21話 四章 妻とプレゼントと使用人(1)
休日明けの一昨日、届いたドレスを執事のロバートが受け取っているのを見掛けた。アグネシア経由で頼んでいたアランが、注文したらしいそのドレスに似合う髪飾りも、続けて昨日の午前中に届いたのを、メイドのメアリーが仕分けていた。
今週末には、初めて参加する夜会がある。
夜会の日が迫るごとに、少しずつ緊張感が込み上げていた。
どうにか肩から力を抜いていられるのは、その話題を多めに出さず、アランがいつもと変わらずそばにいてくれるからだろうか。ダンスを教えてくれる新婚プランナーのアグネシアも、気を負わないようにと励ましてくれていた。
多分、使用人のみんなも気を遣って、それを強く意識させてしまわないよう話題を避けているのだろう。屋敷の中での用意もさりげなく進められていて、けれどティナはカレンダーをチラリと見るたび、つい日を数えてしまうのだ。
とはいえ先日、アランと共に孤児院へ行ってから、ティナは子供たちにしてあげたように、彼にも何かしてあげられないだろうかとも考えていた。
結婚してから、自分が沢山のこともらって、いつも元気付けられているばかりだと気付いた。彼は普段仕事で頑張っているのだから、お返しのように何か喜んでもらえるサプライズはないだろうかと、日が経つごとにその想いも強くなっている。
だから孤児院に行った休日から三日後の今日、ティナは行動を起こすことを決めた。アランが出掛けたのを見送った後、執事ロバートに「少しお話したいので、皆さんのお時間を頂いてもいいですか?」と頼んだ。
屋敷一階のメイン・フロアに集められた使用人たちは、どうしてか揃って不安そうな様子だった。死刑宣告を待つような青い顔をしていて、じっと黙って身構えている。
ロバートは深刻そうな表情をしており、メイドをとりまとめているメアリーと、彼女と仕事をしている若いメイドのミシェル達も心配そうにしていた。
誰もが、奥様であるティナの言葉を待って黙り込んでいた。その沈黙が長く続くと、例の若いコックが「とうとう『しつこい』って愛想尽かされたんじゃ――」と言いかけて、その口を隣にいた体格逞しい料理長が素早く手で塞いだ。
どう話そうかと考えていたティナは、彼らの様子を不思議に思いながら顔を上げた。それから、ようやくこう切り出した。
「実は私、アランが喜ぶプレゼントをしたいと思いまして。何かないかしらと思って、少し皆さんの意見を伺いたいんです」
昨夜、プレゼント・サプライズにしてみてはどうだろうかと思い付いた。しかし、彼が自分の持ち物で困っていないらしいことは、一緒に暮らしていて分かっていた。だから高価なプレゼント以外に、自分が出来る贈り物はないだろうかと思案していたのだ。
今日はダンス教室がないので、このまま外出してお店を回る考えでいた。その前にプレゼントの参考として、騎士となってから現在に至るまでのアランを、よく知っているロバート達に意見を訊いてみようと思ったのである。
すると、執事ロバートが心底安堵した様子で、深々と吐息をこぼして「はぁ、なんだ良かった」と珍しく素の口調で大きな独り言を口にした。
その直後、場に張りつめていた緊張の糸が解けて、メアリー達がほっと胸を撫で下ろした。彼より少し年上の料理長が、「その気持ち、よく分かるぜロバート」と小さな溜息を吐いて労う。
