1.地球が終わったらしい
――ふと、意識が浮かび上がるような感覚があった。
身体が重い。頭の奥がぼんやりとしていて、思考が泡のようにまとまらない。どこか遠くで風の音がして、草が擦れるような微かな音が混じっている。
(……なんだよ、これ……?)
ゆっくりと瞼を開けると、視界に広がったのは――見たこともない空だった。
鮮やかな紺碧。まるで絵に描いたような青のグラデーションが空いっぱいに広がっていて、太陽は異様なほど近く感じられた。それなのに、暑さはなく、空気は不自然なくらい澄んでいる。
「……ど、どこだよここ……?」
ぽつりと漏れた声は、自分でも驚くほど冷静だった。けれど、次の瞬間。
「……は?」
俺――モリヒトは、自分の姿を見下ろして絶句した。
白と紺の生地に金縁が走る、いかにもファンタジーなローブ。左肩には“ギルドマスター”と読める紋章が刺繍され、右腰には何かのカードホルダーのようなものが吊られている。
スーツじゃない。
ブラック企業のオフィスで着ていた、あの灰色のジャケットも、ネクタイも、どこにもない。
「……え、何着せられてんだ俺」
混乱の中、思わず口にしたその瞬間だった。
「おきたのら?」
頭上から、奇妙な声が降ってきた。
「っ……!?」
咄嗟に顔を上げる。そこにいたのは――桃色のゼリーだった。
全長三十センチくらいだろうか。ぷにぷにしてそうな丸い身体に、つぶらな瞳。頭頂にはウサギの耳のような突起がちょこんと生えていて、何故か宙に浮いている。重力? なにそれおいしいの?
「おきたのら?」
にこにこと微笑むその姿は、確かに可愛らしい……が、俺の背中を冷や汗がつうっと流れる。
(なんだよこれ!? 地に足がついてねぇ!! どんな物理法則だよ!?)
そんな理不尽の塊を前に、中身35歳の社畜男、即断する。
逃げる一択だ。
「う、うわああああああっ!!」
草原を駆け抜け、林を突っ切り、ただひたすら走る。後ろからは、必死の声が追いかけてくる。
「ま、まつのら~~!! にげちゃだめなのら~~!!」
(はっ……はっ……なんで……こんなに走れる!?)
息が乱れない。膝も痛くない。十年前に捻った右足首も、今は軽々と地面を蹴っている。
(動きやすい……この服、妙に軽いし……)
そんな思考がまとまりかけたとき――目の前に、またあのピンク色が現れた。
「まつのら!!」
「うわっ!?」
思いっきりバランスを崩し、尻から草の上に倒れ込む。ずるっと情けない音を立てながら、肩で息をし、顔を上げると――いた。
あのゼリー、目の前に浮かんでいた。
重力をガン無視したまま、ぷかぷかと。
「ひっ……!」
「大丈夫なのら! わたし、神の使いなのら! こわくないのら!」
「……か、神の……使い?」
ぽかんとしながら聞き返すと、ゼリーは体をぷるるんと揺らして得意げにうなずいた。
「そうなのら! 残念だけど、地球は終わってしまったのら!」
「……え?」
「だから神様が、みんなの魂を救済するために――お前も良く知る人気ゲーム、エヴォルシアオンラインの中に転生させたのら!」
「う……嘘……だろ? エヴォルシア……に?」
あの世界初のフルダイブ型VRMMORPG?
俺が寝る間も惜しんでやってた、あの地味に自由度が高すぎて何をしていいか分からないゲームの中に?
そして今、俺が着てるこのローブも……
「そしてモリヒト! お前は神に選ばれし50人の一人なのら!」
「神に……選ばれし……?」
「そうなのら! と言っても、エヴォルシアで最も活躍してたランキング50位以内のギルドマスターが対象なのら!」
「……待て待て、意味がわからん」
脳が追いつかない。
地球が終わった?
