アイドル彼女へのなり方
ある日あの時起こった出来事が、陽子の運命をかえた。それは何の前振りもなく起こり、白い月が青い空に輝く日に起こった出来事。
陽子は同じクラスのあやかに憧れていた。誰からも好かれ、美人で頭もよく、運動もできる。それに、スタイルもいい。少しウェーブのかかった茶色がかった髪に、ぱっちりとした大きな目。まるで、アイドルみたいなあやか。そんなあやかをクラスの男子がほっておくはずもなく、つねに告白されていた。だが、残念なことにあやかにはお付き合いしている人がいた。かっこいい年上の彼氏。1つ上の学年の先輩。陽子もその先輩が好きだったが、陽子には届くはずもなく、見ているだけで十分だった。
「私もあやかちゃんみたいになりたい」
陽子は、ボソっと呟いた。あやかに比べて、自分はまったくさえない。肩につくかつかないかの黒髪は、くせっけで必ずといっていいほどはねる。運動も勉強も苦手で、ださいメガネをかけている。地味。その言葉が陽子にはあっていた。クラスの女子の中でも最下層に生息しているのは、陽子自身もわかっていた。力なく溜め息をつく陽子。そんな毎日が続くと思うと嫌気がさした。だが、転機は起きた。陽子が犬に追いかけられている男の子を助けたことで。学校の帰り道だった。和服の男の子が大きな犬に追いかけられていたのだ。陽子は、そんな男の子がかわいそうに思い、助けた。ただそれだけ。
「ありがとなのです」
男の子は満面の笑みでそう言った。
「助けてくれたお礼にお前の願いを叶えてあげるのです」
と、続けたのだ。その男の子がそう言った瞬間、すべてが変わっていた。視線は高くなり、髪は伸びていた。視線を下にずらすと、ふくよかな胸とすらっと伸びた脚。陽子には、一体何が起こったのかわからなかった。
「これが、お前の願いなのです。自分の姿を鏡でみるといいのです」
男の子はそう笑ったが、あいにく陽子は鏡を持っていない。通りに出て窓ガラス越しに自分の姿を見てみると……。
「あやかちゃん?」
そこにいたのは、あやかだった。
「え、ちょ、どういうこと!?」
さすがの陽子も戸惑いを隠せない。よく、漫画やドラマでは入れ替わりというものはよくあるが、まさか現実でおこるなんて。それがまさか、あやかと入れ替わるなんて! 陽子はだんだんわけがわからなくなってきていた。
「どうもこうも、これがお前の願いなのです」
「願いって……」
男の子は相変わらず笑っていた。確かに、陽子はあやかになりたいと願っていた。と、いうことはこれは現実に起きていることで、入れ替わりなのだろうか。自分の中にはあやかがいるのだろうか。陽子はますます頭が混乱してきた。
「じゃあ、ボクはこれで行くのです」
「ちょっと、待って!」
陽子の言葉がいい終わることには、男の子はすでに消えていた。そうなのだ。白い満月が青い空に輝く日、陽子はあやかになったのだ。
とりあえず、陽子はあやかを探すことにした。陽子は一度学校へ引き返した。自分が教室を出た時にはあやかは、楽しそうに友達とおしゃべりしていたはず。まだいることを願いつつ、急ぎ学校へと戻る。いつもはそそがれない視線。その視線が陽子へと注がれる。何だか、落ち着かない。誰もが自分のことを見ているような気さえしてきた。学校につくと、それは思ったよりもひどく、すれ違った人全員が声をかけてきた。しかも、笑顔で。自分の知らない人も。余計に落ち着かない。そう感じていた時、不可解なことが起きた。
「おーい、陽子!」
そう、名前を呼ばれたのだ。振り返ると、そこにはあの憧れの先輩。あやかの恋人。だが、なぜかその先輩は自分のことを陽子を呼んできた。
「陽子」
「ちょ、先輩!?」
不可解な出来事に頭がついていけず、ぼーっとしていると突然抱き着かれた。身体が密着し、相手の体温を感じる。こんなことをする先輩を陽子は知らなかった。胸が高鳴り、顔が熱くなる。呼吸さえも苦しくなる。
「ははっ、陽子はかわいいなー」
