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ユークティア。
その名前を、俺は忘れたことがない。
彼女は、この世界がまだ“ゲーム”だった頃、トップギルドに所属していたプレイヤーだった。しかも、ただ所属していただけじゃない。前線のさらに前線を走り、常に最上位争いに食い込んでいた、筋金入りの廃人ゲーマーだ。
強かった。
とにかく、強かった。
課金装備で固めた連中に混ざって、それでも純粋なプレイヤースキルだけで互角以上に渡り合っていた。立ち回り、反応速度、状況判断、どれを取っても一級品。しかも、ただセンスだけで勝っていたわけじゃない。寝る時間を削って狩りをし、素材を集め、研究し、地道に強くなっていったタイプだ。
だからこそ、目立った。
そして――妬まれた。
ある時、彼女は所属していたトップギルドを追放された。
理由は、課金額が足りていないから。
表向きは、そういうことになっていた。
だが、そんなものは建前だと、見ている奴はみんな分かっていたはずだ。
ユークティアは、無課金ユーザーの憧れだった。
課金しなくても、ここまでやれる。才能と努力があれば、トップ層にだって食い込める。そういう希望そのものみたいな存在だった。
だからこそ、面白くなかったんだろう。
高額課金して装備を揃えた連中からすれば、自分たちと肩を並べるどころか、時には追い抜いていく彼女の存在は、鬱陶しくて仕方なかったはずだ。
結局、ユークティアはそこを追い出された。
それで終わりなら、まだよかったのかもしれない。
だが、現実はそう甘くなかった。
彼女はその後も、行く先々のギルドで似たような扱いを受けた。
強すぎるから煙たがられる。
真面目すぎるから浮く。
無課金なのに結果を出すから妬まれる。
ギルドを転々としていたのは、本人の気まぐれなんかじゃない。居場所を作ろうとして、そのたびに追い出されてきただけだ。
それでも彼女がギルド加入にこだわっていたのには、ちゃんと理由があった。
無課金勢だったからだ。
エヴォルシアオンラインでは、ギルドに所属していれば、毎週“ギルドギフト”が受け取れた。中身は回復薬、補助アイテム、消耗品、時には貴重な育成素材まで入っている。しかもギルド城レベルが高いほど、その内容は豪華になる。
課金で補えない彼女にとって、それは決して小さな恩恵じゃなかった。
強くなるために必要で、そして生き残るためにも必要だった。
……まあ、そんな事情を抜きにしても。
俺は、あいつのことを見ていて、ずっと思っていた。
真面目にやってるやつが、正当に評価されないのはおかしい。
それだけだ。
うちのギルド――フェイタルカノンには、少なくともそういう空気はなかった。
妬みで蹴落とすようなやつはいない。
嫉妬で足を引っ張るようなやつもいない。
真面目なやつは報われるべきだと、みんながどこかで思っていた。
……たぶん、一番そう思っていたのは俺だ。
だから、声をかけた。
あれはたしか、雨の降る日のギルド募集掲示板がたてられた広場だったか。
追放されたばかりだという噂を聞いて、俺はたまたま彼女を見つけた。
大通りの端。人通りの少ない石畳の脇で、ユークティアは一人、立っていた。
いかにも戦士といった装備に身を包みながら、その背中だけが妙に疲れて見えたのを覚えている。
「……なあ」
俺が声をかけると、彼女はゆっくりと振り返った。
赤く長いくせ毛が揺れ、紫の瞳がまっすぐこちらを射抜く。
その目には警戒があった。何度も似たような声かけを受けて、結局ろくな目に遭ってこなかったのだろう。
それでも俺は、できるだけいつも通りの調子で言った。
「うち、こないか?」
「……は?」
「普通のギルドだけど、ギルド城のレベルだけはMAXだぜ」
ユークティアは一瞬、ぽかんとした顔をしたあと、小さく眉を寄せた。
「……ギルド、フェイタルカノン?」
