カラスの場合
〈〈――ガキで、ストーカーか。これって人選ミスじゃねぇーか?〉〉
目の前に降り立った黒いカラスが僕の顔を見て尖った口をパクパク動かしながらパクパクパクパク喋っている。いやいや、気のせいか。カラスが人語を話すなんて、そんなことあるはずがないから。
カラスの場合
昔から田舎に住んでいるからか、都会に憧れている。
都会に住む連中は僕みたいに天然パーマじゃなく、サラサラヘアかあえてパーマをかけ、しゃれている。天然パーマの僕の住む尾広市は、二十年前に二つの町を合併して作られたニュータウンで、ニュータウンと言えば何だかきまり良く聞こえるが、住宅街から一歩出れば山や川、田んぼや畑、苔の生えた由緒ある神社があり、こういう所を一言で表すなら田舎、そして田舎に住む僕は、天然パーマで童貞の田舎者ということだ。
といっても、一時間ほど電車に揺られれば東京に行けるのだから、立地としては良い場所なのかもしれない。
だから東京の会社に勤めるサラリーマンは、ここ尾広市でマイホームをかまえる。僕の父もその一人だ。
父が憧れのマイホームをローンで購入したのは十年前のことで、僕はまだ幼稚園児だった。妹はまだ赤ちゃんで、その頃の家族の記憶といえば、妹をおんぶする母の姿くらいしかない。
父が尾広市に庭つき一戸建てを建てた一年後、僕は七歳になり尾広市立藤小学校に入学し、十二歳で尾広市立藤中学校に入学、十五歳で尾広市一の進学校である北木高校に(奇跡的に)入学し、一年の二学期中間テストでクラスワーストニ番目の成績を納め、半ば教師にも見捨てられ始めたような気がする十一月半ば、それが巻神太一という僕の立っている現在地であるものの、けれど落胆することもない、成績も内申点も部活も、今の僕には必要ない。
朝、学校の教室に着いて一番にすること、通学路を歩きながら、まさに今、それを僕は考えている。といっても、すでに決めている。だから僕が考えているのは、いかにしてイメージ通りにことを運ぶか、この一点のみ。
「なんかさー、この前、ハルカとプリクラ撮った時に変顔してさ――」、「ふーん」、「――坂本って絶対にマミのこと好きだよね。女子テニの間でもバレバレってなってるよ。そうでしょ? 太一」、「さぁ」。
幼馴染みの琴子が隣でなんか喋っているが、僕の耳には半分も届いていない。当然だ、僕は今それどころじゃない。
イメージする。まず教室に入る。教壇側の扉から入る。
入ると、何ともなしに黒板を見る。左から右へ、黒板の右端には日付けの下に本日の日直の名前が書かれている。
青いチョークで巻神と書かれ、赤いチョークでは音野と書かれている。
僕はそれを確認すると、「ふーん」と頭をかき、自分の机へと向かう。
教室右からニ列目、足を踏み入れ、すぐに右へ曲がり、三列目、そこから三つの席をやりすごし、「あっ」と何かを思い出したように声を発すると、席に座る音野響子に話しかけようとする。
けれど、音野響子は左隣に座る成美靖代と話しているから、僕に気がつかない。
すると、「巻神、どうしたん?」と僕に気づいた成美靖代が話かけてくる。
音野響子も僕のほうを見る。
目が合う。
僕は頭をかく。
「今日の日直、僕と音野みたい。面倒くさいけど、音野、職員室にプリント取りに行こ」、それだけ言うと、僕は自分の席に机を置き、また音野の席の横を通って教室を出る。
すぐに音野が追ってきて、僕の横を歩き始める。
無言で廊下を歩く途中、通りすがった特進クラスの教室から琴子が出てくる。
琴子は僕に、「現代文の教科書、太一の机の中だっけ?」と確認してくる。
もしくは「現代文の教科書、机?」とだけはしょって確認してくる。
現代文の教科書は昨日の五時間目に琴子に借りて、わざと教室に置き忘れてある。
特進クラスの一時間目は現代文だ。「机のなか」、僕は答える。
「勝手に取ってくるから」、琴子にうなずくと、僕と音野は廊下を進み始める。
