鳥に食われる!
マサトがこっちを、短い髪と同じ黒い横目で見遣りながら尋ねた。
「だいたいさぁ、森なんてダンジョン扱いだし、強いの出たらどーする気だ?」
「確かに……。それは困るね」
マサトの言葉に、私は何かないかと辺りを見回し、手頃な太さの棒を拾ってみた。長さも杖位で丁度良さそう。それにゲームで最初の装備と言えばやはりこれだろう。
「使えるかな」
軽く両手で握って振ってみる。――ま、ないよりマシか。
「いる?」
試しにマサトに棒を差し出してみると、即答で拒否された。
「ジャマだからいい」
「おーちゃく者。役に立つかも知れないのに」
取りあえず、棒は自分が持ってることにして、そのまま森の細道を進んでいると、ふいに不自然な風音が聞こえた。
「ん?」
頭上にかかる影と、羽ばたきの音。振り仰ぐと、木々の間から、巨大な、しかも火のように輪郭が揺らいでいる鳥が滑空して来る!
「出たっ!」
心臓が凍り付くように跳ね上がった。あんな鳥普通じゃいないっ! やっぱりここはゲームの世界?
「幻鳥ギード?」
マサトも気付いたようで空を見上げる。
「逃げよう!」
私がそう叫ぶと、マサトはさほど緊張感もなく言った。
「ギードってあんま強くなかったじゃん?」
だけど自分の緊張は解けない。
「私達が激弱だってばきっと! 初期装備のレベルゼロ!」
怒鳴り返しながら、マサトを追い立てるようにして走り出す。
「何でゼロからなんだよ!」
「この世界の人間ですらないから!」
どうでもいい会話をしながら、下生えを掻き分けるようにして走る。靴下で枝や小石を踏み付けた足が痛くなり、息が上がって来た。かなり走りにくいけど、空からの攻撃の盾も多い場所で良かったと言うべきか。
それにしても、こんな時体育二の自分の脚力が恨めしい。さぼらず頑張ってるのになぁ。もしかしたら早生まれのせいかも知れない。流石にマサトに遅れを取る程じゃないけど。どうしよう! 背中越しに風音が迫って来るのが解る。どう見ても空の追っ手の方が速い!
まずい! 来る!
「わっ!」
突っ込んで来る風の気配に、半ば茂みに飛び込む形でくちばしを横に避ける。勢いで茂みに足を取られ、バランスが崩れて片膝を付いた。敵は空中旋回して、かぎ爪がこっちを狙って来る! 立って逃げるヒマはない!
「くっ!」
膝を付いたまま、とっさに手に持った棒を盾のように前に突き出す。一瞬後、鈍い音と共に強い衝撃で腕がしびれ、右腕に熱い痛みが走った。
ギードのかぎ爪が棒を捕らえ、そのまま後方に飛び過ぎる。その動きの勢いに耐えられずに引き摺られ、私は頭から後方の茂みに突っ込んだ。
「――っ痛――」
小枝の折れる音が響き、視界が茂みの枝葉に覆い隠された。追撃は来ない。全身茂みに覆われたお陰で、私は敵の視界から外れたらしい。だが。
「うわわっ」
当然というか、今度はマサトが狙われたようだ。
「いけない!」
慌てて体勢を立て直そうともがくが、すっぽり茂みにはまり込んでしまって、とっさに抜け出せない。ようやく顔を上げると、マサトがギードのくちばしを、辛うじて地面に転がって避けるのが見えた。
「逃げて!」
衝撃と痛みと恐怖で、身体が震える。どうしたらいい? このままじゃ……!
ギードのかぎ爪がマサトを狙う。
「あっ! 危ない!」
やばい!