きっと、いつもはあやかに向けられていた笑顔笑う先輩。思わずその笑顔に見とれてしまう。だが、そんな場合ではない。彼はなぜ、自分のことを陽子と呼ぶのだろうか。あやかと入れ替わったはずなのに。
「ご、ごめんなさい。先輩、私急いでいて……」
少し名残惜しい気もするが、抱き着いてきた先輩を離す。先輩は少し残念そうに笑った。
「そっか。残念」
その笑顔に思わずどきっとしてしまう。だが、ここは急がなければ。陽子は、深々と先輩に頭をさげ、教室へと急いだ。
教室のドアをあけ、中に入る。夕暮れにつつまれた教室に、1人ぽつんとメガネをかけた冴えない女子がいた。地味で、クラスの最下層にいる女子。そこには、陽子の本来の姿がいた。
「あ、あの!」
思い切って、声をかけると自分はゆっくりとこちらを見た。自分は、陽子を見て、にっこりと笑った。その笑顔は、まるで自分の顔ではないように思えた。
「あ。あたしだー」
どこか間の抜けた声。だが、すぐにそのしゃべり方で、彼女こそがあやかだと気づく。
「あ、あの……」
「どこかおかしいと思ってたんだよねー。友達は急に冷たくなるし、それでお手洗いに行ったときに鏡を見たら、陽子ちゃんでびっくりしたんだー」
苦笑するあやか。陽子も、ものすごく驚いた。だが、何も知らないあやかの驚きは陽子の非ではないだろう。
「ごめんなさい……」
「うーん。それはいいから、何があったのか教えてほしいかなー」
「あ、はい」
謝る陽子に対してあやかは冷静だった。陽子は、あやかの座っている近くの席に座り、すべてのことを話した。男の子を犬から助けたこと、あやかの姿なのに自分のことを陽子と呼んでくること。あやかは黙ってその話を聞いていた。
「わ、私はこれが単なる入れ替わりじゃないと思ってるんです!」
陽子は声をあげたが、なぜか敬語。だが、実際自分の言っていることはあっていると思っていた。これが、ただの入れ替わりなら、自分はあやかと呼ばれるはず。それに、入れ替わる前、陽子とあやかは何の接触もしていない。
「そっかー。だから、友達はみんな冷たくなっちゃったんだー」
「ごめんなさい……」
「謝らないで! 陽子ちゃんのせいじゃないでしょ!? そうだ! 名簿! 名簿を見てみようよ!」
何でこんな大変な時なのに、自分は落ち込んでばっかりなのか。陽子はそんな自分に嫌気がさした。目の前にいるあやかは、自分の姿なのに、可愛い女の子だ。陽子はそう思いながら、教卓の上においてある名簿を見るあやかをぼんやりと見ていた。
「あ! あたしの名字が陽子ちゃんのになってる! 陽子ちゃんの名字は……あたしのだ!」
ぼんやりなんかしていない。陽子も、あやかの隣に来て、名簿を見る。確かに、自分の名前の上についている名字が、自分のものではない。つまり、これは単なる入れ替わりではなく、陽子は陽子という名前のままあやかの生活を奪ってしまったのだ、友達も、家も、両親も、先輩も。何だか入れ替わりよりも悪い気がしてきた。自分はあやかの姿なのに、陽子で。この姿は陽子のもので。陽子は罪悪感を感じた。
「そっかー。そういうことか。でも、お互いにお互いを演じなくていいから、楽かもしれないねー」
あやかは、そう笑った。その笑顔を見て、さらに罪悪感を感じる。どうにかしなければ。どうにか元に戻らなければ。そのためにはあの男の子を探さなければ。
「ごめん! 私、絶対にあの男の子を見つけるから! 本当にごめんなさい!」
「そんな! あたしも手伝うよ! あたしも、パパとママの家に帰りたいもん」
「あやかちゃん……」
陽子の目が、思わずうるんでしまう。いつもは遠くから見ているだけだったあやか。それが、こんなに近い。近すぎるくらいに。
「ね? 一緒に頑張ろ!」
自分の顔が笑う。地味でダサいと思っていた自分。そんな自分の中身があやかだと思っただけで、そんな自分がか可愛く見えた。
家……あやかの家に帰ると、思っていた通りのことが起きた。はやり、あやかの両親は自分のことを陽子と呼び、あやかと書かれていた名前はすべて陽子になっていた。部屋のクローゼットにはあやかが買ったと思われる可愛らしい服。自分はこんな服は着ない。
