え、ゲームじゃなくて異世界?
連れて来られたのは、レオカリスの街ではなく、王宮に隣接した立派な搭の中だった。イオスさんが先に立って、らせん階段を街を見おろせる位の中程までのぼり、そこにあった緑色をした磨りガラスがはめ込まれた扉を開けると、左右両壁際には本棚が並んでおり、中央にある机の上には開いたままの本や、作りかけの道具、その材料らしき鉱石が無造作に置かれている、研究室のような部屋になっていた。
そしてテーブルの向こうに待ちかまえるように仁王立ちになっていたのは、白に薄い緑の模様が入ったマント付きローブ姿の青年。その風体はどこか見覚えがある。この人はまさか?
だが私の思考が纏まるより先に、イオスさんよりもさらに年上に見える――二十代半ばはいっているだろうか――その人が、待ちかねた様子でこちらに近付きながら口を開いた。どこか楽しげで、けれど落ち着いた声音。
「どうでした、王子」
「ああ、お前の言う通りだ。この二人が珍しいのだろう?」
イオス王子が私達を示すと、ローブ姿はこちらに視線を送ってうなずく。
「そうです。――問題はありませんでしたか?」
「まぁな、危ない所だったが」
王子? どこかで聞いたような気がしたけど、そうだったのか。
「王子様、だったんですね。すみません、気付かなくて」
そう言って私がイオス王子に向かって軽く頭を下げると。
「構わん、忍びだ」
そう、答えが返った。言われてみれば黒地に緑の植物を模した装飾が入った、王子にしては地味めな格好をしている。装飾のほとんどない緑の額あてといい、最初はただの狩人かと思った位だ。
するとふいにローブ姿が私達の正面に立った。細身で長身のイオス王子とは違って、背が高いだけでなく、術法士にしては体格が良い。杖ではなく、剣でも持たせたら似合いそうな位だ。腰まである長い青みを帯びた黒の髪。全てを見通すかのように澄んだ、宝石にも似た青の眼差しが、こちらに向けて興味と好奇心に彩られ、面白そうに閃いた。同時になぜかその瞳は親しみと慈愛に満ちていて、不思議と見る者を安心させるような、温かい雰囲気と安定感を持った人物だった。
「ようこそ、歓迎する、異世界の住人。俺はガイ。レオカリスの宮廷術法士をしている」
ガイ? やっぱりゲームでの主要人物の一人だ! 知らず嬉しさと興奮で頬が緩む。それと確か年齢は出てこなかった筈だった。初対面で訊くのも失礼だろうかと思い、私は挨拶だけを返した。
「初めまして」
その時横から。
「異世界? ここってゲームの中なん……」
思わず、私はレックに軽い肘鉄をお見舞いした。
「ってっ何すんだよ」
「ちょっといきなりそういうこと言う?」
だがガイは気にしていない様子で。
「ゲーム? ここはお前達の世界とは違う時空の筈だ。あまり公にはしていないが、レオカリスの裏手には古(いにしえ)の時空の接点痕があってな。今回それが開いたらしい。王子、異世界の住人を迎えに行く役を譲ったんですから、この間の私の無断外出はおとがめなしにして下さいよ」
「解っている。お前には私の外出にも色々と融通をきかせてもらっているしな。お前の守護術法がなければ私は今頃籠の鳥だ」
イオス王子が心得ている様子でうなずいていたが、私はガイの最初の言葉が引っかかった。違う時空? ここが? ゲームの世界ではなく……。何となく現実感が湧かなかった。さっき散々な目に遭ったのは確かだけれど。
「怪我をしたようだな、貸してみろ」
ガイが私の右手を取ると、何やら小声でつぶやいた。すると柔らかい風が全身を包み、右腕の痛みも、全身のひっかき傷も、見事に綺麗に消えてしまっていた。
「すっごい……。これがもしかして癒しの術法?」
私が右腕に巻かれていた布をほどいて確かめていると、すぐ横からレックのぶっきらぼうな声が響いた。
「どうすれば元の世界に戻れんだよ?」
状況を忘れていなかったらしいレックの問いかけにガイは、よどみなく答える。
「今回時空の接点を開いた、『召喚者』を見付けることだ」
「召喚者?」
ますます現実からもゲームの話からも離れていく。どうなっているんだ。
「ああ。お前達を喚びだした存在がいる筈だ。王子は違うし、俺では戻してやれん」
「駄目なのか? あんた、宇宙術法使えただろ」
レックが何気にゲームネタバレ的なことを言っている。
宇宙術法は別名空間術法とも呼ばれ、空間を隔て、超え、繋げる能力があるが、使い手が少なく、珍しいのだ。そして、その能力全てを使える者は、さらに希有だと言う。
ガイの瞳が興味深そうに細くなる。
「ほう、良く知ってるな。だが、時空の接点は、様々な世界に繋がっている。喚び出した者でなければ、どこに帰せばいいか解らん」
そう言いながら、ガイは明らかに楽しそうだ。私は何とか状況に順応しようと、思考を回した。
「召喚者……。でもあの辺り、イオス王子以外、人は誰も見かけなかったですけど」
そう言うと、ガイは少しだけ真面目な声になって。