「おう」
「聞いたことないギルドだな。ギルド城レベル……MAXだったのか」
「そうかよ! 一応ギルドランキングは毎月50位以内に入ってるんだがな!!」
思わずムキになって言い返すと、ユークティアはわずかに目を伏せた。
「……そうか。すまない。上から順番に当たっていたから、気づけなかった」
「…………もういいよ」
トップギルドばかり見てたなら、そりゃうちなんて視界にも入らないだろうよ。
ちょっとだけ傷ついたが、そこはぐっと飲み込む。
「で、入るか?」
単刀直入にそう言うと、ユークティアはしばらく黙っていた。
疑っていたんだと思う。
本当に歓迎されるのか。
またどこかで都合よく使われて、いらなくなったら捨てられるんじゃないか。
そんなふうに警戒しているのが、表情に出ていた。
けれど最後に、彼女は静かにうなずいた。
「ああ。よろしく頼む」
その返事は短かった。
でも、どこか少しだけ、肩の力が抜けていた気がした。
俺はてっきり、ユークティアはフェイタルカノンに入ってから、最前線で暴れ回るものだと思っていた。
エリアボス、ダンジョン攻略、遠征任務。そういう、ギルドの看板になるような戦場に真っ先に立つタイプだと。
けれど、実際のユークティアは違った。
彼女が最初に着手したのは、新人育成だった。
まだ装備も整わず、レベルも低く、立ち回りもおぼつかないメンバーたちの傍について、一から教えていたのだ。武器の振り方、スキルの切り方、敵との距離の測り方。そういう基礎を、呆れるほど丁寧に。
しかも、自分が前に出て無双するんじゃない。
新人が自力で立てるようになるまで、後ろから見守る形で支えていた。
そして、育ったメンバーから順番に一緒にボスへ行き、ダンジョンへ行き、遠征へ出た。
クリアするたびに、ギルドはお祭り騒ぎだった。
新人が初めてボスを倒した日。
初めてダンジョンの最深部まで辿り着いた日。
遠征から無事に戻ってきた日。
そのたびにホールは歓声で埋まり、誰かが騒ぎ、誰かが泣いて、そしていつの間にか「今日は誰が一番ユークティアを笑わせられるか」みたいな妙な勝負まで始まっていた。
ユークティアは最初、そういうノリにまるで慣れていなかった。
笑うのも下手で、騒がれると困ったように眉を寄せていた。
けれど、だからこそ俺たちは見ていたんだと思う。
真面目すぎるくらい真面目に、新人を育ててくれるその姿を。
誰かの成長を、自分の手柄みたいに喜ばず、当たり前みたいに支えているその背中を。
だから、感謝していた。
主要メンバーにも、俺は何度も言った。
ユークティアが気持ちよく動ける空気を作りたい。
あいつがここで「いていい」と思える場所にしたい。
ちゃんと、報われる空気にしたいって。
すると、みんな当たり前みたいな顔をした。
そんなの当然だろ、と。
実際、その空気を乱す奴にはきっちり説教もした。
いや、説教で済まなかったこともあった気がするが、それはまあ置いておく。
とにかく、そうしてユークティアは、少しずつフェイタルカノンに馴染んでいった。
ユークティアとの思い出は、それだけじゃない。
……ないのだが。
今、目の前に立っているこいつを見て、まず浮かんだ感情は、懐かしさでも安心でもなく――驚きだった。
料理人をやる、だと?
レベリングの時間を削って。
ダンジョンにも遠征にも行かず。
よりによって、戦場じゃなく厨房に立つと言うのか。
そんなの、俺の知ってるユークティアからは、一番遠い選択に思えた。
「料理人。私がやってもいいだろうか?」
戦士の見た目で、口から出てきたのはまさかの申し出だった。
大ホールのざわめきが、また少し大きくなる。
そりゃそうだ。どう見ても前衛職。どう見ても厨房より戦場が似合う女だ。
だが、俺は知っている。
こいつは――
「……お前」
思わず、呟きが漏れた。
ユークティアは、何も言わずに俺を見返している。




