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11話 二章 アビリラ祭(3)

 ティナは通路を進むと、その先で見付けたベンチにアランを座らせた。同じように隣に腰かけてすぐ、腰にしがみつかれてしまって動けなくなった。


 まだ話せない様子で泣いている彼を見ていると、仕方ないかとも思えて、彼が落ち着くのを頭を撫でながら待つことにした。向こうから歩いてきた男女が、こちらに気付いて、申し訳程度に微笑んでから踵を返して行った。


 少し歩いたせいか、それともしがみついている彼の体温が高いせいか、秋の肌寒い夜風が心地良く感じた。遠くから小さく人の声が聞こえてくる中、誰も通らなくなったアビリラ・ランタンに照らし出された通路を、ただぼんやりと眺めていた。


 どれくらい、そうしていただろうか。鼻をすする音が聞こえなくなって、しばらくすると彼が頬を擦り付けるように身じろぎした。


「落ち着いた?」


 ティナは、宥めるように髪を撫でて伺ってみた。すると、そこに顔を埋めたままの彼から、小さく返事があった。


「せっかくのお祭りなのに、迷惑をかけてゴメン……」

「まだ時間があるから平気よ」


 そう答えると、彼が苦笑するような吐息をこぼすのを感じた。腕の力が緩んだと思ったら、そっと身を離してベンチに座り直し、もう一度「本当にごめん」と言いながら取り出したハンカチで目元を拭う。


 しばらく様子を見守っていたティナは、その横顔を覗き込んで訊いた。


「ねぇアラン、どうして泣いたの? 私は、てっきり寂しいからこっちに連れてきただけと思っていたのだけれど、お互いの認識に違いがあるみたい」

「そうだね、俺もそこには驚いてる。……まさかティナが、そう思ったうえで普通に夫婦として生活していたとは」

 

 そこまで信頼されているのが嬉しいような、男としては複雑なような……とアランは視線をそらしながら口の中にこぼした。薄らと笑っているのに、彼がまたしても涙目になっているのが不思議だった。


 しばらくティナは、話が切り出されるのを待っていた。それから少し経った頃、アビリラ・ランタンに照らし出される公園内の様子を見つめながら、アランがポツリポツリと、ことの始まりである結婚とその経緯について話し始めた。



 国が魔物の大討伐に乗り出すと決定した際、彼の部隊も命令を受けて遠征し、初めて遠くの地で過ごすことになった。会えないという状況が一日、二日と過ぎていくごとに、どうしているのか気になって落ち着かず、声が聞きたくてたまらなくなった。

 三ヵ月が経っても、戦いが終わるような雰囲気はなかった。それから一ヶ月が経っても、いつ帰還出来るのか分からない状況が続いた。


 会えないストレスもあって不安感が日ごと増し、会いたくてたまらないという願望はピークに達しようとしていた。そんな時、合同部隊班で行動している別の先輩隊長が、どうしたと尋ねて悩みを聞いてくれたという。


 すると、彼は不思議そうにこう言ってきたそうだ。


『十九歳といえば、結婚適齢期だろう。そんなに素敵な子なら、もうとっくに誰かが目を付けているんじゃないか?』


 そう言われて動揺した。立派になったら迎えたいと彼女の両親には話していたから、その可能性を考えていなかったのだ。けれど、遠征前から村に行ける数もかなり減っていた。その間、彼女の周りに変化がないという保証はない。


 知らない男が、親しげに隣を歩いている姿を想像して勝手に胸が痛んだ。もしかしたら村の外から、他にも誰かが来て知り合っていないとも限らない。こうしている間にも、誰かが彼女にアプローチしているのではないだろうか?


