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死んだ。
いや、まだ死んでいない。たぶん生きている。だが、気分としてはほぼ死んでいた。
「……死にそうだ……」
ベッドに突っ伏したまま、俺はかすれた声で呟く。
あれから、三日が過ぎた。
部屋割りは最初の日に終わらせた――はずだった。
終わったと思ったのは、完全に俺の勘違いだった。
あとからあとからギルドメンバーが合流してきて、そのたびに要望が増えたのだ。
歩くのが面倒だからワープエレベーターの近くがいい。
二階にもキッチンが欲しい。
夫婦用の部屋が欲しい。
生産職だから作業台が置ける広さが欲しい。
日当たりはどうなってるんだ――いやここ城だから日当たりもクソもあるか。
「……知るかよ……」
俺はのろのろと起き上がり、爪のアイコンを押してギルド画面を開いた。
一覧を見て、また軽くへこむ。
俺以外のメンバーは、ちらほらレベル2、レベル3になっていた。
すでに狩りに出ている連中もいて、着実に戦力を整え始めている。
それに対して俺はどうか。
「料理スキル……レベル上がっただけ……」
がっくりとうなだれる。
いや、上がったのは事実だ。事実なんだが、この料理スキル、想像していたような便利スキルじゃなかった。
レベルが上がれば包丁さばきが神がかるとか、味付けの勘が鋭くなるとか、そういうロマンは一切ない。
ただ単純に、作った回数が記録されているだけだった。
「何なんだよこのクソ仕様……」
しかも、同じ料理では十回までしか熟練度が上がらない。
カブ炒め。
スクランブルエッグ。
今の俺のレパートリーは、その二つが主力だった。
いや、主力というか、それしかまともに作れない。
そして当然のように、ギルドメンバーたちは二日で飽きた。
「そりゃ飽きるよな……俺だって飽きるわ……」
ベッドの上に転がりながら、天井を見上げる。
材料が足りない。
調味料が足りない。
圧倒的に、足りない。
卵が手に入ったのは僥倖だった。そこは本当にありがたい。
だが、味付けが塩だけでは限界がある。
「味〇素ほしい……」
切実だった。
「醤油もない……味噌もない……だしもない……どうすればいいんだ……」
この世界に和食の概念があるかどうかすら怪しい。
あるとしても、今の俺にそれを探しに行く時間も気力もない。
思考がぐるぐると回り始めて、ついに限界が来た。
「あーーー!! やめたやめたやめた!!」
ベッドの上で手をばたつかせる。
その瞬間。
むにっ。
「……ん?」
柔らかい感触が、手のひらにあった。
……おっと?
なんだこれ。
あの神の使いの桃色ゼリーか? また勝手に部屋に入ってきたのか?
「あん♡ 揉んじゃいやん♡」
「うわぁっ!?」
飛び起きた。
そこにいたのは、ゼリーではなかった。
褐色の肌にオレンジ色の髪。ぴょこんとした猫耳。やたら艶っぽい笑みを浮かべたミカサが、俺のベッドの端に座っていた。
「お前かよ!!」
「お前とは失礼だなぁ、もりひと~♡」
「何だお前!! どうやって俺の部屋に入った!!」
するとミカサは、えへんとばかりに胸を張る。
「副マス権限♡」
「……あ」
思い出した。
エクボだけに権限を集中させるのも不便かと思って、ミカサにも副ギルマス権限を渡していたのだ。
つまり、こいつは管理権限で普通に入れてしまう。
「これで毎日一緒に寝れるね♡」
「帰れ!!」
「えぇ~」
全然帰る気配がない。
むしろ楽しそうに猫耳をぴこぴこ動かしている。
「何に悩んでるの?♡」
「いちいち色っぽい声出すな!!」
「もぅ、連れないんだからぁ」
「そのノリで来られると余計に疲れるんだよ……」
俺は深く深くため息をついた。
「はぁ……料理だよ」
「料理?」
「誰か代わってくれないかなって思ってる。こっちは材料もない、調味料もない、レパートリーもない。カブ炒めとスクランブルエッグだけで三日目だぞ。そりゃ飽きるだろ」
「ふーん」