「あぁ……、本当にあやかちゃんの生活を奪っちゃったんだなぁ……」
思わず涙がこぼれる。アルバムの写真も、写真たてに飾ってある写真も、自分ではない。あやかなのだ。ここは自分の家ではない。名前は確かに自分の名前だが、やってきたことは自分ではない。そんな風に悲しみにくれていると、突如インターホンが鳴り響いた。
「陽子ー、お客さんよー」
あやかの両親の声。もしかして、あやかが来たのだろうか。そう思い、部屋のドアを開けるとその人物はすでにそこにいた。
「先輩……」
あやかの彼氏でもあり、今は自分の彼氏でもある先輩がそこにはいた。思わず、私服姿にときめいてしまう。陽子は未だ、制服姿のままだ。
先輩は、部屋の中に入りあやかのベッドの上に座った。
「ほら、お前も座れよ」
隣に座るように陽子を促す先輩。一瞬、戸惑うも陽子は先輩の隣にちょこんと座った。その瞬間、手を握られた。
「お前、今日何か変だっただろ? だから心配になって」
手を握られただけではなかった。グイっと肩を抱かれ、引き寄せられる。遠くから見ているだけで、どきどきしていたのに。陽子は、自分の心臓が破裂するのではないかと思った。どきどきして、顔が熱い。見つめられ、触れられ、顔が近くなる。次第にその距離はキスできそうなくらいまでに近づく。だが、陽子はキスされると思った瞬間、顔を逸らした。
「陽子?」
その陽子の反応が気に食わなかったのか、先輩は機嫌の悪るそうな声を出した。キスなんかできるわけない。これは、あやかの生活で自分の生活ではない。なにより、あやかの姿でファーストキスを失いたくない。
「ごめんなさい……」
先輩を拒む。
「へー、俺に逆らうんだ。陽子」
拒んだ瞬間だった。先輩の態度は一変した。形相もみるみるうちにかわり、ベッドの上に陽子を突き飛ばした。そのまま、陽子の上に覆いかぶさり、頬を殴る。
「せ、先輩……?」
あまりに突然なことで、陽子の頭は混乱した。あの優しそうな先輩が、あやかを殴った? この状況は……、もしかしてベッドの上に押し倒されている? 少女漫画ではよくあるシーン。大抵こんな時は、誰かが助けに来てくれて……。だが、現実はそうそう甘くない。
「陽子、お前は俺の言うことを聞いていればいいんだ。浮気なんかしてたら許さないからな」
鬼のような形相の先輩。制服のボタンを外される。このままでは、あやかも自分も危ない。どうにかしなければ。怖いという思いより、どうにかしなければという思いの方が大きかった。対処法は読んだ漫画で読んで知っている。
「先輩、ごめんなさい!!」
「う゛っ……!?」
陽子は所謂男の急所を蹴った。先輩は鈍い声を出して、ベッドに沈んだ。気を失った先輩を、どかし、外されたボタンを戻し。陽子は携帯電話で自分の家に電話をかけた。これもあやかの持ち物。本当は使いたくない。電話はすぐにつながった。
「あ、もしもし。私、あやかちゃんのクラスメイトの陽子といいます。あやかちゃん、御在宅でしょうか?」
電話に出たのは母親だ。陽子は、母親の声を聞いてものすごく安心した。急に恐怖がこみあげてくる。
『もしもし?』
「あ、あやかちゃん?」
陽子は電話ごしにでたあやかにさっき起こった出来事を話した。襲われそうになったこと、殴られたこと。あやかは大きなため息をついた。
『良かった。ちょうど別れようとしてたとこなの。陽子ちゃんって凄いんだねー。あいつ、最低な奴だったでしょー? ごめん、どんな奴かは親に言ってないんだ。陽子ちゃんの方から言っておいてもらっていいかな?』
「うん、任せて!」
あやかは、笑っていた。陽子は、あやかの役に立てると思うと少しだけ嬉しかった。
陽子はすぐにあやかの両親に報告した。殴られた頬は真っ赤に晴れ上がり、すぐに氷で冷やした。
「うちの娘になんてことを!」