若いコックが「ははは」と笑って「家出じゃなくて良かった」と言い、近くに立っていた別の若いメイドに足を踏まれて「いてっ」と声を上げた。ロバートも彼を睨みつけたが、すぐに咳払いをすると、表情を取り繕ってからティナへと向き合った。
「奥様。これは私の個人的な案ではございますが、すぐに入り用な物ではなく、これから先の『増えるご家族のための服』などは、いかがでしょうか?」
「今後の服? ……あ、もしかして」
先日、訪問してきたレオンとのこともあって、ふっと思い至った。ティナが確認するように見つめ返すと、ロバートが「左様でございます」と言って言葉を続けた。
「まだベビー服のご用意はされておりませんから、妻である奥様が一番にそれをご用意されるのなら、旦那様もよりお喜びになられるかと思うのです」
語るロバートの表情は、決して恥ずかしいことではないというように冷静だった。それはティナだって分かっていたけれど、夫婦として自分にアランの子供が出来る頃の事を考えさせられて、じわじわと体温が上がるのを止められなかった。
ティナは「赤ちゃんの服……」と反芻すると、思わず頬を染めて視線を落とした。けれど、ふっと、孤児院で触れあった子供たちの事が脳裏に浮かんだ。
みんな愛らしくて、とても可愛い子たちだった。絵本の読み聞かせを行っている時も、お喋りを楽しんでいた時も、村にいた少ない子供たちの面倒を見ていた事が思い出されたのを覚えている。
いつもアランの帰りを待つこの広い屋敷に、賑やかな子供の声がある風景を想像した。そうしたら、ドキドキとしていた心音が、ほんのりと熱を持つトクトクとした物に変わったことを、不思議に思って胸に手をあてる。
その時、ロバートとティナのやりとりを、気ままな様子で見守っていた若いコックが「うわー、旦那様が泣いて喜びそうっすねー」と個人的な意見を口にした。メアリー達も「確かに」「さすがですわロバートさん」と相槌を打つ。
彼らの声を聞きながら、ロバートは目の前で俯いているティナを見下ろすと、柔らかく微笑んだ。結婚指輪がある左手を胸に当てて、新愛を込めて「奥様」と呼ぶ。
「このご提案をさせて頂いたのも、実は私が新婚だった頃、妻から贈られてとても嬉しかった事を覚えていたからなのです」
「奥様からのプレゼント?」
「はい。その後に子が出来たと聞かされた時は、一層はしゃいでしまいましたが――」
ロバートは思い出すように語りながら、目元を和らげた。覗き込んで屈めていた背を起こすと、主人に仕える執事らしく背筋を伸ばす。
「男としては、お金や仕事では手に入れられない幸福が何より嬉しいのです。そのかけがえのない『あなたとの未来の幸福を』と妻に告げられたようで、だから私はベビー服をプレゼントされた時、本当に心の底から、大変嬉しかったのでございます」
語るロバートの眼差しはとても優しくて、子が欲しかったのだという当時の本心が、そのまま伝わってくるようだった。ただただ暖かな気持ちと、彼もまた一人の良い父親なのだろうという想いが込み上げて、恥ずかしさは身を潜めた。
ティナはこの屋敷で走り回る、アランによく似た子供の姿を思い浮かべた。帰ってくる彼を一緒に待って、共に出迎えるところを想像したら、トクトクトクと胸が温かくなった。
私も妻として、彼の子供が欲しくてたまらなくなる頃がくるのかしら……?