ミカサは意外と真面目な顔になった。
「じゃあ、募集出せば?」
「募集……」
一瞬、思考が止まる。
「……あ」
あ、じゃない。
なんでそんな単純なことにも気づかなかったんだ俺は。
料理ができる奴を募ればいい。
買い出し担当を募ればいい。
食堂の運営を分担すればいい。
ギルドなんだから、最初からそうすればよかったのだ。
「……俺、アホか!!」
思わず頭を抱える。
するとミカサが、にまにまと笑いながら身を寄せてきた。
「もぅ♡ もりひとって、なんでも自分でやらなきゃって思いすぎなんだよぉ♡」
「その気色悪い声やめろ!!」
「気色悪いはひどくない!?」
「でも……そうか。募集か」
俺はゆっくりと起き上がり、頭の中で必要なものを整理していく。
料理担当。
買い出し担当。
できれば食材管理ができる奴。
あと、調味料やレシピの知識がある奴も欲しい。
「ホールに募集掲示板でも立てるか……」
「お、いいじゃん!」
「ついでに、食堂当番表も作る。もう俺一人で回すのは無理だ」
「うんうん。それがいいよ」
ミカサが珍しくまともにうなずく。
俺は爪のメールボタンに触れながら、じわじわと現実的な解決策が見えてきたことに気づいた。
全部を一人で抱え込む必要なんて、最初からなかったのだ。
ギルドなんだから。
仲間がいるんだから。
「……よし」
少しだけ、胸のつかえが下りる。
「募集、かけるぞ」
「えらいえらい♡」
「だからその甘ったるい声をやめろって言ってんだろ!!」
俺の怒鳴り声に、ミカサはけらけらと笑った。
……ったく。
うざい。うざいが、少しだけ助かったのも事実だった。
◇◆◇◆◇◆◇
それから俺は、大ホールの入口近くに募集掲示板を設置した。
木製の大きな掲示板に、依頼、相談、募集、提案の四項目を分けて表示できるよう設定し、あわせてメールで全ギルド員に通知を飛ばす。
――今後、ギルド内の各種募集は、大ホールに設置した掲示板を利用すること。
食堂当番、買い出し、生産職、修繕担当、その他提案もここへ。
「……よし、これで少しは回るだろ」
俺が腕を組んで頷いた、その直後だった。
「あ?」
ほんの少し目を離した隙に、掲示板の一番目立つ場所へ一枚の紙がぺたりと貼られていた。
《モリヒトのマズイ飯脱却チャンス》
「おい」
ぴくり、とこめかみが引きつる。
「これを書いたのがタナカだって、俺にはバレてるからな!!」
「えっ!?」
少し離れた場所で、ピンクツインテールの小柄な少女――タナカが、びしっと肩を跳ねさせた。
「な、なんでぇ!?」
「イタズラ防止で、貼ったやつの名前見れるようにしたからな。ちなみに文字を作成したやつの記録も残る」
「こわ!? モリヒトこわ!? 監視社会!?!?」
「ギルド運営なめんな!!」
タナカがわたわたと両手を振り回す。周囲からくすくすと笑いが漏れ、大ホールの空気が少しだけ明るくなる。
……まあ、こうやって騒げるなら、悪くない。
そう思った時だった。
「料理人」
低く、よく通る女の声がした。
「私がやってもいいだろうか?」
その声に、俺は反射的に振り向く。
そこに立っていたのは、一人の女だった。
赤く長い、くせのある髪。光を受ければ、燃える火のようにも見える。瞳は深い紫。鋭い目つきと引き締まった立ち姿が、彼女をただ者ではないと物語っていた。
身にまとっているのも、いかにも前線向きの軽装鎧だ。露出が多いわけではないのに、妙に威圧感がある。戦士。しかも、かなり場数を踏んでいるタイプの。
大ホールのざわめきが、わずかに遠のく。
周囲の視線が彼女に集まる中、俺だけは、別の意味で息を呑んでいた。
(……うそ、だろ)
見間違えるはずがない。
その声も、その目も、その立ち方も。
俺は、彼女を知っている。
いや――知っているなんてものじゃない。
この女の名前を、俺は忘れたことがない。
「お前……」
喉が、ひどく乾く。
目の前の女は、まっすぐに俺を見返していた。
そして俺は、ようやくその名を心の中で呼ぶ。
ユークティア。




