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10話 二章 アビリラ祭(2)

 屋敷を出てしばらくもしないうちに、いつもは朝と昼に一回ずつ鳴る聖堂の鐘が鳴り響いた。その開始の合図で街灯かりが一斉に消灯され、人々が感極まった様子で上げる声を聞きながら、ティナはアランと共に足を止めた。


 視界に広がったのは、無数のアビリラ・ランタンの柔らかい光で照らし出される、夜の王都の光景だった。普段とは違う弱々しくて穏やかな灯りが、道標のように地面と屋台に沿って並び、建物や壁を彩る様子に目を奪われた。


 まるで星空の中にいるような、幻想的な場所にいるみたいだと思った。その光景が現れてしばらく、ティナ達だけでなく、周りの人々も動きを止めて見入っていた。


「とても綺麗ね、優しい光だわ」


 ようやく、ティナはほぅっと吐息をこぼして、そう言った。それ以上の感想の言葉が出て来なくて、エスコートしてくれているアランの腕を、きゅっと握ってしまう。


「アビリラ・ランタンは、ずっと昔に暮らしの中で使われていたものなんだ。夜光虫の発光塗料を一部使って、中の弱い光を大きく見せるためにガラス部分がわざと削られて、窪みが作られているのだとは聞いた」


 伝統工芸の一つで、今や王都の他に、アビリラ・ランタンを製造し修復出来る職人は存在していない。技術は師匠から弟子へと時間をかけて受け継がれ、製造した人間の彫印が底には刻まれているのだ、とアランは語った。


「詳しいのね、少しびっくりしたわ」

「初めて王都でこれを見た時に、上官や先輩方に教えられたからね。これくらい知っておかないと、君に説明出来ないと叱られた」


 そう答えたアランが、「こっちだ」と言って歩き始めた。


 まるで日中と変わらない人の多さに、目が回ってしまいそうだ。ティナは、アランの提案で彼の腕に身を寄せて、混雑した人混みの中を歩いた。


 通りにはアビリラ・ランタンを提げた屋台が沢山並んでいて、至るところで少人数の音楽団や大道芸人が人々を楽しませていた。中にはプロの演奏家衣装に身を包み、上品な音楽を奏でているグループもあった。


 どこへ向かうのかも知らされていないまま、そんなお祭りの中を歩いた。近くを走り抜けて行った子供たちの姿に気付いて、ティナが夜のお祭りであることを思い出して目を向けると、気付いた彼が「この日だけは特別なんだ」と教えてきた。


「遅い時間までやっているけれど、街明かりが戻るまでは帰宅を促されない」

「お祭りは何時までやっているの?」

「子供はライトアップが終わるまで。大人は、アビリラ・ランタンの消灯後、聖堂の鐘が〇時を打つまでは屋台灯りを楽しむ」

「結構、みんな遅くまで起きてはしゃぐのね」


 そんな時間まで起きている経験が少ないので、ティナは不思議に思った。思わず首を傾げたら、隣で彼が「夫婦や恋人なら、そのまま『一緒に戻って』二人の時間を――」と言いかけて、そこでピタリと口をつぐんでしまった。


 彼の体温が上がった気がした。絡めている腕ごしにそれを感じて、ティナは横顔を見上げた。どうしてか、アランが口許を手で押さえてしまっている。


「どうしたの?」

「いや別に…………。ああ、見えてきた、あそこだ」


 話をそらすように、アランが声の調子を戻してそう言った。指で促されたティナは、そちらへと目を向けた。


 そこは公園だった。敷地内を囲うように高い柵が敷かれていて、門扉のない開かれた入口は、馬車が通れそうなほど幅があった。そこから整備された通路が公園内へと伸びていて、花壇と木が均等に配置されている。


 整然としすぎているような印象を受けた王都の町中の公園は、実際に足を踏み入れてみると様子が違って見えた。アビリラ・ランタンに照らし出されているせいか、街中のように余計な置き物や看板がないこともあって、より幻想的な空気が漂っていた。

 歩く人々も声を静めており、男女の組み合わせが目立った。ぽつりぽつりと小さな出店が見えたが、食べ物を売っているわけではないらしく、煙は上げていなかった。


「ここは市民通りの公園で、普段はあまり目立たない公園の一つなんだけど、祭りの日は貴族の屋敷の庭園に次ぐ人気の場所なんだ」

「そうなのね――なんだか不思議、木にも沢山飾りがされているわ。キラキラ光っているようにも見えるけれど、あれは何かしら?」


 公園内がより明るく美しく見えるのは、木々の茂った葉にも何かが飾りつけられているせいであるようだ。風が吹くと少しだけ揺れるそれに目を凝らしてみても、アビリラ・ランタンの灯かりで霞んでしまって、何が飾られているのか分からなかった。


