12
食堂に、どたどたと慌ただしい足音が響いた。
次の瞬間、勢いよくドアが開く。
「大変だ! 地図を入手した!」
飛び込んできた男に、食堂中の視線が集まる。
身長は百八十ほど。細身だが、無駄のない筋肉がついた実戦的な体つき。力任せではなく、効率で動くタイプ――そんな印象を一目で与える男だった。
髪は顎にかかる長さのボブカット。いわゆるおかっぱに近いが、左右対称ではない。右は短く、左は長いアシンメトリー。前髪も均等ではなく、右は眉にかかる程度で軽く流し、左は目元に落ちる長めの束が視線に影を落としている。淡い桜色寄りのピンクの髪が、走ってきた勢いで揺れた。
紫の瞳はやや切れ長で、静かなのに妙な圧がある。黒を基調にしたハイネックのインナーに、紫のラインが入った外套。胸元には幾何学的な紫の宝石のペンダントまで下がっていて、どこか儀式めいた雰囲気すらあった。
俺はしばらくその男を見て、それから率直に言った。
「え……誰……」
男はぴたりと止まり、少しだけ気まずそうに言った。
「あ、ごめん。タナカだよ」
「えぇ!?」
思わず椅子から立ち上がる。
「タナカ!? どうしたんだよ突然! お前、永久不滅のアイドルじゃなかったのかよ……!」
「それは後でだ」
即答だった。
しかも妙に真顔である。
いつものくねくねしたテンションも、語尾の甘ったるさもない。いや、たぶん今はそれどころじゃないのだろう。
「これ見て」
そう言うと、タナカ――いや、今はもう田中と言った方がいいのかもしれない――は、抱えていた大きな紙束を食堂のテーブルに広げた。
ばさり、と重たい音が響く。
広がったそれを見て、俺は息を呑んだ。
「……地図?」
それはまるで世界地図だった。
海と大陸、方角、地名。全体の形は、地球の世界地図にかなり近い。北米、南米、アフリカ、ヨーロッパ、オーストラリア――その名残を思わせる地形も見える。
だが、どこか決定的に歪だ。
大西洋のあたりには、アトランティス。
太平洋の一角には、ムー大陸。
その近くには、パシフィス大陸。
中南米の北には、メロピス。
インド洋方面には、レムリア。
南には、マガニカ。
さらに、ジーランディア。
知らないはずの大陸名が、地球の上に平然と重なっていた。
「……嘘……だろ」
思わず、そう漏れる。
ただのファンタジー世界地図じゃない。
これは、地球の地理を土台にしながら、そこへ“失われた大陸”や“伝承上の土地”を現実として足したような地図だ。
タナカは真剣な顔のまま続けた。
「それでさ……他の人からメールもらったりして、情報を繋ぎ合わせたら、ギルド城って、なんかしらの亜空間にあるわけじゃないみたいなんだ……」
「……どういう意味だ?」
俺が聞くと、タナカは地図の一点を指さした。
「この世界のどこかに、ちゃんと“ある”ってこと」
その時、少し離れた場所からユークティアの落ち着いた声が入った。
「……その仮説は正しいと思う」
全員がそちらを見る。
ユークティアは腕を組んだまま、淡々と言った。
「何故なら、元いたギルド――インフィニットから、ギルドに帰ってこないかとメールが来ていた。断ったがな」
「……まじか」
俺は顔をしかめる。
インフィニット。
ユークティアが以前いた、あのトップギルドだ。戦力も資金も桁違いで、ランキングの上位常連。正直、ギルド単体で見れば、うちとは比べものにならない規模を持っていたはずだ。
そんな連中が、わざわざユークティアに“戻ってこないか”と声をかけてきた。
それだけでも異常なのに、ユークティアはさらに続けた。
「……インフィニットは、何かの戦争に巻き込まれているようなことをメールに書いていた」
「戦争……」
「ああ。SSS・サーガのほとんどを吸収しても、まだ足りないと……そう書いてあった」
食堂の空気が一段、重くなる。
SSS・サーガ。
確か、規模だけならかなり大きいギルドだったはずだ。戦闘職の層も厚く、人数で押すタイプの集団だった記憶がある。そこを“ほとんど吸収”してなお足りない。
つまり。
「……亜空間なら、戦争に巻き込まれない」
