旦那様、普段から奥様と同じ寝室で寝ていますし、堪えがあるのかないのか分かりませんわねぇ……」

「もう少し成長してくださらないかしら」

「結婚してから、ほぼ毎回、書斎室でロバートさんが苦労を強いられていますわよね」


 女性陣がそう口にする声を耳にした料理長エドワードは、悩ましげに眉を寄せた。


「うーん。同じ男としては、かなり我慢して頑張っている気はするんだけどなぁ」


 つか同情する、と彼は未だ清いティナ一筋の旦那様を見て、ぽつりと呟いてしまう。

 その時、半ばブチ切れている執事ロバートが、おいソコにいるんだろ、と額に青筋を浮かべながら目を向けてきた。エドワード達は「奥様のために、やるぞ」と覚悟を決めると、気を引き締めてそれぞれ身構えた。

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