謝罪と迷い
バーカウンターで、シフとアレストを見かけた。シフの飲んでいるのは、ノンアルコールのカクテルで、アレストはビールのようだけど。
そうだ、特にシフには言わなきゃいけないことがあったんだ。
「シフ、ちょっといいかな」
「ん?」
「……謝りたいことがあるんだ」
「謝る? 何かしたのかい?」
私は緊張しながら話を切りだした。
「その……西の塔で戦ったドラゴンのことだけど」
「ドラゴン……」
シフが何かに思い当たったようにこちらを見た。
「あの日の夜、抜け駆けして倒しました。ごめんなさい!」
がばっと頭を直角に下げて謝った。
「どういうことだい?」
「それが……」
一通り、あの日の出来事を話した。夜中にフィアレスが抜け出すのを見て、とっさに追いかけ、なりゆきで戦闘に飛び込んで戦ったこと。そして、その結果として自分が人殺しをしてしまった話と、その後、髪を切り、改名した説明をした。
「その……ごめん。もっとはやく話そうと思ったんだけど、タイミングを逃して」
「そうか……あんたも知ったんだね。人を傷つける痛みを」
シフは痛みを含む表情を見せた。そして少しの沈黙の後。
「……いいさ。あの時は、振り返ってる状況じゃなかったからね。前を向くためにも、あの時じゃなくて良かったんだ。あんたもあまり思い詰めるんじゃないよ。確かに人の命は重い。だけど、あれの解呪は多分不可能だった」
「シフ……」
責めるどころか気遣ってくれるなんて。シフは微かに笑ってみせた。
「潔く話したことに免じて、許すよ」
「……ありがと。許してもらえないかと思ってたよ。人を……殺してしまったことも」
「納得出来ない殺しは辛いからな。俺もそれで忍びを抜けてるし。まぁ、大義名分があればいいってものでもないけど。俺にはお前を責める資格なんかないよ」
アレストもそう言って、私の頭を軽く叩いた。私は何ていい仲間達を持ったんだろう。私は滲むように微笑み、もう一度頭を下げると、バーカウンターを後にした。
廊下に出ると、そこにはレックがいた。レックは視線を合わせて尋ねる。
「なぁ、あんたは帰る気あるのか?」
「え、どうして?」
「帰りたくないなら、残っていーんだぜ?」
「……そんなに帰りたくなさそうに見える?」
私がそう聞き返すと、レックは嫌そうに答えた。
「自覚なしかよ、タチ悪ぃ」
別に、この世界が嫌いな訳じゃない。それは、決して。
「でも、ねぇ」
残れと言って来るのは、『この世界』ではなく、『妖精界』なのだ。そして、自分を喚んだのは、元の世界の人間。
「どこに残るかって、結構問題だよ……」
「え?」
「いや、レックはさ、例え私が残っても帰るよね」
私がそう確認を取ると、レックはうなずいた。
「ああ」
「うん、それでいいよ」
「で、あんたは?」
「んー、どうしよっか? もう少し、考えてからにするよ」
「ふぅん」
どうするかな……ん? あれは――。
レックと別れ、考えながら廊下を歩いていると、中庭に人がいるのに気付いた。フィアレスが妖精らしい人達と、何やら言い合っていた。
「なぜ守護一族が『内』にいるんだ?」
「俺は、自分の役を果たしたまでだ」
フィアレスの声。
「運命の戦士様が連れて来たらしい」
「それにしたって、術法力の欠片もない『出来損ない』じゃないか。よりにもよって――」
「なっ!」
私は思わず、思い切り壁を拳で叩いて飛び出していた。
「フィアレスは私なんかよりずっと、守護石のために戦って来たんだ! 術法力なんか関係ない。守護石奪還に貢献して来た『仲間』で、私が認めた『ライバル』でもあるフィアレスをそんな風に言うのは許さない。そうやってリアリィにばかり負担を持ちかけるのなら、リアリィを連れて元の世界に帰るよ!」
「……フェ、運命の戦士候補様……」