俺は地図の上に視線を落としたまま、低く言った。
「つまり、やっぱり亜空間じゃないってことか」
誰もすぐには言葉を返さなかった。
この城がどこか切り離された安全地帯なら、外の戦争と直接つながるはずがない。だが、現実には別ギルドが戦力をかき集め、戦争への対応を迫られている。
ということは、俺たちもまた、その延長線上にいる。
まだ見えていないだけで。
「それで」
タナカ――いや、田中か――が、ぐっと身を乗り出した。
「ギルドに、空を飛べる奴いなかったか?」
「空を?」
俺は少し考えた。
「それはまだいないだろ。空中浮遊は……」
そこまで言って、ふと頭に引っかかる。
「……いや、いるかもな」
「え?」
ミカサが目を丸くする。
「俺らって、装備そのものは崩れてるけど、アバター――いや、衣装までは全部取り上げられてるわけじゃないだろ。身に着けていたものは、かなり残ってるはずだ」
自分の服の裾をつまみながら言う。
「俺はアバターじゃなくて、装備をそのままつけるタイプだったから、初期装備の旅人服だけどな」
それから、俺は田中を見た。
「特にお前なんて、アイドル衣装山ほど持ってるだろ。その中に浮遊アイテムがあるはずだ」
「…………たしかに」
田中は素直にうなずいた。
だが、次の瞬間、その顔がすっと曇る。
「でも………………男になっちまった」
沈黙。
ああ、そういうことか。
つまり、女性用アバターの衣装が着られないのだ。
「あぁ……」
ミカサがなんとも言えない声を漏らす。
エクボも、ジェストも、ユークティアも、キクチも、揃って残念そうな顔になった。
かなり深刻な問題なのだろう。
浮遊アイテムが使えない以上、このギルド城がどの大陸に位置しているのか、見当がつかない。
地図の上で位置を推測するにも限界がある。周辺の植生や空の色、流通品、魔物の傾向から絞ることはできても、上空から見られない以上、決定打に欠けるのだ。
その時だった。
「……貸してくれれば、私が着てみてこよう」
静かにそう言ったのは、ユークティアだった。
一瞬、食堂がしんとする。
だが、その言葉を聞いた瞬間、田中の顔がみるみる赤くなった。
「……っ」
耳まで真っ赤だ。
「え? どうした? 田中」
俺が素直に聞くと、田中はぶんぶんと首を振った。
「い、いや、なんでも」
なんでもある顔だった。
ミカサがすぐに身を乗り出した。
「私が着てもいいんだよ?」
さらっと言う。
だが、田中は咳払いをひとつすると、何事もなかったように左手を上げ、爪の印を押した。半透明のパネルが開き、衣装ストレージの一覧がずらりと並ぶ。
「じゃあ……えっと。じゃあ……ユークティア、衣装を譲渡するよ」
「ああ」
ユークティアが短くうなずく。
田中が何度か操作すると、パネルの向こうでアイテム移動の表示が走った。
ぴこん、と軽い音。
次の瞬間、ユークティアの前に、淡い紫と白を基調にした衣装一式が現れた。ふわりと広がる布地に、細かな装飾。肩から背中にかけて薄い羽衣のようなパーツがつき、腰回りには宝石飾り。どう見ても、空を飛ぶためだけの実用品ではない。
「ん……これか」
ユークティアがそれを持ち上げる。
そして、少しだけ眉を寄せた。
「……これは?」
田中が視線を泳がせた。
「も、もう着ないから、あげるよ。オマケ」
「そうか……。ありがとう」
ユークティアは本当にそれ以上深く考えていないらしく、素直に礼を言った。
だが。
俺は、その二人を見比べながら、じわじわと妙な違和感を覚えていた。
田中のやつ、さっきから明らかに様子がおかしい。
ただ衣装を貸すだけにしては、妙に照れていた。
そして“譲渡”ではなく“あげる”と言った。
しかも最後に、わざわざ“オマケ”までつけた。
……ん?
いや、待て。
なんだ、その流れ。
なんでそんな、ちょっとした贈り物イベントみたいな空気になってるんだ?
俺はユークティアを見る。
無表情。いつも通り。まったく気にしていない顔。
次に田中を見る。
まだほんのり赤い。しかも目を合わせようとしない。
そして、もう一度ユークティアを見る。
……いや。
ん???
ん????