 そんな想像に、嫌な動機と胸の痛みも止まらなくなり、頭の中はティナの事しか考えられなくなった。その日から夜も眠れず食事も味がしなくなり、そんな日々が一ヶ月続いて、遠征五ヶ月目が過ぎ――このまま本気で死んでしまう、と思ったという。



「だって、何カ月も会えないなんて俺には無理だ。あの時の俺には、圧倒的にティナが足りなかった」


 当時の状況を振り返ったアランが、自身の両手を見下ろして小さく震えながら真剣そうに説いた。ティナは衝撃的な『告白』にもかかわらず、遠征先で次第に不安定になっていった幼馴染の様子を聞いて「まるで禁断症状みたいね……」と呟いてしまった。


 幼い頃からずっと、一人の女性として好きだった。だから立派な騎士になって、大きな家を建てて、そこで不自由ない暮らしをさせたいと願って頑張ってきた。


「誰にも盗られたくないんだ。俺以外の誰かと結婚してしまうかもしれないと思ったら、居ても立ってもいられなくなって……」


 でも、普通はプロポーズが先ではないだろうか。


 ティナは続くアランの言葉を聞いて、あの日のことを振り返った。どうやら、不安と焦りで冷静さが失われた結果、突撃した本人を前にしたら余計に気持ちが爆発して、『寂し過ぎて死んでしまう』と心の叫びが出てしまったらしい。


 実に彼らしい素直さだとも思えるけれど、もう少し他に言い方はなかったのだろうか。だって、好きだから結婚したいと言ってくれれば、勘違いせずに自分から付いて行ったのに。

 そう思って幼馴染の横顔を見つめたところで、ティナはハタと気付いた。あの時、彼から結婚を求められていたとしても、こうして王都に付いてきたのと同じように、自分は断わらなかっただろう、と。

 

 彼だから付いて行った。相手がアランだったから、唐突に夫婦になってしまった状況に対しても不安を覚えなくて、こうして当たり前みたいに一緒に暮らしている。自分が彼を『受け入れる以外には答えを持ち合わせていない』ことに気付いた。


 すると、こちらを見た彼が、乞うように目を細めてこう言った。


「ティナ。俺は君と少しずつ、ゆっくり夫婦になっていけたらいいなと思ったんだ」

「『少しずつ、ゆっくり夫婦になる』……?」


 声を掛けられて、ティナは言われた言葉を、不思議に思って口の中で反芻した。アランがこっくりと頷いて、こちらに身体を向けてから「両親と、ティナの家族にアドバイスをもらったんだ」と続けた。


「何もかも初めてなのだから、二人で手探りで、共に一歩ずつ前に進めばいい、と。そうやって本物の夫婦になっていくものだと、君の両親も教えてくれた」


 もう籍を入れて夫婦になってしまったのに、急いで変わらなくてもいいの? 何もかも初めてで、分からないことだらけの『今』でも、いいの……?


 ティナにとってアランは、物心ついた頃から、そばにいるのが当たり前になっていた幼馴染だった。一緒にいるのが心地良くて、泣いて欲しくなくて、笑って欲しくて、出来れば元気な姿がいつでも見られる距離にいて欲しい人――彼が村を出ていって、戻ってくる回数が減って、なんだかぽっかりと寂しさを覚える時もあったから。


 これまで、将来のことなんて何も考えていなかった。両親も結婚については、何も言わなかったからかもしれない。それでも、いつだってすぐに浮かぶのは彼のことで、もし結婚するとしたのなら、自分も彼を選んでいただろうとも思えた。


 結婚して一緒に暮らすのなら、アランがいい。あまり長く離れてしまわないで、とあの頃に覚えた寂しさからそう思った。他の誰でもなく、彼と家族になりたい。


 先程ロバートから『あなたの色に染まります』と教えられた時、胸に込み上げたモノがあったことを思い出した。あの時感じた不思議な想いや温かさは、こうして彼の隣にいられる『今』に、幸せを感じていたからではないだろうか?


 少しずつ、二人でゆっくり歩いて、本物の夫婦になる。


 ティナは心の中で、その言葉を思った。じんわりと胸に感じる温かさを覚えて、つい唇でもなぞるように呟いてしまっていた。それを聞いたアランが、どう受け取ったのか、小さな声でこう言った。


「少しずつでいいんだ。ゆっくりずつ、ティナと夫婦になりたい。だって、怖がらせたくないから……」

「どうして怖くなるの?」


 彼の口の中に、ごにょごにょと消えていく言葉を聞いて、ティナはきょとんとして尋ね返した。

 昔からずっと一緒にいて、怖いと感じさせられたことも、不安を覚えたこともない。こうして素直に打ち明けるアランも、自分は改めて好きだと気付かされた。


 すると、アランが「だって、その」としどろもどろに言って、視線を泳がせた。


「…………なんていうか、男と女は結構違うんだよ、ティナ。幼い頃と比べて、俺自身もびっくりするくらいというか……君が思っているより『ゆっくりずつ』というのも、大変であるというか……」