「っ……誰か! 誰か助けて!」
もう恥も外聞もない。半分茂みに引っかかった状態のままで、助けを呼ぶためにわめいた。普段の自分には、とても恥ずかしくて出来ない大胆な行為だ。助けが来るかも解らないのに。
目前に迫る鋭いかぎ爪に、マサトが思わずといった様子で目を閉じるのと同時に。
風を切る音がして、ギードが耳障りな悲鳴を上げた。
「えっ?」
あまりの都合の良さに目を見張った。
一本、二本、三本――。横様に飛んで来た矢が、ギードの胸辺りをを射止めていた。ゆっくりと舞い落ちながら、ギードは幻鳥の名にふさわしく、幻のように崩れ、大気に融けて散って行く。バラバラと矢が地面に落ちて転がった。初めて見る光景に、思わず瞬いて見つめていると、人の声が聞こえた。
「無事か?」
茂みの向こうから現れたのは、長身の青年だった。赤味のある茶色の髪に、金茶の瞳。手には金属製の弓を携えていた。そしてその横にはさっき見かけたキリーがいた。何だ、やっぱり連れは人間だったのか。逃げてギードに襲われるなんて何か損した気分だ。
私はようやく茂みから転がり出し、地面に膝を付いたまま、顔を上げて確認する。ギードはもういない。マサトも無事みたいだ。そう解ると、どっと力が抜けた。今更ながらに鈍く痛み始めた腕を押さえながら、深く、息をついて。本格的に地面にへたり込んだ。
怖かった……。
「大丈夫か。腕を見せてみろ」
「あ……」
改めて見ると、ギードのかぎ爪が掠った腕だけでなく、茂みに突っ込んだお陰で、髪も乱れ放題の全身引っ掻き傷だらけだ。って言うか、こんな有様なのは私だけか……?
目の前の、何歳か年上に見える青年は、手慣れた様子で、私の右腕を取って傷の手当をしてくれている。その態度に、何となく心が落ち着いて来た。
「あの、ありがとうございました。助けて下さって」
「いや、それより連れの方は大丈夫なのか?」
「え? 大丈夫かって……?」
手当を終えた青年にそう言われて、髪を結び直しながら、マサトに近寄って覗きこむ。
「あれ? ちょっと、もしもーし」
「……」
マサトの目の前でひらひらと手を振ってみたが、反応がない。地面に座り込んだまま、呆然と空を見つめている。怪我はなさそうだけど、さっきの衝撃で呆けちゃったのだろうか。無理ないか、未だ小さいのにこんな目に遭って。しかももうちょっとで殺されかけたし。私も自分の方だけ必死で、マサトのことまで気が回らなかったし……。かなり情けないよなぁ……。
そう思いつつ、マサトに声をかける。
「大丈夫だよ、ギードはあの人が倒してくれたから」
「……」
「もう平気だってば、目ぇ覚ましなさいって、聞こえてる?」
そう言って揺さぶってみたが、こちらを見もしない。
「しょうがないなぁ、――怒んないでよ?」
一応断っておいて。最終手段とばかりに、マサトの顔を平手で容赦なく叩いた。
「しっかりしなよっ、おーいってば!」
「……っ……いててて、いてーって!」
マサトが腕を振り上げて私の手を振り払った。
「よし」
「よしじゃねーっての……」
だが、次の瞬間、マサトが震えて目を見開いた。
「どうかした? 平気?」
そう訊くと、マサトは少し眉を寄せて、黙っている。
「もうギードはいないよ?」
マサトは私の視線を避けるように、横を向いてうつむいた。
「……っ」
……やはり怖かったらしい。だからあえて気付かない風に言った。
「あー、そんなに強く叩いちゃった? 顔……」
横を向いたままの肩が僅かに震えている。
「ごめん……」
――あんたのこと、助けてあげられなくて――。
詫びの意味も込めて、マサトの肩にそっと手を回した。いつもの憎まれ口は帰って来ず、ただ黙っている。
「そろそろ戻るぞ」
青年の声に、ハッとその存在を思い出して顔を上げる。
「あ、はい。ええと……あなたは」
呼びかけに迷って、そう問うと。
「私はイオスと言う」
「イオス……さん」
イオス……? どこかで聞いたような……? だけど、ど忘れしたらしく思い出せない。
「お前達の名は?」
「あ、『アイル』です」
「おい、どさくさで何言ってんだ」
横にいたマサトから小声で突っ込みが入った。もう立ち直ったのか、単純だなぁ。
「いいでしょ別に」
マサトにだけ聞こえるように返す。
「そうか、そっちは?」
イオスさんに振られたマサトは、ため息を一つついて。
「……『レック』」
「ねぇ、何でレックな訳」
今度はこっちが囁(ささや)き返した。
「パソコンで使ってた名前」
「あ、ハンドルか……」
「では、戻るぞ」
イオスさんの言葉に問いかける。
「あ、あの、どこへ? ですか」
ここがどの辺りかも解らない。
「レオカリスだ」
「レオカリス……」
王都レオカリス。メント国の首都だ。ゲームにその名が出て来るのは確か中盤辺りからだった。……よく無事だったな……私達……。改めて、胸をなでおろした。