ゲーム世界に転生した?
俺はその中でも選ばれし一人?
(……いやいや、何だよ。どういう滅亡の仕方をしたんだよ!!)
脳内で即ツッコミを入れる。というか、俺が寝てる間に地球終わってたって、そんな理不尽あるか?
それ以前に、さっきから気になるワードがある。
(ギルドマスター……?)
「じゃあ、俺の他にも49人いるのか?」
思わず問いかけると、ゼリーがうれしそうにぷるんと跳ねた。
「いるのら! そしてこれから、モリヒトは“ギルドマスター”として、この世界でギルドを運営するのら!」
「運営ぃぃ!? ゲームの中でまで管理職やらされるのかよっ!!」
会社から逃げても、また管理職。夢の中でも俺は管理される側ではなく、管理する側。
誰が喜ぶんだよ、そんな夢!!
「もともとお前は、エヴォルシアでギルドマスターとして生きていたのら。だから当然なのら!」
「当然って言うな! 趣味の世界にまで責任持ち込みたくないんだよ!」
「でも神様が決めたのら!」
理不尽極まりない。
「……待て待て、もしかしてギルドの奴らはそのままなのか?」
「確認するのら。ステータスを開いてみるのら!」
「どうやってだよ?」
「爪に絵があるのら。それを押すのら!」
「つ……爪!?」
言われるままに、自分の手をまじまじと見る。――本当にあった。
親指以外の爪に、それぞれ見覚えのあるアイコンが描かれていた。ゲーム中に見ていた、あのメニュー画面そのままだ。
左手の人差し指には、ステータスアイコン。中指にはインベントリ。薬指にはスキル。小指には……えっ、メールボックス?小指にメール?
「なんっだこれ!?」
現実離れしすぎて、逆に感動すら覚える。試しに人差し指の“ステータス”アイコンを押してみた。
――ピコン。
まるで透明なホログラムのようなウィンドウが、空中に浮かび上がった。
MORIHITO
種族:人間
レベル:1
職業:旅人/ギルドマスター
所属:フェイタルカノン
所持資金:100G
「まじか……」
「まじなのら!!」
ゼリーがなぜかドヤ顔でぷるんと揺れる。
(フェイタルカノン……俺が作ったギルドの名前だ。懐かしい……)
確かに、俺はエヴォルシアでギルマスをやってた。ちょっとしたきっかけでギルドを作り(基本社畜で、大体のギルドルールを守れなかった為、作るしかなかった。)、少しずつメンバーが増え、最終的にはランキング50位以内に入るくらいには大きくなった。
けどそれは“ゲーム”だったからだ。
プレイヤーにはログアウトもあったし、リアルな人間関係もあったし、休止や脱退も自由だった。なのに、今はどうだ?
地球が終わって、ゲームの中に転生させられた?
そして俺はそのまま“ギルドマスター”継続中?
しかもスタート地点でレベル1の“旅人”っておまけ付き?
「おい、この設定作ったやつ出てこい。せめてレベル10くらいにしとけよ!!」
「うるさいのら。これは“運命の調整”なのら。全員同じスタートラインから始めるのら!」
「神が選んだのに、出オチじゃねえか……!」
画面の中で無慈悲に光る【レベル:1】の文字が、胃のあたりに刺さる。
(こんなはずじゃなかった……せめて地球が終わる前に有給使っとくんだった……)
モリヒトは目の前に浮かぶゼリー――神の使いを名乗る謎生物を見つめながら、これからの人生――いや、ゲーム人生の過酷さを、胃の奥でひしひしと感じていた。
「……はぁ、これからどうなるんだ俺」
「まずはギルド城に向かうのら! みんな、待ってるのら!」
「……うそだろ。まだメンバー生きてんのかよ……」
この時の俺はまだ知らない。
後に始まる、“精神がHPより先に削れる”日々の幕開けである――ということを。