廊下を進んでしばらくして、音野が「巻神くんって、桐谷さんと仲良いんだね」と僕に話しかけてくる。それも興味津々な様子で。
当然だ。
琴子は美人で、成績も学年トップ、男女問わず人気が高く、全国区のテニス部でもすでに一年レギュラーという、いわば学校という名のピラミッド様式のうわづみにいる人間なのだ。
幼稚園の時も、小学校も中学も、昔から琴子はそうだった。
きっとこれから先もそうなのだと思う。
「琴子? ああ、なんていうのか腐れ縁だよ。仲良いとか、そういう感じじゃないかな。あいつの弁当は美味いけど」
僕がそう答えると音野は「――ふーん」という含みを持たせた返事をする。
それから視線、音野の視線を右顔面に感じながら、僕はポケットに手を突っ込み、平然とした様子で廊下を歩く。
イメージング終了、完璧だ。
「――話し聞いてないでしょ?」
「えっ?」
いきなり、右肩を叩かれた。
見てみると、長い黒髪を後ろで束ねた琴子が怒った様子で僕を睨んでいた。
「いや、聞いてたけど。めちゃくちゃ聞いてたけど。坂本ね、いやどうかなぁ、あいつ、クラスでもあんまり話さないし」
「坂本の話はもう古いから。――だから、太一の中間テストの成績のことだって。クラスで下から二番目ってまずくない?」
「まずくないでしょ、別に。成績なんてどうでもいいし……。――それよりさ、琴子、教科書さー、学校に着いたらすぐ取りにきてよ。絶対だよ」
「――わかってるよ。もう。朝からそればっかじゃん」
道端の落ち葉を踏む、良い音がした。
ふと頭上で鳴き音がして見上げると、僕の頭の上を一羽のカラスが鳶のようにクルクルと旋回して飛んでいた。
「あのカラス、僕の頭に糞落とすつもりじゃないよね?」
僕の言葉に、琴子もカラスを見上げた。
「太一の天然パーマを巣と勘違いしてるんじゃない?」
「……」
カラスは僕の頭上をうざったいほど長いあいだ旋回していたが、学校の校門に着いた時には、どこかに飛んで行ってしまった。
学校のげた箱で靴をはきかえ、特進一クラスの教室前で琴子と別れ、それから二つ教室を挟んだ先、そこが普通科の僕の教室だった。
そして、その中には欠席していない限り、音野響子がいるのだ。音野響子は今日、吹奏楽部の朝練でいつもより早くに登校してきているのを僕は知っている。
一息吐いてから教室に入った。イメージ通りにいこう、と僕は自分に言い聞かせ、そのまま黒板を見た。
左から右へ、目を移動させ、日直の名前が書かれたところで目を止める。
そこにはイメージ通り、青いチョークで巻神、赤いチョークで音野と書かれている。
こうして名前が並んでいること自体、嬉しくて興奮する。
まるで一対に結ばれた気がする。にやけそうになる。
我慢した。
「ふーん」、頭をかいた。
完璧。
机の並んでいるほうへ向き直った。
何人かの生徒がすでに登校していて、その中に音野の姿があった。
同じ吹奏楽部の成美靖代と話していた。
見えるのは横顔で、その横顔を見るだけでドキドキする。
近寄るのも恐ろしい、でも近寄りたいという激しい欲求がわき起こっている。
顔のライン、やっぱり可愛いな、と思う。
本当に心の底からそう思う。
食欲に似た感情があって、彼女を頭から丸々食べてしまいたい――、そう思う自分が気持ち悪いことに気付いていながら、自覚していながらもそう思ってしまう。
視線の端でうっすらと音野響子をとらえながら、自分の机へと向かった。
視線の端でとらえているだけなのに、音野響子の場所からポカポカと春の陽気のような温かいものを感じる。
教室右からニ列目、足を踏み入れて、すぐに右へ曲がり、三列目に入り、そこから三つの席をやりすごし、音野響子の隣を心臓が張り裂けそうになりながら素通りした。
声をかけられなかった。
無理だった。
声をかけるのが恥ずかしかった。
なんで? なんで恥ずかしいの?