「ああ、それは――」


 そう言い掛けたアランが、ハッとした様子で口を閉じた。何かしら思い出しでもしたのか、少し慌てた様子で「後で教えるから!」「少し待っててッ」と言ったかと思うと、唐突に走り出して行ってしまった。


 いつも離れたくないと口にしている彼にしては、なんだか意外にも思える突発的な行動だった。ティナは、思わず遠くなっていく後ろ姿を見送ってしまっていた。彼はもう大人なのだから、少し考えてみれば何もおかしくはないのだけれど。


 佇んでいるのも勿体ない気がして、幻想的な公園内の雰囲気を楽しむように、通路を少し進んでみた。一際大きな木が見えてくると、そのすぐ下に、沢山のアビリラ・ランタンが灯っていて目を引いた。


 それは、一つの小さな屋台だった。どうやら同じ商品が多く並べられているようだと気付いて、ティナは好奇心から歩み寄ってみた。その商品は薄い木材が猫の形に切り取られた物で、穴が空いた上部に、光りに反射する素材のリボンがされていた。

 出店から見上げてみると、真上に見える木の枝にさがっていたのは、全てそれであることが分かった。アビリラ・ランタンの光に鈍く反射して、そのリボンがキラキラとしているのだ。それが風で揺れているため、より幻想的に見えるようだ。


 つまり、公園内の木に飾られている物は、全てコレであるらしい。そう察して、ティナはその商品へと目を戻した。屋台の中にいる中年男性が「こんばんは」と愛想良く声を掛けてきたので、「こんばんは」と返してから尋ねてみた。


「猫の形をしたこの木の板は、なんですか? 初めて見る物なのだけれど……」

「おや、王都に来たのは最近ですか? これは『アビリラの願い札』というやつですよ。アビリラというのは、星空にいるメスとオスの猫の神様の名前でしてね。これに大事な人の名前を書いて、幸せや健康を祝うわけです」


 そう説明した店主が、四角い顔に柔和な笑みを浮かべた。


 その時、一人の紳士が後ろからやって来て、順番を待つように近くで立ち止まった。気付いたティナが振り返ると、目が合った際ににっこりと笑い返して、目尻に浮かんだ浅い皺を深めて「僕も毎年、妻とやっているんだ」と言ってきた。


「ちょうど彼女と結婚を決めた日でもあってね。この日の夜に、初めて結ばれて――」


 彼は思い返すように口にしたものの、途中で言葉を区切ると「おっと、若い娘さんには野暮だったかな」と口にした。首を傾げたティナを、微笑ましそうに見下ろしてこう続ける。


「その翌年の今日、僕らは結婚式を挙げたんだ。つまり僕にとって、この日が婚約と『両想い』と、結婚記念日でもある。だから、妻をベンチで少し休ませている間に、こうして『アビリラの願い札』を買いに来たわけだよ」

「それは素敵ですね」


 ティナは仲睦まじい夫婦を想像して、口許に手をあてて微笑んだ。


 子供がどちらも嫁いでしまって、と続けていた男が、その左手に目を留めて「おや?」と目を瞬いた。同じように、気付いた店主が「こりゃうっかりしてたな。まさか成人されている女性だったとは」と、ティナの左手の薬指にされた指輪を見た。


「どうです? 旦那様――恋人の名前を書くと、長続きする御利益があると『アビリラの願い札』は大変人気ですよ」


 まさか結婚指輪ではないだろう。けれど婚約指輪であるのか、恋人同士がしている飾りの指輪か判断しかねたように、店主は途中で言い方を変えつつ、愛想良くそう言った。

 問われたティナは、なんとなくアランの顔が浮かんで考えた。そう言えば結婚していたのだったと思い出すものの、寂しくて死んでしまうと突撃されて今に至るので、名前を書くのはちょっと違う気もして「うーん」と首を捻ってしまう。


 貴族らしい紳士服に身を包んだ男性が、その様子をそばから見下ろした。なるほどと思い至った表情を浮かべると、にこやかに声をかけた。


「綺麗なドレス衣装だね。すると、それは婚約指輪かい? おめでとう」

「いいえ、結婚指輪なんです」


 つらつらと考えながらそう答えた。


 途端に男性が「えッ」と目を丸くして、店主も「ご婦人さんだったのかい!?」と驚いた声を上げて、全体的に華奢な彼女をまじまじと見つめる。しかし、どうしたものかしらと思案していたティナは、二人の様子に気付かなかった。


