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20話 四章 オーヴェン子爵と孤児院

 休日は孤児院に顔を出し、子供たちの様子見がてら少し相手をするのが、レオン・オーヴェン子爵の日課であるらしい。


 彼の馬車で向かう道中、立ち寄った菓子屋ではレオンの顔を見るなり「いつもの物ですか」と店のパティシエが尋ねていた。クッキーの入った小袋を、いくつかの種類ごとに手早く取って大きな袋へ沢山詰めると、慣れたように荷台に運び入れた。


 その孤児院は、王都の中心街から少しだけ離れた場所に建てられていた。一昔前に移設された旧教会で、市民たちが寄付で買い取った後、貴族たちの寄付によって増設された。現在は供働きの一般市民のための、子供の預かり所としても開放されている。

 建物は屋根が高くて、教会だった頃の名残がある複数の尖塔を持っていた。道沿いにある低い階段をのぼってすぐの場所に大きな扉があって、中から子供たちの声が聞こえていた。


 レオンがノックしてすぐ、人の良さそうな白髪混じりの男が四人を出迎えた。その男は、院長のマーカスだと名乗り、五十代くらいの良い体格をしていた。


 彼は柄の入っていない丈の長い服に身を包んでおり、微笑むと目尻の皺が深まって、慈愛溢れる穏やかな気質が伝わってきた。ティナとアランが軽く自己紹介すると、「ご夫婦でいらっしゃいましたか」と頷いてから、どうぞと中へ招き入れた。


 孤児院のメイン・フロアは、まさに町の教会といった様子だった。等間隔で長テーブルが設置されていて、固定された長椅子は当時のまま利用されている。正面奥は壇上になっており、古風で立派なオルガンが置かれてあっる。


 長テーブルの席には、五歳から十歳前後の子供たちが二十人ほどいた。夕方まで預けられている子たちもいて、一緒に腰かけて字の練習をしているところだった。


 彼らは手を止めると、振り返るなり「子爵様だ」「エディー兄ちゃんだ」と瞳を輝かせた。

 レオンが「いい子にしていたかな」と笑顔で向かう中、アランがチラリと部下へ目を向けた。子供たちと顔見知りのようだと感じて、ティナも同じくエディーを見ると、両手に菓子の入った袋を持った彼が、小さく肩を竦めてこう答えてきた。


「俺もレオン教官に付き合って、たまに顔を出しているんですよ。たまに時間があると、レオン教官の奥さんがスコーンを焼いてくれるんですけど、それがまた超美味いんですよねぇ」


 スコーン目的だったのに、いつの間にか常連みたくなっちゃって、とエディーはしみじみとした風で言った。それを聞いたアランが「前々から思っていたんだが、お前の貴族らしいところを見たことがない……」と言葉をもらした。


 その時、レオンに挨拶を済ませた子供たちが、マーカス院長から休憩を告げられてすぐ、沢山のクッキーが入っている袋を持ったエディーに駆け寄った。彼越しにアランとティナへ目を向けて、口々に言う。


「エディー兄ちゃん、この人誰?」

「エディーさんよりハンサムな人ねっ、お友達なの?」

「はいはいッ、エディーお菓子ちょうだい!」

「うわー、相変わらず俺のこと呼び捨てかよ。お前らはたいした子供だよな、まったく」


 エディーは腕にしがみつく女の子と、袋と自分を掴んで揺らしてくる男の子たちを見ると、悩ましげに言って高い天井を仰いだ。俺だってクッキー食べたい……という彼の呟きが聞こえた。どうやら、彼も子供たちに負けずお菓子が好きであるらしい。


 ティナがそう推測していると、興味津津な子供たちに質問攻撃をされ続けているエディーが、「よし」と気合いを入れた声を上げた。凛々しい表情を浮かべると、騒ぐ彼らに視線を戻して力一杯こう告げた。


「ひとまず俺と遊びたい人は庭に、楽しくお喋りしながらおやつを食べたい人は『子爵様』のところに、絵本読んで欲しい人は、お姉さんのところに行こうか!」

「おい、ちょっと待てエディー。いつそんなの決まっ――」

「隊長、空気を読んでください。俺もクッキー食べたいのを我慢して、一旦こいつらの体力を発散させてきますから」


 エディーが使命感溢れる顔を向けて、いまだに自分を掴んでで揺らし続けている、元気いっぱいの男の子たちを指した。数人の男の子たちが「たいちょうって?」と疑問の声を上げるのを聞いて、アランは堪えるような間を置いてから吐息をこぼす。