わからない、でも今日もダメだった――。
机の上にカバンを置いて、落胆した僕はそのまま一人教室を出た。
特進一クラスの前を通ると、イメージ通り、琴子が教室から出てきて、「教科書は? どこ行くの?」と僕に訊いた。
「教室の僕の机の中。勝手に取っていいよ。今日、日直だから、職員室にプリント取りに行かないと……」
僕は恋をしている、なんていうと完全に恥ずかしいが、それは本当で、恋というのはまさに突然おとずれるものなのだろうと思うと同時に、それが初恋ならば、その衝撃、破壊力は言い知れないものなのだ。
僕が音野響子に出会ったのは、晴れなる高校入学式当日のことだった。
クラス分けがなされた生徒たちは入学式が始まるまで教室に各々のクラスの教室に集められていた。
教室内は和気あいあいという雰囲気ではなく、だいたいの生徒が同じ中学出身者で塊、その中でもクラスメイトたちはまさにこれから三年間を共に過ごす初対面の輩たちに対し、好奇心と警戒心だらけで観察に励んでいるようだった。
もちろん、僕もその中の一人だったが、前日から朝まで行われたイメージングのおかげで、どちらかというと余裕のある感じだった。
しかしその余裕も、入学式後の教室での自己紹介で、まるでツァーリ・ボンバを脳天に投下されたように吹き飛んでしまった。
それは激しい衝撃だった。
あたり一面の遮断物が、まるで一瞬にして溶けて消え去ったような。
出席番号四番、音野響子。「はい。音野です。えーと、趣味は音楽鑑賞で、部活は吹奏楽部に入ろうと思ってます。あっ、私、人懐こいくせに人見知りなので――」
ボンバー。
ボンッ、ボンッ、ボンッ、三発爆発、呼吸を忘れた。
ああっ、なんて可愛い子なんだっ、と思った。髪質、肌の色、眉の濃さ、二重まぶたの程度、目の位置、瞳の色、赤みがさした頬、鼻の高さ、鼻の穴の大きさ、鼻と唇までの距離、唇の太さ、笑った時に見える歯並び、歯の色、顎もと、耳の大きさ、耳の穴の大きさ、なめらかな肩の広さ、身長、適度なバスト、腰回りのウェスト、ちょっと後ろに突き出た大きめなヒップ――、僕にとって、全てが完璧だった。
琴子みたいに、誰が見ても美人に見える女子じゃない、むしろ、少数にしか共感が得られない部分が多々ある、けれど、とにかく音野響子は僕にとって完璧な存在として目の前に突如現れた。
完璧なタイプ、自分がこれという確固とした好きなタイプも確立していないくせ、音野響子が完璧だと思わずにはいられなかった。
思うに、僕の完璧なタイプに音野響子が当てはまるのではなく、音野響子という存在そのものが僕のタイプだったのでは、と思う。『運命』、という言葉を使えば簡単な気がする。
運命的な初恋だった。恋というのはこれほどまでに人を幸せな気分にさせるのと同じに、苦しくさせるものなのかと思った。
とにかく胸が苦しくなった。
吐き気もした。
実際、吐いていてもおかしくないほどの吐き気だったが、幸運なことに、その日の朝は髪をとかすのに時間をさいて、何も食べていなかった。
吐き気と同時に身体が熱くなり、体が火照っているのにも関わらず、足がプルプルと震えた。
息が荒くなり、気を抜けば「ギャーッ!」と発狂してしまう気がした。しかし脳内は幸せが分泌されていた。
「――中学の時はキョウコと下の名前で呼ばれてました。みんなも気軽にそう呼んでください。これからたくさん迷惑かけるかもしれないけど、よろしくお願いします」
音野響子の自己紹介が終わり、音野響子がその少し大きめなヒップを席に戻すと、「次、出席番号五番、氷川コズエ――」と担任が発言、音野響子の後ろの女子が立ち上がり、そこから少し離れた席に座る僕も一緒に立ち上がった。