「うーん、よくは分からないのだけれど、普通はいきなり夫婦になる方がびっくりするんじゃないかしら」

「……うん、冷静にプロポーズ出来なくてごめん。とにかく必死で」


 あの時、大急ぎで馬を走らせた。このまま心臓がどうにかなってしまうのではないかと思うくらい痛くて、あまりの焦燥に内蔵がギシギシと軋んだ。お願いだから、俺以外の人のもとへ行ってしまわないでと思った、そばにいてと無我夢中だった……。


 そう続いたアランの告白を聞いて、ティナは「なんだか、昔と変わらないのね」と小さな苦笑を浮かべていた。私はどこにも行かないのに、と返したかったのに、どうしてか胸に込み上げるモノが涙腺を緩ませて、言葉にならなかった。


 すると、アランが気付いたようにこちらを見た。途端に戸惑った様子で「どうしよう」「ティナが泣きそうになってる」「もしや俺との結婚のせい……?」と呟く。

 数秒ほどおろおろとしていたかと思ったら、彼が唐突に意を決したように眼差しを強くした。こちらを向いてしっかり姿勢を正すと、迷いのない強さを宿したエメラルド色の目で見つめ返してきて、真面目な表情で口を開いた。


「ティナ、ずっと君が好きだった。初めて手を引いてくれた時から、いつか家族になれる日を夢見ていたんだ。少し遅れてしまったけれど……」


 ふと、アランの声が小さくなる。これまで正面から想いを伝えた事がなかったと気付いたのか、断わられる可能性がゼロではないと思い至った様子で緊張する。


「どうか俺の妻として、長い人生を一緒に歩いて欲しい」


 そう言った彼が、覚悟を決めたみたいにきゅっと唇を閉じた。


 普通なら『お付き合いして下さい』か、『結婚して下さい』が始めだと思う。やっぱり順序が違っている気がしたものの、自然とそばにいるのが当たり前みたいに、夫婦となった今だって、彼が一緒に過ごすとを前提に考えているのだと分かった。

 自分だってそうだ。突然の結婚だったのに、それをどうにかしようだなんてちっとも考えていなかった。こうやって、一人の女性として好きだと言われたのが嬉しくて、一人の男性として彼を好きみたいだという気持ちを感じた。


「――はい。どうかずっと、私の夫でいてください」


 ティナは込み上げる温かい想いのまま、そう答えながら微笑んだ。


「私も、アランが好きよ」


 彼がエメラルドの瞳を大きく見開いだ。途端にその瞳が濡れて、本物の宝石みたいにキラキラと揺れて「ティナ」と名を呟かれた。その声は、少し掠れて色っぽかった。

 手を伸ばしかけたアランが、何かを堪えるように眉を寄せて動きを止めた。そして、自分を落ち着けるように深く息を吐いたかと思うと、叱られた子供が様子を窺うみたいに、こちらをチラチラと見つめ返しながら、そっと指を絡めてきた。


「嬉しすぎて、どうにかなってしまいそうというか、その……抱き締めてもいい?」

「いつもやってるじゃない」


 それで手を引っ込めたのかしら、と思って小さく笑った。すると、彼がどこか安堵したように微笑んで「良かった、やっといつもみたいに笑ってくれた」と言って、ぎゅっと抱き締めてきた。


 いつもより力強くて、後ろに倒れてしまいそうになる。それでも、大きな腕の熱にしっかり支えられているのを感じたティナは、彼の背中に腕を回して、頭の位置にあるその広い肩に頬を寄せた。


「なんだか、やっぱり暑苦しいわね。アランったら、やけに体温が高いんだもの」

「君を抱き締める時だけ、そうなるんだよ。男は女よりも体温が高いから」

「どうして?」


 不思議に思って尋ねてみた。そうしたら、彼がちょっと恥ずかしそうに腕を緩めて、互いの間に出来た隙間を見下ろしてから、こちらへと視線を戻して「――また今度教える」とはにかんだ。


