第四話 雪が降る日に
雪が降り積もる朝。
サードニクス城の門前には、トリフェーン王国からの早馬が到着していた。
馬から降り立った騎士が抱えていたのは、一通の書状だった。
サードニクス皇城中央。北棟の三階にある皇帝の執務室──
「皇帝陛下、トリフェーンから書状が届きました」
侍従官から渡された書状を皇帝アズールが受け取る。
長い指が薄緑の封蝋を割り、紙がこすれる乾いた音が響く。
アイスブルーの瞳が、開いた書状へと視線を滑らせた。
だが、その氷のような冷たい表情からは、彼が何を考えているのかうかがい知ることはできなかった。
「皇后選定に来るのは、第二王女だけだそうだ」
アズールは、開いた書状を侍従官へと差し出した。
「私は、二人とも欠席で構わないが」
淡々とそう言い放つアズール。
返された書状に侍従官も目を通し、わずかにまぶたを伏せる。
「第二王女は……エメロード殿下ですね。直ちに迎えの馬車の手配を致します」
その侍従官の言葉に、アズールは視線を上げた。
「侍従官が、随分と勝手に動くものだな」
冷ややかな声で放たれた言葉。
侍従官が眼鏡のつるをそっと押さえると、丸いレンズがかすかに煌めいた。
「僭越ながら、皇帝陛下は皇后候補の護送についてお命じにならないかと……“皇后選定の儀”は、この帝国に代々伝わる慣習。例え皇帝陛下のご命令であっても、掟を覆すことは出来かねます」
アズールはわずかに視線を落とすと口を閉ざした。
「皇帝陛下……エメロード殿下にご滞在いただく部屋は、いかがなさいますか」
侍従官の言葉にアズールが視線を上げ、雪の降り注ぐ窓へと視線を向けた。
「東……いや、西棟の二階に、来賓用の客室があったろう。そこへ案内しろ」
「もし、皇后となられた場合は──」
「部屋を変える必要はない」
言葉を遮られ、表情を変えた侍従官。
アズールは視線を落とすと、執務机に積んであった報告書を手にする。
何か言いたげな眼差しで立ち尽くす侍従官を、アズールは一瞥した。
「私が言った通りだ。下がれ」
アズールは、再び報告書へと視線を戻す。
皇帝の命に頭を下げると、侍従官は執務室を後にした。
* * *
その日の夕刻。
サードニクス帝都ディアマンにあるサーペンタイン公爵邸は、ひどく静かだった。
「ローズ、少しでも食事を摂りなさい」
「お母様……食欲がありませんの」
扉越しに返ってきたのは、細い声だった。
「……わかったわ。それでも、私もお父様もあなたを心配しているのですよ。……明日は、少しでも食事を摂ってちょうだいね」
固く閉じられた扉の向こうから聞こえた返事は、ローズにしては珍しく、ひどく弱々しいものだった。
娘の部屋の前で小さくため息を吐くと、扉にそっと触れてから、公爵夫人は静かに立ち去った。
その日の夜更け、公爵夫妻の部屋──
「ローズの様子はどうだ」
「部屋から出てこず、食事も喉を通らないようで……」
「……そうか」
あの日、『皇后選定の儀』から帰宅したローズは、「どなたも選ばれませんでしたわ! あのトリフェーンから、王女を招待するとか……信じられませんわ!」と怒りを露わにしていたかと思うと、翌朝からは部屋から出てこなくなったのだった。
「あなた、ローズは……」
「大丈夫だ」
落ち着いた様子の公爵に、夫人は不安そうに俯けていた顔を上げる。ストロベリーブロンドの艶やかな髪が、灯りを弾いて煌めく。
「どうして、そのように仰ることができるのですか……ローズは、あの子は“皇后選定の儀”で……」
「お前は知らぬだろう。先代の“皇后選定の儀”は……」
公爵の声が小さくなり、燃え盛る暖炉の火がぱちりと大きく弾けた。
夫人の瞳が大きく見開かれる。
「まさか、そのような……それは、誠なのですか」
かすかに震えている夫人に、低く囁くように公爵が続ける。
「ごく一部の者しか知らぬ話だ。……誰にも、話してはならぬぞ」
「宝石しか持たぬ小国の王女など……。私たちのローズこそが皇后に相応しい。ローズが選ばれるはずだ」と薄く笑った公爵。その煉瓦色の瞳に映る、暖炉の炎が揺らめいた。
夫人も、安堵の表情を浮かべている。
(わたくしが、選ばれる……? わたくしの“皇后選定”はもう終わったのに、どういうことなの……)
扉の向こうでローズが話を聞いていたことを、ふたりは知らなかった。
* * *
その頃、サードニクス帝国西の国境沿いにあるトリフェーン王国。
王城三階の北にある王女エメロードの部屋は、蝋燭の薄明かりに照らされていた。
──『エメロード、今夜はこの絵本を読んであげましょうね』
エメロードは、小さな寝台の上で毛布にくるまっていた。
その手に大切そうに持っているのは、古びた絵本。
(あの頃は、いつも暖かかったわ……心も、体も……)
エメロードの母が亡くなる前──幼い頃、彼女は王城二階の広い部屋で過ごしていた。
若葉色の美しい絨毯に、南向きの大きな窓には雪のように白いレースのカーテンが掛かっていた。
部屋の奥には天蓋付きの大きな寝台があり、眠る前にはいつも母が傍らに座って絵本を読んでくれた。
──『雪の女王』
寒い冬の日に、母がいつも読んでくれた絵本をそっと開く。
誰も寄せ付けなかった雪の女王と、雪の城を溶かした青年の物語。暖かに終わるこの物語の最後が、エメロードは大好きだった。
「お母様……」
(またいつか、誰かと笑い合える日々が来るのかしら……)
エメロードは暗くなった窓を見つめると、毛布にくるまって横たわった。
「私も……いつか、誰かと……」
そう囁くように呟くと、エメロードはまぶたを閉じた。
次回、第五話「ひとりの旅立ち」
※ 以降は、月・水・金の夜に更新予定です。