あやかの母親はそう叫び、どこかに電話をかけた。30分くらいしたころだろうか。男の人がやってきて、陽子に頭を下げて謝った。男の人は先輩を陽子に近づけさせないと約束し、先輩をつれ帰って行った。陽子の先輩への気持ちもとっくに冷めてしまった。
次の日、学校に行くと陽子と先輩が別れたという話があっという間に広がっていた。さすがの陽子もそれには驚きを隠せなかった。
「陽子ちゃんって凄いんだねー。あたし、びっくりしちゃった」
あやかは相変わらず笑っていた。解放されたというような笑顔。だが、あやかはすぐに話を変えた。
「昨日さ、陽子ちゃんの部屋で漫画読んでたんだけど。すごくおもしろかったー。それで、あたし気づいちゃったんだ。その男の子があたしたちになにかをしたのなら、何かあると思うんだ。たとえば、入れ替わりの儀式とか。それで、あたし思い出したの。あの日、月が出てなかった? 白い月。あたし、それ見てたら陽子ちゃんになってた気がするんだ」
「そういえば……」
あやかの言うとおりだった。白い満月が確かに出ていた。あと、犬。青空と白い月と、犬と男の子。
「あ、陽子いたー!」
突然、声が聞こえてきた。振り返るとそこには、あやかといつも一緒にいる女の子。小柄で色白で胸の大きな。そういえば、この時間あやかたちは連れだってお手洗いに行くのを陽子は思い出した。陽子は、心のどこかでそれが馬鹿らしいと感じていた。
「ねーねー、聞いたよー? 先輩と別れたんだってー? しかも、陽子先輩のアソコを蹴ったって本当ー?」
キャハハと笑う彼女。その話をどこから嗅ぎつけたのか。陽子はそれに驚いた。
「そうだけど……」
「やっぱり本当なんだ! 陽子、こわーい!」
まるで、馬鹿にしたように笑う。あやかは、何故こんな人たちと友達なのかとすら思ってしまう。
「もー! あなたには関係ないでしょ! 黙ってて!」
陽子は、ついに言ってしまった。言い終わった時には、思わずはっとし口元を隠す。が、それはもう遅かった。
「陽子。感じわるーい」
彼女から笑顔が消えた。きっと、明日から話しかけてくれないだろう、と直感で感じた。彼女はやってきた女子グループと合流し、お手洗いへと行く。昨日から、あやかの人間関係を壊してばっかりだ。陽子は、俯いた。
「あー、せいせいした。あたし、あの子好きじゃないの」
陽子の罪悪感とは裏腹に、あやかはにっこりと笑った。あやかに合わせる顔がないとうつむいていた陽子だったが、その言葉であやかを見た。
「そんなことより、陽子ちゃんの友達はいいねー。 あたしも気兼ねなくおしゃべり出来ちゃった」
「え?」
陽子は益々驚いた。陽子は、所謂オタクというもので、友達もその類の人たちだ。類は友を呼ぶとは、まさにこのことで。毎日、好きな漫画の話で盛り上がっていた。
「あたしだって、漫画読むよー。隠してるけどね」
あやかの意外な一面。部屋にいっても、可愛い服とかメイク道具とかしか見つからなかった。
「てゆーか、あたし……実は、同人誌出したことあるしね……」
「え!? あやかちゃんが!?」
思わず声がひっくりかえった。つまり、あやかも、そういうことなのだろうか。あやかは、恥ずかしそうに笑った。
「ネットで知り合った子たちとサークル組んでてね。さすがにコミケとかには行ったことないけど」
まさか、あのあやかからそんな言葉が出てくるとは。何だか一気に親近感がわく。見た目だけじゃ人は判断できない。まさしくそう思った。
「それより、今日は陽子ちゃんが男の子を見たって場所に言ってみよーよ。何かわかるかもしれないから」
「う、うん! 私もそれに賛成!」
あやかはやっぱり頼りになる。陽子は、そんなことを考えていた。
学校が終わると、陽子とあやかはすぐにその男の子を見たという場所に向かった。なんとなく、陽子はいつもより短いスカートの丈を気にしていた。
「確か、このあたりで犬に追いかけられていて……」
陽子はキョロキョロとあたりを見渡す。大通りを抜け、路地に入ったはずと、記憶を頼りにしながら同じ行動をする。