「なら俺は、レオン教官と一緒に待つことにするよ」

「それはそれで羨ましい役目っすね、クッキー食べ放題じゃないっすかチクショー」


 真面目な顔で、エディーは思った事をそのまま口にした。ふっと遅れて気付いたようにティナへ目を向けると、少し反省したような表情を浮かべた。


「勝手に読み聞かせ担当に指名してしまって、すみません。いつもはレオン教官がやっているんですけど、やっぱりこういうのって、女の人がやった方が子供らも喜ぶかな~って。――いいっすか?」

「本を読んであげるのは得意なの、だから大丈夫よ」

「そりゃ良かった。つか、その笑顔、癖になりそうっすね。隊長がぞっこんなのも分からないでもない気がします」


 すかさずアランが、「くどくんじゃないッ」と足を振り上げた。しかし、エディーは「そんなつもりはないっすよ~」と答えながらひらりと避けると、レオンのもとに菓子を持っていった。



 院長のマーカスが皿を用意し、二つの長テーブルにクッキーが広げられた。


 子供の扱いに慣れないアランを気遣い、レオンが彼を長椅子の端に座らせて隣に腰かけ。子供たちが好きな席に座って菓子に手を伸ばす中、元気溢れる数人の男の子たちが、エディーの後を追って裏口から庭先へと走って出て行った。



 ティナのもとに集まったのは、八割が女の子たちだった。希望された王子と姫の童話を低い本棚から取り出して、壇上の段差に腰かけて子供たちを周りに集めた。


 初めて読む童話ではなかったので、緊張せず読み聞かせを始めることが出来た。子供たちが瞳をキラキラとさせて、一心に耳を済ませて静かに聞いてくれる様子が嬉しい。

 村にいた少ない子供たちも、こうして楽しんでくれていたことを懐かしく思い出した。きっと読んでもらうのが好きな年頃なのね、とティナは微笑ましく思った。


 しばらくもしないうちに、おやつを食べていた子たちも読み聞かせに加わった。長椅子に残ったアランとレオンとマーカスが見守る中、ティナは時間を忘れて絵本を読み聞かせていた。途中でエディーが、クッキーが食べたくなった男の子たちを引き連れて、戻ってきたことにも気付かなかった。


 いつの間にか、二十人ほどの子供たちは、段差に腰かけるティナの周りに全員集まっていた。クッキーが皿に半分も残っている状態は珍しく、エディーはテーブルに腰を寄りかからせながら、それを食べつつ感心した様子で言う。


「さすが、昔から隊長相手に慣れているだけはありますねぇ。つか、十代の中盤過ぎても本を読んでもらってたとか、普通なら絶対ウザがられ――あ。笑顔で凄むのは無しっすよ、隊長。今その殺気を醸すのは、さすがにやばいっす」


 エディーは、目を向けてもいないアランから、馴染みあるマイナス五度の空気が発されるのを察知して、すかさずそう口にした。


 レオンが上品な笑みをこぼして、フォローするように彼を見た。


「多分、彼女は根っから面倒見のいい女性なんだろうね。もしかしたら読み聞かせが好きになったのも、アランがきっかけかもしれないよ?」

「あ~、なんか好きそうな感じはしますけど、それだとかなり隊長都合のロマンチックな展開で、俺としてはちょっと面白くないって言うか」

「エディー、君は上司が好きなのか嫌いなのか、時々分からなくなるねぇ」


 はははは、と明るい調子で笑うレオンの隣から、アランの姿だけが消えていた。


 音も立てず一瞬でエディーのもとに移動した彼は、ティナに集中する子供たちに気付かれてしまわないよう、文句を胸の中だけで叫びながら部下の胸倉を掴んで激しく揺らした。エディーは「勘弁してくださいよ~、も~」と、腑抜けた表情で言う。