 アランは長い間、熱が宿った目でじっとこちらを見下ろしていた。普段なら、ここでもう腕が解かれてもいいはずなのに、軽く抱きとめたまま離してくれないでいる。

 不意に、彼の片腕が背中を滑り上がった。肩をしっかり抱いてきたアランが、少しこちらに屈んできたせいで身体が押されて、ティナは彼の胸元の服をそっと掴んだ。


「キス、してもいい?」


 近い距離から覗きこんでくるアランが、そう言った。腰の後ろに回されていた手が、そっと頬をなぞって包み込んでくる。まるで懇願するような眼差しは、ずっとキスしたくてたまらなかったんだ、と語っているような気がした。


 恋人として過ごした期間はなかった。もしかしたら、それも含めて、一歩ずつゆっくり夫婦になりたいと言ったのだろう。異性としてキスを求められているという実感が、ふつふつと込み上げてきて、なんだかティナは少し顔が熱くなるのを感じた。


「私は、あなたの『妻』なんでしょう?」


 恥ずかしいのに律儀に訊いてくるなんて、と思いながら、ティナはそう言ってアランを見つめ返した。


「結婚した夫が、妻にキスをしてもおかしくないじゃないの」


 自分で口にして、恥ずかしくなってきた。好きだなと自覚したばかりのせいか、普段でもよくある距離感なのに、意識してドキドキしてしまう。キスしていいかと訊かれて、それをされている自分を想像してしまったせいなのだろうか?


 今、このまま彼からのキスが欲しい、と感じてしまっている自分がいた。恥ずかしいのに、どうしてそんなことを期待している自分がいるのだろうと、よく分からなくなって、つい、じっと見つめ返してしまった。


 すると、アランが恥ずかしがるみたいに顔を少し火照らせた。その表情がやけに目を引いて、どうしてか男性的で格好良く見えて、ティナは目をそらせなくなった。

 ほんのりと、胸に熱が灯った気がした。自然と、ただ純粋に、どうしてか『この人とキスがしたい』と思って身を預けたら、アランがより熱を増した目をして、片手でこちらの頬を包んで顔を近づけてきた。


 無意識に目を閉じてしまった時には、唇同士が重なっていた。優しくついばんだかと思ったら、それは小さな熱を残して、すぐに離れていった。


             ※※※


 ティナは、アランと二人で先程の店に戻った。こちらを見た店主が、どうやら喧嘩でもしていたと思っていたのか、随分ほっとした様子で「仲直り出来たようで良かったよ」と言って、新しい『アビリラの願い札』を二つ手渡してきた。


 礼を言って受け取った後、『アビリラの願い札』に互いの名前を書きあった。ふと、彼の名字になった自分の名前が、癖のないキレイな綴り字でそこに書かれる様子が目を引いた。なんだか不思議で、ティナはじっと見つめてしまっていた。


 そうか。私、この人の妻になったのね。


 今まで実感もなかったのに、どうしてか胸がほんのりと暖かくなるのを感じた。店主にそれを手渡すアランが「俺と、妻の分を頼む」と言っているのを聞いたら、ますますくすぐったい気持ちが込み上げて、彼の残った方の手の指をそっと握った。

 アランが、ちょっとびっくりしたような表情で、こちらを見下ろしてきた。


「…………ティナ、どうしたの?」

「……なんだか握りたくなったの。文句ある?」


 まだアビリラ・ランタンの灯りの時間は続いている。だから、案内してくれるんでしょう、とティナは話をそらすように、照れ隠しで拗ねた表情浮かべてそう言った。

 一瞬の沈黙を置いて、彼が「めちゃくちゃ可愛――」と言い掛けた口許をガバリと押さえた。それから、感極まった様子でぷるぷる震えていたかと思ったら、口から手を離して嬉しそうに笑った。絡めた指を、ぎゅっと握り返してきてこう言う。


「ティナ、おいで。まだ時間はあるから、近くの屋敷の庭園まで見てから帰ろう」

「ねぇ、さっき何か言いかけたみたいだけれど、なんて言おうとしたの?」

「………………時間はどのくらい残っているのかな、と、ただの独り言を」


 アランは歩き出しながら、ぎこちなく視線をそらしてそう答えた。



 仲のいい二人の後ろ姿を見送った店主が、小さく苦笑して「今それを口にしたら、きっと止まらなくなるんだろうなぁ。いやぁ、まだまだ青いね」と呟いた。

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