 うん、やっぱりアレね、と思案を終えたところで頷いて、こう答えた。


「いらないわ」


 バッサリ断ったのを聞いて、店主が「えぇぇ!?」と叫んで目を剥いた。どうしてそんなに驚くのだろう、と小首を傾げて見つめ返すティナに、彼が思わずといった様子でカウンターから身を乗り出した。


「結婚しているんだろう? あの、女の子には特に人気があるよ」


 まるで説得するように、店主がそう話し始めた時――



 バサッと音が聞こえて、ティナはそちらを振り返った。そこにはアランがいて、その足元には『アビリラの願い札』が二つ落ちていた。


 

 しばし、両者の間に重々しい沈黙が漂った。紳士の男性が、ようやく少しだけ身じろぎして呟く。


「もしかして、彼が『夫』かな……?」


 まずいタイミングなのではないだろうか、と彼が若干愛想笑いを引き攣らせて、困ったように店主を横目に見やった。店主の男がぎこちなく頷き返し、「これは確実に『旦那様』でしょう。へたすると新婚さんかもしれません」と緊張気味に言う。

 ピクリとも動かないでいたアランが、不意に、その凛々しい美貌に捨てられた子犬のように頼りない表情を浮かべた。その途端、言葉もないまま瞳が潤み始める。


 それを見た男性は、結婚歴が長い自分がフォローしなければ、というような空気を察知したようにティナに向き直った。恋人や夫婦の願掛けとしても大切にされている行事であることを、親切に、若干焦り気味で説いた。


 その様子を見ていた店主も、「もしや一人にされて、機嫌が悪い可能性もありますな」と相槌を打つと、彼から説明を引き継ぐようにこう続けた。


「彼は、貴女を放っておいたわけではないんですよ。こうして捜しにきてくれたではありませんか。きっと、こっそり『アビリラの願い札』を買って、喜ばせようと思ったのでしょう。ささっ、名前を書いたら私がすぐに木に結んであげますから、書きましょうッ、ね!?」


 何故か店主が、必死に愛想笑いを張りつかせて説得してくる。


 ティナは、慌てたように話してくる男たちを、不思議そうに見つめ返していた。こちらに『アビリラの願い札』を差し出している店主と、どこかハラハラとした様子でいる紳士を交互に見てから、困ったように「あの」と切り出した。


「だって私、好きだと言われていないもの」

「は……?」

「え………」


 それはどういうことだろうか、と困惑を露わに紳士男性が固まる。店主がもう一度、状況について説明を求めるように「はい?」と声を上げたところで、ティナはアランへと目を戻してこう問い掛けていた。


「私のこと、寂しくて王都に連れてきただけなんでしょう?」


 その瞬間、場がしんと静まり返った。


 男たちが「え」という顔をして、いまいち状況が呑み込めない表情をアランへと向けた。三人の視線を受け止めた彼が、一時的に思考が停止したかのように硬直したかと思うと、その直後にハッとしてティナを見つめ返した。


「ああああああのティナッ、俺……うわぁそうだった! てっきり君の両親に頭を下げた時に――」


 言葉が、そこでプツリと途切れた。アランの瞳がぐっと強く潤み、そこからボロボロと涙がこぼれ始めたのだ。


 パニックになると、言葉よりも涙が出てしまうと昔から知っていたティナは、相当混乱しているらしいと気付いて「アラン、大丈夫?」と声をかけながら向かっていた。店主が唖然として「見事な男泣きですな……」と呟き、男性が「うーん、見た目の印象と違って、躊躇なく泣くタイプだとは思わなかったなぁ」と口にする。


 そんな彼らが見守る中、ティナはいつものように、あの頃よりも随分高くなった位置にあるアランの頭に手を伸ばした。彼が身に沁みた癖のように少し背を屈めてきたので、整えられた髪の横をくしゃくしゃと撫でて慰めながら引き寄せる。


「どうか泣きやんで、ね? お話しましょう」


 アランが泣いていたら、こっちまで悲しくなってしまうのだ。「泣かないで」とぎゅっと抱き締めたら、彼が背中に腕を回してきて「うん」と鼻声でどうにか頷くのが分かった。


 一旦は、一件落着らしい。肩から力を抜いた店主が、転がっていた『アビリラの願い札』を拾い上げた。男性が「まだまだ若いねぇ」と感想を口にしたのを聞いて、彼は「まったくですな、きっと新婚さんでしょう」と答えてから、二人へ目を向ける。


「『奥様』、こちらの『アビリラの願い札』は、新しいのと交換してあげましょう。だから彼が泣きやんだら、一緒にいらっしゃってください」


 そう店主に呼びかけられたティナは、その気遣いに「ありがとうございます」と感謝した。それから、勢いが収まりつつあるものの、まだぽろぽろと涙をこぼしているアランの指をそっと握って、まずは休めるベンチを探して歩き出した。

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