「先生……、体調が悪い気がするので、保健室に行ってきます」
イメージというのは大切だというのを、僕は幼馴染みの琴子から教えてもらった。
受験勉強の時だ。琴子は地元で一番の進学校である北木高校を受ける予定で、普通の体調なら九十九パーセント受かると中学時の担任に太鼓判を押されていた。
僕はというと、二つくらいランクの下がる星雲館高校を受験する予定だった。それでも受かるかどうか微妙なので、私立は滑り止めに確実に受かる高校を選ばなければいけなかった。
しかし、高校受験志望校という名の蓋を開けてみれば、僕は北木高校を受験することになった。琴子が強く進めたのだ。
担任には『受けるなら、落ちる前提で受けなさい』と言われた。
両親としては公立でも私立でも、AランでもDランでもどっちでも良かったらしく、だったらまぁいいか――、と僕も琴子の進めに応じた。
軽い気持ちだったものの、受けるからには本腰を入れた。
何となく、受かるんじゃないか――、というような気もしていた。
というのも、これまで琴子とは幼稚園、小学校、中学校と違うクラスにさえなったことがなかったのだ。高校だって同じ場所だろうと、なんとなーく、そう考えていた。
「イメージって大切だから。まず細かいとこまでイメージして、それから実行に移すの。そうすれば、大抵のことは上手くいくから」
受験勉強にうなされた僕に、琴子はアドバイスなのか何なのか、そういうことを言った。まぁいいや、と騙された気持ちで、それから僕は受験に受かるイメージをしながら勉強した。
塾が終わった後も、夜遅くまで琴子に勉強を教えてもらうようになった。琴子の勉強の教え方は、プロであるはずの塾講師よりも上手かった。
それに不思議と、イメージングを覚える前と後で、勉強の質、量ともに格段な違いが現れた。
気分も変わってきた。受験のためというよりも、単純に面白い知識を吸収しているような気になり、すると勉強自体の苦しみも軽減され、本当に自分は受かる、という自信というよりも確信に近いような気持ちにさえなっていた。
そして合否発表という名の蓋を開けてみれば、僕は北木高校に見事合格してしまった。家に帰り家族にそれを伝えると、両親も妹も信じられないと、間違いだろうと高校に問い合わせたほど驚いていた。
「琴子ちゃんは魔法使いだね」と我が家族の評価は全く僕には向けられずに琴子を賞賛し、その日の夜は琴子を夕飯に招いての焼肉パーティーになった。
北木高校に合格した当の僕はというと、合格した事実をまるで当たり前のような気持ちでいて、それと同時に、これってスゴイ武器じゃね? とひそかに感心していた。なにって、イメーシすることが。
こんな裏技があるなら琴子ももっと早くに教えてくれたらよかったのに――。
それをそのまま琴子に伝えると、琴子は「あれ? あれって、なんか、誰か偉人の名言をそのまま言っただけだよ」と、僕の単純さを笑った。
しかし、イメージングは武器だと僕は一人で確信していた。高校受験以来、僕は何事かにのぞむ際、事前に情報を整理し、きちんとイメージするようになった。そして、どれも些細な出来事であるものの、それは上手くいくことのほうが多かった。
しかし――、そうだ、音野響子。
音野響子に対する場合、僕のイメージは、実際に行動に移すとどこかで必ず逸脱してしまう。
今日の朝の出来事だってそうだ。理由はわかっている。それはきっと、僕が音野響子に恋をしているからだ――。
今日の昼ご飯の弁当の主食はから揚げだった。
僕の好物で、それを知っている母は二週間に一回くらいのペースで弁当にから揚げを入れる。
母の手作りではない。
駅前スーパーの惣菜コーナーで売っているものを、そのまま弁当に入れているだけだ。
