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17話 四章 ティナとアグネシア

 三回目のダンスの授業を終えたティナは、少し火照った身体を、一階にある応接室のソファに腰かけて休めていた。ふんわりと沈んでしまうくらいクッション性があって、とても座り心地がいい。


「覚えがとても良いですわ。足を踏むことも、ほとんどなくなりましたわね」


 紅茶で互いの喉が潤ったところで、アグネシアがそう言った。


「参加する夜会は、来週でしたわね。わたくしも別件の仕事で参加致しますので、ささやかながら、当日もアドバイスさせて頂きますわ」

「ありがとうございます、とても心強いです」


 ティナは、心を込めて感謝を伝えた。


 今回の夜会については、彼の妻としての社交デビューともなる。ドレスを着てアランと踊ってみたいな、という思いから始まったことだったが、そう教えられて一層練習に励んでいた。


 挨拶もきちんと出来るだろうかと考えると、ダンス以外にも緊張を覚える。執事のロバートは「旦那様も限定したご同僚や、世話になった付き合いのある方々の何人かにご紹介される程度だと伺っております。任せておけば大丈夫です」とは言っていたけれど、アランに迷惑を掛けてしまわないか心配だった。


 ダンスの練習をする中で、アグネシアはこちらの不安を察して「まずは『上手く踊れないかもしない』という不安から、先になくしてしまいましょうか」と言ってくれていた。

 夫と楽しく踊るのが第一目標なので、今は難しいことは気にしなくてもいい、という彼女のアドバイスには救われている。


 夜会でする挨拶も、数回出席すれば慣れてしまうくらい、細々とした堅苦しい決まりはなく簡単なものであるという。それは軍人であり、貴族でもある夫を持つアグネシアが自身の経験から助言してくれていて、ティナは心強さを覚えていた。


「そういえば、一昨日の騒がしい銀行強盗の件を覚えておいでですか? 昨日、解決したらしいですわよ」

「新聞の一面に載っていましたね」


 アグネシアが、ふと思い出すように言った。


 ティナは、今朝の新聞の一面記事を思い返した。警備隊と軍の見事な協力体制であっという間に犯人確保、という見出しだったのを覚えている。


 今回の事件に関しては、逃走された後の対応も早かったのだと、高評価する声が多かった。昨日あったらしい犯人確保時の詳細については、不思議とほとんど書かれていないものの、警備隊の今後の活躍にますます期待すると記事には書かれてあった。


 今朝の朝食の時、一緒に新聞を見たアランも「すぐに解決出来たみたいで良かったよ」と口にしていた。彼は王宮の近衛騎士隊なので、詳細については知らないらしく、すぐに新聞を執事のロバートに預けて片付けさせていた。


 恐らく彼には、都会暮らしで慣れた話題でもあったのだろう。ティナとしては、田舎だとほぼ無縁の騒ぎだったから、紅茶カップをテーブルに戻しながらしみじみと思ってしまう。


「都会だと、ああいった大きな事件が起こるものなんですねぇ」

「いいえ、奥様。あれだけ大きな事件は、都会でも珍しいですわよ。王都は平和ですし、治安もとても良い場所ですから、わたくし達も安心して暮らせます」


 他の町であれば護衛を連れたり、護身のための剣を持つのも珍しくない。しかし、王都で休日を楽しむ貴族紳士は、武器を所持しないのが当たり前の光景だった。


 アグネシアに説明されたティナは、王都で過ごした日々を振り返って、なるほどと納得してしまった。アランは騎士だけれど、私服姿で剣を持っているのは見たことがなかった。


「奥様。今週の休日は、もう何かご予定はされておりますの?」

「いいえ、特には何も入れていませんけれど」


 唐突に問われたティナは、首を傾げて見せた。


 すると、アグネシアはにっこりと笑ってこう続けた。


「新婚夫婦の休日デートは、妻の方からご提案があると、喜ばれる夫も多いですわよ」

「うーん、一緒に出掛けるといっても……先週ピクニックに連れて行ってもらったばかりですし、アランはずっとお仕事を頑張っていますから、少し休んでもらった方がいいのかなとも思いまして」


 一緒に暮らしてみて分かったのだが、アランは平日ずっと仕事続きだった。出勤前と帰宅後には、二人でゆっくり過ごせているので、休日だからといって続けて無理に予定を入れるようなことは、しなくてもいいような気もしている。


 そもそも、同じ屋敷で毎日を過ごしているというのに、彼の寂しがり屋なところが以前と全く変わらないというのも不思議だ。


 結婚前は離れて暮らしていたし、彼が騎士になるため王都通いが始まってからは、会える機会はとても少なくなっていたから『一緒に散歩』もよくした。けれど今朝も朝食後に、片時も離れたくないと膝の上に抱えられてしまったくらいだった。


 私はどこにも行ったりしないのに、変なアラン。


 もう結婚までして彼の妻になったのに、と考えたところで、ティナはふっと体温が上がるのを感じた。

 自分はこんなにも普通の村娘なのに、アランには可愛く見えているのだ。そんな彼に、望まれて妻になったのだと思い返したら、なんだかドキドキしてしまった。


 そんなティナの様子を凝視しながら、アグネシアは鼻から少しこぼれた鼻血を、さりげなくハンカチで押さえて止めていた。


「ああ、恥ずかしがる姿がたまりませんわ。それになんて夫想いの発言ッ」


 そう勝手に一人で悶えたアグネシアは、ハンカチを押し当てたまま拳を掲げた。


「これは、報告として手紙にしっかり書いておかねばなりませんわねッ」

「アグネシアさん、息が荒くなっていますけれど、どうかされたんですか?」


 ティナは、遅れてその様子に気付いた。心配そうな表情を見たアグネシアは、ハンカチで鼻を押さえたまま「うふふふ」と、愛想笑いでガバリと立ち上がった。


「わたくし、ちょっと報告のお手紙をしたためてまいりますわ」

「今日は、ここで書かないんですね」

「奥様を目の前にしたら、妄想まで爆発して何十枚でも書いてしまいま――げふんっ。とりあえず、便箋一枚では絶対に収まらないあれやこれやの想いを、あのお固い執事にでもぶつけてしまわないと、興奮がおさまりそうにありませんわ!」


 どうして彼女が興奮しているのかは分からない。とはいえ、とても活き活きとして楽しそうだったので、ティナは「そうなのですか」と相槌を打っておいた。


 すると、応接室を一旦退出しようとしたアグネシアが、足を止めてこちらを振り返った。


「休日の件ですが、午前中ゆっくり過ごされてから、午後に少しだけ散歩に誘ってみるのはいかがでしょうか? そうすれば、旦那様もあまり疲れないと思いますし、ご参考までに」


 そう親切にもきちんとアドバイスをしてから、彼女が部屋を出ていった。


 平日にメイドのメアリー達やコックと、花壇や菜園の世話をしたり、執事のロバートとちょっとした買い物をするたび、アランは羨ましがったり寂しがったりしている。

 ティナはそれを思い出して、状況を見て大丈夫そうだったら散歩に誘おうかしら、とも考えた。その時には、以前ロバートとの買い物で見掛けたと彼に話していた、可愛い看板猫がいる店を案内してあげてもいいかもしれない、と思った。

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