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2話 一章 朝のいつもの光景

 踵が床から離れている自分の靴を見下ろすのは、もう何度目だろうか。


 ティナは今、諦めの心境でそれを目に留めていた。されるがまま、遠い目をそちらに向けている。その瞳は珍しくもないブラウンで、癖のない艶のある長い漆黒の髪の他は、とくにこれといって目も引かない平凡な十九歳の村娘だった。


 自分が魅力的な女性でないとは、十分に自覚していた。背丈は少し低めで、目鼻立ちは悪くないものの彫りは深くないし、鼻だって高くはない。全体的に細身であるせいで腰回りも小さくて、村の同性の友人たちからは色気がないとも言われた。


 先程からずっと、後ろから小さくぐずるような泣き声が聞こえている。背が高いから、思い切り抱き締めるとあっさり持ち上げてしまうのだけれど、気にせずこちらの頭にぐりぐりと頬をこすりつけているのは、一人の美麗な青年である。


 立派な騎士服に身を包んだ彼は、アラン・クライヴといい――彼女の幼馴染である。

 アランは、出身の村内では珍しい、明るいハニーブラウンの柔らかな髪に、母譲りのエメラルド色の瞳をした美青年だった。両親ともに小柄であるというのに、彼はかなりの長身ですらりと手足が長い。目頭の彫りが深くて端正な顔立ちをしており、優しい切れ長の瞳をしていた。



 ティナとアランは、王都から馬を飛ばして数時間の距離にある、広々とした農村地帯にぽつんとあるバルドという小さな村で産まれた。住民の数は少なくて、同じ歳はティナとアランだけだった。


 アランは昔、とても小さい男の子だった。よく泣いてばかりいたから、ティナがいつも面倒を見るように手を引っ張って「男の子なら泣かないッ」とお姉ちゃんのように叱っていたのだ。それは物心付いた頃から、村ではすっかり馴染みの光景にもなっていた。



 騎士になるため、アランは十三歳から王都と村を行き来した。十七歳という若さで近衛騎士隊の隊長に就任し、仕事が忙しくて向こうに本格的に住居を移した後に騎士伯となり、数ヶ月に一度しか村に戻って来られないようになった。


 昨年の雪が溶けだした頃、唐突に魔物が大量発生し国が討伐に乗り出した。彼の騎士部隊も派遣され、半年かけて国は大勝利を収め、素晴らしい活躍を見せたアランも勲章が授与されるらしいと村に吉報が届いたのである。


 バルド村の人間が騎士になり、そこまで出世するのも初めてのことである。「これは目出度い」「これからの活躍がますます楽しみだね」と村の人たちとやりとりしたのは、つい最近だった。遠いこの村から彼の活躍を応援していよう、と皆と話していたというのに、どうしてこんなことになっているのか。



 彼が魔物の討伐に出発してから、八ヶ月も顔を見なかったのは最長記録だ。とはいえ、十九歳の現在も引き続きコレというも、どうかとティナは思うのだ。


 活動拠点を王都に移した後も、よく村に戻ってきていたアランの、いつまで経っても子供みたいなところについては、あいつは結婚出来ないんじゃないかと村の男たちも心配していた。騎士伯になっているし、王都には綺麗な女性も沢山いるから大丈夫でしょう――多分、と、ティナが答えたのも、ついこの間のことである。


 けれど、ちっとも大丈夫じゃなかったらしい。


 十九歳といえば、もう大人であるのに、この幼馴染は昔と全然変わっていない。


 というか、ティナとしては、むしろ悪化しているような気がしてならない。彼がまだ華奢だった少年時代までは、泣きついてくるくらいだった。それなのに今では、抱き締め癖でもあるかのように毎度、ぎゅっとしてくるのだ。


 彼は騎士学校に通い始めてから急激に身長が伸びて、今では体格差がかなり大きくなってしまっている。抱きつかれたりすると、すっぽり腕の中に収まってしまうので、二年前の十七歳で身長の成長が止まってしまったティナとしては、やめてくれないだろうかと思っている。


「仕事に行きたくない」

「だめよ、ちゃんとお仕事に行ってきて」


 そうだと、なんのために私がここにいるのか、分からなくなってしまう。


 この状況の発端は、魔物の大討伐完了と幼馴染の吉報が届いた少し後に起こった。国を上げたお祝いムードの中、唐突にアランが単騎で村に飛び込んできて、こちらの実家に突撃してきたのだ。

