魔法少女システム・きらり
通りには多くの野次馬が集まっていた。その野次馬を見て何事かと通行人も足を止め新たに野次馬に加わる。人垣の中では警察官たちが列を作り、盾で囲って銀行の出入口を封鎖していた。
警察官の一人が拡声器を使って呼びかける。
「お前は完全に包囲されている! 諦めて人質を解放し投降しろ!」
呼びかけている相手とはもちろん銀行強盗だった。
「いやー! 誰か助けてー!」
「うるせー! 静かにしろぶっ刺すぞ! おら! さっさと車用意しろ! こいつがどうなってもいいのか!」
銀行のロビーの中央で、目出し帽をかぶった男が女性を羽交い絞めにして刃物を突きつけていた。
この銀行に押し入った銀行強盗は現金を要求した。銀行側はそれに応じて現金を用意しようとしたのだが、現金の用意に手間取っている間に警官隊が到着。泡を食った強盗が職員の女性を人質にとって立てこもってしまったのだった。銀行のロビーには今は犯人と人質の女性だけが残されている。
「どうします? 突入しますか?」
警官隊の一人が指揮官に尋ねた。彼は犯人の要求に答えるのは論外だと考えていた。ならば突入して迅速に犯人を取り押さえて女性を救出するのが良いとも。
だが、指揮官は否定した。
「いや、待とう。そう上から指示があった」
指揮官の男は、そう言ってガラス越しに銀行のロビーへと視線を投げた。何かを見通そうとでもするように、目を細める。その視線の先には人質に取られた銀行員の女性の姿があった。
「上からの指示が、な」
銀行の内側の壁面が輝きを放つ。輝きは幾何学的な紋様と不可思議な文字の羅列が組み合わさって出来ていた。やがて、その輝きの中から人の姿が現れる。
それは少女だった。青い衣装に身を包んだ幼い少女が、強盗が立て篭もった銀行の中へと降り立つ。
「夢と希望を守るため!」
少女がやたらと長いリボンを巻いた腕を振り上げる。
「正義の心で悪を挫く!」
彼女が身体をひねるとフリフリの衣装がふわりと踊り。
「愛と勇気の使者! 魔法少女きらり! ここに見参!」
そして、口上を言い終えた彼女はビシリと決めポーズを取ったのだった。
「決まったね!」
いつの間にか、少女の足元には珍妙な生命体がいた。デフォルメした狐を過剰装飾したような生き物だった。喋って動かなければぬいぐるみと思われるだろう。その変な生き物だけが喝采する。
「誰も見てないけど!」
「……あれ?」
きらりが現れたのは狭い部屋だった。資料が収められた棚だけが壁際に並べられている。室内には誰もいなかった。
「出る場所を間違えたね」
「ここでいいって言ったよねコモビ」
「出る場所を間違えたねー」
「……」
「いつまでもこんな所にいたって仕方がないし、さっさと犯人の所に行こうよ」
「……うん、そだね」
さっさと進んでいこうとする珍妙な生命体コモビにきらりは続こうとした。が、彼女は進めかけた足を止めた。
「? どうしたんだいきらり?」
「ねえ、コモビ。やっぱりこういうのってなにか違うと思うの」
「こういうのって?」
「えーと、その、私は悪いやつを懲らしめるために魔法少女になったんだよね」
「そうだね。立派なことだよ!」
「……でもね。こういうのはなんて言うかお巡りさんたちのお仕事で、魔法少女がやることじゃないというか……」
「なんで? 悪いやつだよ?」
「それはそうなんだけど、その犯人さんは悪い悪魔さんに操られているとかそういうんじゃないだよね?」
「そんなわけのわからない生き物がいるわけないじゃないか。犯人は普通に悪党だよ」
「えと、それをあなたが、ううん、なんでもない。悪い人を懲らしめる。うん、そうだね。困ってる人は助けないとね」
「そうそう。その意気だよ。魔法少女には人を助けられるだけの力があるんだからね」
「でも、勝手にこんな事をしたら、お巡りさんたちの迷惑にならないかな」
「大丈夫大丈夫。お互いの邪魔にならないように、折衝はちゃんとやってるからさ」
「せ……? なに?」
「キミは気にせずに事件を解決すればいいってことだよ」
「……わかった。頑張るよ」
気になることは山とあったが、きらりはこの場は事件解決に集中することに決めた。
「あの、すいませーん」
「うおお!? なんだてめえ!?」
