二十四話 お題:委譲 縛り:御利益、表裏、煮魚、稚魚
知人に昔社長だった男がいる。彼が経営していたのは魚の養殖、加工を行う会社で、父親から引き継いだものだった。彼の父親は優秀な経営者だったが、彼自身もそれに劣らない才覚の持ち主で、業績は順調に伸びていたという。
「あの頃は我が世の春、という感じでしたね。何も怖いものがないというか。ただ不幸というのは本当にどこから来るかわからないもので」
それは彼が趣味の海釣りをしていた時に起こった。釣り上げた魚の中に今までに見たことのない魚が交ざっていたのだ。カレイやヒラメのように表裏の色が完全に違う魚で、誰か知っている人はいないかと辺りにいる釣り人達に世間話がてら聞いて回ったのだが、中々知っている人がいない。そろそろ二十人を超えるか、というところでようやく、
「おっ、珍しいねぇ、ワダツミノカタキじゃねぇか」
魚のことを知っている釣り人に出会った。なんでもこの魚は食べてしまうと海の神からの御利益を一切失い、海に関わるだけで不幸な目に遭うという正に海神の仇になってしまう魚なのだという。
「味は美味いらしいんだが、食った漁師は必ず土左衛門になるとかでとにかく嫌われてるんだよ。食べずに逃がせばお咎めはないらしいからさ、あんたもすぐ逃がしなよ」
釣り人からそう言われたものの、どうにも負けず嫌いなところのある彼はたかが魚一匹と高をくくり、そのワダツミノカタキを家に持ち帰って煮魚にして食べてしまった。釣り人が言っていた通り淡白な中にえも言われぬ旨味がつまっていて大変に美味だったという。彼はその日すっかりいい気分で床に就いたのだが、翌日の早朝にかかってきた電話でいい気分どころではなくなった。
「会社の養殖場からの電話で、育てていた稚魚が突然全滅したとのことでした。原因は不明で、同業者や研究所に聞いてみてもこんなケースはまずありえないと」
その後何度稚魚を育てようとしても必ず全滅してしまい、また魚の加工の方でも不祥事が相次いだため、彼は父親から受け継いだ会社をたたむことになってしまった。
「人の言うことはよく聞くべきだ、という教訓になりましたよ。ただ授業料をもう少し安くしてほしかった」
彼は今海のない県で林業に従事しているという。