「……す、すみません……」
妖精らしき者達は引き下がり、走り去って行った。フィアレスが呆れた口調で言う。
「お前が怒ることか?」
「違うかも知れないけどね。ライバルをあんな風に言われるのは、不愉快だ。それに――」
「アルさん、フィアレスさん。ここの者が失礼を働いたようで、申し訳ありませんでした」
私の言葉を遮るように、レイドロップがやって来てそう言った。
「いつものことだ」
フィアレスは気にしていない様子だけど……。
「でも失礼だよ。……レイ……だっけ。あなたのせいじゃないけど」
「アルさん。……リアリィの力になってはくれませんか。どんな形でもいいんです」
「……悪いけど、その話は今は……」
そんな気分にはなれなくて、背を向ける。
「あっ、待って下さい!」
引き留めようとしたレイドロップの手が、私の腕に触れた。その瞬間、何か熱い物に触れたような音がした。
「っ……!」
「えっ、手が?」
見ると、触れたレイの手の平が、みるみる赤黒くただれ、薄く煙りさえ上がっている。
「平気です。ただ、我々は、光の素質しか持たない故に、こんな風に……人の内にある闇でさえ反応してしまうから……。この世界や、我々のためでなくていいんです。あなたが言ったように、リアリィを連れ帰る方法でも構いません。ただ、リアリィの話し相手になってはくれませんか。……僕達では、対等の立場とは言えないですから……」
「はぁ……。解った、話は聞くから……。手、放していいよ」
無理に引き離すと、余計に酷くなりそうで、ため息混じりにそう言う。
「すみません……」
そう謝りながらレイドロップはそっと手を離した。私はふと気付いて言った。
「そう言えば、リアリィの前に出てまで戦おうとしてたのは、あなただけだったね」
「我々は『弱い』ですから。……動くには、命を懸けるしかないんです」
「……強く、なりたい?」
そう訊くと、レイドロップは迷わずうなずいた。
「えぇ、とても。……自分の足で、立てるように。そしていつか『外』へ行きたいんです」
そう、強さを持つ者が立ち向かうよりも、弱い者が立ち向かおうとするのは……勇気が要るんだ。弱い者が、強くなろうとするのは――とても。
「そっか……。解った、少し……考えてみるよ」
「ありがとうございます」
レイドロップは深々と頭を下げた。
「そう言えば、レイナを見なかった?」
妖精界に入って散開してから姿を見ていないのが気にかかってそう訊いてみると。
「レイナさんなら、先程部屋の方に案内しました。ここを真っ直ぐ行った左側です」
と、レイドロップの答えが返った。
「そう。ありがとう、ちょっと行ってみるよ」
私は二人と別れて、レイナの部屋へと向かった。
「ここかな」
寝てたら悪いので、ノックする前に足元の扉の隙間を見下ろすと、部屋の明かりはついていた。どうやら起きているようだ。その時、部屋の中から声がとぎれとぎれに聞こえて来た。
「……っ父さ……母さ……」
「レイナ?」
「嫌ぁーっ!」
「レイナ! ゴメン入るよ!」
突然の悲鳴のような叫び声に、私は鍵がかかっている可能性も忘れてノブを回し扉を開け放った。幸いと言うか鍵はかかっておらず、私は部屋に飛び込むと、ベッドの端に座ってうつむいているレイナに呼びかけた。
「レイナ、どうかした? 大丈夫?」
そう声をかけると、レイナはゆっくりと視線をこちらに向けた。
「あ……」
初めて私の存在に気が付いたといった様子で声を漏らすと、レイナはほっと息をついた。
「嫌な夢、見て……それで……。もう、平気――。つい寝ちゃったから……」
レイナはそう言うと、もう一度長いため息をついた。確かにレイナは普段着のままだった。鍵をかける間もなくうたた寝したせいで悪夢を見たということなのだろう。
「疲れてるんじゃない? いきなり妖精界だったから」