だからって家庭的なものに僕が飢え、母に対する不満を募らせているわけではない。
両親は共働きで忙しいのだ。もう十六歳なのだから、それくらいの分別はつけなくてはいけない、と理解している。
音野響子の本日の弁当は、アスパラの肉巻きが三つと卵焼きがニきれ、タコ形の赤いウィンナーが一つ、ポテトサラダ、プチトマト、白ごはん、夕食後にキウイとリンゴのフルーツ、飲み物は一階の売店で売っている緑茶。
それらが音野響子の赤い唇を通して口内に運ばれ、舌で転がされ、喉もとを通過して胃袋に運ばれる。僕は少し離れた場所からチラチラとそれを見守っている。
今日、音野響子は何を口に運ぶのか、それを見届けるのが昼時の僕の日課である。
そして、もう一つ大切なのは、会話だ。
仲の良いクラス男子が円になって弁当を食べる中、僕は彼らの話にはほとんど耳をかさず、音野響子と成美靖代、片桐春香の吹奏楽部三人娘の会話に耳をかたむけている。
話の中心にいるのは三人のなかで一番テンションの高い成美靖代だ。片桐春香が成美靖代の話に便乗し、音野響子はというと、あまり発言しない。相づちを打ったり、笑ったりと、聞き手に回っている。
いつもの光景だった。音野響子は食事中、あまりしゃべらない。マナーがなっていて、おしとやかなのだ――。
「――なぁ、おい。おいって。太一。聞いてる?」
いきなり、肩を揺さぶられた。見てみると、クラスメイトの萩原良雄が僕の肩に手をかけている。
「えっ。なに?」
「なにじゃないって。――だから、太一って特進一の日向と仲良いんだろ? 今日の朝、太一の机はどこかって日向に聞かれた」
『日向』とは琴子の名字だった。そういえば、萩原良雄が以前、「特一の日向って美人だよな」と全校集会の後に話していたのを思い出した。
どうせ、紹介してくれ、とかそういう話だとわかった。面倒だった。そういうことは、中学の頃からしょっちゅうあったのだ。
「別に。家が隣同士ってだけ」
それだけ言うと、萩原良雄も「あっそうなんだ――」と引っ込んだ様子だったが、「でもさ――」と僕の顔を見てまだ話を続ける。邪魔されている気分になり、少しいら立った。
「――先週の日曜、尾広駅前のファミレスに家族で行ったんだけど、そん時に日向を見たんだ。席が遠くて遠目からだったけど、絶対に日向だってわかった。日向って、なんかオーラ出てるもんな。そんでさ、なんか男といたんだよ。背の高い男。後ろ姿だったから、顔はわかんなかったけど、若い感じだった。あれって彼氏かな。日向ってやっぱ彼氏いるのかな。いてもおかしくないよなぁ。――なぁ太一、なんか知ってる?」
「いや、知らないけど。僕の知る限りじゃフリーだと思うけど?」
「マジで? やったね! じゃあ俺、日向狙おうかな」
「がんばって」
そういえば先週の日曜日って、その日はたしか母も父も休日出勤で不在だったから、昼間に琴子が家に来て、妹と一緒に昼ご飯を作ったんじゃなかったかな。たしかチャーハンだった。でもなんか、昼から用事があるとか言ってた気もする――、デートだったのかな?
まぁいいや――、と僕は思った。琴子が男と会っていようが、彼氏がいようが、ゴリラ顔の萩原良雄と付き合おうが、僕には何の関係もない。琴子は琴子で恋をしているのかもしれないが、他人のことより今は自分のことだ。
今日、同じ日直当番だというのに、一度も音野響子と話していない。これはまずいっしょ。
とにかく、僕は音野響子に対してイメージを成功させ、話さなくちゃならない。
それをしないと始まらないのだ――。
僕は音野響子を見た。
しかしそこに音野響子の姿はなく、かわりに机の向こうの窓の外でカラスが飛んでいた。