「そうだな、普通は召喚者の側に出現する。それがないと言うことは……」
僅かに考えるような目をした後。
「やはり、『北の地』に行くのが手っ取りばやいだろうな」
「北の地って……確か」
ゲームにも出て来た場所だ。ゲームそっくりの異世界なんて……。いや、あのゲームの方がこの世界に似せて作られたのだろうか? そう考えた方が自然な気がするけど……。
「全てを見通すと言われる、『北の地の主』がいる場所だ。己に関する事象を見せてもらえるだろう」
「それで召喚者が解るって?」
レックの言葉にガイはうなずく。
「恐らくな」
「……でも、一つ問題が」
私の言葉にガイが目を向ける。
「何だ?」
私は胸を張ってきっぱりと告げた。
「ギード一匹で死にかける私達じゃ……今の状態だと北の地はムリです。ハッキリ言って死ねます」
「威張って言うなよ……」
レックの突っ込みは聞き流すことにする。
「ふむ」
ガイは軽い口調で告げた。
「お前達、術法を習う気はあるか?」
「え?」
それは願ってもないことだったけれど。
「使えるんですか、私達でも」
ちょっと驚いた。この世界の人間でも、術法が使えない人は結構いる。使える人も、大抵は一種類で、二種類使える人はほとんどいない。その中でガイは、宇宙と風の両方を使える本当に珍しい存在だった筈だ。
「相性はあるが、恐らく大丈夫だろう」
「やります!」
私は即答した。もしかしたら元の世界ではトロくて、皆にやることを先に取られちゃうような私でも、ここでなら大活躍出来るかも知れない!
「言うと思った……」
レックが嫌そうにジト目をよこす。
「だってこのままじゃ出歩けないだろうし」
「ウソだ……術法がやりたいだけだろ!」
「……否定は……しないけど」
私は微妙にレックから視線を逸らした。
「俺はどうせなら手から光弾とか出る方が良かったけどさ」
「何の話だ?」
ガイの疑問にレックが答える。
「格闘系の方が好みだって話。でもそんなことも言ってられないだろ? 楽なのでいいよ」
意外にも現実ではズボラだったらしい。ゲームは結構やり込むくせに。
「では、決まりだな。王子、この二人、こちらで預かってよろしいですか」
ガイがそう尋ねると、イオス王子は、ちらと真剣な眼差しをガイに向ける。
「何か、問題が起きそうか?」
「特にはありませんね」
ガイの気楽そうな言葉に、イオス王子は納得した様子で告げた。
「では、任せる」
「承知しました」
「あ、でもいいんですか? 私達、何も返せませんが……」
私が、今更ながらに気付いてそう言うと、ガイはあっさりと、楽しそうに答えた。
「かまわんさ。元々遺跡や術法、異世界なんかには興味があってな。誰が召喚者なのかも気になる所だ。解ったら、話を聞かせてくれると嬉しいが。ともかく、お前達なら大歓迎だ」
「は、はい。ありがとうございます」
その時奥側の扉が開いて、勇ましそうで、あまり性別を感じさせない女性が現れた。
「師匠。――王子もこちらでしたか」
銀の髪、だった。術法士とも戦士とも見える動きやすそうな水色を基調にした服装で、自分よりは年上に見えた。武器と術法、両方が使える術法戦士だろうか。
「シフか。――紹介する。一番弟子のシフだ。この二人はアイルにレックだ。俺が術法を教えることにした」
ガイがそう言うと、シフは大仰にため息をつき、頭を押さえながら呆れた口調で訊いた。
「……もしかしてまた、どこからか拾って来たんですか?」
『また』? ってことは以前も同じことがあったのだろうか?
「俺は出歩いてはいないぞ。少々訳ありでな。異世界の住人で、召喚者を探しているんだ」
「異世界……。そういうことですか。……まぁ構いませんが」
何やらシフは仕方ないといった様子でつぶやいた。
「この二人、部屋の方に案内してやってくれ」
「はい」
「あ、よろしくお願いします」
シフの後に続いて、奥の扉から部屋を出ると塔の階段を再びのぼる。シフも、ゲームでの主要人物の一人だ。確か、どの守護石にも依らない、特殊な術法戦士の筈だったけれど……。
自然と視線は両横髪を束ねたセミロングの髪の色に引きつけられた。凄い、白髪とは違う本物の銀髪。みぞれを光に透かしたみたいな色合いで、思わずまじまじと見てしまった。
「どうかしたのかい?」
「あ、いえ」
少し訝しげな声に、私は慌てて首を振る。流石にぶしつけだったかも知れない。そう言えば、さっきちょっと気になったんだけど。
「先程、『また拾って来た』って言ってましたけど、他にも誰かいるんですか?」
そう訊くと、シフは首を横に振った。
「いや、今はいない」
「というと?」
「先日、師匠が『外』で怪我人を拾って来てね。――もう出て行ったけど」
そんなことがあったのか。
「そうでしたか」
「師匠に『宮廷術法士らしさ』はあまり期待出来なくてね」
「はぁ」
「ま、悪い意味ばかりじゃないんだけどさ」
シフはそう言って、微かに微笑んだ。