するとレイナはゆっくりと首を横に振った。
「違うの。ここは光が多くて……逆に思い出すの」
「逆に?」
「あの時、この光があれば、って――」
「レイナ……」
レイナはぽつぽつと言葉をつづる。
「悪い夢、見るのは……気が、ゆるんだせい……。頑張ってる時は、見ないから……」
「……そっか」
何となく、解る気がした。気を張ってる時よりも、安心した時に、辛い思い出がぶり返す……。
でも、だとすると。レイナにとって妖精界は、決して悪いものではなくて――安心出来る場所――なのだろうか。
その時、横の窓を軽く叩く音がした。
「――大丈夫?」
「え?」
レイナと同時に声のした方を見遣ると、窓の外に小さな人影が立っていた。ストロベリー色の巻き毛と同じ色の瞳が印象的な、幼い妖精だった。頭の両サイドに黄緑色の髪飾りを付けており、赤に近いピンク色のワンピースがよく似合っている。
「ね、あたたたちが『外』から来た『人』なんでしょう?」
その瞳には人を疎む様子などみじんもなく、純粋な好奇心が宝石のように輝いている。私は声が良く聞こえるようにと窓を開けた。
「そうだよ。あなたは、ここの妖精?」
「そう! ルビーホワイトって言うの! ルビーって呼んで。よろしくね!」
「解った、私は――アルって呼んで。よろしく、ルビー」
私に続けてレイナも自己紹介と挨拶を返す。
「私は、レイナ。初めまして」
「初めまして! 私、外の人間にこんな近くで会うの初めて! ね、ちょっと手を貸してくれる?」
ルビーホワイトは窓越しにレイナに手を差し伸べた。
「え?」
不思議そうな顔をしたレイナの手を、ルビーホワイトが取った。すると、レイドロップが私に触れたときと似たような微かな衝撃音が響いた後、淡い火の術法力が広がった。ルビーホワイトがすっと手を引く。
「今のは……?」
レイナの疑問にルビーホワイトが笑顔で答える。
「悪い夢、追い払うおまじないなの」
「――平気? 手が少し赤くなってる」
レイナの指摘した通りだった。レイドロップの時ほど酷くはなさそうだけど……。
「平気よ、私、他の子達より治るのはやいの!」
そう言いながら見せた手の平は、見る間に赤味が取れて、元に戻っていく。自己治癒能力が高い――と言うことだろうか。
「でもどういうこと? 手が赤くなるって――」
レイナのつぶやきに、私はささやいた。
「妖精は闇に弱くて、人の持つ闇にも反応してしまうらしいんだ」
「そうなの?」
ルビーホワイトはそんな私達を全く気にしていない様子で窓の外から身を乗りだした。
「人ってすっごく綺麗ね」
「え?」
意外な言葉を聞いた気がした。
「私達の光は、闇に触れると直ぐに消えてしまうの」
「だから……手が」
納得したようにレイナがつぶやく。ルビーホワイトは微笑んだまま続けた。
「でも人が持つ光は、闇の中でも消えずに、キラキラ輝いて、すごく綺麗なの!」
するとレイナが口を開いた。
「私は……あなたたちの方が綺麗に視えるわ。純粋な光の素質だけが視える。こんなの初めて視たわ」
「ホントに?」
「えぇ」
「なら、私達お互い様ね?」
「そうね」
急にルビーホワイトが背後を気にして振り返った。
「あ、そろそろ戻らないと。勝手に見に来たのがバレたら怒られちゃう」
「そうなんだ?」
外の人間には危ないから近付くなとでも言われているのだろうか。
「ホントは出歩くなって言われてるの。――またね!」
そう言い残すとルビーホワイトは手を振りながら中庭を走り去って行った。
「――変わってるね」
姿を見せようともしない、他の妖精達とは大違いに思える。
「えぇ」
レイナも同意見のようだった。
「でも……あんな子もいるんだ……」
それが何かを変えるきっかけになればいいのだけれど。