 自分の夫が、ロマンチックなレオン意見と、シビアなエディー論の間で葛藤しているとも知らず、ティナは絵本を読み進めていた。最後のページの「『そして、二人は仲良く幸せに暮らしました』」と口にしたところで、ようやく絵本を閉じた。


「お姉さんの声、優しくて好きよ」

「ありがとう、嬉しいわ。あなた、一番真剣に聞いてくれていたわね」


 髪の横をリボンで留めたその女の子は、王子と姫が離れ離れになってしまうシーンでは、ハラハラした様子で涙ぐんでいた。ティナはそれを思い出して、その時からずっとスカートの裾を握っている幼い手に、自分の掌を重ねて微笑みかけながらそう声を掛ける。


 先程よりもすっかり近くなった距離に座りこんでいた子供たちの中で、途中から参加していた男の子が、同じようにスカートを少し引っ張った。


「呪いが解けたお姫様は、王子と結婚したから幸せになったのか?」

「ずっと一緒にいられるようになったから、幸せになって、二人は仲良く暮らしたのよ」

「ねぇねぇ、また絵本を読んでくれる?」


 先程とは違う女の子が、こちらに身を乗り出して、大きな瞳に期待を込めてそう尋ねてきた。

 どうやら、すっかり懐かれてしまったらしい。微笑ましく感じたティナは「いいわよ」と答えてから、「可愛いわねぇ」と口にして彼女の頭を撫でた。嬉しそうに笑った彼女たちが、ぎゅっと抱きついてくる様子も愛らしくて二人を抱き締め返すと、僕も私もと言って、他の子たちも周りに集まってきた。


「お姉さんって、なんだかママみたい」

「こんなお姉さんが欲しいなぁ」

「大きくなったら、僕がお姉さんの『王子様』になってあげてもいいよッ」


 テーブル席からその様子を見ていたレオンが、「仲良くなれたみたいで何よりだ」と微笑んだ。マーカスが笑顔で「左様ですな」と頷いて、子供たちの騒ぎようを一度落ち着かせましょうかね、と言ってゆっくりと立ち上がる。


 上司に胸倉を掴まれたままだったエディーは、読み聞かせの声が止まると同時に、ぴたりと動かなくなった手からティナ達の方へと目を向けた。


「あらあら。隊長の奥さん、子供たちに大人気っすねぇ」


 その時、エディーは自分の胸倉を掴んでいるアランの手が、小さくぷるぷると震え出したことに気付いた。同じように異変を察したレオンと、歩き出していたマーカスも足を止めて振り返る。


 アランが唐突にガバリと顔を上げた。三人の視線を集めた彼が、今にも泣きそうな情けない表情をしていて、その瞳が『マジで潤んでいる』のを間近で目撃したエディーが、「は?」と間の抜けた声を上げる。


 アランは掴んでいた胸倉から手を離し、大股で歩き出した。そのまま一直線に子供たちの中を突き進むと、その中心に座りこんでいたティナを、彼らから取り上げるように抱き上げた。

 突然片腕に抱えられたティナは、びっくりしてしまった。一体何事だろうかと近くにあるアランの美麗な横顔に目を留めてすぐ、彼が泣きそうな表情をしていることに気付いた。ますます何があったのか分からず、目を丸くしてしまう。


 すると、彼が泣き顔で子供たちに告げた。


「俺の妻です!」


 何故か敬語で、幼い子供相手に張り合うかのように、アランが涙目でそう主張した。誰に盗られるというわけでもないのに、下にいる彼らから引き離すように更にこちらを持ち上げたかと思ったら、唐突に走り出してしまっていた。


 アランが妻を抱えて建物から逃げる様子を、エディーとマーカスが呆気に取られた顔で見送った。レオンが「ははははは、実に初々しい」と笑い、あの調子だと独占したくて、もうしばらく子供は出来そうにないだろうなぁと呟いたのだった。


             ※※※ 


 既に結婚している自分を、どうして夫である彼が、あの場で『自分の妻である』と主張したのか分からない。籍だって入れているし、結婚指輪だってしているのだ。


 ティナは彼を落ち着かせようとしたものの、振動も大きくて声をかけることも出来なかった。アランはこちらを抱き上げたまま、どこにそんな力があるのかというくらい猛然と町中を駆けていて、彼の頭にしがみついているしかなかった。