奥の部屋から銀行ロビーへと現れた不思議な格好の少女に強盗は度肝を抜かれた。人質に取られた女性をも唖然としている。
「あの私、きらりって言います。ちょっとお話いいですか?」
「はあ!? なんだいきなり現れて!? 消えろ! けったいな格好しやがって! ここはガキの遊び場じゃねえんだぞ!」
「けったいって! これは魔法少女のコスチュームなんです」
「魔法少女だあ!? 気でも狂って――」
その時だった。きらりが現れた扉から、彼女の後に続いて強盗が見たこともないような珍妙な何かが出てきた。その何かはきらりの足元まで移動する。
「……何だその変な生き物は!?」
きらりはその変な生き物を抱き上げた。
「えっと……、この子はコモビと言って、……変な生き物です」
「変な生き物なのかよ!?」
「失敬だな。変な生き物じゃないよ」
「喋った!?」
「変な生き物じゃなくて、ボクはマスコットさ」
「……マスコット? あの十二球団のやつみたいな?」
「違うよ。ボクはマスコットと言う名の生き物なんだ」
「そんな名前の生物はいねえよ!」
「いるし。ボクがそうだし」
「なんかうぜえ!?」
きらりが申し訳なさそうに強盗に近づいていく。
「えっと、その、お話は聞いてもらえませんか?」
得体の知れない相手に強盗がたじろぐ。
「ち、近づくな! それに少しでも妙な動きを見せたらこいつがどうなるかわかってるんだろうな!」
「ヒッ」
刃物を突きつけられて、女性がかすれた悲鳴を上げた。
「あっ! あっ! 駄目ですよ怪我しちゃいます!」
「うるせえ! 当たり前だろうが! ……くそ! なんでこんなわけのわからないガキの相手までしなきゃならねえんだ。おい! 魔法とか言ってたがそれも使うんじゃねえぞ! わかってんな!?」
「え? えー? 魔法少女なのにですか?」
「当たり前だろうが」
きらりはがっくりと項垂れた。彼女は魔法を使って事件を解決したかったのだ。
「わかりました。魔法は使いません」
そう言うと、きらりの姿が光りに包まれた。そして、彼女の服装が変わる。先ほどまでよりは大人しい、それでもそれなりにおしゃれな子供服に変わる。
「うおお!? 魔法は使うなって言っただろ!?」
面食らった強盗がきらりに向かって包丁を突き出した。
「え? だから変身を解いたんじゃないですか」
「そ、それは魔法じゃないのか?」
「変身してないと魔法は使えませんけど」
「そうなのか……」
その言葉は疑わしく思えたが、きらりが嘘をついている様子もなかったために強盗は警戒しつつもとりあえず信じることにした。
「……しかし、本当に魔法なのか。なんなんだお前」
「魔法少女きらりです!」
きらりは元気に手を上げた。
「そしてマスコットのコモビだよ」
なぜか変な生き物まで自己紹介をした。
「……」
魔法が使えないという言葉を信じるならば、今はきらりはただの子供という事になる。強盗にとっては警察も怖いが、何をしてくるかわからない魔法少女も十分に脅威だった。ならば、魔法を使えない今のうちに押さえておくべきか。強盗はそう判断した。いざとなれば人質の代わりにもなる。
「おい。お前、こっちに来い」
「え?」
マスコットとなにやら話そうとしていたきらりは強盗に話しかけられてぽかんとした。
「いいからこっちに来いって言ってんだよ! 言うことを聞け!」
強盗が人質を再び示して脅す。
「はあ、わかりました」
あっさりと了承して、きらりはとことこと強盗に近づいていく。
(馬鹿が。魔法が使えないならただのガキだろうが)
強盗は笑みを浮かべて、近づいてきたきらりの喉元に刃物を突きつけた。
「おい。大人しく言うことを――」
刃物を持った手にきらりが腕を絡めてその腕を引く。痛みを覚えた強盗は、その手から刃物を取り落としてしまう。そして、気がつけば強盗は膝立ちの状態できらりに腕を捻り上げられていた。
「――!? ぐっ! てめえなにしやが――いだだだっ!?」
動こうとすると激痛が走る。強盗はあっという間に身動きが取れない状態にされていた。きらりがした動きはただの子供のものとは思えなかった。
「くっ!? これが魔法の力か!? てめえ騙しやがったな!」
「いえ。これはただの合気道ですけど」
