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ジョン・レノン研究

作者: 沢 一人
掲載日:2026/03/01

本稿は、ひとりの楽人を論ずるものにあらず。

また、年代や事実を丹念に追う伝記でもない。

ここに試みんとするは、ひとりの魂の震えを、われが胸の震えと重ねて聴かんとする小さき企てなり。

ジョン・レノンの歌は、あまりに知られ、あまりに語られてきた。

されど、その奥に潜むためらい、愛に対する畏れ、理屈に先だつ涙のゆくえについては、なお語り尽くされたとは言い難い。

われは彼を神話に祭り上げむとは思はず。

ただ、ひとりの人間として、愛に揺れ、孤独に震え、なお歌はずにはゐられなかった者として見つめんとするのみ。

日本の古典に「もののあはれ」といふ言葉あり。

それは、物事を理解し尽くすことにあらず。

移ろひゆくものを、そのままに受けとめ、胸の内にかすかな痛みを宿すことなり。

彼が異国の舞台にて涙せしとき、

その涙は説明を求めず、ただ落ちたり。

この書は、その涙の理由を断ずるためにあらず。

むしろ、断じ得ぬままに、そばに坐すためのものである。

もし読者が、ここに確かな答えを求め給ふならば、

おそらく失望せらるるであらう。

されど、答へなきゆゑに残る余白こそ、芸の本懐と信ずる。

願はくは、頁を繰るあひだ、

解かれざる震へを、ともに抱き給はんことを。

私はまだ、

John Lennon の域に到達していない。

到達していない者だけが、

なおも仰ぎ見る。

It's Only Love を聴くとき、

胸の奥に、名を持たぬ震えが起こる。

“It’s only love…”

たかが愛、と彼は言う。

だがその声は、

強がる者の声である。

古来、日本人は

触れれば散るものに心を寄せてきた。

花は盛りにあらず、

月は満ちれば欠ける。

愛もまた、

満ちた瞬間に失われる気配を孕む。

それを知っているから、

人は恐れる。

恋に胸が痛むとき、

相手を見ているようでいて、

実は「失う予感」に触れている。

その予感は、

はるかな昔に刻まれた喪失へと繋がっている。

ここで私は、

ひとつの仮説に立ち止まる。

この歌の「君」は、

恋人ではなく、母ではないのか。

Julia Lennon。

少年が仰ぎ見た光。

近づきながら、永遠に届かぬ存在。

それはまるで、

『源氏』における藤壺のごとき面影。

慕いながら、触れてはならぬもの。

憧れが極まるほど、胸は痛む。

もしそうであるならば、

“Only” とは、諦念の仮面である。

もののあはれ、という言葉がある。

世のすべては移ろい、

愛さえも留まらぬと知るとき、

人は静かに震える。

その震えを、

彼はまだ言葉にできなかったのではないか。

後年、

Julia で名を呼び、

Mother で叫ぶ。

だがその前に、

まだ名を呼べぬ段階で、

無意識の水面に波紋のように現れた歌。

それが「It’s Only Love」だと、私は思う。

西洋の旋律の中に、

なぜか東洋の影を見る。

満ちれば欠けるという感覚。

愛が極まるほど、別れを孕むという直観。

ジョン・レノンは日本古典を読まずとも、

人の心の深層で通じる「あはれ」に触れていたのではないか。

証はない。

だが、胸が知っている。

理解してしまえば、この研究は終わる。

理屈で割り切れば、震えは消える。

私はまだ到達していない。

だからこそ、聴き続ける。

“Only” と言いながら、

実は世界の中心に触れてしまっている声を。

散り際の花のように、

触れれば消える光を。

分からぬまま、

震えの中に立ち尽くす。

それが、私のジョン・レノン研究である。



ジョン・レノン研究 ― 異国の闇にて ―

人は、理解したものにのみ心を動かされるのではない。

むしろ、理解の手前で立ち尽くすとき、魂はもっとも深く震える。

ジョン・レノンが日本を訪れた折、彼は骨董品を幾つも買い求めたという。古びた茶碗、色の褪せた掛軸、名も知らぬ器物。そこに刻まれた時間の層を、彼は指先でなぞるように愛した。新品の輝きではなく、使われ、擦れ、沈黙を重ねたものに宿る気配——それは、彼自身が生きてきた光と影の軌跡に、どこか似ていたのかもしれない。

