衰亡する世界の終わり
西暦2168年6月13日、人類は衰亡した。
宇宙人が侵略しにきた訳でもなく、第4次世界大戦が勃発した訳でもなく、巨大怪獣に蹂躙された訳でもない。ただ単純に、女性にのみかかる死病のせいで世界の出生率が減り、食料が減り、ライフラインを維持する労働力も減ったのだ。
俺の住む日本では生存する為に多量の燃料を必要とする北部が遺棄され、雪の降らない九州・沖縄地方を中心に減少した人類の生活圏を展開している。
死病の伝播が確認されてから今日まで150年あまり、細々と生活が続けられている。真っ先に切り捨てられたのは、生産力のない老人だった。労働力の減少に伴い、物価が著しく上昇した。国も始めは弱者を支えようと方策を生み出してはいたが、弱者を保護する為の金を限りある労働者層から搾り取ることとなるので、ますます国力は落ち、国の失策のせいで弱者のみならず貴重な労働者も多く死んだ2000年代後半は暗黒時代とも呼ばれたそうだ。
現代の労働者は主に3つの役割に分けられている。食物を育てる農家と、ライフラインに必要不可欠な電気を作り機械を整備する技術者、そして限りある生命をつなぎとめる医療者だ。人数は農家が最も多く、全体の7割を占める。技術者は2割程で、医療者は1割に満たない数だ。俺の住む集落に医療者は5人いるが、150人もいない街には十分過ぎる数だった。
日本は南部に移住することが功を制して未だに3万人程人間が住んでいるらしい。らしいというのは、そんなことを調査する余裕のある人間がいないからだ。皆、毎日を生きるのに精一杯だった。
1世紀ほど前までは北半球にも国が存在していたらしいが、雪国での生活は厳しいらしく、もうほとんど残っていない。
日本でも沖縄地方では作物があまり育たないらしく、危険を伴う漁だけでは食物が足りずに減少の一途を辿っているらしい。
昔はエンジンの乗った大きな船で比較的安全に漁が出来ていたらしいのだが、燃料となるガソリンの輸入が不可能になってしまった現代ではただの大きくて重い遺棄物だ。俺たちの移動手段も人力に限られているので、せいぜい1日に100キロ移動できたら御の字だった。電気で動く車もあるが、そんな高級品は医療者しか持っていない。しかもそれも30年以上も昔のポンコツで、必要な電力を考えたら自転車を漕いだ方が何倍もましなものだった。新しいものを生産する余力は、もう日本にはなかった。
「隣町に行ってくる」
親父が手押車に米を積みながら言った。隣町は港と呼ばれる海があり、罠を仕掛けて魚を取っている。父はその魚が好きで、よく隣町と物々交換に行っていた。それに隣町には母さんの墓がある。
母さんは元々は隣町の人間だったが、女の少なかったこの街の人間が拝み倒す形でやってきた。母さんは6人の子供を産んだが、父親は全部違ってその内半分が女だった。俺の姉である人達は既にこの世にはいない。兄は1人は生きているが能力を買われて鹿児島の技術者になったらしく、一度も顔を見たことはない。よくよく考えれば、家族の内で顔を見たことがあるのは親父だけだった。母さんは7人目を孕んでいる途中で死病にかかり、腹の赤子ごと死んだからだ。
愛し合っていた訳でもない母さんの墓へと頻繁に足を運ぶ親父が俺には不思議で仕方なかった。
話は変わるが、俺には優希という知り合いがいた。俺と同じ歳の女だ。
女は貴重なのであまり室外へと出さないように育てるが、優希はそれを嫌がり、俺と野を駆け回ったり虫を捕ったりしていた。それを見て幼い俺は、男と女に然程差はないのだなと思っていた。
しかし優希と遊ぶうちに、俺も優希も成長していく。俺の身長はぐんぐんと伸びていたが、優希は12歳で止まってしまった。その代わり優希は胸が膨らみ、体に丸みを帯びてきた。ゴツゴツした俺の手を握っては「どうしてオレは皆と違うのだろう?」と首を傾げる優希は、確かに男とは違う生き物だった。
15の誕生日に優希は難しい顔をしていた。そろそろ子を孕まなければならないらしい。女は体が成長しきると、子を成す義務がある。
じじいと抱き合うなんてごめんだな、そう言いながら優希は泣いていた。
もう少しで優希が16になると言う日に、彼女は母になった。生まれた子供は男の子だった。新たな人口の増加に街は沸いたが、最も喜んだのは俺だろう。優希たっての希望で、1人目の父親は俺だったからだ。
優希と行う行為は不思議で、気がはやるような安らぐような、言葉では表せないものだった。大半の男がこれを経験できずに死んでいくのだから、俺は幸運な部類に入るだろう。
女が子を産むと、授乳の間は供に過ごすことが出来るらしい。それから教育者と呼ばれる数人の人間と医療者と供に数年育てられ、死亡の危険性のない年頃になったら男親の元へと戻される。俺の元へと息子が戻ってきたとき、俺は26になっていたし、優希も別の男たちと4人の子供を産んでいた。
優希の子供は2人が女で、1人は2歳になった今も生きている。死病はかかりやすい年齢も、何からかかるのかも、そして発病の原因も未だに分かっていないが、女が子を産める年になるまで成長するのは10人に1人程度らしい。俺は息子が男であったことに感謝した。
息子が12になった年、数年ぶりに優希と俺は再開した。6人目を身籠っている優希の腹は、丸く大きかった。
「ひさしぶり」
「おう」
ゆったりとしたワンピースを纏う優希は、髪も伸びていて俺と供に野山を駆け巡っていた優希とは違う人間のような気がした。尤も、俺もあの頃からしてみれば顔も骨格も変わっている。
「6人目、おめでとう」
「ありがとう、もうすぐ出てくるの」
優希が腹を優しく撫でる。しかしその表情は、あまり嬉しそうにはみえなかった。むしろ何かにうんざりしたような、そんな目だった。
「嬉しくないのか?」
「こう何度も繰り返すと、作業みたいになるんだ。相手が変わるだけで腹の重さや気分悪さは変わらないね」
「そうか」
「よくよく考えれば、1人目の時が一番幸せだった気がするよ」
それじゃあ、と笑顔で立ち去った優希を引き止めようと、無意識に一歩踏み出していた。人通りの少ない道を歩く優希は、振り返らずに去っていく。俺は自分が何をしたいのかが、よくわからなくなっていた。
優希を引き止めたところで、何をしようというのだろうか。何も掴んでいない両手を握りしめて、優希とは逆方向へと歩みだした。
そして西暦2168年6月13日、優希が死んだ。出産時の事故だった。
これでこの街の出産できる女はすべて死んだ。幼い女が片手で数えられる数はいるが、その女たちが子を成す年齢になるまで生き残るには、神の奇跡が必要なほどの人数だった。
女が足りていないのはどこも同じで、よそからの女の補給は望めそうにない。既に女のいない街だっていくつもある。俺たちは滅びを待ちながら毎日を消費するだけの生物に成り果てた。
優希との最後の会話を思い出す度に、考えることがある。もしあの時彼女を引き止めて、このよくわからない気持ちを伝えていたのなら、彼女は俺の2人目の子供を産んでくれたんじゃないだろうか、そんな馬鹿な空想だ。
たらればを語ればキリがないが、ふと時間が空くと、そんなことばかりを考えてしまう。
おそらく俺の胸の奥にあった何かは、優希と供に死んでしまったのだろう。