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パラダイス(あの人限定)

作者: 森 あきら

毎日つまらない仕事の繰り返し。

・・・なーんて、疲れたOLの真似をしたけれど、私は正社員様ではなく行き先不透明な派遣社員。

就職したいなーとは言ってはみても、ホント言ってみただけ。

自分にはそんな能力もやる気もなし。

結局、時給は安く将来もないけど、期待、責任、残業なしの今の仕事に甘えて、波風立てずにこっそり生きている。

暇な日曜日の午後には別れた男のことを考え、やっぱり別れなきゃ良かったのかな・・・と、センチメンタルな思いを一瞬頭によぎらせてみても、ホントよぎっただけ。

でも待てよ、あんなこともこんなこともムカついたわっ!ああっ、もっと罵ってやればよかった!くやしいっ!と、過ぎた思い出にすら寛大になれずに、国民の休日まで無駄にして生きている。

そんな女が、生きていることを感謝するほどの喜びを知るなんて、ホント思ってなかった。


あの日、夕食を済ませた私たちは、初夏のべたっとした空気に纏わり付かれながら公園を散歩していた。

普段の私としては有り得ない行動だ。

夏は大嫌い。初夏も然り。湿度でいまいち髪型が決まらないし、汗で化粧は崩れ、鼻はテカテカ。脇はむんむん。気持ちわるーい。

こんなじっとしていても落ち込む季節に好んで散歩をするなんて、あなた以外の男性だったらハッキリ言います。お断り。

しかもヒールの高いサンダル履いているの気づかないの?黙ってタクシー拾ってよ。あ、二軒目は美味しいお酒を出す店にしてよね。

普通は思っていても可愛い女の子は口には出さないと思う。でも、私は口に出す。気ぃ使えないぐらいなら、女をデートに誘うなっつーの。

男性はそんな大人気ない私に何も言えずに黙り込んだり、呆れ、怒り、説教をすることも間々ある。

でも逆に見た目は大人しそうな私の意外なキャラに興味を持ったり、崇め始めるM男も少なくない。

ま、私としてはどっちだって良い。

それはそうと、今宵はそんな私も普通の可愛い女の子に成らざるを得ない。


砂利道を行く私のヒールは小石をはねていく。溝にざくざくにはまっちゃって、歩き辛い事この上ない。

だけど、私がホントにはまっちゃって生き辛い事この上なくしてるのは隣にいるこの人。

会社の先輩、武内さん。

私の好きな人。

「歩くの平気な人?」

「・・・はい(武内さん限定)」

私は武内さんだけには、どうしてもどうしてもいつもの我侭爆弾宣言ができない。それどころか、人格崩壊されるんじゃないかと心配してしまうほど、もっこもこの猫をかぶるしか術がなくなる。

靴ずれしてマメができて潰れて血が出ても構いません。

暑くて気持ちわりぃけど一緒に居られるなら、どこでもいいんです。ホントです。

そんな可愛い私のお願いが武内さんに通じたのだろうか。

武内さんの手が私の手にそっと触れてそのまま繋がった。

嬉しくて動揺を隠せず頬が高揚した。

汗ばんでるけど離さないで下さい。

一度離れたら武内さんがまた繋いでくれるまで私、待ってなきゃいけないから。自分からは・・・できない。

だから、まだ離さないで。お願い。

・・・こんなに心が切なくなる恋心、私にもあったんだ。ちょっと感動してる。


私の想いとは裏腹に武内さんはさっと手を離し、木のベンチに私を座らせた。武内さんは座らずにポケットからタバコを出して咥えた。その時チラッと時計を見た気がしたけど、悲しいから気づかないふりをした。

まだ十一時にもなってないと思うんだけど・・・。

そうだ。何か、何か話さなきゃ。

「武内さんは夏が好きそうですね」

程好く日焼けした武内さんの顔を見たら自然とそう言っている私がいた。と、いうことは夏嫌いな私とは合わないということになるじゃない。自分で自分の首を絞めてどうするのよ。

「そうだね。実家が海に近いしね。夏、好きなの?」

「・・・はい。」


べたべたの海から上がるとやけに体が重い。

ジュースはぬるいを通り越してすでにホット。

灼熱の太陽の下で汗だくビーチバレー。

チューブとあゆがエンドレスで流れる海の家で、焼きそばとフランクフルトを食らう。

おや、ビーチサンダルを履いているにも関わらず足の指の間には砂が挟まってる・・・。

あ、へそにも。

やだー日焼け止めクリーム塗ってたのに焼けちゃった。

おっえー。

想像しただけでも鳥肌が立つほど全部嫌い。

でも、武内さんが誘ってくれるならシッポ振ってついて行きます。

東急ハンズでパラソル買ってきますね。


武内さんは『ちょっと』と言い、ベンチの少し先にあるスタンド灰皿を使いに行ってしまった。

一人にしないで。

ううん、普段の私は一人に強い。強いを通り越して強豪。

でも、武内さんと離れた私は孤独で倒れそう。

私は武内さんの後ろを追いかけた。

武内さんは私がくっついて来た事に気がついているにも関わらず、私の方を見なかった。仕方が無いのでタバコの灰を落とす後姿を見守る。

この人のこの背中に何のためらいもせずに飛び込める人がいるんだよなぁと思うと、真新しいサンダルのヒールに付いた傷が急に可哀相になる。

それでも、いつ振り向かれても良い様に髪の毛を手ぐしで整えている私がいた。


「そろそろ行こうか。」

タバコを吸い終わった武内さんが、くるりと振り向いてそう言った。

私はちくちく痛むハートのショックを隠す為にわざと笑顔で頷く。

どっく。

心臓がいつもより多めに血液を運だ気がした。

頷き終わった私の顔のすぐ近くに武内さんの顔がある。

全身の毛穴が瞬時に開き、汗が噴出す。

そう・・・そうか。する・・・するのか・・・。

私が顔を少し上に向けると武内さんがもっと近づいた。

も、だめ。沸騰寸前。

頭の中では大パニックが起こしつつも、すました顔で私はまぶたを伏せた。

そして。

そっと、そっと、そっと・・・。

一瞬よりは長いけど実感するには短すぎる、そんなキスだった。

三十路に片足突っ込んでる武内さんが、売れ残りクリスマスケーキのお年頃な私に中学生みたいなキスをくれた。

こんな馬鹿みたいに素敵なキス、初めて。

嬉しい。

生きてて良かった。

あ、でも、もう死んでいいのかも。

この先に続く、あなたと過ごす時間はそんなに甘いことばかりじゃないと思うし。

私があなたに向かって可愛くない事を言い出すのも、そんなに遠い未来じゃないと思うし。


だけど。

・・・だけど、すぐは死ねないから今はもう少しだけこうしていてもいいかな。

私の髪を優しくなでていた初夏の風はいつしかあなたの指に変わっていた。





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