まだ分からない事ばかりだけれど、いつか、そんな未来があるといいなと思った。孤児院で子供たちに囲まれて過ごしていた時、結婚する前よりも愛らしく感じたのは、自分の中でも何かが、少しずつ変わっている証なのかもしれない。
「私、それがいいわ」
ティナは知らず微笑んで、想いのままそう答えていた。
「彼へのプレゼントは、ベビー服にしましょう。ふふっ、どんなものがいいかしらね」
そう言いながら自身の胸に手をあてて、少しだけ大人の女性の表情で穏やかに微笑む。その姿を目に留めて、ロバートの後ろにいた使用人たちは顔を見合わせて、こっそりくすぐったそうに笑った。
若い奥様であるティナが考えをまとめるまで、ロバートはさりげなく襟元の蝶ネクタイを整えて待っていた。落ち着きなく首を伸ばした若いコックが、思い立って発言しようとしたのに気付いて、一番華奢なメイドのミシェルがその足を踏んで黙らせた。
「ちょっとしたワンポイントを付けても、構わないかしら?」
ふっと一思い付いて、ティナは顔を上げて彼らを見た。
すると、発言の用意をしていた執事のロバートが答えるよりも早く、彼の後ろから料理長が「そりゃいいですね」と野太い声で言った。
「それだったら、余計に喜ばれると思いますよ。ウチの子らが小さい時は、家内が目印みたいにちょっとした柄を付けていました。俺はそれを、結構可愛いなと思って見ていたもんです。年長者の既婚者としてアドバイスするなら、産まれる前に用意するはじめての幼児服は、男の子でも女の子でも使えるタイプの物がいいでしょう」
それなら、男の子用でも女の子用でも違和感のないような、ワンポイントを考えてみるのがいいのかもしれない。ティナは、これまでアランと一緒によく読んだ絵本の中で、一番馴染みがある動物は何かしらと記憶を辿った。
ロバートは、無表情にも見える仕事用の顔を、使用人の中で唯一の三十代と四十代として付き合いが長い、少し年上のその料理長へと向けた。
「こういう時はいい助言をするな、エド。感心した」
「一応、お前よりも少しばかりは長生きしているからな、ロバート」
そう言い、料理長――エドワードがニヤリとした。
あなたは礼儀や品に欠けるんです、とロバートはちょっと眉を寄せて、それからつらつらと考えに耽っているティナへと目を戻した。
「お一人で歩かせるわけにはまいりませんので、道案内兼ボディーガードという名目の『荷物持ち』に、そこのトニーをお連れください。この中で、若さと体力だけは一人前です」
ロバートが落ち着いた表情でさらっと、目を向けないまま指だけで料理長の近くに立っている若いコック――トニーを指してそう言った。指名された彼が、きょとんとした危機感のない笑顔を上げる。
「俺、旦那様に殺されませんかね?」
トニーが、自分を指してそう訊いた。しかし誰も聞いていなくて、唯一の二十代の男性使用人だから、それが一番いいだろうと、使用人たちが執事ロバートの意見に同意を示していた。
まだまだ王都の道にも詳しくはない。そう思ったティナは、いつも何かと力仕事まで任されているコック服のトニーを、申し訳なそうに見てこう頼んだ。
「お仕事を少し抜けても大丈夫そうであれば、お願いしてもいいですか?」
「あははは、奥様はこの屋敷で偉いお人なんですから、本来なら敬語も『お願い』も、しなくていいんですよ」
ほんとウチの奥様は愛らしいですねぇ、と言ってトニーは笑った。
すると、これで本人の了承は取ったと言わんばかりに、無表情の執事ロバートと、顔面が強面寄りの料理長エドワードが、ほぼ同時にトニーの後ろ襟首を掴まえて「「じゃ、まずはそのコック服を脱ぐか」」と引きずって行った。
身支度を整えて外出する事になり、ティナも長時間歩ける靴に履き替えた。しばらくもしないうちに、急ぎ厨房用の仕事着から私服に着替えさせられたコックのトニーが、髪がぐちゃぐちゃのままフロアに放り投げられた。
「あはははは、俺への扱いが雑過ぎて笑えますよねぇ」
彼は呑気な笑顔でそう言いながら、手で髪をざっくり整えた。見にしたままの感想を続けて、ティナを褒める。
「奥様、そのスカート新しいやつですよね。旦那様が選んだだけあって、よくお似合いです」
「ありがとう。……えぇと、あの、コートの長い裾のところの角の方が、少し裏返ってしまっているのだけれど、大丈夫?」
「ああ、問題ありませんよ。自分で直しますので、平気です」
私服の薄地コートの裾部分を手で払ったトニーは、そこで見送りに集まっている使用人仲間たちを目に留めた。
すると、年長組の執事ロバートと料理長エドワード、それからメイド達も揃って凛々しい表情で、戦場に送り出す兵士でも見届けるように言葉もなく頷いてきた。
「――……ねぇ、皆さん。その『へたしたら、その時は骨を拾うわ』って空気を出すの、やめてくれません?」
トニーは、ティナの荷物持ちとしてその隣に立ったまま、思わずそう言った。