ある日、彼は店主に誘われ、歌舞伎の舞台を観に行く。

店主は、異国の友に華やかな見得と鮮烈な色彩を見せたかった。だが、よりによって上演されていたのは、暗く沈んだ場面であった。照明は抑えられ、舞台には静かな緊張が漂う。

店主は内心、しまったと思う。

だが、その隣で、言葉を解さぬはずの彼は、じっと舞台を見つめ、やがて涙を流していたという。

なぜ泣いたのか。

筋も、台詞も、分からぬままに。

それは説明を拒む涙である。

理屈に回収されぬ感応。

日本の古典が「もののあわれ」と呼んだものは、まさにこの瞬間を指しているのではないか。形が崩れゆくことへの感受、声にならぬ情の滲み。光よりも、むしろ翳りに宿る美。

彼の歌にも、同じ震えがある。

愛を歌いながら、愛に怯え、抱擁を求めながら距離を置く。

「たかが愛」と叫ぶようでいて、実はその愛に揺さぶられている。

もし彼が、すべてを理解していたなら——

もし自らの震えの正体を、明晰に言語化していたなら——

その歌は、これほどまでに我々の胸を打っただろうか。

分からないからこそ、響く。

闇があるからこそ、光は深まる。

異国の舞台で流した涙は、彼が日本を「理解」した証ではない。

むしろ、理解できぬまま受け取った証である。

そして芸術とは、本来そういうものなのだ。

解けぬまま、胸に置かれるもの。

言葉の外側で、静かに燃え続けるもの。

彼が日本を好んだ理由を問うなら、答えはおそらく単純である。

そこには、説明しない美があった。

感じることを許す文化があった。

涙の理由を問わぬ国。

その沈黙の深さに、彼は自らの孤独を重ねたのかもしれない。



ジョン・レノン研究 ― あはれの国にて ―

かの西土の楽人、ジョン・レノンといふ人、東の海を渡りて日本の国に来たりしことあり。世の人はその名を知れども、その胸の内までは知るよしなし。

この人、骨董を好み、古き器、色あせし掛物などを求め給ふ。新しき光よりも、歳月を経て静まりたるものに心寄せ給ふは、ただの物好きにあらず。人知れぬ影を抱きし者のみが知る、時の重みを愛で給ひしならむ。

ある折、店主とともに歌舞伎を観給ふ。

店主は、花やかなる場面を見せむと願ひしに、その日かかりしは、暗き筋の段なり。灯は淡く、舞台は沈み、声もまた低くひびく。

店主、内に「しまひぬ」と思へども、異国の客はただ黙して見つめ給ふ。

言の葉を知らず、詞章を解さず。

されど、その目に涙の光うかびしといふ。

あはれなるかな。

理をもて量るにあらず。

筋をもて解くにあらず。

ただ胸の奥、いづこよりともなく震へ出づるものあり。

『源氏物語』に、「もののあはれを知る」とは、世の移ろひに心をとどめることなりと伝へらる。

花は散るゆゑにこそ美しく、闇は深きゆゑにこそ光は冴ゆ。

かの人の歌にも、同じ影さす。

愛を呼びつつ、愛におののく。

「ただ愛のみ」と言はむとしながら、なほ揺らぎを隠しきれず。

もしその震へを、はじめより悟り尽くし給ひしならば、その歌はかくまで人の胸を射たりや。

解き明かされし情は、はやあはれにあらず。

涙のわけを問はぬこと。

それこそ、この国の深みなり。

異国の闇に座して、ただ感じ、ただ涙す。

そこにこそ、彼の心は安らぎしやもしれぬ。

人はみな、言葉に先だつものを胸に抱く。

それを解かず、ただ受けとめむとするところに、芸の道の奥義はあり。

かの楽人、日本を好みしは、理を越えて響き合ふ国なりしゆゑか。

さはれ、真のところは知るよしもなし。

ただ、あの暗き舞台の片隅に落ちし涙こそ、

彼の心のうちを、ひそかに語るものなり。





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