「今日は、いないのかな……あっ!」
あやかもキョロキョロとあたりを見渡す。が、何かを見つけたのか、そう声をあげた。何かをじっと見るあやか。あやかの視線の先には……。
「先輩」
通りの向こうに、あやかの彼氏であった先輩の姿。男友達と一緒に歩いていて、中に1人だけ女の子がいる。2人がじっと見ていると、先輩がその視線に気づいた。目があった。
「あ、大変」
先輩がこっちに向かって、信号を渡ったのだ。明らかに、先輩の目は陽子を見ている。怒っている目。陽子は思わず身震いした。
「陽子ちゃん、逃げるよ」
足がすくんでしまった陽子の手をあやかが引く。あやかは走り出した。陽子もそれに引っ張られるような形で走る。それを見た先輩も走り出す。
「あやかちゃん! 追ってくるよ!」
「本当に、しつこい男」
あやかが、そう舌うちをした。陽子はそれに驚いた。まさか、あのあやかもこんなことをするのかと。びっくりしたと同時に何だかおかしくなった。笑いがこみあげてくる。が、笑っている場合ではない。さすが、男の足だ。2人は、角を曲がろうとしたところで追いつかれた。
「陽子……お前……」
先輩は、凄く怒っていた。陽子は息をのむ。睨まれ、今にも飛びかかってきそうな勢いの先輩。そんな先輩の前にあやかが立ちふさがった。あやかは、きっと先輩を睨んだ。
「誰も、あんたなんか好きじゃなかった! 二度とあたしたちに近づくな!」
「なっ……!?」
あやかは、はっきりとそう言い切ったのだ。先輩は言葉を失っていたが、あやかはさらに続ける。
「そもそもあたしたちは、だいぶ前に終わってた! それをあんたが付きまとうから! あたしは何度も別れようって言ったのに!」
「な、何で俺がお前みたいなやつにそんなこと言われなければならいんだ!」
先輩は口を開いたが、どこか動揺しているようにも見えた。そもそも、先輩は陽子に近づいてはいけないことになっている。確かにそう約束をした。陽子は、鞄の中から、そっと携帯電話を取り出した。
「いい加減にしないと、警察を呼びますよ。それとも、また蹴られたいですか?」
我ながらいい脅しだと思った。先輩は、びくっと肩を震わせ、「ひっ」という声を出し、後ろに下がり何も言わずに逃げて行った。
「陽子ちゃん、凄い!」
あやかは、目を輝かせ陽子を見た。
「そんな、私は何も……」
そのキラキラした目を見て、何だか照れくさくなった。
この日以来、先輩は本当に2人に近づかなくなった。ばったり会っただけでも、恐怖の表情を浮かべ逃げて行った。そんな先輩を見るたびに、2人は思わず笑いそうになった。さらにもう1つ。喜ばしい出来事が。青い空に白い月が出ている日に、2人はついに男の子を見つけたのだ。前に陽子が見た時と同様に、犬に追いかけられていた。
「ありがとなのです」
男の子はにっこりと笑った。
「あの! 私たちを元に戻してください!」
陽子はすぐさま、そう言い放った。男の子は初め、きょとんとした顔をしていたが、すぐに陽子が何を言っているのかがわかり、手をぽんとやった。
「もう戻ってしまうのです?」
「いいから戻して!」
「むー……わかりましたです」
陽子が声をあげると、男の子は不満そうな声を出した。そのあとすぐに、2人はあの時と同じように入れ替わった。いや、元に戻った。陽子は陽子に、あやかはあやかに。2人は自分の姿を見て、笑いあった。男の子はその間に消えていた。きっと、これで前みたいな毎日がおくれる。そう思っていたが、その考えは甘かった。学校で、陽子があやかを先輩から助けるという武勇伝があがっていたのだ。学校中は、暫くその話でもちきりで、陽子はたくさんの人に話しかけられることとなった。
あやかとも、ぐっと距離が近づき、2人は親友になった。あやかのようなアイドルにはなれなかったが、陽子は自分に自信がついたのか、よく笑うようになった。
ある日あの時起こった出来事。白い月が青い空に輝く日に起こった出来事。陽子は、その出来事を忘れない。