「魔法じゃないのかよ!」
「え? 魔法は使えないって言ったじゃないですか」
「この子は剣道柔道空手合気道。その他もろもろ色々な習い事を受けているんだよ」
いつの間にか、強盗のすぐ前にまで移動していた変な生き物が解説してくれる。
「魔法、いらねえじゃねえか!」
強盗のツッコミがロビーに虚しく響いた。
「あのー、私、もう逃げてもいいよね?」
人質の女性が外を指した。強盗は取り押さえられた後、縛られて床に座らされていた。それを手伝ったのは他ならない彼女である。
「いや、ちょっと待ってくれるかな。 今警察に入って来られるとボクたちにとっては少々具合が悪い」
胡散臭い変な生き物が女性に待ったをかけた。
「え? そうなの?」
変な生き物の言葉にきらりは驚いた。この魔法少女とマスコットはあまり意思の疎通が取れていない。
「……。そう言えば、なんで警察は入ってこないんだろう」
女性が銀行の外に視線を向けた。内と外を隔てるのが透明なガラスだけである。外には変わらず銀行を取り囲み続けるだけの警察の姿が見えた。
「外からは、まだキミが強盗に人質に取られている光景が見えているんだよ」
変な生き物が解説する。
「え? 私そんなことしてないよ?」
きらりが驚いた。そもそも彼女は変身していないので魔法が使えない。
「ああ。そういうのはボクが全部やっておくからキミは細かいことは気にしなくていいんだよ」
「うん。わかった」
「……それで、これからどうするの?」
いまいち話が進まないので女性は焦れてきた。
「そうだね。このまま普通に警察に引き渡すならそもそも魔法少女が出張ってきた甲斐がないからね。強盗はこっちで適切な処置をしてから解放するよ」
「そんな事、勝手にしちゃ駄目なんじゃないのコモビ」
真っ当な倫理観を持つきらりは不安げだった。
「ははは、大丈夫さ。その権限が特別どく……ごほん。魔法少女にはより多くの人を幸せに出来る力があるんだ。愛と正義の心から出た行動はきっと間違っていないはずだよ!」
「聞き逃さないよ? 今何か言いかけてやめたよね? 特別……なに?」
「無辜の民だけでなく心の貧しい人まで救ってこそ愛と正義の使者と言えるとボクは思うんだ!」
変な生き物が力説した。
「えと、うん。それはそうだとは思うんだけど」
きらりも同意する。歯に物が詰まったような言い方だったが。
「それに、刑務所に送らないで済むならその方が良いんだよ。なにせ刑務所の運営費用は税金から出ているんだ。それに最近は収容者が増えすぎて刑務所はもういっぱいだからね」
「なんか理由が生々しいわね」
女性が胡散臭そうに変な生き物を眺めていた。
「深刻な問題なんだよ。出る人よりも入ってくる人や戻ってくる人の方が多いなんて状況が続いてはいずれパンクしてしまう。なのに新たな刑務所は地元住民の理解が得られないから建設できない。ないと困るのは自分たちなのに、負担するのは嫌だなんて身勝手だよね!」
「言っていることはもっともだけど、なんでそれをあなたなんかが憤っているのかわからないわ」
女性は変な生き物を胡乱な目で見つめていた。
「ボクも愛と正義の使者だからね! この世のありとあらゆる問題に頭を、もとい心を痛めているのさ!」
「……それで、結局こいつをどうするの?」
女性が強盗を指した。強盗は座らされたまま、じっときらりたちを睨みつけていた。
「そうだね。まずは話を聞かせてもらおうか」
「けっ、話すことなんざねえよ」
「じゃあ仕方ないね。警察に突き出そう」
「わかった。話す」
強盗はあっさりと了承した。変な生き物が尋問を開始する。
「なんでこんな事をしたんだい?」
「……金が無いからだよ」
「なんでお金がないのかな?」
「仕事がねえからだ」
「仕事はしてた?」
「してたよ」
「やめた? 首になった?」
「……やめたんだ」
「なんでやめたのかな?」
「……仕事が……きつくて、嫌になったんだよ」
歯切れは悪いものの、強盗は最後まで答えた。
「仕事がきつい?」
眉を釣り上げたのは、人質に取られていた女性だった。