 扉を開けた時、そこに八ヶ月振りに見る彼の姿があって驚いた。アランは騎士隊長として着飾っており、あなた大討伐の勝利を収めた主役の一人でしょう、どうして今ここにいるの、と心配になって尋ねたら、泣き顔で開口一番「心細くてもう耐えられないッ、寂しくて死んでしまう!」と、恥ずかしげもなく言い放ってきた。


 それを見て、家族一同唖然となった。その直後、ティナはいつものようにぎゅっと抱きつかれて「そばにいてくれ」と泣きつかれた。追い駆けてきたらしい彼の部下たちが、家の前で馬を降りて「隊長! 大事な式典があるので戻って下さいッ」と、式典をドタキャン覚悟で彼が戻ってきたと気付いた村人も駆け付け、大騒ぎになったのである。

 その間、アランは一度も離してくれなかった。気付いたら抱き締められたままリビングのソファに一緒に座っていて、目の前で両親が結婚届けに揃って署名し、指で拇印させられて左手の薬指に指輪をされ、抱えられたまま馬に乗せられたのだ。


 そのまま彼に連れられて、王都にある立派な屋敷に運び込まれた。その際に、少ない使用人たちに揃って「ご結婚おめでとうございます」と出迎えられたティナは、奥様呼びをされて呆気に取られた。


 あの日から、ティナとアランの左手の薬指には、シンプルながら小さなダイヤの付いた揃いの結婚指輪があった。


 寂しいからと突撃されて、こうして共に暮らし始めてまだ一週間と少しだった。だから、そういう経緯もあって『妻』になったという実感もなかった。アランが抱き締めるのも、「寂しい」と甘えてくるのも昔からあることだったので、これといって村にいた頃となんら変わっていない気もしている。


 夫婦であれば、共に暮らしていても不自然ではないだろうけれど、だからって王都で一緒に住むために籍まで入れるものだろうか。幼馴染なのだから、礼儀に厳しいらしい王都であっても、男女の同居という形でどうにかならなかったのかしら、と不思議に思う。

 寂しがるところは、大人になっても健在というのも困りものである。というか、そもそもどうして彼と結婚ということになっているのだろうか?


 そんな事を考えていたら、アランがこちらを抱えたまま歩きだした。馬車の準備を整えた中年執事のロバートが、目を坐らせて彼の目の前に立ち塞がった。


「旦那様、職場へは連れていけません」

「じゃあ、せめて馬車の中でお喋りだけでも――」

「なりません。奥様を速やかに解放して、そのままお仕事に行ってらしてください」


 有無を言わさない様子で、ぴしゃりとそう告げるロバートの眼光は鋭かった。もはや主人に向ける目ではない。教育的指導をするように『絶対に引きません』という姿勢で、ピシリと背筋を伸ばして立っている。


 会えなかった八ヶ月間が影響しているのか、同じ屋根の下で暮らしているというのに、アランは一週間以上経ってもこの状態である。寂しがり屋に拍車がかかって悪化しているみたいだった。とにかく甘えに甘えたがって、ずっとひっついていたがるし抱き付き癖がひどい。


 自分の執事に『却下』というお叱りを受けたアランが、しょんぼりしたように頭の上にぐりぐりと頬を擦りつけてきた。仕方ないけれど諦めるしかないのだろうか、と悩むみたいに小さく息を吐くのが聞こえる。


 そこから幼馴染の寂しそうな雰囲気を察して、ティナはひとまず、いつものように手を伸ばして彼の髪を撫でてあげた。そうしたら、ようやく納得してくれたように床に降ろしてくれて、アランがそっと手を握りこんでこう言った。


「今日も早く帰るよ、ティナ」

「あの、別に急がなくても大丈夫よ? 夕食はアランが帰って来てから一緒に食べるし、だからこの前みたいに、抜け出してきたりしたら駄目だからね?」


 村にも迎えに来ていた彼の部下の一人が、「なんであっさり帰ってるんですか」「おかげで第二師団の隊長にめっちゃ睨まれたんですけど、演習場が現在進行形で絶対零度の空気に晒されて凍りついてるんですけどッ」、と先日来ていたのだ。


「じゃあ、今日も頑張って行ってらっしゃい」


 執事ロバートの隣で、村にいた頃と変わらずそう言って見送ると、アランが嬉しそうに笑って「今日も頑張ってくる」と言った。そして、彼はロバートに「留守を頼む」と屋敷の主らしく告げてから、馬車に乗り込んでいった。

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