 孤児院からだいぶ離れてようやく、大きな木が均等に並んで影を落としている小さな公園の入口で、アランが一旦足を止めた。


 人の通りも少ない場所にきて、少しは落ち着きが戻ったらしい。遅れて現状を理解したのか、今度はぎこちなく足を進めると、人のいない園内に入ってから、公園入り口から続く低目の塀にティナを座らせた。


 ティナは、自分よりも視線が低くなったアランの顔に目を向けた。すると、彼が申し訳なさそうに視線を落として、ごにょごにょとこう言ってきた。


「いきなり抱き上げて走ったりして、ごめん、ティナ……」

「あの、それは別に構わないのだけれど」


 本音を言うと、ポカンと口を開けてこちらを見ていた子供たちや、孤児院に残してきたエディーとレオンのことも気になっている。


 それでも、彼がこんなにも不安そうな表情をしている方が気になるし、泣き顔を正面から見るとますます心配になった。


「突然どうしたの?」


 尋ねてみると、アランが宝石みたいなエメラルドの瞳を、チラリとこちらを向けた。


「…………君に抱き締められている子たちが、羨ましかったというか。その……、俺が入れないような空気があって、彼らに君を、盗られるんじゃないかと思って……」


 俺の妻なのに、どうか盗らないでと思ったら、抑えがきかなくなって身体が動いていたのだという。


 返ってきた答えを聞いて、ティナはしばし言葉が浮かばなかった。もう大人なのに子供みたいな発想だ。しかし、そういう寂しがり屋なところも彼らしいと感じて、なんだか少しくすぐったいような暖かな気持ちが込み上げた。


 そんなアランを微笑ましく思った。なんて可愛い人なんだろうか。


 また俯いてしまった彼の、癖のあるハニー・ブラウンの髪に手を伸ばしてみると、触れた際に肩がビクリとはねるのが見えた。安心させるように撫でてあげると、すぅっと彼の肩から強張りが抜けていくのを感じた。


「馬鹿ね。私はアランの『奥さん』で、いつだって一緒に本も読めるし、抱き締められるのに」


 想像して口にしたら、どうしてか胸がトクトクと鳴った。不意に彼に触れたくなってしまって、気付いたらティナは、まだ俯いたままのアランの頭を抱き締めるように引き寄せて、その額に、ほんの少し触れる程度のキスを贈っていた。


 アランは一瞬だけ硬直して、それからゆっくりと視線を上げた。近くなった位置にあるティナの顔を見つめると、自分の頬を包みこむ彼女の手を上から握り込む。


「…………ティナ、今、俺にキスをしてくれたの?」

「だってアランったら、今にも泣きそうだったんだもの」


 恥ずかしいなんて思わなかった。自然にしたくなったから、唇で彼の額に触れた。そう開き直ってにっこりと笑いかけたら、アランが熱のこもった目を更に潤ませた。


「抱き締めてもいい? このままぎゅっとして、顔を埋めたい」

「また表情と台詞が一致していない気が……。ああ、ほら、泣かないで。好きなようにしていいから」


 泣く前兆だと思ったティナは、そう言って両手を広げて見せた。


 アランは一瞬、真顔でピキリと固まった。凛々しい表情ながら「……このタイミングでその台詞とか、試されている気がする……耐えろ俺」と口の中に呟きをこぼし、踏みとどまるように頭を振った。けれど、こればかりは我慢出来ないとでもいうように、彼女の腰にしがみついてその腹部に頬を擦り寄せた。


「アランの寂しがりは、なかなか治らないわねぇ」


 ティナは、腰に抱きつくアランの癖毛の髪を、慰めるようにして軽く撫でた。

 すぅっと深呼吸する音が聞こえて、心臓の鼓動を聴くように彼が頭の位置を少し上げてきた。少しくすぐったかったけれど、大きな子供みたいだと思ったら愛情が増して、その頭を抱き締めて宥めていた。


「大丈夫よ、私はどこにも行かないもの」

「うん…………。でも、今日はせっかくの休みなのに、朝からバタバタさせて本当にごめん。エディーはあとで殺――言い聞かせておくから」


 今キスしたら止まれないだろうなぁ、とアランはこっそり呟いて、良い匂いのする彼女をめいいっぱい抱き締めた。

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