「仕事がきついのなんて当たり前でしょう。私だって笑いたくもないのに笑って嫌な上司や客の相手をしてるのよ。書類仕事だってお茶くみだってなんも楽しくなんかない。世の中の人だってみんなそう。やりたくないこともやってお金貰って生活している人がほとんどよ。それを嫌だやりたくないやめます。挙げ句の果てが銀行強盗? 舐めてんじゃないわよ」
「ぐ、うぅ……」
女性の剣幕に押されて強盗が身を縮こまらせる。
「でも、本当に辛くて……」
「だから! 世の中の人はみんな辛いの我慢してるの! 我慢してない人なんていないの! 我慢して歯を食いしばってみんな頑張ってるの! あんたみたいな根性なしと違って!」
「うぐ……、ぐぅ……」
ぐぅの音は出たが、強盗は意気を挫かれてがっくりと項垂れた。そんな強盗を見下ろして女性が変な生き物に尋ねた。
「それで、こんな事がわかったからどうだって言うの?」
「そうだね。こういう場合はこれを使おう」
そう言うと、変な生き物はどこからともなく一枚の紙切れを取り出した。
「ジャン! 血の誓約書ー」
「なんか名前がえぐいぞ!?」
強盗が怯えた。
「なんだ!? 俺は何をされるんだ!?」
「何もしたりはしないよ。むしろキミがする方さ」
「……!? どういう事だ?」
「この誓約書はキミ自身が使うんだ」
「何を言ってる。俺は魔法なんざ使えんぞ」
「そんな事はないよ。弱い魔法なら、道具さえあれば誰にだって使えるんだ」
「え? そうなの?」
きらりが驚いた。
「そうだよ。言ったことなかったね」
「……それで、その血の誓約書とやらはどんな効果があるの?」
女性が先を促す。
「人間っていうのは意思の弱い生き物だ。一時は強い決意を以って決めた事でも、後になると決意が揺らいで結局は破ってしまうなんてのは誰しもがある話だろう」
「……うん、まあ、そういう事はね」
女性にも心当たりがあるようだった。
「この誓約書はそんな自身を戒めるためのものだよ。予め決めた行動を破ろうとすると凄まじい罪悪感に襲われる。実際に破ると激痛に襲われる。これは言わば外付けの理性なのさ。決意を最後まで貫き通すための道具なんだ」
「ふーん? いいかもね。ダイエットにも使えそう」
「そうだね。実際に車田さんはそうやって……ごほん。そうだね。ダイエットなんかには最適なんだろうね」
「誰よ車田さんって」
「さて、そういうわけで。これを使う気はあるかな? キミだって本当は頑張りたいんじゃないかな? これを使えば頑張れる。辛いこともあるだろうが、やり遂げればその先で達成感を得られることもあるだろう」
強盗の前にその紙が置かれた。強盗はその紙を食い入る様に見つめていた。
「強制はしない。強制は出来ない。本人の意志を無視して制約を結ばせることは出来ないからね。制約をすればこの場から逃してあげよう。それが嫌なら刑務所に行ってもらうことになる。どちらを選ぶかはキミの自由だ」
なんとも不自由な二択だった。
「俺は……」
そして、強盗の男は決断する。
投降してきた強盗を取り押さえようと警官隊が近づいてくる。その光景をきらりたちは銀行のロビーから見ていた。
「あの偽物。この後はどうなるの?」
外を示して人質だった女性が聞いた。
「事件が起きた以上は犯人は必要さ。途中まではいたものとして処理されるよ」
変な生き物が答える。外にいる強盗はきらりの魔法で作られた偽物だった。強盗は制約を結ぶことを選んだ。もうこの場にはいない。これから彼は仕事を探して、仕事に就き、その仕事を続けていくことになるだろう。犯罪になど走らずに、辛くとも、それに耐えて。
「それで、私はどうなるの? 記憶でも消されるの?」
「そんなことはしないよ」
「そうなの? 警察に本当の事を喋っちゃってもいいの?」
「構わないよ。まあ、怖い目にあって気が狂れたんだと思われるだろうからお勧めはしないけど」
「ああ。うん、なるほどね」
「それじゃあ、私たちは行きますね」
きらりが変な生き物を抱き上げて、また銀行の奥へと戻っていく。
「うん。ありがとうね。助かったわ」
「どういたしまして」
きらりが奥の扉へと姿を消すと同時に警官隊がロビーへと入ってくる。そちらを一度見てから、再び女性はきらりが消えていった扉を見つめた。
「……魔法少女なんて、本当にいるとはね」
そして、目を細めると苦笑した。
「全然イメージと違ったけど」